2009年8月4日火曜日

映画『重力ピエロ』

 八王子の大学に通っている弟と、久しぶりに会った。髪が長くなり、背も高くなった(ような)気がしたので、一瞬誰か分からなかった。金を使わない性格の弟なので、21時に大阪行き深夜バスを見送るまで、書籍代しかかからなかった。
 相変わらず、私の話に論理的に批判をしてくる。兄弟で議論をすると楽しいのはその点だ。こうまで痛烈に批判をしてくる相手はほとんどいない。血族の成せる技だ。

 夜の9時、新宿に一人取り残される。そんなとき、私は映画館に駆け込みたくなる。周りの喧噪を目にしていると、いたたまれなくなってくるからだ。そんなわけで、新宿武蔵野館で映画『重力ピエロ』を観る。選んだ理由は単純明快。「たまたま、あと少しで上映開始だから」である。私は「この映画が観たい!」と思って映画を見に行くのでなく、「何か映画を観たい!」と思い映画館へ行き、それから観る作品を探すタイプの人間だ。わが親友のOが伊坂幸太郎の作品を絶賛していたことも、選択の理由である。

 泉水(いずみ)と春(はる)の兄弟には、ある秘密があった。泉水は実の子どもであるが、春は母がレイプされた時に出来た子どもであったのだ…。春の出生の秘密は、地域においては公然の秘密となっている。父は妻が強姦魔の子を身ごもったことを知ったとき、即座に「生もう」と妻を励ます。このシーンが印象的だった。

 思わず涙が出たシーン。2段ベットで寝る小学生時代の兄弟の会話。

春「おにいちゃん、レイプって何? みんな僕のことをそういうんだ」
泉水「(しばしの沈黙。その後、思いついたように)レイプ、グレイプ、ファンタグレープ。レイプ、グレイプ、ファンタグレープ」
春「(真似をして、笑顔で)レイプ、グレイプ、ファンタグレープ。レイプ、グレイプ、ファンタグレープ」
 楽しげにリズムに乗る春とは対照的に、泉水は沈んだままの表情だった。

 レイプされて生まれた子ども。本人は何も悪くないにも関わらず、周りはその子を悪く言う。子どものもつ苦しみを感じた映画である。
 
 昔、早稲田松竹で観た『サラエボの花』のテーマも、『重力ピエロ』と同じであった。主人公・エスマは、ボスニア紛争中、兵士のレイプに遭いサラを身ごもる。サラには長い間、この事実は秘密にしていたが、ある日エスマは事実を口走ってしまう…。取り乱すサラとエスマ。けれど学校の旅行にいくサラを見送るラスト・シーンには希望が見えている。手を振るサラのアップが印象深かった。

 映画館を出た私の目には、再び新宿の光景が広がる。『重力ピエロ』の泉水と春は、なんだかんだいい兄弟であった。私と弟の関係も、そのようなものにしていきたいと思う。お互い東京に住んでいながら、最近全く会っていなかったからだ。

『重力ピエロ』原作:伊坂幸太郎 監督:森淳一/2009年/日本

『サラエボの花』監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ/2006年/ボスニア・ヘルツェゴビナ

追記
●最近、本を読むのが面倒になってきた。人が「この作家、いいよ」といっても、あまり読む気がしない。
 そのかわり、「名著」の映画版(あるいはマンガ版)を積極的に観るようになった。『重力ピエロ』も、いちど
伊坂幸太郎の作品に触れておきたい思いから観ることにした。

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