2011年3月31日木曜日

ファシズム化

宮台や佐藤優は「ファシズム」に日本の可能性を見たが、いまの地震報道や地震に関する政府対応を見ると、すでにファシズム化しつつあるように思われる。ちょうど、今週のサンデー毎日の特集は「福島原発大本営発表の罪」であった。
 宮台や佐藤優は楽観視しすぎていたのではないか、と思われる。

知識人とスティグマ

知識人は他者によってしか呼ばれない名前だ。丸山真男も吉本隆明も自身を知識人とは言わなかった。その意味で知識人も一種のスティグマである。

2011年3月30日水曜日

小熊英二(2002):『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』、新曜社。

小熊英二(2002):『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』、新曜社。
発表者:藤本研一
2011/03/30
範囲:第8章「国民的歴史学運動 石母田正・井上清・網野善彦ほか」(pp307-353)
☆は藤本のコメント。

概要
・結論:マルクス主義歴史学である「国民的歴史学運動」は大きな影響をもったが、間もなく限界を迎えることになる。この運動は「民衆」自身が歴史を綴ることを重視した運動であり、民衆を中心にした歴史へ読み替えやマルクス的イデオロギーを伝える学問にするなどの動きがあった。この運動は、想定された「民衆」と実際の民衆の間にズレがあることや、共産党の意向の変更により挫折を余儀なくされることになる。


・戦後歴史学:マルクス主義の影響が強い リーダーは石母田正(いしもだしょう)/戦前のナショナリズム批判の最大の勢力の一つ
→1950年代前半では「民族」がもっとも強調された領域。
・本章のテーマ:国民的歴史学運動とこの時期のマルクス主義歴史学
→戦後左派のナショナリズムの性格と限界

●孤立からの脱出(307-)
・「1930年代末には、数年前まで隆盛を誇ったマルクス主義歴史学は、ほぼ完全に圧殺されていた」(308)
→古代史・中世史で細々と研究が行われるようになる。戦後もマルクス主義歴史学は古代史と中世史の研究者が中核を担うことになる。
・戦後の石母田:著作『中世的世界の形成』の経験から、「民衆からの孤立を脱し、社会に働きかける学問として、戦後の歴史学を構想していった。そしてそうした志向は、やがて「民族」という言葉によって表現されてゆくことになるのである」(313)

●戦後歴史学の出発(313-)
・「敗戦後、言論統制と皇国史観の支配から解放された人びとは、歴史学へ熱い関心をよせた」(313)
・「1946年1月、戦中には孤立に追い込まれていた哲学・科学・歴史学などのマルクス主義系知識人が集まり、そこに非マルクス主義系知識人も加わって、民主主義科学者協会(民科)が創立された。その歴史部会の機関誌として、1946年10月に『歴史評論』が相関される。戦前いらい石母田たちが拠点にしてきた『歴史学研究』も1946年6月号から再刊され、この二つの雑誌が戦後のマルクス主義歴史学の中核になった」(313-314)
・「第6章でみたように、文学においては、政治的中立を装う「芸術至上主義」が批判されていたが、歴史学でそれに相当するのが「実証主義」だった。中立を装う「実証主義」は、最終的には帝国主義の側に加担する、ブルジョア思想にほかならないとされていたのである」(314)(☆いろんな動きは軌を一にしている。時代の空気は人を同じ方向に向かせる。)
・「マルクス主義歴史学者からすれば、歴史とは明確なメッセージ性をもち、児童に希望と誇りを与えるものでなければならなかった」(315)(☆しかし、これは本当に「歴史学」なのだろうか)
・石母田の民衆文化観(1948年):「身分制度のもとで下層民がつくった民謡は、能や法隆寺が支配階級の意識を反映しているように、卑屈な被支配者意識を反映しがちである」(317)
・「いかに民衆からの孤立を脱するかを課題」とする石母田は、「民衆にたいする啓蒙活動」(318)をはじめる。その際講師も人民から学ぶことを重視した。
・「歴史というものが、つねに政府や知識人といった権威から与えられるという「古い卑屈な伝統をこわす」ために、民衆自身が「自由な創意と興味」によって歴史を書くことを提案することにあった」(319)
→「労働運動の歴史」の記述を、労働者が出来るようにすること、など。「歴史の専門家がその仕事を助け」ることで。
→「「政治」と「研究」の二元的対立の使用を目指した思想であった」(321)/石母田が「悔恨を抱いていた「若い人たち」に対する責任を果たす行為でもあった」(321-322)
・しかし、石母田自身「農村をよく知らない」(232)や「図式的なステレオタイプ」(232)で農民像を語る等、精緻性に欠けていた。
・「民族」観:当時の石母田:「「民族」や「民族文化」は過去の伝統ではなく、未来にむかって創造されるものであった」(324)

●啓蒙から「民族」へ(324-)
・1950年のスターリンの言語学論文:「近代的な「民族」は資本主義以降に形成されるが(☆フーコーのいう「人間」は18世紀に成立した、との主張を思い出す)、その基盤として、近代以前の「民族体」が重視されるべきだということが説かれていたのである」(325)
→「民族文化」も「近代以前のものを含むべきだという転換を示すもの」(325)になった。
・石母田の「民族」観の変化:「大衆こそが民衆」(326)/スターリン論文への共感
→①民衆志向 ②アジアの再評価(とくに在日朝鮮人への注目)

●民族主義の高潮(331-)
・「支配者がつくったテキストや文化を再解釈し、それを革命の表現に転化してこそ、支配者が大衆に注ぎ込んだ愛国教育を逆手に取ることができる」(333)という藤間の主張/(☆現代ではとても共産党の言説とは思えない、)民族主義的な言説の横行
・民衆中心主義への読み替え:「武士道は支配者の思想ではなく、民衆を守り、民族全体を守る者の責任の倫理として、むしろ下から出て来たものである」」(334)
・倉橋文雄「歴史をほんとうに大衆のものにするためには、文学の場合と同じく歴史家の場合も資料操作以上の飛躍が必要ではないか」(334)(☆ここまでくると学問ではなくなっている。イデオロギー性や「闘争性」を学問がもってはいけない理由でもある)
・1955年頃「この時期、共産党系の歴史家でナショナリズムそのものを批判する者はほぼ皆無で、ただ肯定すべきナショナリズムを歴史上のどこに求めるかをめぐって論争していた」(336)
・まとめ:「もともと1948年の時点では、「民族」は近代の産物だという見解と、理想的な「民族」が形成されるまでは階級闘争が重視されるべきだという認識が、単純な「民族」礼賛への歯止めになっていた」(337-338)
「しかし、そうした歯止めが取り払われた1950年代以降は、旧来の「民族」観を批判していたはずのマルクス主義歴史学者たちさえもが、慎重な姿勢を失ってしまった。もともと彼らも、他の日本臣民と同様に、戦前の愛国教育を受けて育ってきた人びとだった。いわば彼らは、革命推進のかたちで「民族」という言葉を使うことが許されたとき、数年前まで馴染んできた言語の発話形態に逆戻りしてしまったのである」(338)

●「歴史学の革命」(338-)
・国民的歴史学運動のはじまり:「民衆が自分自身の歴史を書くことで「声」を獲得し、知識人はその助力をすることで既存の学問を改革すること」「を実行に移したものであった」(339)
・竹内好「1950年には、戦争と革命は予測でなくて現実であった」(342)
→(☆当時のリアリティでは共産主義革命は「必然」であったのだ)
・石母田の「大衆から孤立」しない「インテリゲンチャの活動」への呼びかけ:「大学進学率が低く、学生にエリートとしての自意識が残っていた当時においては、こうしたアピールは共感を集めた」(343)/農村に入ることで、学問からの「疎外」を回復する(☆現場に入ることで人生観が切り替わり、結果学者としてのアイデンティティを放棄、その共同体の一員になる、という内容のエスノグラフィーはたくさんある)
→☆石母田の講演の内容は1953年発行の書物におさめられている。1955(s.30)年の段階において大学進学率は10.1%(短大含む)である。B・クラークの図式でいうならば、マス段階どころか「エリート」段階の高等教育である。
・農村に入る「「学生さん」への敬意と好感は、大学生の存在が大衆化する60年代半ばまで持続し、60年安保闘争の高揚を支えることになる」「いわば国民的歴史学運動は、参加した学生たちの心情という面では、1960年代の全共闘運動と、部分的には共通していたといえる」(345)

●運動の終焉(346-)
・1953年頃からの活動の行き詰まり
①学生・研究者の相互批判 自己批判の強制(☆参考エッセイを参照)
②「「民衆のなかへ」という理念そのものが、現実の民衆にたいする無知から発していたことを意味していた」(349)
③1955年7月の六全協による、日本共産党の方針転換
→「運動の瓦解は、多くの人びとを傷つけた」(351)/網野善彦が1960年代後半までほとんど論文を発表できなくなる。
・「「よろこび」や「たのしさ」を出発点としていたはずの運動が、政治的な「実用主義」に巻きこまれ、「強制」や「義務」に転化してしまった」(353)という石母田の後悔。(☆内藤朝雄の「中間集団全体主義」あるいは山本哲士の「社会イズム」の弊害である)

論点
・考察にもあるが、「学問」と「政治」の繋がりについて、考察したい。学問はたしかに「政治」や「社会」から中立の存在ではないが、だからといって「政治」や「運動」に肩入れした学問をするのは本末転倒であると思われる。それは「学問」システムから離脱することになるからだ。

考察
・共産党やソ連の姿勢一つで学問の方針が変わってしまうところに、当時のマルクス主義歴史学の学問的自立性の弱さがあったように思われる。

・人間は善意で人を不幸に落とし込んでしまうことがありうる。それが個人と社会をめぐるパラドックスである。「国民的歴史学運動」における石母田の姿勢も、それであった。通常は「やりすぎ」の運動を防ぐため、各社会システムごとに「きまり」がある。学問ゲームにおいてはそれは「科学性」であるし、『ホモ・アカデミズム』や『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』においてブルデューの言った研究者のハビトゥスを意識する必要がある。また、マンハイムの「存在の被拘束性」やウェーバーの「客観性」原理の意識など、学問する上で最低限守るべきルールは存在している。
 石母田の失敗は、あまりにも歴史研究ゲームから外れすぎたところにある。民衆に対する歴史研究だったはずが、単なる党の市民運動に堕してしまった時点で「アカデミズム」ではなくなったのだ。いわば学問ゲームから自ら離脱してしまったのである。
 無論、この傾向をアカデミズムの自閉性ということもできる。しかし、オートポイエーシス理論をもとにするならば、そもそもどの社会システムも閉鎖的であるのである。その社会システムが外部の社会システムと接触するとき「構造的カップリング」が発生するというのがルーマンの理論である。「構造的カップリング」の前後で社会システムが変容している点に注意したい。
 つまり、石母田らの行った「国民的歴史学運動」は「歴史学」という社会システムと「市民運動」という社会システムが構造的カップリングを起こし、まったく異質のシステムに変更した、ということなのである。本来の歴史学システムとは変遷しているわけであるから、歴史学から追い出されてしまうのは始めから分かっていたわけである。本来的な歴史学を批判し、新しい「国民」のための歴史学創出を行おうとするばあい、その新しい歴史学が本来的な「歴史学」でなくなるのは、トートロジー的ではあるが、真実である。
 仮に市民運動システムとの「構造的カップリング」が歴史学システム全体を変容させるほど多大なインパクトをもっていたばあい、逆に石母田の方法が歴史学の主流になっていた可能性がある。これも「構造的カップリング」の働きによる。しかし、その場合歴史学システムの外にいる人物からみて、全く異質な「歴史学」システムに変貌している可能性がある。

・科学を「民衆」のものにするためにはあえて非科学的な記述をすることを辞さない態度が「国民的歴史学運動」にあった時点に問題があったと考えられる。I・イリイチは『シャドウ・ワーク』において「民衆のためのサイエンス」science by peopleと「民衆によるサイエンス」science for peopleとを立て分ける。前者は民衆にあてた科学であり、主体は知識人である。一方、後者は民衆自身による科学を訴えた内容となっている。イリイチは前者を批判し、後者の実現を呼びかけている点に注目したい。「国民的歴史学運動」は前者に当たるのはいうまでもないことである。
 ここでイリイチの「民衆のためのサイエンス」と「民衆によるサイエンス」の違いを考察したい。前者の難しい点は「前衛」を名乗るばあい、「民衆によるサイエンス」を理想としても(本章でも問題になっていたことである)、一時的であれ「民衆のためのサイエンス」としての知識人が必要だ、というアポリアを招いてしまう点にある。イリイチ自身が自覚的だったか不明であるが、イリイチと言う知識人自体、「民衆によるサイエンス」を実現するためにアジ的言説を吐いたという意味で「民衆のためのサイエンス」を実行していたといえるからだ。
 つまり、「民衆によるサイエンス」は「民衆のためのサイエンス」なしに成立しえないという問題点をはらんでいる。「前衛」党の存在は「民衆によるサイエンス」をエンパワメントするのが働きだが、制度化しない段階で「前衛」が手を引かなければ結局「民衆によるサイエンス」が育たず、「民衆のためのサイエンス」に終ってしまうのである。

・ 批判的教育学がでてくるのは、我々研究者が無自覚的に行っている実践(プラチック)が現行体制の再生産機能をもってしまう。ただでさえ体制順応的になるからこそ、アップルらはあえて「批判的教育学」を実践したのであった。
 下手をするとマルクス主義的な色がついてしまうため、教育学のメインストリームになれなかったのはこのあたりに由来している。このあたりも、本章と合わせて考察したいと思う。
 社会学者R・Collinsは次のように述べている。
「政治・経済・社会階級は決定的につながっている。なぜなら経済システムは所有をめぐって組織され、所有は階級を定義し、そして所有は国家によって維持されるからである。所有物は所有されているもの自体ではない。所有物が誰かによって所有されるのは、国家が所有者の法的権利を確立し、その権利を保証するためには警察権力、必要ならば軍隊を用いるというかぎりにおいてである」(66)
→研究者や経済人が体制派寄りになってしまう理由である。


[ ] 『生きる思想』確認

参考文献

Illich, Ivan(1981):玉野井芳郎・栗原涁訳『シャドウ・ワーク』岩波書店、2006。
Collins, Randall(1985,1994):友枝敏雄 訳者代表『ランドル・コリンズが語る社会学の歴史』、有斐閣、1997。
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参考エッセイ(社会イズムないし「中間集団全体主義」についての考察のために、あるいは『滝山コミューン1974』の解釈について)

学校の違和感について。
藤本研一
 学校に通っていた頃、私はつねに違和感を抱え続けていた。例えば授業中。予習をするとその授業の内容は判ってしまうため、「なぜ授業を受けるのか」分からなかった。また受験に出ない教科を勉強する意味を、見出せなかった。数学の時間に日本史をやり、地学の時間に日本史をやり、現代社会の時間に日本史を勉強していたのが私であった。
 学校の違和感には、2つの要素が原因であるように私は考える。ひとつは集団での学習が強制される点、もう一つは内藤朝雄の言う「中間集団全体主義」がクラスで働く点である。

 集団での学習が強制されるのは、「マス」相手の授業である。生徒集団に対し、教員が1人で授業をする。授業を理解でき、知的好奇心を満足させられる生徒ならまだいい。けれど、そうでない生徒にとって授業は苦痛になる。ひとつは授業を理解できない生徒にとって。理解できないからこそ、退屈し寝てしまうか遊び始める(教室を出る者もいる)。もうひとつは授業の内容より先をやっているため、バカらしくて授業を聴けない生徒である。進学校では予備校や独学で先の内容をやっていることが多く、授業は退屈になってしまう。けれど、「全員で授業を受ける」ことが要請されるのが日本の授業だ。
 もともと、学校のクラスでも授業に求める内容は人それぞれ違う。「もっと高度な内容を」求める生徒と、「もっとゆっくり分かりやすくやってほしい」という生徒とでは、需要が異なるのである。また近年流行の「マルチプル・インテリジェンス」(ハワード・ガードナー)という発想が示すように、人それぞれ「理解しやすい」学び方は違う。耳で聞くより声に出す方が理解できる生徒・目からでしか理解できない生徒・とにかく体や手を動かさないと理解できない生徒などが共存する空間において、単一のやり方が通用するはずがないのである。
 けれど、近年の教育における公共性の議論では、「皆と同じ授業を受ける」必要性が要請されているように思われる。マイノリティやブルジョアが特別の学校に行くことは、社会の複雑さに出会うことがないまま成人してしまう危険性がある、と考えられている。佐藤学の「学びの共同体」実践は、多様な他者との対話・恊働による公共性の教育がその一例である。私はこれに胡散臭いものを感じる。「教育って、そんなにすごいものなのか?」と。ムリヤリでも「学びの共同体」で共通に活動をする程度のことで、公共性が学べるものなのか? そのことが、後述する「中間集団全体主義」のいじめを誘発することはないのか? もっと弊害のない方法はないのか? そんなことを議論することもなく、皆が一緒の授業を受けることで公共性を学ばせることが重視されている。確かに、「学びの共同体」のような実践には一定の効果があるのだろう。けれど、それがベストであるかというとそうでもない。その代案はラストに私が書く。
 
 さてさて、学校の違和感についてもう一つの要素である「中間集団全体主義」を見てみよう。内藤朝雄は次のようにまとめている。「各人の人間存在が共同体を強いる集団や組織に全的に埋め込まれざるをえない強制傾向が、ある制度・政策的環境条件のもとで構造的に社会に繁茂している場合に、その社会を中間集団全体主義という」(内藤朝雄『いじめの社会理論』柏書房、2001年、21頁)。日本では学校や会社の中などに中間集団全体主義が入り込んでいる。この中間集団全体主義は共同体の構成員に有無を言わさず強制されるのだ。内藤は学校でのいじめはこの中間集団全体主義により、引き起こされていると述べている。
 『学校が自由になる日』(雲母書房、2002年)の中では、内藤や宮台真司・藤井誠二が日本の学校のなかの中間集団全体主義について語っている。学校では学習するためにクラスメイトの顔色を伺う必要があったり、部活に一生懸命うちこんでいる「ふり」をする必要があったりする。「基本的に、学力の上下と人格の交わりをセットにする学校というシステムそのものが間違っているんです」(307頁)との内藤は発言している。つまり、本来学校では学習をする場所であるにも関わらず、イヤなクラスメイトとも「仲良く」することがないと学べない場所になっているのだ。クラスが学習のための便宜的集団ではなく、生活集団としても組織されている。そのことが学びをするためにクラスメイトの機嫌を見ないといけないという心理状態を引き起こす。
 私もそれを経験した。授業中、積極的に手を挙げたい。しかし、クラスメイトから「目立っている」と言われたくないため手を挙げない。そこからいじめが起る危険性があるからだ。学習効率的に、これほど不合理なことはない(だからこそ、分からない点を質問できるという塾に需要が生まれるのだろう。塾産業は日本の学校が中間集団全体主義のため、学びを行うことが難しいために存在するのかもしれない)。
 中間集団全体主義の例として、『滝山コミューン1974』(原武史、2007年)という作品がある。著者が小学生時代のことを回想して描いた記録だ。小学校のクラスの「自治」が極端にまで成立したときの様子が描かれている(もっとも、この自治は教員が生徒を操りながら作り出したものである点がミソである)。本作のハイライトは、小学校の自治活動に批判的であった「私」が、友人の朝倉に小会議室に呼び出される場面である。引用してみよう。

 小会議室に入ると、代表児童委員会の役員や各種委員会の委員長、4年以上の学級委員が、示し合わせたかのように着席していた。ただこのとき、片山先生や中村美由紀(藤本注 当時のこの小学校の児童会長である)がいたかどうかははっきりしない。
 朝倉はまず、九月の代表児童委員会で秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を攪乱してきた私の「罪状」を次々と読み上げた。その上で、この場できちんと自己批判をするべきであると、例のよく通る声で主張した。
 六八年から六九年にかけての大学闘争では、全共闘の学生が大衆団交やつるし上げを通して、大学のトップや教授に自己批判を強要する「追及集会」がしばしば開かれたが、驚くべきことに、全生研でもこのような行為を「追及」ではなく「追求」と呼び、積極的に認めていたのである。(『滝山コミューン1974』255~256頁)

 学校という中間集団が、一人の児童に「自己批判」を要求する。中間集団全体主義の典型と言える事態であろう。実際は、これほど分かりやすく個人に強要を行うことはないが、集団への帰属を個人に無理やり行わせることが多いという点で、類似する点があるはずである。
 このあと原は自己批判を拒否してドアを開けて逃げる。「「追求」を迫られたのは一度きりで、その後は朝倉が私に何か言ってくることもなかったのものの、校庭で4年の学級員から石を投げられたときにはさすがに愕然とした。私はまるで、学校全体を敵に回したような気分に陥り、特に七五年に入ってからは、受験勉強のためと称して学校を時々休むようになった」(258頁)。中間集団が個人を排斥するのである。

 注目すべきは朝倉という存在である。朝倉は以前、原と親しい友人であった。そんな朝倉が、豹変したように原を吊るし上げの場に呼び寄せる。人間を変化させる中間集団全体主義の恐ろしさである(本書で何度も「違和感」という言葉が出てくる。学校の違和感を探るにあたり、本書は重要な書物であろう)。 

 以上、学校の違和感の理由として集団での学習がある点と、中間集団全体主義が存在する点を見てきた。両者は相互に関係し合い、いまの学校のクラスで学習を行うことが難しいことを示している。
 私はこの状況の改善には、個別学習が必要であると考える。それは、人それぞれ教育に要する需要が異なるためである。またクラスの解体も必要であろう。大学のように、授業ごとに生徒が集まるようにするのである。都立・山吹高校のように、無学年・単位制の学校も存在する。
 中間集団全体主義が広がる日本の学校において、学びを成立させるためには授業選択制も必要となるであろう。クラスの中に学びを閉じ込めてはならない。

マルクス/エンゲルスと「革命」の逆説

 ギデンズの再帰性の話をするならば、彼はパーソンズの図式に対し〈なぜパーソンズの図式を知った人であっても、その図式に従ってしまうのか〉という批判の仕方をしている。マルクス主義にもそのような傾向があるのではないか。つまり、「革命の必然」を述べている書物を資本家が読むとき、資本家の中で「再帰」が起きる。その結果、革命を防止するほうに動いてしまう。それがケインズ主義のように結果的に労働者に益する方向に動くこともある。「革命」防止法としてよむことの方が多いだろう。そうした場合、逆説的ながらマルクス主義の研究が進めば進むほど、マルクス主義的革命が起こらないようになってしまう。
 マルクスやエンゲルス(コリンズの『ランドル・コリンズが語る社会学の歴史』を読むと、エンゲルスの社会学的貢献の大きさがよくわかるため列記した)の書物が読まれるほど、影響を受けて「革命」を起こそうとする人が増える。はじめはソ連や中国で成功する。しかし、それらの革命国の成功が他国に伝わると、なんとか「革命」を起こさない方向を人びとは考えるようになる。つまり、マルクス主義の考えが広まるほど、それが再帰を起こし、人びとに「革命」を起こさないように機能するという「逆機能」がおこるのである。

Collins, Randall(1985,1994):友枝敏雄 訳者代表『ランドル・コリンズが語る社会学の歴史』、有斐閣、1997。

原題:Four Sociological Traditions

●序文

A~C:「社会学の偉大な3つの伝統」

A「紛争理論の伝統」
・マルクス/エンゲルス/ヴェーバー
→「資本主義、社会階層、政治紛争の理論と、それらに関連する社会学の巨視的・歴史的テーマを展開」(ⅰ)

B「デュルケム理論の伝統」
①:「社会のマクロ構造に注目するもの」(ⅱ)モンテスキュー/コント/スペンサー/マートン/パーソンズ
②:「対面集団で形成される儀礼をとおして、集団の連帯を生みだすメカニズム」(ⅱ)ゴフマンによる日常生活における儀礼の分析

C「ミクロ相互作用論の伝統」
①プラグマティズムの伝統:パース/ミード
②象徴的相互作用論の系譜:クーリー/トマス/ブルーマー
③現象学的あるいは「エスノメソドロジー的」社会学:シュッツ/ガーフィンケル

第2版の追加
D功利主義(合理的選択)理論の伝統

●プロローグ 社会科学の誕生

・「デュルケムの学問上の直接のライバルは心理学だったから、彼は社会学的分析のレベルを心理学的分析のレベルから区別することに心を砕いた」(41)

「ドイツとフランスで社会学の将来性のある端緒が現れたあと、世界政治の激動によって社会学はほとんどアメリカに移ってしまった」(42)

コメント
 ・日本と違い、ヨーロッパの「大学」システムは、中世から一貫性をもっていると言うことが文章から伺えて興味深かった。「大学改革」は遥か以前から行われてきているということは非常に面白い。

●第1章 紛争理論の伝統

・紛争理論化としての「マルクス」を見ていく。コリンズはマルクスよりもエンゲルスを社会学において重視する。
・マルクスはそのまま大学に残りつづけていたばあい、気鋭の哲学教授になっただろう、というのがコリンズの立場である。しかし「エンゲルスがいなければマルクスは、シュトラウス、バウアー、そしてフォイエルバッハが切り開いた方向をさらに一歩進めた、唯物論的傾向を持った青年ヘーゲル派の左翼であった」(56)。

「いちばん重要なことは、マルクスが経済学を発見したということである」(49)

「事実、最初に経済学の重要性を理解し、適切に批判し、ブルジョア・イデオロギー的理解から抜け出ていたのはエンゲルスその人であった」(54)

・「マルクスの方がつねに同時代の政治家であったのに対し、エンゲルスの方は純粋に知的で偉大な歴史社会学者であった」(55)
「マルクス個人の迷宮の中には、社会学が入り込む余地はなかった。彼の見方のなかに社会学の息吹を吹き込んだのはエンゲルスであり、エンゲルスの著作」「こそが社会学がこの「マルクス主義」の考え方から学びうるものを伝えているのである」(57)
・「もし言葉遊びが許されるなら、「マルクス主義」というラベルは神話であり、社会学という目的のためにはマルクスは「エンゲルス主義者」とよんだ方がよい、と言うことができるだろう」(58)

・「唯物論の基本原理は、人間の意識は一定の物質条件にもとづいており、それないしには存在しえない、というものである」(62)
「いずれの支配的観念も支配階級の観念である。なぜなら支配階級は精神的生産手段を統制しているからである」(62)
→この辺、アルチュセールの国家のイデオロギー装置論やグラムシのヘゲモニー論を思い出す。

・「政治・経済・社会階級は決定的につながっている。なぜなら経済システムは所有をめぐって組織され、所有は階級を定義し、そして所有は国家によって維持されるからである。所有物は所有されているもの自体ではない。所有物が誰かによって所有されるのは、国家が所有者の法的権利を確立し、その権利を保証するためには警察権力、必要ならば軍隊を用いるというかぎりにおいてである」(66)
→研究者や経済人が体制派寄りになってしまう理由である。

・「政治は国家を統制するための闘争である。マルクスとエンゲルスの考えによれば、支配的な有産階級がつねにこの闘争に勝利するが、基本的生産関係が移行しつつある歴史的状況は例外である。このときには旧支配階級の政治的支配は崩れ、新しい階級がこれに取って代わる」(67)

・「政治の混沌とした現実を理解するための強力な道具」(68)
「1つの決定的な原理は、権力は動員の物質的条件に依存するというものである」(68)
→「有産階級が政治を支配するのは、多数の政治的動員手段を持っているからである」(69)
☆金融資本も社会関係資本も持っている。
しかし「ビジネスが一1つの巨大な独占へと向かうにつれて、労働者たちもそれに応じた統一がなされ、最終的には数の力を獲得し、資本家たちを圧倒する」(71)という。
 けれどこのことは実際生じなかった。「というのも、政治的動員手段が変化し、独占の過程が中間点で安定化したからである」(69)
・「強権的な革命政府だけが、ビジネスや金融業務のすべてを政府が即座に掌握し、完全な統制経済を布くことによって、ビジネス界の不信によってひきおこされる経済危機の時期を回避することができるのである」(70-71)
・「革命がこのように他の誰かの利益のための虚偽意識や虚偽行動といった奇妙な性質を持つのは何故だろうか」「精神的生産手段を握っているため、上流社会階級は、何に関する革命で誰が敵かということを定義することができるのである」(72)
→これ、ヘゲモニー論だ。

・「1つの一般的な原理は、同盟は敵の存在によって結成されるというものである。敵が消失してはじめて、同盟者間の戦いが自由となる」(73)

・ウェーバー「資本主義は人間の自由と経済的生産性をともに高める最高の社会体制であると、彼は実際には信じていたからであった」(78)

・紛争とは多元性がもたらすもの
「ウェーバーを語るうえで何よりも中心に位置づけられなければならない事実は、彼が世界を多元的なものとみなしていたことである」(80)「多元的なパースペクティブを取った結果、彼はもっとも根本的な意味で紛争の理論家となったのである」(81)それは「紛争とは、諸事象の多元性そのものが形を取ったもの、あるいは社会を構成する異なる集団、利害、パースペクティブが織りなす多元性が形を取ったものだからである」(81)
・「結局のところウェーバーは、歴史というものを、多方面にわたって展開する複雑で多面的な紛争の過程とみなしていた。単純化された進化論的な段階概念、あるいは理論家が複雑な歴史的現実に対してとかく当てはめようとしがちな整然とまとまった他の類型は、ウェーバーの敵であった」(82)

・「階級とは何らかの市場で特定の独占度を共有している集団であることを、忘れてはならない。そして階級がこのことを成しとげるのは、それが組織化され、1つののコミュニティを形成し、自分のまわりに張りめぐらされた何らかの法的・文化的な障壁を通じて1つの意識を獲得することによって―手短にいうと、身分集団となることによってーなのである」(85)

・国家の武器
①武装:国家は「それゆえに、他のすべての組織を支配することが可能となる」(88)
②正当性:「こちらは文化的・情緒的な領域という面にかかわる」(89)「マルクスとエンゲルスの言葉によれば、国家とは、イデオロギーを生成する巨大な機関である。またヴェーバーの言葉によれば、国境内にいる多数の人々がみずからを単一の身分集団、すなわち国民の一員であると感じるようにし向けることができるのが、成功を収めた国家ということになる」(89)
→カリスマというのもこの正当性を担保する。
・「正当性は無からは生じない。それは作り出されるものである。そして正当性をつくり出すさまざまな組織は、精神的生産手段(最近私は、これを「情緒的生産手段」とよんでいる)のもう1つの側面とよぶのがふさわしい」(89)
→☆一億層中流や「社会イズム」は国の一元性を示す働きで「正当性」を付与しているのか。

・ウェーバーの弟子・ミヘルス(97)


コメント
・ギデンズの再帰性の話をするならば、彼はパーソンズの図式に対し〈なぜパーソンズの図式を知った人であっても、その図式に従ってしまうのか〉という批判の仕方をしている。マルクス主義にもそのような傾向があるのではないか。つまり、「革命の必然」を述べている書物を資本家が読むとき、資本家の中で「再帰」が起きる。その結果、革命を防止するほうに動いてしまう。それがケインズ主義のように結果的に労働者に益する方向に動くこともある。「革命」防止法としてよむことの方が多いだろう。そうした場合、逆説的ながらマルクス主義の研究が進めば進むほど、マルクス主義的革命が起こらないようになってしまう。
 マルクスやエンゲルス(コリンズの『ランドル・コリンズが語る社会学の歴史』を読むと、エンゲルスの社会学的貢献の大きさがよくわかるため列記した)の書物が読まれるほど、影響を受けて「革命」を起こそうとする人が増える。はじめはソ連や中国で成功する。しかし、それらの革命国の成功が他国に伝わると、なんとか「革命」を起こさない方向を人びとは考えるようになる。つまり、マルクス主義の考えが広まるほど、それが再帰を起こし、人びとに「革命」を起こさないように機能するという「逆機能」がおこるのである。



・感想
この本、購入して何度も読みたい。

2011年3月27日日曜日

安川一編(1991):『ゴフマン世界の再構成』、世界思想社。

「われわれは、〈共在〉のなかにいて、「秩序」を感じ続けている。なぜか。――ここに、相互行為の日常慣行の働きがみえる。つまり、われわれは相互行為のなかで、いわばこの慣行にハマリ続けることによって秩序を現実化させている。日常慣行の着実な堆積こそが秩序なのである」(ⅱ)

→ゴフマンもプラチック(慣習行動)について述べている。その点で、ブルデューと繋がっている。両者をふまえた研究は存在しているのであろうか。

「ゴフマンの分析の対象、それは、人が他の人たちと居合わせている状態、つまり〈共在〉であった。その脆くリスキィで、しかし弾力性ある心地よい秩序が、さまざまな観察と考察に付されている」(2)

「経験とはフレイミングである。無関係なもの、曖昧なものが排除され、そのことの正しさを保証するものが当のフレイム内的世界のなかに求められる、そうしたことにかかわるプラクティスの作動を通して個々の経験が組みあがる。しかも、フレイミングとは、経験の組織化にともなう、あるいはこれを支える活動の組織化でもあり、したがって関与の組織化でもある」(11)


「制度とシステムの現状がいかに抑圧的、加虐的であっても、人はその再生産に「自発的に」加担していく。カテゴリカルに差別され続ける女たちがそれでも自然な性差を信じ続け、スティグマを付与された人たちがそれでも現行秩序に居場所を求めつづけているように。相互行為プラクティスへの習熟、その結果として馴染んだ経験の安定性と圧倒性をリアリティとよぶなら、人は、このリアリティのなかでまさしく眠っている」(23)

「ゴフマンの社会学とは、〈間身体的行為〉の社会学であり、〈間身体的行為〉の社会学とは、〈間身体的行為〉に関する規範・規則を記述すること、つまり〈間身体的行為〉の秩序構造を分析することである」(38)

「人びとはドラマトゥルギィ的感覚をもち、ドラマトゥルギィ的実践活動を実行している特徴があり、市民=公民の「ドラマ」をまじめに考え実演している。ドラマトゥルギィ的枠組みは、英米社会における日常の舞台で生起する社会的相互行為の大部分の特性を示している」(40)

「さまざまな状況の定義に関する公然の対立を回避することが望ましいときにも単一の状況の定義が存在している。参加者たちは共同して単一の状況の定義に寄与しているのである」(46)

→「内職」論に繋がる。学校の授業という「状況の定義」を、「内職」実践者はやはり支えている。授業ゲームを維持する働きがあるのである。

「状況の定義は単に主観的に実行されているのではなく、社会的場に限定されながら投企されているのである」(51)

「日常世界では、会話の相互行為の可能性が物理的に生じると、自己に関する儀礼秩序が作動して、それがメッセージの流れを誘導する手段として機能することとなる。社会化された相互行為者は、会話の相互行為を自己についての儀礼的配慮をもって取り扱うのである。コミュニケーションの間にメッセージの流れを誘導するシステムは、儀礼規則のシステムである」(55)

「ゴフマンにとって自己は、個人レヴェルの心理現象ではなく、間身体レベルの社会的事象である。神聖な自己は相互行為上の儀礼規則から築き上げられた一種の構成体であり、したがって〈間身体的行為〉において儀礼秩序上、状況適切的に注意して取り扱わなければならない儀礼的な産物である」(57)

「こうした自己の産出を担っているのが実のところ、〈間身体的行為〉の秩序構造・儀礼原理なのである」(59)

Bourdieu, Pierre(1980):今村仁司・福井憲彦・塚原史・港道隆訳『実践感覚2』、みすず書房、1990。

 本書はアルカイック(本書を見る限り、前近代社会のことを指すと思われる)な社会を元にしたブルデューの理論書である。
 農村社会における男性-女性の仕事のアナロジーについての部分(117頁等)を見ていて、Ivan Illichの”Gender”や”Shadow work”を思い起こした。また128頁の「農業年と神話年」の表なども、Illichの図式を思い起こす内容となっていた。要はIllichもBourdieuもレヴィ-ストロースの研究を受け継ぐ形で理論構築を行っているため、当然と言えばそうである。
 『実践感覚1』より読みにくいが、文化人類学が好きならこっちのほうが具体論が多くて興味深く読める(だろうと思う)。

「伝統に則って相続される家産相続分と、結婚の際に支払われる補償とは、同一のものにほかならないのであるから、所有地の価値こそがアド(adot=これは、贈与をなす、持参金を与えるという意味のadoutàに由来する)の額を命じているのである」(7)

「換言すれば、経済的必要性によって押しつけられる結婚すべてのうち、十全に承認される結合とは、文化的恣意によって男有利に樹立された非対称性が、夫婦間での経済的・社会的状態においても男有利であるような非対称性によって倍加されているもののみだ、ということである。アドの額があがればあがるほど、付随的に夫の位置もいっそう補強されることになる」(20)

「こうして次男以下は、こういう表現が許されるとすれば、構造的犠牲なのである。すなわち、集合的実体にして経済的単位である「家」、経済的統一性によって定義される集合的実体としての「家」を、実に多くの保護措置によって取り囲んでいる体系の、社会的に指定された、したがって忍従する以外にはない、犠牲だったのである」(26)

「ハビトゥスは、自らが再生産する構造の産物であるがゆえに、そして、より正確に言えば、ハビトゥスは、確立された秩序とその秩序の守り手の命令に対する、すなわち先人たちに対する「自発的」従属を内包しているからこそなのである。相続戦略、育児戦略、さらには教育戦略、つまりは、相続した権力と特権を維持しつつ、あるいは増大させつつ次代に伝えるために集団全体が採用する生物学的再生産諸戦略の全体から、切り離すことのできない結婚戦略は、打算的な理由を原理にしているのでもなければ、経済的必要性からくる機械的決定を原理にしているのでもない。そうではなく、存在諸条件によって教え込まれた心的傾向、いわば社会的に構成された本能こそが原理なのであり、それが、特殊な形式の経済の客観的に計算しうる必要性を、義務の不可避的必然として、ないしは感情の不可抗的な呼びかけとして生きるよう、しむけているのである」(30)

「コード化された知およびそのような形で伝承される知の中にみられるハビトゥス図式の客観化は、実践領域によって大変異なる。格言・禁令・諺・極度に規則ずくめの儀礼の相対頻度は、農業活動と関連する、あるいはそれと直接的に結びついた諸実践—機織り、製陶、料理—から労働日の区分あるいは人生の節目へと移るにつれて漸減する」(100)

・アルカイック社会の男-女のアナロジー(あるいはIllich的に言う本源的な意味でのジェンダー)

「再生産とは、生活の実質にして生計維持のことであり、豊穣にされた大地と女性、つまり致命的な不毛性―これは女性原理の不毛性であって、それを放置すれば致命的不毛性を現出する―から免れた大地と女性のことである」(119)

「優れて文化的行為とは、分離され境界線を引かれた空間を産出する線を引く行為である」(115)
「全く社会的な力の、純粋に魔術的な性格は、刀や魔法の結び目程度には魔術的な境界や絆(結婚)によって個人や集団を切り離したり、結合したり、あるいは、事物(デザイナーのブランドのように)や人物(学歴のように)の社会的価値を変動させたりしながら、社会的な世界だけに働きかける場合でも、やはりそれとなく現れるものだ」(163)

・「ランプは、ふつう男性の象徴である」(168)

「すべては、実践が二つの使用法の間でためらっていることを示している。同じものが、女性や男性的な雨を呼ぶ大地のように、水をかけられることを要求するものでもあり、また、天上の雨のように、それ自体が水をかけるものでもある。事実、実践にとって、最良の解釈者たちにつきまとってきた区別は重要性をもたない」(199)
→こういう部分に、イリイチのジェンダー論を思い出す。

「別の言い方をすれば、システムを構成するすべての対立は、その他のあらゆる対立と、だが多かれ少なかれ長い道程を経て(可逆的なことも不可逆的なこともあるが)、つまり関係からその内容をしだいに取り除く等価性の連続の果てに、結びつく。そればかりではない。あらゆる対立は、異なる意味と強度の関係を通じて、様々な点で別の対立と結びつくことができる」(208)
→左手と右手、女性と男性の対比などを指して言っている。ブルデューは本書で二元論的図式の乗り越えを図っているのである。

「以上のことから分かるように、食う・眠る・子孫を作る・出産するといったあらゆる生物学的活動は外部世界から遠ざけられ(「牝鶏は市場では卵を産まない」と言われる)、内輪の避難所や家という自然―自然の管理に委ねられ公共生活から排除された女の世界―の秘め事の中に追放されている」(220)

「このように、女たちの家と男たちの会議、私生活と公共生活、あるいはこう言ってよければ、真昼の光と夜の秘め事との対立は、家の低い・暗い・夜の部分と高い・高貴の・光に満ちた部分の対立とぴったりと重なる。言い換えれば、外部世界と家との間に設定される対立は、この関係の一項—すなわち家自体―がそれを他項と対立させる同じ原理によって分割されていることが知られてはじめて、その完全な意味を明らかにする。男が女と、昼が夜と、火が水と対立するように、外部世界が家と対立すると言うのは、正しいと同時に間違ってもいる。というのは、これらの対立のうちの第二項はその都度それ自身とその対立物に分割されるからである」(221)


●訳者あとがき(今村仁司)より

「『実践感覚』は、材料としてはアルカイックな社会を取り上げている。同じ理論構図をもって現代の複雑社会を材料にし」「実行してみせたのが『ディスタンクシオン』である」(265)
「ブルデュは、『実践感覚』と『ディスタンクシオン』の両書をもって、人間社会を汎通的に分析しうる社会学的視座を設定したと言えるだろう」(266)

2011年3月23日水曜日

分業論

「分業」は、社会思想家においては普遍的なテーマであったのかもしれない。アダム・スミスの『国富論』は「分業」から始まっている。分業がないならば「精いっぱい働いても、おそらく一日に一本のピンを造ることも容易ではないだろうし、二〇本を造ることなどはまちがいなくできないだろう」(岩波文庫『国富論(1)』24頁)。しかし分業を行うならば「一〇人は、自分たちで一日に四万八〇〇〇本以上のピンを造ることができ」(同25)る。一人当たりで計算すると「一日に四八〇〇本のピンを造るものと考えていいだろう」(25)といってまとめている。
 また次の記述もある。「労働の生産力の最大の改良と、それがどこかにむけられたり、適用されたりするさいの熟練、腕前、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる」(23)

 スミスの場合、分業を肯定していた。それにより各人の貯えを高めることができるからだ。この分業肯定論に対し、マルクスは批判をする。そのときのキーワードが「疎外」労働論であった。資本主義による分業の結果、人々は人間的でない労働をさせられるようになった。その点をマルクスは批判したのだった。

 テンニースのゲマインシャフト/ゲゼルシャフトの分離も、地縁・血縁をもとにする「分業」か、目的性をもとにする「分業」かという読み直しをすることもできる。

 ジンメルは32歳の作品『社会的分化論』(1890)のなかで社会の「分化」(分業とも読み取れる)の結果、社会圏が拡大する旨を述べている。またその「分化」につきまとう社会的相互作用(あるいは心的相互作用)により社会が成立すると言う件を述べている。

 デュルケムは『社会分業論』において機械的分業から有機的分業に「分業」が切り替わって行くことを述べている。

 このように、分業をどのようにとらえるかによって社会思想家ごとの違いが浮かび上がってくるように思われる。 
 

映画『平成ジレンマ』

 さいきん、小説が読めなくなってきた。まどろっこしい人間関係を頭にいれ、なおかつ作品のメッセージを読み取る。あるいは世界観を楽しむ。それが面倒になってきた。
 同様に、映画も見れなくなってきた。物語がある映画に入り込めなくなった。しかし、ドキュメンタリー映画は面白い。同様にノンフィクション小説も。字t実を知るほうが面白く感じるようになってきた(『僕らの頭脳の鍛え方』における立花隆の立場だ)。
 そんなわけで先日、ドキュメンタリー映画『平成ジレンマ』をポレポレ東中野で観た。「悪名高い」戸塚ヨットスクールの「現在」のドキュメンタリー。
 校長の戸塚宏氏は「体罰」による教育効果を語る人物。「脳幹論」をもとに教育論を構築する。
 戸塚の視点は子どもは人格が出来ていないため、「体罰」を使い人格を向上する、と語る。映画冒頭に戸塚はこういう。「進歩を目的とした有形力の行使」が体罰である、体罰・いじめによる「恥」が人間を進歩させる、と。教育学徒として、違和感のある書き方だが、それは昨今の教育学の前提が子どもの「人格」の尊重にあるためである。子どもの「人格」の未完成性を指摘するのが戸塚であるのに対し、子どもの「人格」ならではの可能性を見るのが教育学者である(「子どもの作品は素晴らしい」などの言説)。
 全体的に見て、戸塚ヨットスクールは「悪」「体罰」の代名詞となっている現状への批判が本作品のテーマであるように思えた。マスメディアは戸塚ヨットスクールを「悪」であるようにいうが、内実をまったく見ていないのではないか。「認識せずして評価するなかれ」のテーゼの重要性を感じた。
 本作品を通じ、非常に勉強になったのは戸塚の示す「近代的主体」としてのあり方だ。周りが何といおうと、自分は自分の信じる「正義」を行使する。まわりがヒール(悪者)呼ばわりするなら、それもよかろう、自分は自分のやり方で日本の教育を少しでもよくしてやるのだ。それが「本当はやりたくない」(映画内での戸塚の言葉)ことであっても。そういう「熱さ」に感銘を受ける作品だった。
 以前、筆者は現代の日本は「一億総教育評論家社会」と書いたことがあるが、評論するだけでは教育は変わらない(教育学を研究する者の「無力さ」もこの辺にある)。であれば、たとえある者に「ヒール」と言われようとも「ありうべき」教育のバリエーションを増やす実践をする人物に対し、何らかのエールを送る必要があると思えてくる。
 しかし、「戸塚ヨットスクールの、現在」(映画宣伝ビラより)を映したものであると言いながら、本作品で述べられていない部分の存在が気になった。間もなく選挙を迎える石原慎太郎氏の存在だ。出所後の戸塚に対し、ヨットスクール再建を応援している人々が存在している。戸塚ヨットスクールをめぐる支援者の状況を示さないことには、「戸塚ヨットスクールの、現在」を呈示することにはならないのではないかと考えられる。

アダム・スミス(1776):水田洋監訳・杉山忠平訳『国富論(1)』、岩波書店、2000。

 アダム・スミスの『国富論』は「分業」から始まっている。分業がないならば「精いっぱい働いても、おそらく一日に一本のピンを造ることも容易ではないだろうし、二〇本を造ることなどはまちがいなくできないだろう」(岩波文庫『国富論(1)』24頁)。しかし分業を行うならば「一〇人は、自分たちで一日に四万八〇〇〇本以上のピンを造ることができ」(同25)る。一人当たりで計算すると「一日に四八〇〇本のピンを造るものと考えていいだろう」(25)といってまとめている。
 また次の記述もある。「労働の生産力の最大の改良と、それがどこかにむけられたり、適用されたりするさいの熟練、腕前、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる」(23)

 スミスの場合、分業を肯定していた。それにより各人の貯えを高めることができるからだ。この分業肯定論に対し、マルクスは批判をする。そのときのキーワードが「疎外」労働論であった。資本主義による分業の結果、人々は人間的でない労働をさせられるようになった。その点をマルクスは批判したのだった。

 以下は抜粋である。

 「社会が進歩するにつれて学問や思索が、他のどの職業とも同じく、特定階層の市民たちの主要あるいは唯一の仕事となり職業となる」(33)
→社会の再帰化・高度化の結果、「考える」職業が要求されるようになる。

●「いったん分業が完全に確立してしまうと、人が自分自身の労働の生産物で充足できるのは、彼の欲求のうちのきわめてわずかな部分にすぎない。彼がその欲求の圧倒的大部分を充足するのは、彼自身の労働の生産物のうちで彼自身の消費を超える余剰部分を、他人の労働の生産物のうちで彼が必要とする部分と交換することによってである」(51)
→分業が発展すると、自分1人だけで生活するのは困難になる。誰かの労働に頼らずに生きては行けなくなる。素朴であるが「分業」論の古典的記述である。(いまMacBookが打てるのも、アップル社と部品を作る工場労働者の労働のお陰である)

 「注意すべきは、価値という言葉に二つのことなる意味があり、ときにはある特定の物の効用を表わし、ときにはその物の所有がもたらす他の品物を購買する力を表わすということである。一方は「使用価値」、他方は「交換価値」と呼んでいいだろう」(60)
→このあたりがマルクスに影響を与えていると言える。

コメント
・スミスは地主・労働者・資本家の「三つのことなる階層の人びと」(431)が「あらゆる文明社会を本来的に構成する三大階層であって、他のどの階層の収入も彼らの収入から究極的には引き出されるのである」(431-432)と述べる。そうして、資本家の身勝手が公共の利益を放棄させることがあると危険性を述べている。資本主義の勃興期に、すでに資本家の危険性が指摘されていたことを考えると、スミスはやはりただ者ではない、と思えてくる。

『蛍雪時代』1947-1948年を読む。

『蛍雪時代』の「宗教と理性の問題」(1947年12月号2-3頁)が掲載され、受験色というよりは学問的内容も含まれている。そのため、投書欄にも「私は中学生でもなければ勿論女学生でもない。かつての軍需工場の一職工であり、いまさら本誌を見る年令でもないかもしれない」が「文化国の一員としても、自身のためにも学問の必要は勿論感じていたがどうしても実行する気になれず、たゝ"なりゆきにまかせて味気ない家業に機械的に従っているのみだった」(原文は旧字体)との内容がある(1947年7月号57頁「私と蛍雪時代」新潟県 松岡昭三)。「しかし頁を開き目次を見ていささか期待が外れた。私は蛍雪というからには独学指導誌かと思っていたからである」と述べ、「独学指導誌」でなかったけれども本誌に「私の魂をゆさぶるものがあった」、とまとめられている。
 
 原文は以下の通り。

 私は中學生でもなければ勿論女學生でもない。かつての軍需工場の一職工であり、いまさら本誌を見る年令でもないかもしれない。
 工場にあつた頃、仕事の必要にせまられて少しは勉強もしたが、國へ歸つてからはとんと縁が切れてゐた。文化國の一員としても、自身のためにも學問の必要は勿論感じてゐたがどうしても實行する氣になれず、ただなりゆきにまかせて味氣ない家業に機械的に從つてゐるのみだつた。思へば愚かな月日ではある。
 しかし機會は來た。偶々新聞で「螢雪時代」と云ふ雜誌の存在を知り、内容も知らず何でも買つてみろと云ふ氣で注文した。屆いた「螢雪時代」を手にした時、いつも貧弱なものばかり見慣れてゐた目には意外の感があつた。しかし頁を開き目次を見て聊か期待が外れた。私は螢雪と云ふからには獨學指導誌かと思つてゐたからである。
 むさぼるやうに讀み終つて私ははつとためいきをついた。自分が手段として考へてゐた勉強と、本當の學問との隔りに就いてである。そしてじかに私の魂をゆさぶるものがあつたことは忘れることができない。今のところこれ以上の批判をする氣はない。しかし中學生諸君が螢雪時代からはなれられない所以は單なる學習記事ばかりでなく、心の目を開いてくれる何ものかがあるのによるのであらう。
 私はまだ中學生諸君にも及ばない。從つて螢雪時代に親しむ生活はあと何年續くかも知れない。
(1947年7月號57頁「私と螢雪時代」新潟縣 松岡昭三)


 『蛍雪時代』は受験雑誌としての機能以外に、学問に志す人々の公共圏という意味もあった。それは他の投稿頁にも文化国家建設への期待が述べられていることからも読み取ることができる。

 

2011年3月22日火曜日

Bourdieu, Pierre(1980):今村仁司・港道隆訳『実践感覚1』、みすず書房、1988。

 ブルデューは本書でプラチックとハビトゥスについてを論じる。主客二元論を乗り越え、(「自分自身に透明な意識能作か、さもなくば外在性において決定される事物かしか知ろうとしない二元論の見方に、行為の現実的論理を対立させなければならない」(90))主観―客観のリンクを行うものとしての実践pratiqueを扱ったのが本書であるとどこかで聞いたので、それを確認しつつ読んでいきたいと考えている
(http://www.msz.co.jp/book/detail/04995.htmlによると、レヴィ=ストロースの構造論的客観主義とサルトルの現象学的主観主義を批判し、両者の乗り越えを目指した内容であるとのことだ)。
 行為の原因は一体どこにあるのかも本書のテーマである。それをブルデューはハビトゥスに置いている。何が良くて何が悪いかを評価づけるのも、ハビトゥスであり、それが卓越性(ディスタンクシオン)の認識にもつながっていく。
 本書では現象学・構造主義を批判し、理論の精緻化を行っている。

「客観的と称され、距離と外部性を含む対象との関係は、全く実践的な仕方で実践的関係と矛盾する」(55)

「客観的構造とそれぞれの実践の中で働く肉体化された構造との弁証法を知らないと必ず規範的な二者択一に閉じ込められてしまうものだ。この二者択一は社会思想史の中でたえず新しい形態を帯びて再生してくるものだが、このために現在マルクスを構造主義的に読む人びとに見られるように、主観主義に対抗しようとする人びとは社会法則のフェティシズムに否応なく陥ってしまうのである」(63-64)

「客観主義が科学の対象に対する学問的関係を普遍化するのと同じく、主観主義は学問的言説の主体が自己自身を主体として構成する経験を普遍化するということである」(71)

・経済人モデルへの批判(79)

「生存のための諸条件のうちで或る特殊な集合(クラス)に結びついた様々な条件づけがハビトゥスを生産する。ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造である。そこでは実践と表象とは、それらが向かう目標に客観的に適応させられうるが、ただし目的の意識的な志向や、当の目的に達するために必要な操作を明白な形で会得していることを前提してはいない。実践と表象はまた、客観的に「調整を受け」「規則的で」ありうるが、いかなる点でも規則への従属の産物ではない。さらに、同時に、集合的にオーケストラ編成されながらも、オーケストラ指揮者の組織行動の産物ではない」(83-84)

「自分自身に透明な意識能作か、さもなくば外在性において決定される事物かしか知ろうとしない二元論の見方に、行為の現実的論理を対立させなければならない。行為こそが身体における客観化と制度における客観化という歴史の二つの客観化を、同じことだが、客観化された資本と体内化された資本(藤本注 一般的には「身体化された資本」と言われる)という資本の二状態を対面させるのだが、この二つによってこそ必然性と、それがもつ差し迫った事柄に対して距離が設けられるのである」(90)

「規則に適った即興によって持続的に組み立てられる産出原理であるハビトゥスは、実践感覚として、制度の中に客観化されている意味感覚の再活性化を行う。ハビトゥスは、客観的な諸構造がそうである集合的歴史の所産が、その機能の条件たる持続的で調整された心的傾向という形での自己再生産に達するために必要な我有化および教化の労働の産物であるが、それは体内化に対して自らの特殊な論理を課す特殊な歴史の流れの中で自己構成する。またハビトゥスを介して行為者たちは制度へと客観化された歴史の性質を帯びることになる。そしてこのハビトゥスこそ、制度にひとが住まい、制度を実践の中で我が物とし、またそこからして、制度を活動状態に、生ける強力な状態に保ち、制度を死せる文字、死語の状態からたえず引き離し、そこに沈澱せる意味感覚を蘇らせるのを可能にする当のものに他ならない」(91)

「実践感覚と客観的意味との合致がもたらす根本的な効果のひとつは、常識の世界の生産にある。この世界が示す直接の自明性は、実践と世界との意味感覚に関してコンセンサスが保障する客観性によって倍加する」(92)

「すなわちハビトゥスこそ、主観的意図を伴わない客観的意味がもたらすパラドクスの解決策を含んでいるのである。すなわちハビトゥスは、真の戦略的意図の産物ではないにもかかわらず―もしそうなら、少なくとも、次にいう連鎖が他にも可能な数ある戦略のうちの一つだと把握されていることを前提することになる―戦略であるかのように客観的に組織されるゲームの「一手々々」からなるあの連鎖の本源にある」(99)
→人が無自覚的に何かを行ってしまうことがあるのはなぜだろう。「主観的意図を伴わない」行為でありながら、どこにも客観的意図があったように思えない場合、ブルデューは「ハビトゥス」の存在を元に説明を行う。

「ハビトゥスが行なうこの種の疑似的な未来予測における過去の現前」(100)

「象徴資本は、場の機能の論理がそれ自体としては依然として錯認されることを通してのみ実現されうるからである。ひとがこの魔術的円環に入るのは意志の瞬間的決断によってではなく、ただ単に生誕によってあるいは第二の生誕に等しい新人選択と加入儀礼のゆっくりした過程によるのである」(108-109)

●「暗黙裡の教育は、「まっすぐに立て」あるいは「ナイフを左手で持つな」といった取るに足りない命令を通してコスモロジー、倫理、形而上学、政治を教え込み、身体や言葉の上での行儀・態度・作法の見たところごくささやかな細部にまで、自覚や弁明を必要としない文化的恣意性の根本原理を刻み込むことができる」「教育的理性の狡智はまさに取るに足らぬことを要求するという見せかけの下に本質的なことを奪い取ることにあ(内容確認のこと!)

「身体的ヘクシス[慣習的行為]は現実化され身体化された政治神話であり、振舞う・語る・歩く、そしてそれを通して感ずる・考えることの永続的性向や持続的作法となった神話である」(112)

「身体によって学ばれるものは、人が自由にできる知のように所有する何ものかではなくて、人格と一体となった何ものかである。このことは無文字社会の中で特に見られる。そこでは伝承知は身体化された状態でのみ生きつづけることができるからである。知はそれを運ぶ身体から決して分離されず、特別に知を呼び起こす一種の身体訓練による以外には再構成できない」(117-118)

「要するに、論理がどこにでもありうるのは、真の意味ではどこにもないからだ」(142)

「暗にとどまる実践上の妥当性の原理である「何が問題なのか」(ce don’t il s’agit)との相関においてこそ、実践感覚は、ある特定の物や行為を、物や行為のある特定の相を「選択する」のである」(146)

「思考の労働を思考する思考労働である論理学とは反対に、実践は形式への関心を一切排除する。行為自身への反省的な回顧がなされても、それが到来する時には(つまり、自動運動が失敗する時にはほとんどいつも)結果の追求に従属し、費した努力の収益を最高に引き上げようとする(そのもとしては、必ずしも知覚されない)探究に従属したままである」(150)

「教え込みという教育活動は、言説の中に(とりわけ、社会化の失敗を予防したり罰したりする法の中に)あるいは他の何らかの象徴的支柱(象徴または儀礼的道具など)の中に常に最小限の客観化を伴う制度化とともに、実践的図式を明確な規範へと定式化し構成する特権的な機会のひとつである」(170-171)


「ハビトゥスは、それが承認されるあらゆる表現を自発的に承認する傾向がある。なぜならハビトゥスは自発的にそうした表現を産み出しがちであるからだ。そしてとりわけハビトゥスは最も適切なハビトゥスのあらゆる模範的産物を承認するだろう。これらの産物は、相継ぐ諸世代のハビトゥスによって選択され保存されるし、内在的力によって客観化され、ハビトゥスの公的に権威づけられた現実化に付着する権威を与えられる」(179-180)

「システムの機能はハビトゥスの組織化(orchestration)を想定するのである。というのは、仲裁決定は「断罪された」側の同意なしには実行できないからであり(そうしないと原告は力の行使に訴える他はない)、決定は「公平感覚」に見合っており、「名誉感覚」によって認められる形態に従って強制される場合にのみ受け容れられる見込みがあるからだ」(182)

「しかし資本が十分に現実化する条件は学校教育制度の出現であって、この制度は文化資本の分配構造の中で占める位置を持続的な仕方で承認する資格を授与する」(207)

「贈与交換をパラダイムとする社会的錬金術の基本操作はどんな種類の資本をも象徴資本に変換することであり、それをその所有者の本性に根差した正統な所有へ変換することであるが、このような操作は常にある労働形式、時間・貨幣・エネルギーの眼に見えない(しかし必ずしも誇示的でない)蕩尽を要する。これは配分の承認を確保するために必要なひとつの再配分であって、受け取る者が分配上より適切な位置にあって贈与する能力のある者に認める承認の形式、価値の承認でもある負債の承認の形式をとる」(214-215)

「確立した秩序、およびその基礎をなす資本の分配は、それらが存在しているそのことによって、つまりそれらが公けに正式に肯定され、したがって(誤)認識され承認される時から及ぼす象徴的な効果によって自分自身の存続に貢献する。それゆえ、この秩序と資本分配が、それが社会的存在の客観性そのものにおいて認識(誤認と言うべきか)の対象であるという事実に負っているもの一切を取り逃がすことなしには、社会科学は、デュルケームの準則に追随して「社会事象を物として取り扱う」ことなどできないのだ」(222)

「ハビトゥスが備えているカテゴリーに従ってハビトゥスが知覚する表現である諸々の属性は、所有権獲得のための差異を持った能力を、つまり資本と社会権力を象徴化する。そして区別の正または負の利潤を保証する象徴資本として機能する」(232)

コメント
・私は悪筆だが、癖のある字で私が文字を書いてしまう(実践)理由はどこにあるのかと言えば、私の持つハビトゥスにあるということができる。私の父も同じような書き方をしていたことが思い返される(生きてるけど)。この場合、私の書字プラチックは私のハビトゥスによって産出されたということができるのだろうか。
・プラチックの再構成を図ることで、抵抗戦略が可能になると読み取ってもよいのだろうか。
・先輩から聞いた話ももとにしているが、日本においてブルデューのハビトゥス論は『再生産』『ディスタンクシオン』の流れの階級の再生産論としてのみ受け止められている傾向がある。そうではなく、ブルデューは本来、主-客の二元論の乗り越えとしてハビトゥス/界や行為の理論を構築するのを狙いとしているのであり、あくまでその一例の「適用」が『再生産』『ディスタンクシオン』なのである。おそらくアップルらの批判的教育学の流れでブルデューが日本に受容されてきたことが原因なのではないか、と考えられる。

2011年3月21日月曜日

Simmel, Georg(1890):石川晃弘・鈴木春男訳「社会的分化論 社会学的・心理学的研究」、『世界の名著47 デュルケーム ジンメル』中央公論社、1968。

 ジンメル32歳の作品。

 解説から、ジンメルの本書での言及として次の部分があった。

「集団の社会的水準の平均化は、原始的な段階では、低いものを高めることによって可能とされるが、進化した段階では、逆に高いものを低いところに引き下げることによって実現される」(45)

 個々人で会うと徳が高い人物であっても、集団になると途端に低俗な話をし始める。これはいかなることなのだろうか。それは平均化と平等が理由であるという。

 以下は抜粋。

「あらゆる対象について、それらが少なくとも相対的に客観的な単一体であるといえるのは、それらの各部分に相互作用が存在したときのみである」(392)
→人びとの心的相互作用によって、社会は成立する。後の相互作用論者に繋がる発想である。

「社会という名称は、たんにそれらの相互作用の合計にたいするものであって、それらの相互作用が確立されている程度に応じてのみ使用されるべきものである。ゆえに、社会は実体的に確立された概念ではなくて、与えられた個々人のあいだに存在する相互作用の数と緊密の度合に応じて、多くも少なくも適用されうる程度的概念なのである」(393)
→「社会」は相互作用の合計である。客観的存在ではなく、「機能」の総和である。

「けっきょく社会の概念は次のように規定されるであろう。すなわち、個々人の相互作用が、たんに彼らの主観的態度や行為のなかに存在しているというだけではなく、さらに個々の成員からはある程度まで独立した、ある客観的な構成物がつくりだされるというような場合に、われわれは真に社会といえる存在がそこに存在している、といえるのである」「相互作用が凝集して、一つの実体となっているのである」(393)

「集団が大きくなると、それと並行して分化が要求される」(419)

「社会圏が大きくなればなるほど、個人はその目的を達成するために、ますます多くの回り道を必要とするようになる」(419)

「すでにのべたように、個人の罪が社会に転化されるということは、社会教育学にとって、その普及が憂慮される認識の一つである。というのは、それは、個人の罪をどうかすると割り引きやすく、そうしたとき、良心はそれだけ気楽になり、それだけその行為にたいする誘惑が強くなるからである。つまり、いってみれば、道徳のために出費される経費は全体が負担するのに、不道徳によってあがる利益は個人だけが受けるということになるからである」(421-422)
→犯罪者は「社会」や環境が作ったことになる。

「すなわち社会集団の分化と個人の分化は明らかに正反対をなす、ということである。社会集団の分化は、個人ができるだけ一面的になること、彼がある単一の仕事に没頭し、彼の衝動、能力、関心のすべてがこの一つの諧調にあわせられることを意味する」(527)
→集団が多様でいるために、個人には単一・一面的でいることが要請される。これが疎外労働を招くことにもなる。つまり、集団の多様性を担保するため、個人から多様性が排除され単一の状態でいることが要請されるのだ。

『広辞苑』各版にみる、「内職」の意味の変遷

 筆者は学校における「内職」をリサーチしている。そのため、過去の「内職」という言葉の使われ方を調べるため各種雑誌を調査中である。
 『蛍雪時代』1948年2月号「巻頭言」に、「学生と内職」というタイトルの文章がある。内容を見てみると、「内職」は現代の授業中に行う授業に関係のない学習としての「内職」の意味ではなく、学費を稼ぐための「アルバイト」の意味であった。
 試みに、この『蛍雪時代』から7年後に出た『広辞苑』第1版(1955)における「内職」の欄を参照してみよう。

【内職】①奥向の職。後宮の職務。②本職以外に営む生業。③女などが家事のひまにする賃仕事。④アルバイト。

 「巻頭言」における「内職」は「④アルバイト」の意味にあたる。文中を見ると次のように書かれている。「生活費の向上、中産階級の没落は学生の生活をいよいよ苦しいものにして、新聞などの報道によれば半数以上七割迄が何等かの意味で学費の全部又は一部を自分の手で働き出していると云う」。そして「本当の意味で生活と学問の両立は困難」との記述につながっている。
 また本文冒頭を見ると「昔は学生の内職と云えば御上品の所では家庭教師翻訳の下請、一般向の所では新聞配達と相場が決まっていた。所が最近は学生もなかなかくだけて来て、その帽子なえ見なければ本職と間違うことがある」と書かれている。このあたりは竹内洋『立志・苦学・出世』や天野郁夫『試験の社会史』『学歴の社会史』に描かれた「苦学生」同様の構図である。しかし、ここで注目すべきはこれら「苦学」は「内職」として扱われていた、ということだ。当時、働きながら学ぶ、あるいは学費を稼ぎながら学ぶということは「アルバイト」を意味する「内職」と言う言葉で形容されていたわけだ(なお「巻頭言」の原文は全て旧かな・旧漢字であるが読みやすさを重視した)。

 学校における「内職」の問題という言説は、本来この『広辞苑』第1版における④の意味であったことを確認することができた。ここで次のような仮説を立てることができる。それはもともと学校における「内職」とは、④を意味したのであるが、時代が下るにつれて②や③の意味に変更してきたのではないか、という仮説である。次にこの仮説を検討するため、『広辞苑』の第2版から現在の第6版に見る「内職」の定義の変遷を確認してみよう。

『広辞苑』第2版(1969年)
【内職】①奥向の職。後宮の職務。②本職のほかに家計の補助のためにする仕事。③主婦などが家事のひまにする賃仕事。

→③における「女など」が「主婦など」に変更し、④が消滅している。

『広辞苑』第2版補訂版(1976)
【内職】①奥向の職。後宮の職務。②本職のほかに家計の補助のためにする仕事。③主婦などが家事のひまにする賃仕事。

→2版と変化なし。

『広辞苑』第3版(1983)
【内職】①奥向の職。後宮の職務。②本職のほかに家計の補助のためにする仕事。また、主婦などが家事のあいまにする賃仕事。

→②と③が一文に。また、「ひま」が「あいま」に。

『広辞苑』第4版(1991)
【内職】①奥向の職。後宮の職務。②本職のほかに家計の補助などのためにする仕事。また、主婦などが家事のあいまにする賃仕事。「−でやっと生活する」③俗に、授業中・会議中などに行う他の仕事。

→授業中の「内職」の意味、初登場。②に用例が追加される。

『広辞苑』第5版(1998)
【内職】①奥向の職。後宮の職務。②本職のほかに家計の補助などのためにする仕事。また、主婦などが家事のあいまにする賃仕事。「−でやっと生活する」③俗に、授業中・会議中などに行う他の仕事。

→4版と変化なし。

『広辞苑』第6版(2008)
【内職】①奥向の職。後宮の職務。②本職のほかに家計の補助などのためにする仕事。また、主婦などが家事のあいまにする賃仕事。(歴史的な用例が追加)③俗に、授業中・会議中などに行う他の仕事。

→②の用例が変更。

 現代の我々が認識する「内職」という意味が『広辞苑』に追加されたのが4版(1991)でからであるということが分かる。また、こうしてみると、「内職」にあった「アルバイト」の意味は次第に消滅していき、「内職」という言葉に第1版の②や③がイメージする「本業以外に営む」ニュアンスが強くなって行くことがわかる。第1版における②や③の意味が一カ所に集約されたのち、この部分のイメージを広げる意味合いで「俗に、授業中・会議中などに行う他の仕事」という意味が付与されてきたことも読み取ることができるであろう。
 おそらく、学生をめぐる環境が『蛍雪時代』1948年2月号「巻頭言」から時代を経るにつれて、日本が「豊か」になっていったことが「内職」の意味が変わって行く理由であったのだろう。「豊か」になるにつれて、「内職」という言葉から「働く」意味が減り、主婦の「内職」のように陰で「本業以外に営む」行為という意味が強くなって行ったのであろうと推測することができる。


 なお、「巻頭言」原文(全)は次の通り。執筆者名は記されていない。

「學生と内職」
「近頃特異なる風景の一つに學生の商賣がある。昔は學生の内職と云えば御上品の所では家庭教師飜譯の下請、一般向の所では新聞配達と相場が決まつていた。所が最近は學生もなかなかくだけて來て、その帽子なえ見なければ本職と間違うことがある。生活費の向上、中産階級の沒落は學生の生活をいよいよ苦しいものにして、新聞などの報道によれば半數以上七割迄が何等かの意味で學費の全部又は一部を自分の手で働き出していると云う。學生が働く事は良いとか惡いとかは論外として、必要に迫られているのだと云えばそれ迄であるが、本當の意味で生活と學問の兩立は困難である。世界の文化や國家の運命が青年の教育の如何にかゝつているのを想う時、これを一つの特異現象として見過ごして良いであろうか? あらゆる意味に於いて學生には生活の安定は與えられなければならないと思う。と同じに學生には學問に對する眞摯な努力と高邁な道徳性とが要求されなければならないと思う。若し文化國家と云うようなことを平然口にする勇氣があるならば國家も社會も學生を本當に立派な學生にする義務がある。」

2011年3月20日日曜日

ゴフマン冷却作用論文(1952)についてのメモ

 ゴフマンの自己論は自己がバラバラである状態を統合させるのを要求するのが文化や社会システム的(社会規範など)にあるということを指摘していると考えられる。本稿ではカモの分裂した自己を統一させる働きが冷却作用の一種として表れている。
冷却作用とは一面ではバラバラな自己に一貫させた他者への自己(面目face)を与える手助けをするものである。本論文はゴフマンの最初期にあたるものであるが、後のゴフマン思想の萌芽を読み取ることができる。例として、selfとmindの違いを説明した個所をあげられる。これらの個所では自己の統一性を手に入れるためにある人物(エゴ)が行う他者への印象操作である。
あるいは他者の印象を一貫させるという意味で『行為と演技』や『出会い』・『儀礼としての相互行為』につながる発想である。特に『行為と演技』において展開されたドラマツルギー理論では表局域と裏局域とが区別されており、必ずしも自己イメージが統一していなくてもいいが他者についての一貫性をもった自己を示す必要が示されていた。自己を呈示する動きについての指摘と、どういった人物かわからないからこその他者の示す属性・演技により呈示された他者像を統一性・一貫性を持ったものであると認識(あるいは想像)することが示されている。
 本論文はカモ自身が統一性を持つために冷却されることを望むと書いてある点で、「呈示」にとどまらないゴフマンの理論を見ることができる。主体自身も統一性を入手することを望んでいる可能性は、このあとのゴフマン理論に見られることが少なくなっているように思われる。(藤本)

2011年3月19日土曜日

『寺山修司名言集 身捨つるほどの祖国はありや』(2003)より

「さよならだけが
人生ならば
またくる春はなんだろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう」(69)

「たとえ
世界の終わりが明日だとしても
種をまくことができるか?」(125)

「たとえば書物とは「印刷物」ばかりを意味するものではなかった。街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。
 かつて、私は「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたが、それが「印刷物を捨てよ、そして町という名の、べつの書物を読みに出よう」と書き改められなければならないだろう」(223)
→世界というテキストを読む。

「戦争の本質は、実は少年たちの「戦争ごっこ」の中に根ざしている。十歳や十五歳の少年が、戦争ファンであるあいだ戦争はなくならない。
 少年たちが成長するように、彼らの「戦争」もまた成長してゆくのだから」(256)
→テキストを読み替えて、「制服」のカッコよさが共有されているかぎり、と読み替えてもいいのかもしれない。軍隊の特徴はキチッとした制服に象徴される。軍服を元に学校の「制服」が作られているのだからこれは事実だろう。

「死をかかえこまない生に、どんな真剣さがあるだろう。明日死ぬとしたら、今日何をするか?
 その問いから出発しない限り、いかなる世界状態も生成されない」(342)


「死んだ人は/みんな/ことばになるのだ」から、寺山の遺した言葉とのコミュニケーションは、寺山自身とのコミュニケーションでもある。

2011年3月18日金曜日

マイケル・W・アップル/長尾彰夫/池田寛(1993):『学校文化への挑戦 批判的教育研究の最前線』、東信堂。

 ここでいう「学校文化」とは、学校のメインストリームにあたる支配者層、あるいは「抑圧者」の再生産機構という正統文化を意味する。それらに対するアンチテーゼ(黒人・女性差別への抵抗など)を整理しているのが本書である。
 しかしこの本書、あまり現代の文脈に対応していないように感じられる。それは若干マルクス主義すぎて、共感しづらくなっているのだ。

●序章(M・W・アップル/野崎与志子訳)
・「すなわち、学校教育は権力―ある集団が他者の教育的経験を支配する力―と関係があるという印象である」(3)
・「われわれが何かについてどう考えるかは、われわれの行動に違いをもたらすからである」(4)
→洪水を自然災害とみるか、人災とみるかで、評価は変わってくる。
・「カリキュラムはそれ自身選択的伝統(selective tradition)と呼ばれてきたものの一部である。すなわち、知識と呼ばれうるものの広大な宇宙全体から、学校ではある知識だけが教えられている。ある集団のもつ社会的・文化的権力と、その集団の知識を学校のカリキュラムの公的な知識にしてしまう力との間には強い関係がある。ゆえに、労働者階級、女性、そしてマイノリティ・グループの歴史や文化は多くの国家において、学校のカリキュラムのなかにはしばしば表現されていない」(7)
・「文化闘争や国家内部での闘争が、もし相対的自立性をもつなら、それは現在ある搾取と支配の関係を変容させる本質的要素を供給するかもしれない」(20)
 
●1章 ラディカルたちの学校論(森実)
・「資本主義社会のありかたが学校を大きく左右しているというボールズ=ギンタスの見解そのものは、それなりに受けとめられたといってよい。これ以後、学校を変えれば社会が変わるといった楽天的な意見はあまり見られなくなったからだ。問題だったのは、学校教育はつねに資本主義の再生産しかできないという彼らの主張だった。彼らの意見に賛同すると、社会主義革命が起こるまで学校教育関係者は何もすることがなくなってしまう。学校に期待を寄せる人々は、この点に批判を集中した。二人の著作の重要性は確認しつつも、この問題点をどう乗り越えるかという課題に焦点が当たることになった」(32)
・「機能主義の基本的な考え方を示すとつぎのようになる。
 〈社会生活のあらゆる要素は相互に連関している。お互いに影響し合い、結びあって分かちがたい全体を構成している。全体と各要素はお互いに支えあっているということができる。各要素が今あるごとくあるのは、その要素が全体に対して貢献しているからである。
 ひとことでいえば、機能主義とは「社会には自己を維持しようとする傾向がある」とする立場だといえよう。この考え方に支配された研究者たちは、社会を予定調和的に変化しないものととらえ、けっきょく現状肯定論に陥っていった」(37)
・「ジルー自身にとって、おもな説明の対象は生徒や教師の抵抗である。抵抗こそが社会構造と人間行動を媒介する概念だという。ところが、抵抗にはその対概念として適応がつきもののはずであるのに、ジルーはいっこうに適応については論じようとしない」(43)
・「マルクスにとって、ある社会化関係が不公正かどうかは、その社会関係が生産様式に応じたものであるかどうかによって判断される。勃興期の資本主義社会は、いくら不平等で高率の搾取をしても、それによって生産様式は発展したのであり、これを道徳的に不公正だと批判してもはじまらない」(49)
→文字通り初期資本主義社会では「トリクル・ダウン」(滴り落ち)の効果があったのだ。
・「資本主義をマルクスが批判するときにも、道徳的な意味においてではなく理性的な意味において「資本主義社会には自由が欠如している」という点に重点が置かれているというのである」(50)
「さまざまな行動を評価するに当たってマルクスが重視するのは、意図や方法よりもまず結果である。自分だけの利害に基づいたエゴイスティックな行動であっても、それが社会の発展に貢献する場合もおおいにありうる。逆に主観的には善意であっても社会発展に逆行する行為も少なくない。そのような意味で、まず問われるべきは結果であり、この点でマルクスは結果主義者だというのがミラーの主張である」(51)

●2章 政治力学としての人種問題(池田寛)
エスニシティ・パラダイムに対する、批判的パラダイム(50-60年代)72頁
①階級理論(72頁) 提唱者
A 市場関係理論 G・ベッカー(ラベリング理論のH・ベッカーとは別人の新古典派経済学者)
B 階層理論 W・J・ウィルソン
C 階級闘争理論 
C1 分断理論 M・ライシュ
C2 分離労働市場論 E・ボナシチ
②国家理論(74頁)
A 汎アフリカニズム マルコム・X/ブラックパワー 「アフリカ系アメリカ人」という言葉の一般化
B 文化的ナショナリズム H・クルーズ 黒人文化の独自性強調→自文化への黒人の誇りを喚起 白人文化に対する「抵抗の文化」の思想を支えるものとなる

・「本書(注 『アメリカにおける人種問題の形成』)が強調しているのは、国家は本質的に人種的であるという点である。人種的な争いに介入するどころか、国家じたいがまさに人種闘争の場なのである。」(81)
・「「新しい社会運動」が大転換を招来するような成功をおさめた原因は、このように、人種アイデンティティや人種の意味を再定義するという困難な事業を成し遂げ、そのことによって、人種に付与された社会的意味を変革することに成功したところに求められるのではないか」(85)
・「ニューライトはマイノリティの主張を否定する立場をとっている」(91)
・まがりなりにも、アファーマティブアクションは黒人のエンパワメントに効果があった。一定数の黒人が「中流階級」になることができた点からそれは言える。「六〇年代半ば以降の黒人の地位上昇は国家による「優先政策」に負うところが大きいといわねばらない」(95)
・「何が問題なのか。自分たちの運命を自分たちで切り開くことができない、そうしようとしても社会的差別の壁がその努力を拒んでしまう、その構造が問題なのである」(95-96)

●3章 少女から「女」へ(木村涼子)
 少女向け小説をテキスト分析した『Becoming a Woman through Romance』の書評および内容紹介。少女向け小説に表れる物語の型が、ヘテロセクシャルを推奨し、ロマンスの「正しい」やり方を規定する働きがあるという指摘。性欲を持ってはならないというような規範が、少女を「お人形さん」のような人物に作り替える働きがあるのではないかと感じる。
 しかし、同性愛的な憧れを女性の「先輩」に抱くという物語構図も少女小説に存在しているのは事実であり、本章の記述には疑問を感じる点がある。
・「ヒロインがロマンスにおいて成功をおさめるためには、この美しくなるプロセスが必要である」「ボーイフレンドを得ることによって、ヒロインの精力的な努力は報われ、ビューティフィケーションの手続きが完了する。ヒロインの美しさから喜びを得ることが許されているのは、彼女のボーイフレンドのみであり、ヒロイン自身でさえ自分の美しさを意識的に活用し、楽しむことは禁じられている。自分の美しさを意識し、武器とする少女は、小説のなかで何らかの制裁を受けることになっている」(112-113)
・「分析の対象となった、四〇年間にわたる恋愛小説はすべて、「ロマンスを通じて女になる」というモチーフを中心に構成されている。この中心モチーフは、「ヒロインの支配的特徴をカプセル化し、形態(対の対立概念)を内容(ロマンス、セクシャリティ、ビューティフィケーションのコード)に結合する」ことによって、小説のなかで浮き彫りにされている」(114-115)
・「普段学校の教師などからあまり高い評価を受けていない彼女たちも、ヒロインに自己同一化することによって、ポジティブな感覚を味わうことができる。退屈で、うんざいりするような毎日をおくっている少女にとって恋愛小説を読むことは、「最悪の一日でさえ何か特別な日に変えてしまう」手軽な儀式である」(117)
→生徒や子どもの視点からの文化分析が必要(「内職」について多少調べた自分だからこそ、その点を忘れないようにしたい)
・「少女小説が描く空間は、さながら少女の精神修養のための道場である。精神的成長の中身は、自立、自己主張、洞察力などさまざまな要素が含まれるが、何より強調されるのは他者に対する共感能力、他者を思いやる力や姿勢である。教官の対象はまず第一にロマンスの相手である異性だが、ロマンスのなかで身につけた共感能力は、まわりの友だちや家族など、ボーイフレンド以外の人との人間関係にも適応されていく。こうした面での成長は、女性としてのアイデンティティ形成の一部であるといえよう」(128)

●4章 ニューリテラシーの理論(平沢安政)
「ひとくちに「学習者の生活体験から出発する」といっても、(注 フレイレ等の)批判的識字の場合は「搾取」「差別」「貧困」「抑圧」に特徴づけられる社会的生活現実が土台になっているのに対し、ニューリテラシーの場合は感動と表現意欲の源泉となる生活体験を子どもたちが日常のなかにさぐりあて、その意味世界を「読み・書く」ことによって探求するプロセスを大切にしようとする志向性をもっている。今日のように」(156)
→「貧困」「搾取」が明確でないのが現代の社会である。フリーターと言っても自発的にその地位に居るのか、構造上の問題でその地位に居ざるを得ないのか、違っている。そういう時代だから「批判的識字」の活動(や「プレカリアート」などの造語による運動)という結果や道筋の見える活動よりもニューリテラシーの方が運動の広がりは大きくなるのだろう。

「ニューリテラシーは、学校が生活経験を切り捨てた上で成り立っていることを批判し、むしろ子どもの生活が学校の学習を規定していくような関係につくりかえることを提唱している。また、教師が権威ある知識提供者、評価者としてふるまうのではなく、子どもの認識プロセスにともに参加し、促進するためのサポートを提供する存在となるべきことを強調する。また、受信型モデルで機能性獲得を論じるのではなく、自己を表現し、発信するプロセスとしてリテラシーを位置づけている。こうして、ニューリテラシーは主に個を中心にした実践と論理展開を行ってきた」(158)
「リテラシーが人々の私的、公的な生活のなかで力となり、多様な表現と経験の共有をすすめるような形で生活に位置づくようになることが、ニューリテラシーの最大の目的である」(159)

●第6章 学校におけるカリキュラム・コントロールの矛盾(長尾彰夫)
・子どもの詩のもつ「生きた文化(lived culture)からの批判と抵抗」(223)
「このように、学校における一定の知識や行動は、生徒の多様な経験、背かつ、立場の違いのなかで、それぞれに異なった意味をもちうる。そしてそのことが、現在の学校を支配している潜在的カリキュラム、学校知への批判や抵抗を生みだし、カリキュラムをめぐっての矛盾や対立となっていく。こうした批判や抵抗、矛盾や対立は、時として授業の「能率性」、教師の「権威性」をそこない、学校の管理的構造を大きくゆさぶっていくことにもなるのである」(223)

●第7章 批判的教育研究の理論的背景(池田寛・長尾彰夫)
「教師によって生徒が学びうると考えられたカリキュラムが選びとられ編成される。そして、それが生徒に対して学習する内容として提示されるのである。/教師によって構成されたテクストを、個々の生徒は自らが背負っている生きた文化にしたがって選択し変換する。たとえば校則によって定められた制服に手を加え、反抗的な生徒文化としての意味を与えることによって変換的に摂取していくのである」(238)
→「内職」のこの「生きた文化にしたがって選択し変換する」/「変換的に摂取」の一例である。

2011年3月17日木曜日

原発報道の「風化」

『寺山修司名言集 身捨つるほどの祖国はありや』(2003)にいわく、

「ミサイルという記号の一般化は、あきらかにミサイルそのものに先行している。
 ここでは、本質が存在を先取りし、ミサイルではなく「ミサイル的」な概念が、知れわたってしまっているからである。
 私たちは、次第に核弾頭をつけたミサイルのリアリティとは別に、ミサイルということばに慣れる。ミサイルは日常語の中で風化され、その恐怖感を摩滅させてゆく。(現代のキーワード)」(258)

 逆説的ながら、原発に関するニュースが流れれば流れるほど、人びとは「またか」と思う。「日常語の中で風化され、その恐怖感を摩滅させてゆく」。
 いうならばニュースを流せば流すほど、そのニュースの中身はインフレになり、人びとの感じる重要度がどんどん下がって行くのである。
 原発報道をするニュースは、実は原発の危険性を風化させる一つのファクターであるかもしれないのである。

ジャン=ルイ・ベドゥアン(1961):斎藤正二訳『仮面の民俗学』、白水社、1963。

 仮面のもつ意味を「未開社会」のエスノグラフィーから考察する。その知見が現代社会にも通じるものであることを指摘する本。カイヨワの模倣としての「遊び」論も出てくる。『魔女ランダ考』を思い起こした。

「じじつ、われわれは、おそらく、たれしもが、こうした経験をもっているのであり、自分《らしく》もないことをしてしまった、とか、あの人《らしく》もないことをしたものだ、とか、よくそんなことをいったりするのである。こんな場合、これが自分だ、とわれわれが考える、理想像としての似姿は、かならずしも、正真正銘のわれわれの姿なのではない。それは、どこまでも、本当らしく見える姿であるというにすぎないのだ。それは、いうならば、《仮面》なのであって、その裏に隠れて、われわれは、他人の目にたいしてはもちろんのこと、自分自身の目にたいしても、われとみずからを偽装するのである。なぜなら、われわれは、こっちでそれに独立したというに近い存在を与えてやっているはずの、ある一つの影像、ある一つのまぼろしを、さも自分自身であるかのように、思い込みがちなものであるからだ。そういう場合は、われわれが考えているよりも、はるかに多いのである。」(15)
→「ほんとうの私」という存在は「仮面」である。「自己」はミード的にはIとmeとの恒常的な自己との相互作用である。「ほんとうの私」というmeは数あるmeの一つにすぎない。
 「よくある」言い方をするならば、パーソナリティの語源はペルソナ(仮面)にある、という事実につながる話である。

「仮面の場合には、ひとは、《他者》になろうとして、本当に《他者》になってしまうのだ。《他者》とは、それがすべての風貌を帯びうるゆえに、風貌をもたない者でもある。この矛盾を克服することこそ、仮面の仮面たる特質である。」(22)

「だれであり、仮面をつけた人物は、たんに、何者であるかがわからなくなった人物ではないからである。かれは、それ以上のものである。かれは、むしろ、他者でさえある。というのは、かれは、おのれを謎として呈示し、ひとにむかっては、その謎を解くように要求するのだから。したがって、かれは、あたりまえの法則からははみ出し、自由を要求しているわけだ。この自由は、しばらくの間にもせよ、社会の約束事によって制限を受けることがなくなるので、そのぶんだけ、ますます大きなものとなる。」(24)

(西欧人について)「仮面の力を借りて、可視的な自然の次元よりも高い次元の世界に、ありありと生きることを断念した人間は、自分の同類の目に、自分を超人として映らせようと努めるようになる。」(96)

「人間というやつは、自分でそうしたいと思うようなときにも、つぎからつぎへと、多数の仮面を発明することをやめるわけのものではない。このことだけは、確かなのだ。われわれの運命というやつが顔をもっていない、という謎あるがために、われわれは、そいつに目鼻立ちを与え、一個の名前を与えないではいられぬのだ。」「われわれが直視することのできない「絶対的な存在」は、人間の「仮面」を帯びた。」(139)
→よく分からない存在に名前をつけると言う行為は、その対象を理解可能なレベルにまで引き下げる働きをする。仮面にもそんな意味合いが込められている。

●訳者追い書き
「著者は、キリスト教によって西欧社会から駆逐された仮面が、ヨーロッパ各国の民間伝承のなかで、かすかに生き残っていることを認めたうえで、もはや、別の世界に属するより仕方ない、といいます。つまり、二十世紀の人間は、別種の仮面を発明しつつあるのだ、といいいます」(141)

・142頁にて訳者が、日本の案山子(かかし)は元々仮面に起源があるのではないかと指摘をしている。

Apple, Michael W.(1979):『学校幻想とカリキュラム』、日本エディタースクール出版部、1986。門倉正美・宮崎充保・植村高久訳。

「かいつまんで言えば、私は、教育は決して中立的な営みではないということ、すなわち教育者は、自覚していようといまいと、教育制度の本質からして、政治行動にたずさわっているということをつよく主張した。また、今日の先進産業経済を支配している制度編成は根本的に不平等をもたらすようになっているが、結局のところ、教育者は自らの教育実践を、そうした制度編成や、そこでの人々の意識形態から完全に切り離すことはできない、とも主張した」(1)

→フレイレも同様の主張をするが、彼は〈だからこそ何を教育するかが大切だ〉という。イリイチは〈だから教育は権力だ、ないほうがいい〉と切り捨てる。



「社会が正義にかなっていると言えるためには、社会は原理的にも、実際の活動においても、最も不利な立場にある人たちの利益に最大の貢献をしなければならない」(22)







ヘンリー・レヴィンを引用して、

「社会を変革しようとする教育的努力が、本来、教育部門で生じたのではない問題も学校が解決しうるというようなイデオロギーをうみだし、それを正当化することによって、中心的な問題から人々の関心をそらしてしまう傾向があるからである」(79)



「幼稚園の教室での社会化過程には、社会的相互行為の規範や規定を学ぶことがふくまれている。社会化とは、自らがかかわっていくことによって、状況を把握する枠組みをたえず洗練させていく過程なのである。社会状況に適合するためには、その状況が相互行為の枠組みとして提示している意味・制約・可能性などへの共通の理解が得られていなければならない」(99)



「学校という社会的現実を理解するためには、教室の実際のありようを研究することが必要である。それぞれの概念・役割・事物はいずれも社会的につくられたものであり、それらが作られた状況によって規定されている。教室での相互行為の意味づけは単に推定されるだけであってはならず、あくまで具体的に観察されねばならない」(100)

→学校の生徒文化研究を行っていきたい私にとって、どこまでも現場重視の姿勢を維持することが必要だ(あたりまえだけど)。



・「自由に」過ごすことが実は教員の強制によるのだ、という102頁の指摘。



「子どもたちが学校で習ったこととして語る内容はすべて、〈勉強〉とされている活動のとき先生が教えたことである。〈遊び〉は時間があまって、しかも子どもたちが与えられた勉強をすましているときにだけ許される」(104)



「教師が園児たちに期待しているのは、教室の状況に適応することであり、こうした適応にともなうどんな不快さにも耐えることなのである」(109)



幼稚園のなかで「従順・熱中・忍耐という性向を身につけることは、学問的能力よりもずっと価値があることなのである」(109)。

→さすが批判的教育学を名乗るだけのことはあると言える。



「はるかに重要のは、次のような問いを真剣にとりあげることである。すなわち〈現在の学校はしばしば誰の利益に奉仕しているのか〉、〈文化資本の分配と経済資本の分配とはいかに関係しているのか〉、〈意味づけは強めるが統制は弱めるような制度をもたらす政治的・経済的現実を構想しうるだろうか〉」。(113)



「この本の核心をなす論点」

「学校には歴史があるという点、そして学校は毎日の実践をとおして、しばしば複雑な隠れた仕方で、他の有力な諸制度に連結しているという点、の二点である」(120)



「学校は、それより力をもつ他の諸制度、すなわち権力や資源利用における構造的不平等を生みだすように結合している諸制度との関係のなかではじめて存在するのである」「第二点は、こうした不平等は学校が強化し、再生産するものであるという点である(むろん学校だけによってそうなるわけではないが)。教室の日常におけるカリキュラム・授業・評価の面での活動を通じて、学校はこうした不平等を、生みだすのではないとしても、保存するのに重要な役割を演じている」(123)

「学校生活の日常的過程は校舎の外の経済的・社会的・イデオロギー的諸構造と連結しているからである」(125)

→学校は社会や政治のイデオロギーを拡大再生産する場所になっている。



「現実を理解することはその現実を変革するための必要条件であるのみでなく、倫理的・美的・経済的に適切な仕方での現実の再構成を実現していくための大きなステップにもなる、という点を指摘しておくことが重要だろう」(196)



「他人が予め選定した行動によって他人が予め定めた目標のために働くという仕方を習得することによって、生徒たちは、ひとが果たすべき役割がすでに社会の網の目の中で決定されているような、ますます企業的・官僚主義的になっている社会のなかでの働き方をも同時に習得しているのである。それぞれの役割の中には、その役割にふさわしい思考法がすでに組み込まれているので、生徒たちは、役割を遂行するのがまともな生き方だと教えられてさえいれば、往々にしてかなり疎外されている役割でも気持ちよくこなしていける」(223-224)

→〈働くって、そういうものだ〉という認識があると、人は疎外されていることに気づかないことがある。社会の産業システムがもたらした冷却作用であるように思われる。



「不幸にして言わざるをえないのは、いくつかの現代[社会主義]社会の本質である厳格な統制は、マルクス主義の伝統のなかに見られる独特の力強さをもった分析とはほとんど関連がないという点である」(248)


「たいての場合学校は、〈標準的でない〉[社会的・文化的背景をもつ]生徒に知恵遅れというレッテルを貼るただひとつの機関だったという点である。それらの生徒も、いったん学校のそとへ出ればちゃんとやっていたのである」(259)
→ラベリング理論への言及。いまはこの機能を心理学などがやっているように思われる。

「権力はしばしば援助という形態や〈正統的知識〉という形態、すなわち中立的とみなされることによって自己正当化しているような知識形態をとってあらわれる。したがって権力は、自然さをよそおったかたちで不平等な体制を再生産し正当化する諸制度を通じて行使されている。実際にはこれらすべてが、教育のような援助的職業を補完する役割を担っている知識人たちによって更に正当化されている場合がある」(267)

「第二章および第三章で述べたように、学校教育の重要な潜在的機能のひとつは、さまざまな意識形態をしばしば極めて不平等な形で生徒に分配することであるといえよう。だから社会学的に言えば、それらの章で述べたような性向や観点を獲得することを通じて、生徒たちは先進企業社会の構造をいたるところで支えるさまざまな役割に振り分けられるわけである。レッテル貼りの過程はこの選別において微妙な、しかし重要な位置を占めている」(269-270)

「専門家は制度の要求の解決に貢献するため、技術的な助言やサービスを供給するよう期待されている。だが実際に受け入れられる議論の範囲や解答の種類は、管理機構が始めに何を〈問題〉として設定したかによってイデオロギー的に限界づけられている」(279)

「学校がさまざまな機能を遂行できるのは、技術的な統制と確実性の利益を体現した〈中立的な〉観点の使用と、経済的・文化的再生産への貢献とを結合させているためである」(288)

「ヤングとバーンスティンが再三強調しているように、教育の諸側面のイデオロギー的性格についてはこれまでも少しは着目されてきたが、教室でのやりとり、つまり日々の学校生活の形態や内容それ自体がイデオロギー的〈伝達〉を実現しているという点は、ごく最近までほとんど、あるいはまったく意識されていなかったのである」(294)

「この本全体をつうじて私は分配と再生産という語を使ってきた。これらの言葉は、文化的・経済的資本をもつ者の利益を最大化するように既存の制度の権力が自らを強化し、社会秩序とそれについてのわれわれの考え方を限定している、ということを暴く概念的な効果をもっている」(303)

「解放の基本的条件のひとつは、錯綜するすべての肯定面および否定面において制度の現実的機能を〈把握し〉、現行の規則性のもつ矛盾を明らかにし、最後に自発性・選択・より平等な統制様式などの可能性を他の人々が〈想い起こす〉のを助ける(また逆に他の人々にそのように助けてもらう)ことができることである」(308)

「〈教育内部での〉最も重要な姿勢のひとつとしては、生徒の権利(さらに教師や被抑圧者集団等の民主的権利)を護るという姿勢があるだろう」(309)

「カリキュラム学者は、今日の企業社会を席巻しているイデオロギーや制度を完全に容認してしまうような位置から一歩退く必要がある」(312)
→ウェーバーの言う客観性の基準をカリキュラム学の立場でやっていく必要を述べた宣言である。

「結論的に言えば、ここで私が主張しているのは、状況の再定義である。すなわち、中立の知識人という、それ自身イデオロギーを負った理念ではなく、ヘゲモニーに抗する闘争に実際に参加する〈有機的な〉知識人という概念を通してグラムシが求めていた情熱的関与を真剣に担おうとする知識人の理念を認識させるような、状況の再定義なのである」(313)

●訳者あとがき
本書の特徴の1点目「教育制度を文化的・経済的再生産装置としてとらえる視点がはっきり打ち出されている点をあげることができる。教育が生産者(労働者)の生産、すなわち再生産の重要な一環であることは、はやくからマルクス主義的見地の常識だった。しかし、その再生産メカニズムを具体的に実証する作業や、文化的な再生産装置としての機能の解明は、著者のいうネオ・マルクス主義の伝統を中心とする近年の理論的営為によってようやくその端緒が切りひらかれた段階と言えるだろう」(367)


●コメント

アップルは学校が一部の人びとにしか役立っておらず、後の者にとっては社会的不平等の再生産が成される場所・労働者のエートスを習得する場所になっていると指摘する。このことをカリキュラム研究の知見と「隠れたカリキュラム」を指摘することで明らかにしている。彼の後の書『教育と権力』ではこのほかに、大学という学術研究機関が国民の税金を援助としてもらい、資本家にしか役立たない研究を代行する機関となっている点の指摘もなされ

2011年3月14日月曜日

福島原発報道に思うこと。

 いま、福島原発のニュースでテレビはもちきりである。原発については一時、徹底的に本を読みこんだ時期がある。それは高校二年のときのディベート甲子園の頃。論題の「日本は原子力発電を廃止すべきである、是か非か」。その時あった資料(2004年当時)のどれもが原子力発電の危険を指摘するものばかり。現状維持の否定側(つまり、原発を「廃止すべきでない」立場)はほとんど勝ち目がない。チームメートと「どうやったら肯定側のいう〈原発の事故で死者が多数出る〉という主張を打ち砕けるか」真剣な議論をした(自分は途中で抜けてスタッフとして甲子園に参加した)。
 結局、そのときに出ていた否定側の有力資料は、政府や御用学者のいう「安全基準は万全だ」というようなものしかなかった。そのため、肯定側の主張をすべて批判し、ブレイクイーブンで勝つ、というのが否定側に当たった際の必勝パターンとして考えられていた。なお、ブレイクイーブンとは肯定‐否定双方の主張が成り立たない、ということ。その場合は「現状維持の否定側の勝ち」になる。私のいた学校は決勝戦で否定側が当たる(=つまり、原発を廃止するな、という立場)も、なんと優勝してしまうという快挙を成し遂げた。いまの時期にディベートするなら、まずありえない話である。
 まあ、あのとき感じていた原発維持側の資料に書かれていた内容は前提自体誤ったものであったことが可塑的に明らかになったわけだ(「格納容器」は丈夫というのは資料通りであったけれども)。
 今回のニュースを見て、御用学者にだけはならないと決めた。

2011年3月10日木曜日

Michael W. Apple (1982):浅沼茂・松下晴彦訳『教育と権力』、日本エディタースクール出版部、1992。

「ヘゲモニーとは、私たちのごく日常的な実践により構成されているものである。私たちが知っている社会的世界、すなわち、内在的カリキュラムや教授、評価といった教育制度の諸特徴が相互にかかわっているような世界を作りあげているのは、私たちの常識的な感覚や行為の集合全体なのである」(62)

「学校は再生産以上のことをしている。学校はまず権力集団の文化や知識の形態と内容を取り上げることにより、続いてその形態と内容を、保存され伝達されるべき正統な知識として規定づけることにより、文化的手段の特権を維持するのに役立っているのである」(65)
→バーンスティンの言語コード論を思い出す。


「要するに、先進資本主義国にはひとつの公教育制度があるというのではなく、実際には二つの制度が同時に存在するのである。それぞれの公教育制度は、学習者の社会的階級と経済的軌道に合わせて、異なった規範と価値、そして性向を教え込むのである」(69)

「国家は科学研究や労働力の教育や訓練のような事柄のコストを社会的に認めてしまうのである」(83)

「まさにこの労働文化が、単なる対応理論によって描かれた規範よりもかなり充実した別の規範の発展がありうることを示すのである。この規範が、労働者のレジスタンスのための場、技術や操業速度、知識の部分的なコントロールを可能にし、また生産部門の完全な細分化ではなく集産性を、そして経営者が要求する速度からの自立性を可能にする」(120)

・アップルは労働者論の一環として教員を例に出す。(139)

Willisが描いたようなラッズたちは「同じ学校で、生徒たちは、より徹底して別のことをする。すなわち、彼らは、学校の顕在的・潜在的カリキュラムを率直にはっきりと拒否するのである。数学や科学、歴史、職業教育等々を教えている教師は、可能な限り無視される。時間厳守、几帳面さ、従順といった、より経済に密着した規範や価値を明確に教えても、最大限に忘れ去られてしまうものなのである」(152)

「実際に生じているのは次のようなことであろう。すなわち、生徒を勇気づけ、また、学校によって描かれるイデオロギー的価値に反抗しうるような労働者階級のテーマと態度を生徒が学校の日常生活の中で発達させるのを、何かより進歩的設定が制約すると同時に促進しているという点である。抵抗や権威の転覆、システムの操作、気晴らしや楽しみの創造、学校の公式的活動に対抗するための非公式グループの形成など、これらすべては、管理者や教師が望むものとは正反対のものであるが、具体的には学校によって生み出されている。したがって、もし労働者が相互に交換可能で、仕事自体が画一的で一般化されており、職種による内容の差がないとすれば、学校はラッズが見通す目を養うのを可能にするという点で、重要な役割を果たしているということになる。しかしながら同時に、そこには、結局のところ、そのような労働者階級の若者を労働市場につなぎ止め、一般化した、標準的労働市場へと準備させることになるという意味で制約があるのも明らかである」(160-161)

「提唱されている改革を単に組織的な調整の中で考慮することのみならず、何が実際に教えられ、何が教えられていないかということも同様に重要である」(205)

「私の議論の多くは機械的な再生産理論に対する概念的・経験的批判であった」(261)

「多くの再生産論(アルチュセールがその最初の例であるが)の主たる概念的・政治的弱点のひとつは、「それらが、学校の子どもたちや教師のレジスタンスの能力を正当に評価していない」という点である。つまり、学校がジェンダーに関する諸関係、生産の社会関係を再生産するのに役立っているという点を把握するのは重要であるけれども、「「学校が関与していないと思われるところで」学校はまた、歴史的に特殊なレジスタンスの形態を再生産しているのである」。これらの諸点は明らかに私たちの学校論議にのみ限られるものではなく、職場や家庭などにもあてはまる」(263)

ピーター・ドライヤーを引いて
「教師は、生徒に対し、語る内容によっても、また語らない事柄によっても、生徒の仮定、価値、好みを形成するのを助長している」(275)

訳者解説
「労働者が、単なる手足として働かされるのではなく、自らの手足を自分の意思で動かすことのできるように、頭脳の部分を取り戻すために自治と団結を主張するのは、人間の権利として当然である。それと同じように、教育における合理主義とシステム志向に抗して、教師も教育実践の頭脳を取り戻す必要があるというのがアップルの主張である。(…)近代的な目的合理主義の枠組みが、アメリカの教育の現実をいかに惨めなものにしてきたかを示す証拠でもある」(340-341)

コメント
・全体的に言って、アップルは「学校」というのみで学校種をあまり問題としていない。これは「学校」全体に対する議論としては有効だが、個別の学校種に着目する場合、弱みになる可能性がある。
・P. Willisらを検討し、学校における生徒文化に着目した第4章は、「内職」を研究する者として興味深い内容だ。
・「抵抗」としての実践に注目するアップル。労働者としての教員像という観点から、本書5章において単純労働者化したアメリカの教員像を批判する。
・273ページなど、マルクス的すぎて違和感を覚える個所がある。また、まず主体の「抵抗」ありきで議論がなされている感がある。
・授業や教育への「抵抗」の形態をアップル(1982)やウィリス(1977:『ハマータウンの野郎ども』)は描くが、これらは授業を受けることの拒否であり、授業中に別の学習をするという「内職」形態は描かれていない。ここに注目することで自分の研究を立てられるのではないか。

2011年3月9日水曜日

言い訳

世の中、何かの言い訳が多い。
傘をさしても雨には濡れる。これは傘をさすということを言い訳として利用している。つまり「あの人は傘をささない馬鹿な人」と思われないようにするための言い訳なのである。

2011年3月7日月曜日

樫村愛子(2009):『臨床社会学ならこう考える 生き延びるための理論と実践』、青土社。

・恒常性/再帰性というキーワードについて。
「精神分析が示しているのは、再帰性そのものが恒常性に常に依存しているということであり、恒常性を食いつぶしてしまえば、再帰性そのものが破綻してしまう。(…)それゆえネオリベ批判において、精神分析が掲げる、恒常性の必要性ついての議論が欠かせない。しかし一方、再帰性はギデンズの言うように近代の条件であり、セラピーも再帰的主体の契約によって行われるものであるので、再帰性という問題圏は外すことはできない。恒常性の復活(藤本注 これが新保守主義など)や手直しのために再帰性がむやみに抑圧される方法はよいわけではない。(…)それゆえ、再帰性と恒常性の関係をどう構成していくかが重要な課題となる」(21-22)

「ドラッグは少し前まで若者にとってマイナーな存在であった。しかし現在のフランスでは若者に広く浸透している。2002年の調査では、17-18歳の若者全体の50.9%がcannabis(大麻)の経験がある。teuf(注 フランスのメディア社会学者ダニョが調査した、飲んで騒ぐという若者の文化の隠語)では、みんながいろいろな酒やドラッグを試していて、比較的(注 「に」を入れた方がいいと思われる)その特質を語るのが議論の大きなテーマとなっている」(218)

・1910年代のアメリカにおける「教育の現代化」改革について。
「学校は企業と比較され教育者は「組織人」とみなされる。「学級運営」という発想はここから生まれ「教育管理」は教育の効率性の評価のために評価の数値化を要請する。アメリカの心理学者たち(ビネー等)が知能テストや学力評価尺度を開発していったのはこのような歴史的背景のもとでである」(287)

「デューイ的公共哲学観に依拠するジルー(1992)は、公共性を他者に対する積極的な関与を意味するものと考えるが、ここでさらに現代的状況からいえば公共性は社会が個人化し社会が解体する時代において個人と社会の間の「mediation(媒介領域)」として設定することができるだろう。「mediation(媒介領域)」とはその中での自由なやりとりや思考錯誤を可能にするものであり、現実との関係をいったん留保しながらそれを考察し作っていく、先の幻想空間でもある」(294)

「文化がmediationの場となり社会的介入が個別的になされるような社会とは基本的に一定の水準以上の再帰的な個人(次に見る「人間資本」)を前提としているわけであり、その水準に満たない人々にはますます無意識的欲望の暴走とその困難が予想されるだろう」(301)

ボットと人工知能

 科学の夢は人工知能を持ったロボットである、という。意識を持ったロボットを作る上で重要なのは、あまり言われていない点であるが、人間が「これには意識がある」と認識するということである。意識とは客観的なものではない。ある人物によって意識の存在が事後的に確認されるのみである。
 ツイッターのボットには、本物の人間が書いていると錯覚することがある。このときこのボットは誰かによって意識があると認識されているわけだ。その意味ではすでに意識をもったろぼったが存在するということができる。
 この可能性を認めないことは恐ろしい結果を招く。誰かがツイッターでわけのわからないツイートをする(それは障がいゆえにそう書かざるを得ないのかもしれない)際、誰かが「これはボットだ」と認識する。このときツイートした人物の意識はないものとして扱われる。人間を非人間として扱う結果になるわけだ。
 ガーフィンケルらの『エスノメソドロジー』に「Kは精神病だ」という記事がある。あるKという人物が、友人の語りの中で精神病にさせられるプロセスを描いたものだ。精神病の社会的構築をいう意図のある論文だが、これと同様のことはツイッターをめぐる本稿の内容にもつながる内容であろう。

2011年3月4日金曜日

テキスト論で読む小説『エミール』

テキスト論で読む小説『エミール』

 ルソーの書いた教育小説『エミール』は、終始エミール少年の家庭教師の目線から書かれた物語である。これを一種の教育実践記録として読むとどのような読解が可能かを少し試みたい。
本書『エミール』では教員のみが語ることを許され、エミールの発言は教員によって記録されたもののみが残る。エミールには自由に発言することが許されなかった(発言してもどうせ教員の選んだ言葉・教員がきれいに解釈した言葉しか残らない)。小説内には掲載されていないだけで、実際のエミールは教員に相当反発をしていたのだと考えられる。小説『エミール』の世界では、教員が生殺与奪の権を持っている(窓ガラスを割ったエミールが凍える寸前までいくことからして、文字通りの意味を持つ)。教員の想定したルートを通らない限り、エミールは記録されることも物語ることもできない(消極教育を謳った小説『エミール』内の実践が、実は教員のこまかな計画のもとに行われていたとの指摘はかねてより多く存在する)。教員の教育計画上の予想通りに行かない場合、小説内では教員の失敗ではなく、エミール自身の失敗として処理される。
考えてみれば、小説『エミール』の成立する環境自身、異常なものである。エミールは田舎の一軒家に、両親から切り離され、尊敬を要求してくる教員と、二人だけの生活を幼少のころから押し付けられてきた。教員が幼児性愛者・同性愛者であった場合、エミールは記録されないが数知れない虐待を受けていた可能性が考えられる。教員が仮に変態性愛者であると考えた場合、小説『エミール』の持つ意味は変わってくる。エミールへの性的虐待の疑いをかけられた(実際に虐待しているかもしれないが)教員が、自分の正当化(言い訳)のためにエミールとの「関係」を美しく整理・記録・公刊した実践記録であった可能性が出て来るのだ。
ブルジョア家庭しか家庭教師を雇えない時代に、エミールは幼少時より家庭教師を付けられて育った。実家は相当な財力を持っているわけだ。しかし教員の教育の成果は、エミールを手工業者に変えただけであった。実家を継ぐという話も、「帝王学」を学ぶという話もいっさいなく、小説後半では両親・実家の姿が完全に消えていく。両親も実家も健在である場合、(a)エミールが教師にさらわれたと考えることも、(b)エミールが教員になつき実家を捨てたと考えることもできる。が、(a)・(b)両方とも我々の眼には不幸な出来事して読み取ることができる。家庭教師の自己認識的には最高の教育をおこなったはずであった。泥棒から貴族まで、教え子が望む生き方ができるようにする教育を、教員がエミールに与えたはずであった。その結果が自営業の手工業者とは、なんともお粗末な実践であったと言わざるを得ないのではないか。

実は『エミール』には続編が執筆されている。続編の『エミール』は教員ではなくエミール目線から書かれた書簡形式の小説である。恋人ソフィーとの苦い別れと教員への一応の感謝が述べられている。先ほどの実家との関係は、やはり文書として登場してこない。形式上、文書中ではエミールはこの書簡を出すかもしれないし、出さないかもしれないと留保して記録している。
この書簡をエミール少年自身が書いたと見る場合、①手紙を元教員に届け、元教員が公表したという見方と、②エミールは元教員に書簡を出さなかったが内容を公開した場合の2つのケースが想定される(読者の目に私的な書簡がさらされているということは、誰かが何らかの意図を持って公刊したというわけだ)。①の場合、書簡中の教員への賛辞は文字通りの意味をもつ。純粋にエミールは教員に感謝しているのだ。本書簡を読者が読めるのは当然①か②の手法によりどこかに公開されたためであるが、①の場合は教員の教育実践の最終的成功を暗示する内容になっている。
②の場合、話は逆になる。エミールは確かに教員に手紙を書いたのだが、教員に届けることを選らばなかった。教員への感謝の念も記された本書簡を届けたくはなかったのだ。けれど本書簡は公開され、読者は『ルソー全集』に収録されたものを目にすることができる。とすれば教員への感謝の念は本物ではなく、あくまで儀礼的に書いたものであるという読み方ができる。わざわざ本書簡を公開するということは、教員に届けるつもりではなく、形式的に書かれた教員への賛辞を世に示すことで結果的に家庭教師の教育実践の最終的失敗を示しているのである。エミールの復讐ともいえる。先に挙げたようにエミールが性的虐待を受けていた場合、教員への異議申し立ての意味合いがあったのだ。

補足

無論、これを矢野智司の「贈与」枠組みで説明することも可能であろう。「私」ことエミール自身が家庭教師の教育=贈与をあえて否定することで、自己の生き方を構築するという意志のあらわれを見てとることができるからだ(むしろ石原千秋の『こころ 大人になれなかった先生』の図式に近い)。

あるいは私はルソーの専門ではないのでわからないが、あまり有名でない『エミール』続編をルソーが実は公刊せず、手元に原稿として残っていたものを後世の研究者が整理して発刊したのかもしれない。その場合、積極的意図なしでエミールの書簡が公表されたという結果となる。その場合、①と②の図式が崩れてしまうことは言うまでもない。

2011年3月3日木曜日

授業中の内職の持つ意味 軽い考察

 Second bestとしての内職。授業中に「内職」によって学習を行うということは、自習室で学ぶよりも恐らく困難な行為であると考えられる。内職に関するアンケート調査より、教員に隠れて行われる内職が多く存在することが読み取れるためだ。人間の集中する能力から考えると、内職は一人で学習するよりも困難になる。
 しかし、内職は現になされている。教室から出て行き、別の場所で学習をする選択はあまり取られていない。それは内職という次善の策で納得/満足するようになっているからだ。竹内の図式で言うと縮小cooling-downになる。
 内職は自発的にやるものであると言うことは、アテネ(2001)に現れている。授業が自分に役に立たないと認識される場合、授業時間と授業空間を有効に活用するために生徒は内職を行う。これは自発的である分、自らが選択したことになり次善の策であっても納得をせざるを得なくなる。次善を選ぶという縮小作用は能動性が伴うからこそ冷却となるのである。なお、この図式は竹内洋が『選抜社会』で記録した内容でもある。納得の構造が内職において成立していると言える。
 生徒が内職を行っても、ゴフマンがいうように最低限の敬意を表していることは否めない。生徒にとってはあくまで授業を乗り越えるため・受験勉強を行うためという選択になるが、教員にとっても内職をされることで少なくとも教授行為自体は成立した構図が維持される。また、受験勉強を進めることになるため学校側も進学実績を入手することができる。内職は教員ー生徒双方に有効な戦略であったのである。