2010年3月28日日曜日

大学生がアルバイトをするのは何のためか?

 最近、新聞で「いま大学生に貧困が増えている。仕送りも3割減っている」「だから、アルバイトをする学生が増えている」、との報道を目にする。前段は「まあ、そうだな」と私は思うが、後段の記述には「本当か?」と思ってしまう。
 確かに大学生に貧困が増えているのは事実だろう。けれど学生がアルバイトをするのは決して貧困だけが理由ではない。社会勉強のためであったり、人間関係構築のためであったりするのだ。

 それを知るために、私は主にTwitter利用者を対象にアルバイトに関する意識調査を行った(設問は文末参照)。回答数は30(2010年3月28日23:30現在)。インターネット上で行った点と、母数が少ない関係で優位差が得られているかには問題があるが、大まかな傾向をつかむことはできるだろう。

 回答者は大学生が21名、院生が3名、社会人が5名であった。合計29名のうち、アルバイトをしたことがあると答えたのは29名全員であった。
 アルバイトを行った動機の各項目を見てみよう。なおこの項目は複数回答可能であった。

「生活費や学費を稼ぐため」18
「趣味にお金を使うため」20
「アルバイトで自己実現をするため。社会勉強のため」8
「ただ何となく。暇だから」6
「その他」6

 回答者に貧困層が少ないのかどうかは不明であるが、「生活費/学費」よりも「趣味にお金を使うため」の回答数の方が多い点が興味深い。「自己実現/社会勉強」8という点も面白いが、「何となく/暇だから」の回答が6もある点も印象的だ。

 次に「その他」の中身を見ていく。

①周りがしてたので
②他大学の知り合いが増える
③親から自立するため。
④人間関係構築のため。
⑤所属している学生団体の活動に使うため。最も多額だったのは、台湾へのスタディツアー。
⑥友達、恋人作りのため。
⑦まわりが「アルバイトしてる?」と聞いてくるので、「自分もアルバイトしないとな…」と強迫観念にかられたため。 

※「その他」を選ばずに本項目を記述した人もいるので、記述は7つになる。

 幅広い人間関係をつくるため(①②④⑥)という回答と、特定の目的実現のために費用を稼ぐため(③⑤)という回答が目立つ。⑦の「強迫観念」というのは、設問3の「何となく/暇だから」に通じるものがある。

 本調査から言えることとして、新聞報道にあるような「大学生がアルバイトをするのは貧困が増えているから」とは言い切れない、ということである。その点がより鮮明になったということが上げられるであろう。
 


 反省点としては設問2に「社会人の方は大学生/院生時代のことを思い起こして回答ください」と書き忘れた点と設問3に「複数回答可能」と書くことを失念していた点が上げられる。また母数自体も少なく、設問3の各項目もベストと言える項目のカテゴリ分けではなかった。

●参考 アンケート項目一覧
 アンケートはアンケートフォームクリエイターhttp://enquete.web-pr.net/index.htmlにて作成。

質問1あなたは学生ですか?
回答大学生です。
(21)
大学院生です。
(3)
社会人です。
(5)
高校生です。
(0)
質問2あなたはアルバイトをしたことがありますか。
回答はい
(29)
いいえ
(0)
質問3「はい」と答えた方に質問します。アルバイトを行った動機はなんですか?
回答生活費や学費を稼ぐため。
(18)
趣味にお金を使うため。
(20)
アルバイトで自己実現をするため。社会勉強のため。
(8)
ただ何となく。暇だから。
(6)
その他。
(6)
質問4「その他」と答えた人にお聞きします。あなたがアルバイトを行った動機は何ですか?
 

原ひろ子『子どもの文化社会学』(晶文社、1979)

 我々は教育というものはあらゆる人間社会に普遍的に存在するものである、と考えている。本書はヘヤー・インディアン社会をもとにして、人々の思い込みを打ち砕いてくれる。
 ヘヤー・インディアンの話すヘヤー語には「だれだれから習う」「だれだれから教えてもらう」という表現が存在しない。

ヘヤー・インディアンの文化には、「教えてあげる」、「教えてもらう」、「だれだれから習う」、「だれだれから教わる」というような概念の体系がなく、各個人の主観からすれば「自分で観察し、やってみて、自分で修正する」ことによって「○○をおぼえる」のです。(180頁)
 彼らの世界には「教えてもらう」ということはなく、「自分で学ぶ」ことしか存在しないのだ。狩猟の仕方も皮のなめし方もカヌーの作り方も、大人がするのを見て自分で試行錯誤して学ぶ。自律的・自発的・能動的な学びが実現しているのだ。
 現在の日本社会では、この自発的な学びが無くなり、「他律的・強制的・受動的にさせられる行為に転化していく状態」(イリイチ『脱学校の社会』)となっている。言葉をかえれば、「学習のほとんどが教えられたことの結果だ」(『脱学校の社会』32頁)と勘違いをしてしまっている。教えられない限り学ぼうとせず、逆に「自分で学ぶのは危険だ」というメンタリティーになってしまう(通信教育が溢れているのは「自分で学ぶのは危険だ」との思想の表れであろう)。この日本の状況を原は次のように説明する。

現代の日本を見るとき、「教えよう・教えられよう」という意識的行動が氾濫しすぎていて、成長する子どもや、私たち大人の「学ぼう」とする態度までが抑えつけられている傾向があるのではないかしらという疑いを持つようになりました。(175頁)
 まさにイリイチが批判した「学校化」が日本で起きているのだ。原は日本社会をみて《子どもも、青年も、「教えられる」ことに忙しすぎるのではないかと思うようになりました》(201頁)とも書いている。本来、「教える」のは一人で生きていける/一人で学んでいけるようにするために行う行為であった。けれど、「学校化」され「制度化」された日本社会では皆が「教えられる」ことに忙しすぎるようになってしまっているのだ。だからヘヤー・インディアンのように「学ぶ」ことを重視した生き方が必要ではないか、と原は提案している。

 最後に、私にとって興味深かった点を紹介しよう。

「教える」、「教えられる」という概念がない、ひいては「師弟関係」などが成立しないという、このヘヤー文化の基礎には、「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という大前提が横たわっているのです。ここどえは、親といえども子に対して指示したり命令したりすることはできない、と考えられているのです。人間に対して指示を与えることのできる者は、守護霊だけなのです。(187頁)


漫画『ONE PIECE』は何故これほどまで支持されるのか。

 橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)。そこには「1960年代後半の自由論」として漫画『あしたのジョー』が取り上げられていた。「矛盾を引き受けて『燃え尽きる』ことに『自由』を見い出し」、「真っ白な灰になる」(101頁)ことの美学が、その当時の「自由論」であるとまとめられている。

 社会学では流行している文化から、その社会の特徴を見いだす手法をとることがある。1960年代後半が『あしたのジョー』という漫画に象徴された歴史であったならば、いまを象徴するものは何か? 
 私は『ONE PIECE』であると思う。

 『あしたのジョー』は一匹狼・矢吹ジョーの物語である。それに対し『ONE PIECE』のルフィは、シャンクスや海賊への「あこがれ」を持ち、仲間を集めながら冒険をする。友情がテーマとなり、友人のために熱く戦う物語が展開される。
 一人自分と向き合うジョーに対し、『ONE PIECE』の中では友達を大事にする・協力をするということの重要性が描かれている。この協力や友情をテーマとする漫画が多くの人々に支持されるのは、時代が要求する価値観を描いているためではないだろうか。
 
 「リストラ」が騒がれはじめた90年代後半に連載がはじまった『ONE PIECE』。勝間和代的「インディな生き方」がもてはやされる現在でも人気がある。私のサークルやボランティア先では、来週の『ONE PIECE』がどうなるかを心待ちにする人々が一定数存在している。まさに『あしたのジョー』と同じ展開の仕方だ。ジョーの戦いに、多くの日本人が狂喜乱舞をしていた。ジョーの姿に、自分の姿を見た。いま、『ONE PIECE』のルフィ達に共鳴をする人々が多いということは、ジョーと同じくルフィ達に自分の姿を見ているのだろう。

 核家族やセパレート化・孤独など、いまの社会は人々がバラバラになっている。『ONE PIECE』がもてはやされるのは、そんな孤立化する人々が再びルフィ達のような熱いつながりや助け合いを希求している証拠なのではないだろうか。

2010年3月26日金曜日

子どもにとって「夕暮れ」とは何か?

 『学校の現象学のために』には「行き暮れる実在」としての子どもが描かれる。
 映画『家族ゲーム』において一家の弟はノートに「夕暮れ」という文字ばかりを何時間も描き続ける。
 「たま」というアーティスト(たち)は『夕暮れ時のさびしさに』を歌う。少年時代の思いも込めて。

 この三つは「夕暮れ」ということをテーマに共通点を持っている。そしてこの共通点は3つの作品にかぎらず、少年一般に言えるのではないか。つまり、少年は(そして少女は)「夕暮れ」を志向するものではないだろうか。昼と夜の間という不安定な時間。不安定ゆえに心惹かれるものがある。もっと遊びたいのに、「もう5時だ、家に帰らないと」という思いにかられる。「夕暮れ」には少年にしか感じられない特異な思いが存在するのだろう。
 『夕暮れ時のさびしさに』のように、夕暮れは不安で、寂しい時間。子どもから「夕暮れ時のさびしさ」を奪うのが塾や制度的習い事や少年野球(あるいはサッカークラブ)である。子どもだった私は夕暮れ時には自分をさらいにくるモンスターがいるように思えていた。
 子どもにとって不安な時間帯である「夕暮れ」どきを、大人が奪っているのではないだろうか。「たま」が『夕暮れ時のさびしさに』を歌うのも、『家族ゲーム』の少年が「夕暮れ」でノートをいっぱいにするのも、奪われた「夕暮れ」への郷愁があるからではないか。

 『家族ゲーム』の松田優作演じる家庭教師は少年の「夕暮れ」のノートを見て、少年を殴る。「夕暮れ」を志向する少年は否定され、現実に立ち返るのだ。これが一般的ならば、奪われた「夕暮れ」を誰が少年に与えてくれるのだろうか。
 

都庁より

都庁の看板。まだ東京オリンピックの招致組織がある。

少年のび太が「ドラえもん」にサヨナラする日

 子どもは無根拠に「自己全能感」をもっている。その象徴がドラえもんだ。「自分は何でもできる」、それは「あんなこといいな/できたらいいな」の世界である。子どものような「自己全能感」を捨て(あきらめ)る、つまり「自分は何でも出来る」という思いを失うことが「大人になる」ことではないか。
 少年のび太が成長するには、全能感を捨てることが必要だ。そして「にもかかわらず」に生きれるようになったとき、のび太は大人になることができる。
 マンガ『ドラえもん』は、ドラえもん(という「自己全能感」を与える存在)を不要にするプロセスを描いたマンガなのだ。
 内田樹もいうように、「自らの存在を不要にする」行為を続ける人は美しく見える。ドラえもんが少年のび太の成育史において一時の輝きをもつのは、ドラえもんという「全能感」を与える存在がやがてなくなることを、子どもたちが薄々感じているからだろう。
 我々はドラえもんのいない日々を生きざるをえないのだ。自己の万能感を捨て、社会システムの構成員として日々を過ごす。
 宮台真司が言っていたが、キリスト教における「隣人愛」の本当の意味は、〈親を捨て、友も捨て、隣人を捨てて、それでも「他者」を愛する〉潔い魂の姿勢のことである。

 少年のび太が成長するには,やがてジャイアンやスネ夫のいる地域の少年コミュニティや「兄弟」や「全能感」(「兄弟」と「全能感」はドラえもんのもつロールモデルである)を捨てなければならないのだ。
 石原千秋も言っているが、大人になるとは誰かを/何かを精神的意味で殺すことであるのだ。これを無事に行い、大人になったのび太はドラえもんや地域コミュニティでの懐かしき日々を「あんなことも、こんなこともあったな」としみじみ回想することができるのだ。輝かしい日々は一瞬の命を持つ。ドラえもんとの日々に、「止まれ時間よ、お前はあまりに美しい」と叫んだファウストこと少年のび太は、我に返り、いつもと同じ会社勤めを行う。子どものノビスケにドラえもんとの思い出を語るのが趣味となっているのである。
 「あんなこといいな/できたらいいな」。その夢にあきらめを感じる時、そのときこそ我々がドラえもんを卒業する時である。

 ドラえもんの存在は、自らを不要にするためにある。けれどそれをしたくないため、ドラえもんはのび太を甘やかす。「しょうがないなあ」と言いつつ。あるいは無意識に。ドラえもんは矛盾した存在なのである。それはしかし、教育の不可能生の比喩でもある。
 学校の目的は、子どもが一人で学んでいけるようにする、つまり「社会化」のためにある。けれど「学校化」した学校は、本来個人的営みであった「学び」を、他者に依存させるものに変えてしまう。ドラえもんは自らを必要としてくれる年数が長ければ長いほど、長くのび太と過ごすことができる。
 『ドラえもん』の中で時間が動かないのは、ドラえもんが密かに「無限の日々」を過ごさせる道具を使っているためではないか。それこそ、「終わりなき日常」を永遠のものとするために。映画『うる星やつら ビューティフルドリーマー』も、荒廃した社会でそれなりに楽しく過ごすこと、つまり「終わりなき日常」をヒロイン・ラムが願ったことで成立した物語である。
 けれど我々はそれこそどこかで目を覚まし、「ドラえもんは不要だ」と高らかに宣言する日が必要だ。ドラえもんと違い、人間は「時間」というストックを食って生きている生物だからだ。
 少年のび太がドラえもんに「サヨナラ」する日。それは止まっていた時間が動きだし、のび太が急速に成長し(子どもは段階的にでなく、「一気に」成長するものなのだ)、ドラえもんは寂しさを感じるが少し微笑み、涙を流しつつタイムマシンに飛び乗るのである。のび太が「サヨナラ」を告げるまで、『ドラえもん』は終らない。仮にドラえもんに最終回があるのなら、それはのび太が自分の成長のためにドラえもんに「サヨナラ」を告げる場となるはずだ。
 あらゆる創造は、「別れ」からはじまる。




追記

 ドラえもん研究者の間では、ドラえもん―のび太の「契約関係」は2度結び直されている、という通説がとられる。一度目はセワシが〈できの悪いご先祖を改善するため〉にドラえもんをのび太の元につれてきたとき(コミックス1巻「未来の国からはるばると」)に契約される。それはのび太の合意に関係なく、未来の子孫が一方的にドラえもんと言う世話人をのび太に引きつけるという契約であった。
 2度目の契約。それは6巻「ドラえもん、帰る?」において未来に戻ってしまったドラえもん(「どうしても未来に帰らないと行けないんだ」とドラえもんは語る。セワシに何かあったのだろうか)の次の話が舞台である。7巻「帰ってきたドラえもん」において契約が結ばれる。それは「ウソ800」というウソが本当になると言う道具を使い、のび太は「ドラえもんは、もう戻ってこないのだ」という「ウソ」をつぶやく。それにより、ドラえもんは戻ってくるということになるのだ。このとき、ドラえもんーのび太の関係にセワシは介在していない。そのため、「帰ってきたドラえもん」以後のドラえもんはのび太の「兄弟」「友達」として描かれる。それ以前は「世話人」というドラえもん像なのだ(一部例外の箇所もある)。
 よくいわれる点だが、大長編ドラえもん(要は映画のことです)はドラえもんの「全能」を否定する所からはじまる。役立つ道具がなかったり(『大魔境』)、ポケットが無くなったり(『夢幻三剣士』)、ドラえもんが壊れたり(『雲の王国』)様々なことが起こる。ドラえもんの映画を始めるには、全能の神であるドラえもんをどこかで否定しなければならないのだ。
 これはのび太の人生においても同様である。のび太の物語は、『ドラえもん』では無時間モデルで描かれる。のび太はいつまでも小学校4年生のまま(アニメでは5年生のまま)いつまでも成長しない。この物語を再び動かすには、大長編を始めるのと同じプロセスが必要だ。それはドラえもんの「否定」である。




 

2010年3月23日火曜日

まず自分が楽しもう、元気になろう。

 村上龍の書いた『「教育の崩壊」という嘘』(NHK出版、2001年)を読んでいる。
 そこに心理カウンセラーの三沢直子との対談が掲載されている(厳密には妙木浩之もいるため鼎談である)。次に引用するのは三沢の発言だ。

子供が生まれると必死になって自己犠牲的にやらなければいけないんじゃないかという気持ちにとらわれてしまうのです。(…)「目から鱗」だと思ったのは、いくら献身的に親がやっても、それで鬱々としていたり、つまらなそうな顔をしていたりするのを見せるのは決して子供にとっていいことではない、ということです。自分の人生をもっていて、人生は生きる価値があるんだ、楽しいんだというモデルを示すことこそ大事なんだと言われて、そうなんだよなと、もう一度思い直したんです。(153~154頁)

 そのために三沢は「2年ぶりに映画に行き、3年ぶりにコンサートに行き、7年ぶりに海外旅行」に行く。1週間のニューヨーク旅行から帰ってきたとき、子どもは「お母さんはお姉さんのようになって帰ってきた」と言った。生き生きとして、楽しそうな姿から子どもはこのような発言をしたのであろう。旅行で母が不在の間は寂しくても、「お母さんが生き生きとしてくれるならば行ったほうがいい」と子どもが語ってもくれたそうだ。
 
 この部分からは子育てだけではなく、人生の智慧についても読み取ることが出来る。自分が楽しんでいないと、まわりも楽しくなくなる。たとえばレストランのウェイターがすごく不機嫌に働いていると食事も不味くなるが、すごく楽しそうに働いているとき味も良くなるように思える(マクドナルドのハンバーガーがいくら不味くても食べられるのは、店員さんが笑顔だからだろう)。

 自分自身が楽しく生きていないと、子どもを育てたり、人を励ましたりすることができない。
 「つらいけど、頑張ろう」というのは禁句にして、まず帰り映画館に行って「自分が楽しむ・元気になる」ことを優先すべきではなかろうか。

2010年3月22日月曜日

本日の読売新聞から

本日の読売新聞から。

高校段階での「学費未納」問題。

国が個別に補償する/奨学金制度を充実させる/高校無償化を行う以外に、どんな解決策があるだろうか? 民間の緊急貸し出し(マイクロクレジットなど)などはどうだろう?


ともあれ、真夜中の高田馬場ロータリーの「学ばない」早大生を見ていると、「高校に金がないから行けない」人の存在を伝えたいものだ。

今月のプレジデント・ファミリー

相変わらずのプレジデント・ファミリー。

ノートくらい、自由に取らせてあげてもいいのでは? ノート取らずに勉強する人はどうするのか?

2010年3月21日日曜日

終わりなき街の片隅で

終わりなき街の片隅で
僕は小さく息をした
ため息だけが白くなり
どこか遠くへ消えてった

ため息はどこへ行くのだろう?

行方不明のため息が
誰かの口へと入ってく
人から人へと ため息は
リレーの如く連なって
やがてゆっくり溶けていく

2010年3月20日土曜日

これからの時代に必要な知識について。

 昨日、友人たちと読書会。自発的な「学びの共同体」の実践は面白い(逆に言えば、制度的な「学びの共同体」は時に地獄となる)。広田照幸の『教育』をもとに話し合った。
 そのなかに、広田は個人化とグローバル化の教育界の「一つの代案」として、次のように語っている。

第三に、分配に軸足を移した経済システムという前提のもとでは、知識重視型の教育が必要なのではないかということである。(93頁)

 このあと暫く説明が続くが、どのような「知識」を重視すべきなのかという言及はないままだった。この部分を読書会では話し合ったのだが、本稿では私の考えを述べよう。

 これからの時代に必要な知識。それは3R's(読み書き計算)と「学び方を知る」ことだと思う。前に「これからの時代における大学受験の意義」という一文を書いたが、まさに「学び方を知る」ことが必要なのだ。
 時代はどんどん変わる。一之瀬学『誰も教えてくれない[学習塾]の始め方・儲け方』には、自分の指導法に絶大な自信を持つあまり、自分のやり方が時代に合わなくなってもそれに拘泥し、結果どんどん塾が廃れていくという個人塾経営者の話が出てくる。かつて栄光を放った「自分のやり方」に固執する限り、食えない時代になったのだ。「万物は流転する」。ゆえに自分を変革させ続けねばならない。
 変革には何が必要か? それが「学び」である。例えば塾経営者ならばどんな教材を用いえるべきか。どのようなやり方で授業をするか。それらは経営者自身が学ぶことで可能となる(コンサルタントに頼りすぎるのはある意味での「学校化」。自分で何もしなくなり、結局はコンサルタントのサービスを受けることしかできなくなる)。ネットでは情報がある触れている。それらをどう活用して知識を得、生かしていけるか。それらもすべて「学び方を知」っていることによって決まるのである。
 必要なのは学びを実現させる学びの方法論を習得することである。
 注意すべきは、「学び」は強制的に行わせるものではないということだ。イヤな人は別に無理して学ばなくてもいい。けれど、「学ばない」人間が生きにくい世の中になっているため、少なくとも「学び方を知る」ことだけは皆が習得していなければ、路頭に迷う人々が出てくる。
 ボボスという生き方について、橋本努の『自由に生きるとはどういうことか』に描かれている。

その特徴を一言で言えば、文化的な創造を求めてあらゆる努力を惜しまない人々、ということになるだろう。ボボズは「創造としての自由」を人生最大の価値とする。(220頁)

 「創造としての自由」を求める彼らは、常に自分を磨くこと/向上させることに余念がない。フィットネスやスポーツだけでなく、学習もひたすら行う。その結果、ボボスは新たなエリート階級になろうとしているのである。
 
 これからの時代、「学び方を知る」ことの意義が一段と高まっていくことであろう。


2010年3月18日木曜日

イェーリング著、村上淳一訳『権利のための闘争』(岩波文庫、1982)

 かつてシェイクスピアの『ヴェニスの商人』を読んだ時、はっきりいって≪血を出さずに肉だけを1ポンドきっかり切り取れ≫と裁判官に言われたシャイロックが、気の毒で仕方なかった。そのため、イェーリングがシャイロックの弁護にあたる論理を展開している本作は、非常に興味深かった。

このユダヤ人(石田注 シャイロックのこと)は権利を騙し取られた、と言ったのは私の言いすぎだったろうか? むろんこれは、人道のためになされたことである。しかし、人道のためであれば不法は不法でなくなるものであろうか? かりに神聖な目的が手段を正当化するとしても、なぜそのことを判決の中で行わず、判決を下したあとで行ったのであろうか?(18頁)

 「権利を騙し取られ」ることに対し、イェーリングは注意を促している。

何の苦労もなしに手に入った法などというものは、鸛(こうのとり)が持ってきた赤ん坊のようなものだ。鸛が持ってきたものは、いつ狐や鷲が取っていってしまうか知れない。それに対して、赤子を生んだ母親はこれを奪うことを許さない。同様に、血を流すほどの苦労によって法と制度をかち取らねばならなかった国民は、これを奪うことを許さないのである。(41~42頁)

 日本国憲法は別名「権利のカタログ」。あらゆる権利が突然認められた。そのため日本人にとって権利は「何の苦労もなしに手に入った」ものである(昔からこんなことをいう人って結構いますね)。ゆえに自己の権利は簡単に奪われてしまう。
 そのため、イェーリングは「権利のための闘争」を行え!と叫ぶのであるが、それは別にクレーマーになれ、ということを意味しない。

自己の人格を害するしかたで権利を無視された者はありとあらゆる手段で戦うのが、あらゆる者の自分自身に対する義務なのである。そうした無視を黙認する者は、自分の生活が部分的な無権利状態に置かれることを認める結果[権利能力の部分的放棄]となるが、そんなことにみずから手を貸す自殺的行為は誰にも許されていないのだ。(52頁)

 「自己の人格を害する」時に、「権利のための闘争」を行うべきなのだ。
 現在、私はフリースクール全国ネットワークのボランティアをしている。そのネットワークの中でオルタナティブ教育法という法律案の作成が続いているが、これもフリースクールに通う子どもたちが「自己の人格を害」されているからこそ、作成するものなのだ。不登校というだけで付きまとう「ダメな人」という視点、行政側から何のサポートもなく教育を自費で受けるという点えとせとらetc。こういう「権利のための闘争」は積極果敢に行っていかねばならないはずだ。

 本作のラストはゲーテの次の文章の引用で締められる。

智慧の最後の結論は斯くの如し。
自由と生を享受して然るべきは、
日々それを勝ち(石田注 原作だと旧字体)得ねばならぬ者のみ。(140頁)

 〈自由になろう〉とする者のみが、自由になることができるのである。同様に、権利を勝ちとるために戦う者のみが権利を勝ち取れるのだ。
 権利とは誰かに与えられるものではない。自分の力で、勝ち取るものなのである。かつて、高校現代文の教科書に『「である」ことと「する」こと』(岩波新書では『日本の思想』に掲載されています)という丸山真夫の文章が出ていた。その結論は、≪権利を行使「する」ことなく、権利者「である」ことに安住すると、自分の権利がなくなってしまう。ゆえに権利のためには常に権利を行使し続けないといけない≫というものであった。おそらく丸山も『権利のための闘争』を参考にしてこの文章を書いたのであろう。

プレジデントファミリーの気持ち悪さ

私はプレジデントファミリーという雑誌が好きになれない。中学受験ありきの話しかしないからだ。あとは「子どものやる気を引き出す」など、親による子どものコントロール欲を感じてしまう。

城山三郎の小説『素直な戦士たち』。東大にいくことを至上目的とする母親に振り回される子どもたちの姿と彼らの反乱が描かれる。

プレジデントファミリー読者の将来が、こうならないとは誰も断言できないであろう。

塾という教育の場(トポス)

 一之瀬学『誰も教えてくれない[学習塾]の始め方・儲け方』(ぱる出版、2007)読了。 
 塾経営の難しさを知る。

 そこにあった一文。

この経営者は、そのノウハウが時代に合わず、通用しなくなったからこそ、生徒が減り続けているという現実には気づいていない。錆付いた過去の栄光にしがみつき、それを手放そうとしないからこそ、経営がうまくいかなくなっているのに、である。これは塾だけでなく、どの業種でも成功した個人事業者が最も陥りやすい自己過信の弊害である。(208頁)

 現実に対応し続けることの大切さを思う。
 塾は、学校のサブとして捉えられる。だから塾で成績があがっても、表立ってあまり感謝されない。塾はいつでも「成績を上げるためのツール」としてしか捉えられないのだ。塾特有の寂しさを感じる。けれど、一之瀬は次のように語る。

子供たちとの接点は、ほんのわずかであっても、その一瞬にすべてを注いでいく。しかも学校とは違って、明日にはその子は辞めてしまうかも知れない。だからこそ、今という瞬間を絶対にムダにはできあに。それが塾の現場だ。
 たとえ一瞬でも、たとえお礼の言葉をかけてもらえなくても、人生のほんのわずかな時間的空間を共有できたことに感謝したい。いつか、一人ひとりの心に蒔いた種が、小さな花を咲かせることを願って。(197頁)

 一期一会の出会いを大切にし、生徒と相互行為(社会学的な言い方です)を結べた一瞬の輝きを大切にする。塾経営者が大事にする視点だろう。塾という教育の場(トポス)で現実に教育を行い続ける筆者の熱い志が感じられる。ぜひお会いしてお話をしたい人だ。

 この本からは塾業界での成功の仕方と言うよりも、「プロフェッショナル論」を教えられた。
 

2010年3月17日水曜日

イリイチ著、渡辺京二訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989年


人々は、エネルギー奴隷に頼るのではなくおたがいに頼りあうことをふたたび学ぶ場合にのみ、よろこびにあふれた節制と人を解放する禁欲の価値を再発見するだろう。(24頁)

自立共生的道具とは、それを用いる各人に、おのれの想像力の結果として環境をゆたかなものにする最大の機会を与える道具のことである。(39頁)

教育が競争しあう消費者を生みだし、医療は、消費者が要求するようになった工学化された環境のなかで彼らを生かし続ける。官僚制は、人々に無意味な仕事をさせるためには社会的に管理する必要があることの表れである。(87頁)

環境危機の唯一の解決案は、もし自分らがともに仕事をしたがいに世話しあうことができるならば、自分たちは今より幸わせになるのだという洞察を、人々がわけもつことなのである。(93頁)

学校は、学ぶことを教育と定義しなおすことによって、学ぶことへの根元的独占を拡張しようとしてきた。人々が現実について教師がくだした定義を受けいれるかぎり、学校の外でものを学んだ人々は公式には'無教育'という烙印を捺された。(99頁)

独力でどれほど学ぶことができるかということにとって決定的なのは、道具の構造である。すなわち、道具が自立共生的でなければないほど、教えるという行為が助長される。(110頁)

学校は有害でありまったく非効率的であるけれども、その伝統的な性格は少なくとも生徒の若干の権利を護っている。学校という抑制から自由になった教育屋ははるかに効率的でありうるし、猛烈な調教師となりうるだろう。(113頁)

人々は限度内で暮らすことを学ばねばならない。このことは教えてもらうわけにはいかない。生き残れるかどうかは、人々が自分たちには何ができないのかということを速やかに学ぶことにかかっている。人々は、無制限に繁殖したり消費したり使用したりするのを慎むことを学ばねばならない。(125頁)



→教育産業への批判か。


●訳者の文より。

錬金術師が教師と教育学者の暗喩となっていることはいうまでもない。教育の失敗が何度明らかになっても、彼らは失敗の科学的理由を見つけて、ふたたび教育を開始するのである。教育とは絶対に成功することのない錬金術だというイリイチの含意がこめられている。(34頁)

2010年3月13日土曜日

文と理

文と理があたかもずっと対峙してきたように訴える看板。しかし、これは事実だろうか?

ネタとして語ることはあっても、現実として文理が敵対してきたことはない。そうでなければ学問はできないからだ。

2010年3月12日金曜日

山本哲士批判

 山本哲士の本を読んでいると、生きるのが辛くなる。彼の本を読んでいると、つねに権力関係を自覚してしまうからだ。
 例えば、会社の上司に「最近、どう?」と聞かれたとする。山本ならば、これも権力関係であると答えるだろう。「この行為は、現在の状況を聞く立場に自分があるという権力関係を自覚させる。部下に〈自分の行動を上司に報告する義務があるのだ〉と感じさせ、自分で自分を縛るように内部権力を持たせているのだ」という説明の仕方をするであろう。
 しかし、たいていの上司はそんなに大げさなことを考えず、ただスキンシップをとろうとしているだけなのだ。
 教育論の「教師―生徒の権力関係」の話でも、こういう図式が成立することがある。「教師がそこまで考えてないだろうな」という指摘をしている。

 小浜逸郎『学校の現象学のために』を読んで、そう感じた。

「子どもに合わせた教育」論。  

 子どもは人格の完成者ではない。ゆえに「子どもに合わせた教育」を文字通り実践してしまう事は、「合成の誤謬」となってしまう。個人にとって利益のあること/楽しいことの組合せが結果的にその人を不幸にすることがある。
 広田照之『思考のフロンティア 教育』(岩波書店、2004)には、その事例が出ている。教育を自由に選択でき、民族/興味/関心によって違う学校に行く。学校では楽しく/快適に過ごすことができる。

しかしながら、その結果は冷酷である。教育の成果はいずれ労働市場で厳しい判定を受ける。ごく一部のエリート向けの学校へ行った者を除いて、多くの子供たちは、大人になったときに自分に開かれている職業の選択肢が、さほどよくないものばかりであることを思い知らされることになる。もっと魅力的な選択肢は、別の学校や別のカリキュラムを選んだ誰かにすでに専有されてしまっているからである。(…)つまり、「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」というシステムになりかねないわけである。(80頁)
 新自由主義的な教育選択制度というものが、「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」をもたらしかねないことを自覚する必要があるだろう。

*注 このビジョンだが、仮に不登校経験→フリースクールを経験した人たちが特殊な社会を作り出し、そこで生きていくという事も出来るのではないか。フリースクールである東京シューレの出身者などが中心になって、シューレ大学という「学び場」を作った。これをさらに発展させ、不登校経験者のみが入れる社会(コミュニティ)を形成し、そこで生活できるとすればどうだろうか。そのとき、「卒業したらほとんどが大変な人生」の図式を打開できるのではないか。

 むろん、「楽しく」て、「将来役立つ」教育プログラム(あるいはカリキュラム)を作ればよい岳の話だ。けっして両立不可能ではないのだから(森下伸也『社会学がわかる事典』には「学級崩壊をふせぐには、授業に子供が集中できるよう、不必要な身体の拘束を解き、勉強をゲームとして楽しめるような工夫をしてやることが必要である。すべての勉強はもともと遊びから生まれたのだから、それはかならず可能なはずだ」〈174頁〉と、書かれている)。
 しかし、実際にそんな教育プログラムを作るのは難しい。誰にとっても楽しく、将来役立つ単一の学習プログラムを作る事は不可能だ。それは脳科学の発展が教えてくれる。耳から聞いている限り理解できない子どもと、文字では理解できない子ども両方に適合する教育プログラムは存在しないのだ。
 ひとつの方向性としては、個別プログラムによる個別学習があげられる。特別支援学級にそのヒントが求められる。教育実習で私は中学校の特別支援学級の生徒の授業にも参加をしたが、生徒1人と教員とが対面で授業をしていた。ひらがなの読み書き・簡単な英文法についてを個別のカリキュラムで授業していた。このような個別プログラムの設計が、「楽しく」「将来役立つ」学びを実現するのかもしれない。
 前に私の後輩のT君が、〈一人ひとりにあわせた個別教材による通信教育事業〉というアイデアを語ってくれたが、これも一つのモデルとなるだろう。
 しかし、仮に個別学習で教育が可能となったとき、「学校」はもはや必要なのだろうか? そんな疑問が浮かんでくる。社会に「子ども集団」の関わりの場が少ないうちは、その人間関係力・コミュニケーション力をつけるためだけに「学校」があってもよい。無論、「そこにいづらい」子のためのフリースクール的居場所(自宅も含めて)を用意していく意識を持った上で、という話だが。

無用の者

家のそばの看板。

そもそも人が建物に入るのは何らかの用があるためである(泥棒目的も含む)。

ゆえに用のない者は入るわけがない。無駄な看板である。

2010年3月10日水曜日

親の視線

 友人のNと話す。テーマは「なぜ現在の子ども社会には〈空気を読む〉ことが重視されるのか」。

 思想家モンテーニュ。16世紀に生きた彼は、自分に子どもが何人いるか、分からなかったという(アリエス『〈教育〉の誕生』)。その時代、親にとって子どもは「勝手に生まれ、勝手に育ち、勝手にいなくなるもの」であった。
 その後、「教育」が必要とされるにつれ、子どもへの親の視線は強まった。子どもの人数も減り、ついには一人っ子が珍しくなくなった。するとどうなるか? 昔は親の視線は複数の子どもに分散されていた(あるいは親の視線がほとんどなかった)。それが数人、あるいは一人の子どもに集中する。子どもにとって、それは息の詰まる状態。学校でも家でも塾でも、常に親の視線を感じることになる。フーコーも言っているように、「見る―見られる」という関係は権力なのである(生−権力)。
 親の視線を感じる子どもは、つねに「いい子」でいようとする。親に認めてもらうために。この姿勢は、学校でも塾でも子ども社会の中でも内面化される。その内面化された姿の現れが、「空気を読む」という事になったのではないか。

 現在の子どもの生きづらさは、子どもへの親の視線の強化が原因の一つであるように思われる。

2010年3月8日月曜日

駅で騒ぐ老人

 西武線・東村山駅で騒ぐ老人男性を見た。なぜあれほど、電車の来るのが遅れただけで騒ぐのであろうか。 我々は「叫ぶ」という現象を目にし、「あの老人はバカだ、頭がおかしい」と無意識で排除する(向かいのホームで、女子高校生の集団が老人をチラ見し、笑い合っていた)。
 しかし、あの老人がたとえば部落出身で、いままで数限りなく苦悩させられ、その最後の表出(きっかけは電車の遅れだ)が先ほどの「叫び」であったとすれば、どうだろうか? あの老人が在日の人で、やはり差別され続けたゆえの表出が「叫び」であるならばどうか? 
 構造的に、あの老人が騒がねばならないような社会に、日本がなってしまっているのではないか。駅で騒ぐという形での表出しか出来ないほど、構造的に差別されているとすればどうか? その老人のことをヒソヒソ話をして笑い合う社会性が、さらに差別を強化しているのではないか?
 さいきん、言い争いをする老人をよく見かける。暇だから言い争うのかもしれないが、彼らなりの表出(によるカタストラフ)の仕方なのだろうか。彼らを「異質な他者」として許容できる自分になりたい。

アニメの「金持ち」キャラクターと、彼らの学校の関係

 富裕層や指導層の話を書いていると、思い出すのはアニメの「金持ち」キャラクターである。『ちびまる子ちゃん』の「花輪くん」、『ドラえもん』の「スネ夫」等など。何故彼らが公立学校に行っているのか、という点が不思議だ。近くに国立小学校や私立小があれば親は行かせているのではないか。あるいは昭和の匂いのするアニメだから、公立小学校に通っているのではないか。
 『花より男子』の世界はお金持ちばかりの学校。幼稚園から大学までの一貫教育が行われている。ここが舞台になるということは、平成に入ってから連載された漫画であったためだろうか。
 昭和期の漫画では公立での富裕層の「共存」が描かれ、平成期では私立・公立に分かれての物語となるのであろうか。

『君たちはどう生きるか』に描かれたハヴィトゥスの研究

 吉野源三郎が描いた『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982)。解説の丸山真男は「まさにその題名が直接示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」(310頁)と述べる。舞台としては旧制中学で過ごすコペル君とその「おじさん」(「おじさん」と言っても、帝大の法学部出の、20代の若者)のやり取りを描いた小説だ。
 小説自体、非常に面白い。コペル君が友人を助けたり、友人を裏切ったりと多様な経験をして少しずつ成長する様子が読者に伝わってくるからだ。

 面白さの半面、コペル君の過ごす世界のハヴィトゥス(心の習慣。その人が無意識に行う思考形態)や文化水準の高さが気になった。戦前の旧制中学に通うのは、せいぜい13%。費用も高く、高所得者しか通うことができなかった(野口英世などを除いて)。後述する「貧しき友」である浦川君でさえ、油揚げばかりの弁当を食べてはいても、実家は一応家業があり、従業員も雇っている。
 そのため、生徒たち(コペル君とその友人たち)の認識も相当に文化水準の高いものであった。


同級の生徒は、たいてい、有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供たちでした。その中にまじると、浦川君の育ちは、どうしても争えませんでした。浦川君のように、洗濯屋に出さずにうちで選択したカラーをしていたり、古手拭を半分に切ってハンケチにしている者は、ほかには一人もありませんでした。
 神宮球場の話が出ても、浦川君の知っているのは外野席ばかりで、内野席のことは話が出来ません。活動写真(注 映画のこと)だって、浦川君は場末の活動写真館しか知りませんが、同級のみんながゆくところは、市内で一流の映画館ばかりです。銀座などへは、浦川君は二年に一遍もゆくか、ゆかないか、ほとんど何も知っていませんし、まして、避暑地やスキー場や温泉場の話となると、浦川君は、てんで一言だって口をきくことが出来ません。さびしく仲間はずれになっているより仕方がありませんでした。(37~38頁)


水谷君の部屋は、新館と呼ばれている、別棟の中にありました。それは、水谷君のお父さんが、水谷君兄弟のために、新たに建増した、明るい鉄筋コンクリートの建物で、ガラス張りの部屋にでもいるように、どの部屋にも十分に日光がはいるように出来ています。そして、どの部屋からも、眼の下に、ひろびろと品川湾が見おろせるのです。―水谷君のお父さんというのは、実業界で一方の勢力を代表するほどの人でした。方々の大会社や銀行の取締役とか、監査役とか、頭取とか、主な肩書を数えるだけでも、十本の指では足りません。お父さんは、その財力で、水谷君兄弟を、出来るだけ幸福にしてやりたいと考えていました。(146頁)



北見君のうちでは、お父さんが怒ってしまいました。北見君のお父さんは、予備の陸軍大佐でしたが、話を聞くと、北見君を学校からさげてしまうと言い出しました。(…)もし学校がこのまま上級生をほっておくのなら、息子を学校に預けておくわけにはいかないから、さげてしまう。北見君のお父さんは、そういって、学校にどなりこみました。(264頁)

 こういう話を読むと、気持ちが悪くなってくる。うちはどうしようもない下流階級なのだなあ…、という気がしてくるからだ。
 さて、 『君たちはどう生きるか』の世界は、中学に行くのが一握りのエリート、という舞台である。戦後は「大衆教育社会」となる。大学全入時代に入り、「希望すれば大学に行ける」世界が広がった。
 一握りが大学などの高等教育に行く時代、高等教育を受ける側にはある種の責任感があったのではないか。ノーブリスオブリージ的な。皆が大学に行く時代になっても、社会の指導層のエリートはまぎれもなく存在している。先の引用のように、「有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供」は必ずいる。彼らは大衆教育社会になるほうが気楽である。外から見て、自分の出自がばれないようになってきたのだから(昔は旧制中学の制服はエリートの証であった)。大衆教育社会は、戦前の旧制中学に通えるような階層の人間にとっても気楽な社会なのである。

 
 

尾崎豊にいまさらハマる。

 脱学校論(非学校論)が私の専門。卒論はイリイチの『脱学校の社会』で書いた。最近は脱学校論の理論を音楽の面で表現しているものはないか、と探している。論文やエッセイでは読むのに時間がかかる。けれど音楽ならばすぐに理解が出来る(しかも情動的に)。脱学校的考え方を人々の間に流布させる方法として、現存する音楽を活用する形が最も適しているのではないか。
 そんな考えのもと、脱学校論的発想を表現している音楽として「たま」の曲に出会った。彼らの音楽については今までもこのブログで書いてきた。次は誰の曲にしようか。
 カラオケで先輩が「15の夜」を歌うのを聞いたのが、私と尾崎豊との出会いである。聞いたとき、「ああ、ここまで学校への嫌悪感を表した曲があるのか」と感銘を受けた。その記憶を思い出し、尾崎豊の曲をもとに考えていく事にした。
 尾崎は「たま」以上に多くの人々に聞かれてきた。それはよくいわれるように「青春の叫び」を表現した音楽だったから、という理由だけではないように思える。むしろ「学校的なるもの」への人々の不満を、尾崎が代弁したからと言えるのではないだろうか。

 今日読んだ橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書、2007)には、「1970−80年代の自由論」の象徴として、尾崎豊の一連の作品が紹介されている。

尾崎豊が一五歳になった一九八〇年といえば、先に触れたように、中学校では校内暴力が急増し、翌年にはそのピークを迎えていた。前年の七九年には、「偏差値教育」の象徴である「共通一次試験」が導入され、中学生の生活は、極度に縛りつけられていた。中学生の「生徒手帳」には、髪型や服装、あるいは先生や他の生徒に対する態度まで、事細かな規律が記されていた。(138〜139頁)
 実際、この時代は校内暴力を押さえるための管理教育が多くなった時である。教育学の世界では、80年代が校内暴力→管理教育、90年代がいじめ・学級崩壊が騒がれる時代であったとよく説明されている。つまり、尾崎は学校が最も生徒に対し権力を持った時代(管理教育の時代)に生きていたからこそ、はっきりと「学校的なるもの」への気持ち悪さ/嫌悪感を表現できたのではないだろうか。

 今後、しばらく尾崎の歌を脱学校論的に考察していく。
 





追記
●『自由に生きるとはどういうことか』には、次のような気の利いた話が書かれていた。

(石田注 「15の夜」について)この一五歳の少年は、バイクを盗んで走り出すことで、自由になったのではなく、「自由になれた気がした」という自覚をもっている。そこには依然として、逃れられない〈学校的なるもの〉(=管理教育)の存在が横たわっている。(138頁)
 橋本は「〈学校的なるもの〉(=管理教育)」と書いているが、私は〈学校的なるもの〉を「管理教育」ではなく、「学校化」されたものであると認識したい。

教育における「悪」(ワル)の重要性

 『キーワード現代の教育学』(東京大学出版会、2009)という本を読んでいる。そこに「悪―悪の体験と自己変容」という章がある。ここでいう悪とは〈通常、悪が論じられているように「善」や「正義」の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような思考の体験を指す〉(164頁)。筆者の矢野智司は「悪」を「冒険」や「死」・「性愛」・「快楽」などとして認識している。これらは子どもが親に隠れて触れるものであり、予め教育プログラムに規定できないものだ。偶然性というものがつきまとう。

 前にわたしは「教育のための社会」とは?という文章を書いた。そこの結論を、次のように私はまとめた。
「教育のための社会」を、「教育的でないもの、反・教育的なものを排除した社会」という認識の仕方は誤りである。「異質・異様な他者」を排斥することにつながるからだ。
 ということは、「教育のための社会」とは逆説的ながら、反・教育的なものを包摂した社会ということができる。教育のための社会とは、「いい教育のために~~しなければならない」という言葉が存在しない社会、つまり「異質・異様な他者」や反・教育的なものすら受け入れる社会であるといえるかもしれない。
 ここに書いた「反・教育的なもの」とはまさに「悪」のことだろう。「悪」が「悪」である由縁は教育プログラムに設定できないところにある。子どもの冒険は、子どもが勝手におこなうから冒険なのであり、親が「冒険してきなさい」といって行わせることができないものなのだ。
 教育における「悪」の存在の重要性とは、教育者が被教育者(=子ども)の全てを担うことができない認識をするということと同義である。いくら親といえども、子どものすべてを知ることは出来ない。他人なのだから。まして教員が子どもの全てを認識することはさらに不可能だ。であるならば、教育者は被教育者の全てを見ることを諦める必要がある。「悪」の存在の重要性は、教育者がある種の「全てを知ることへの〈あきらめ〉」を知らしめてくれるところにあるのではないか。

「途上国に学校を作る」ことは本当に善なのか?

 よく「途上国に学校を作ろう」というプロジェクトを耳にする。テレビでも、芸能人が学校作りに携わることがある(島田紳助など)。不思議なのは、どの時も「学校を作るのは善だ」という認識に皆がとらわれていることである。
 皆さんの学校経験を振り返ってほしい。学校は本当に素晴らしい所であったか? 私にとってはそうではなかった。自分で出来る内容を、「授業を聴かないで学んでは駄目だ」という無言の圧力ある場所。無理やり、クラスメイトと仲のよいフリをしないといけない場所。途上国に学校を作るとき、子どもの中に今までなかった「学校の持つ気持ち悪さ/苦痛」を与えてしまう可能性も考慮する必要がある。
 個人の内面だけでなく、文化自体も「学校」により消滅していく。例えばアイヌの文化。文字を持たない彼らの文化は、それ故に独自の輝きがあった。文字を学習する場所(つまり、学校)を無文字文化圏に作るとき、文化それ自体の特殊性も消え失せてしまうのではないか。
 フレイレは「学校」によって何年もかけて文字を習得させることを批判した。そんな非効率的なことをしなくても、必要ならば6週間程度の研修だけで識字教育は充分可能である。ゆえに子どもの時に無理して学校で教育を行わなくてもよいのではないか? これがフレイレの問題意識であった。
 したがって途上国支援の文脈で「学校を作ろう」という発想を、私は胡散臭く感じてしまう。日本ユネスコ協会の世界寺子屋運動も、ボランティアレベルでの学校建設運動も、「学校を作ることは善だ」との発想から抜け出ていない。「学校を作ること」の弊害も議論した上で発想しなければ、途上国の自由な子どもを「学校化」させるだけに終ってしまう。

2010年3月6日土曜日

大学と楽しさ

大学と楽しさを並記させる感性。

大学は「楽しさ」を求めて入るところではないと思う。
結果的に「学ぶ楽しさ」に気付くことがあってもいいが、それを大学のカリキュラム的に設定すべきではない。

「楽しさ」なんていう内面的価値を大学の売りにするのは一種の洗脳だ。
大学で個人の見出だす価値は多様でいい。学ばない自由/退学する自由も含めて大学なのだ。

昨日からの卓球の愛ちゃんの中退を巡る騒動を見ていてもそう思う。

I・イリイチ著、渡辺京二訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989


すぐれて現代的でしかも産業に支配されていない未来社会についての理論を定式化するには、自然な規模と限界を認識することが必要だ。この限界内でのみ機械は奴隷の代わりをすることができるのだし、この限界をこえれば機械は新たな種類の奴隷制をもたらすということを、私たちは結局は認めなければならない。教育が人々を人工的環境に適応させることができるのは、この限界内だけのことにすぎない。この限界をこえれば、社会の全般的な校舎化・病棟化・獄舎化が現れる。政治が、エネルギーや情報の社会への平等な投入に関わるというよりむしろ、最大限の産業産出物の分配に関わるのが当然とされるのも、この限界内のことにすぎない。いったんこういう限界が認識されると、人々と道具と新しい共同性との間の三者関係をはっきりさせることが可能になる。現代の科学技術が管理する人々にではなく、政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会、それを私は‘自立共生的’と呼びたい。(ⅹⅴ)



2010年3月5日金曜日

私は、いったい何をしているのだろう?

 私は、いったい何をしているのだろう?

僕は草の茂みで
教科書を探してる
教科書が見つからない
学校にまにあわない
ノートもどっかいっちゃった
先生に怒られる…(たま『学校にまにあわない』)
 私は草の茂みで何かを探しているけれど、見つからない。それは たまの『さよなら人類』の「こわれた磁石を砂浜で ひろっているだけさ」という歌詞と同様、もはや見つかりもしないものを必死に探す姿と言えないか? 磁石で砂鉄は見つかるが、その逆はない。
 
 すぐれたメンバーばかりの集団にいる時、私はひどく疎外感と自己無能感を覚える。そんなとき、私は思う、「いったい何をしているのだろう?」と。見つかりもしないものを探しているようだ。
 これを克服するためには、結局なにかの道を貫くしかないのではあるが、これでいいのかはよく分かりはしない。
 けっこう映画も本も読んできたのに、人と話が合わない。会話が成立しない。そんな「もどかしさ」を感じ続けている(だから夏目漱石『行人』の長野一郎はテレパシーの研究をしていたのか)。全然、客観的には不幸ではない。けれど何故か「もどかしさ」と「俺、だめなんじゃないか」感がつきまとっている。
 前に(昨年9月)そうとう落ち込んだときに『誰かへの手紙』を書いた。あれは、「いま」の自分への「手紙」でもあったのかもしれない。
 「人は分かってくれない」と言うのはカンタンだ。でも、そう思うことは他人を軽視することだ。大事なのは自分の考えや思い・「もどかしさ」を誰かに伝えることだろう。「君」に手紙を送ることだ必要なのだ、という内容の小説。
 こう落ち込んでいる「いま」の私を、何とか乗り越えたいと思う。もう一度、『誰かへの手紙』でも読もうか。

『そんなぼくがすき』考。

(この文章は、タイの卒業旅行中に書いた)

 暑いと、まったくやる気がしない。タオ島の自然は「のんびりやれよ」と言ってくれているようだ。
 何故か昨日から「たま」のいろんな曲が頭の中で再生される。「どうせ歌っても判らないだろう」とタイ人や欧米人の前を通るとき声に出して歌ってもいた。

かなしい夜がすきだから
かなしい朝はきらい
たのしい朝もきらい
そんなぼくがすき

かなしい夜には 腕時計ふたつ買って
右手と左手で 待ちあわせてあそぶ
ネクタイの生えた花壇の前のベンチで待ってるのに
のろまなぼくの左手はひとりお部屋であわててる

 この歌、私の心理描写である。ダメダメな自分。でも「そんなぼくがすき」と自分で言い切る。私もこうして駄文を書き連ねているが、それも「人とぶつかれない」・「深く関われない」という自分だからこそ、書けるものもあるのだと考えている(半分事実で、半分願望)。
 しかし、どこに行っても(タイに行っても)、何をしても、つきまとうのは「私」という自我の問題なのだなあ…。まだ自分と向き合えるだけ、幸せなのかもしれない。


(昨日、私が親と喧嘩したことがないことに気づき、愕然とした。「どうせ、いま怒られてもすぐに東京に戻るし」という親との人間関係の〈あきらめ〉があるようだ)

中学校 公民科教科書に感じる違和感。

 中学生のとき、公民の教科書に違和感を持っていた。現代の日本や世界の諸問題がたくさん羅列された内容。「未来は君たちにかかっている」というようなメッセージが伝わってくる。これに辟易していた。だって、環境破壊も南北問題も僕が何かしたから起きたんじゃないんだもん。先行世代の責任ではないか、と。
 さすがに今ではこのような幼稚な発想はしないようになっている(はずだ)。けれど、教科書の記述に未だに違和感がある。特に感じるのは、少子高齢化がテーマになっている箇所だ。

日本では現在、出生率の低下と平均寿命ののびによって、少子高齢社会に突入しています。(…)少子高齢化は、社会保障のあり方にも影響をおよぼしています。少子高齢化が進むと、社会保険の給付額は増大するのに、働き手が減るので収入の総額はむしろ減ってしまうでしょう。とりわけ深刻なのが公的年金です。(…)給付を現役世代の支払った保険料でまかなう方式では、現役世代に重い負担がかかります。(平成18年発行『新編新しい社会 公民』東京書籍、129頁)

 日本がお年寄りばかりになっている、との話の後に続く年金制度の説明。これを教育の場で扱う時、「自分たち大人のために、社会制度を守ってほしい」という身勝手な欲望を子どもに伝えることにはならないだろうか。別に現代の制度(特に年金制度)はベストなものでない。ひょっとすると最悪の制度かもしれない。「そもそも、この制度は必要なのか」を議論する必要すらあるかもしれない。けれどこのような話し合いもなしに、「みんなはこの制度を支えていくんだよ」と語りかけるのが教科書(または教師)だ。なんだか詐欺のような話である。
 
 前に読んだ吉本隆明と山本哲士の対談を思い出す。

ぼくはたいへん感動して(注 山本の本を)読んだんですが、明日の社会のため、国家のために子どもをどうするのかとか、どうしたら子どもはよくなるのかといったことを主張する教師、教育者などはいなくなったほうがいいんだ。そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだといわれていますね。(『教育 学校 思想』76頁 吉本の発言)
 私も、「そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだ」と思うのである。

追記
●ちなみに、教育社会学において教育の意味合いは非常に単純明快。「選別」と「社会化」である。本文で、「年金制度を君たちが支えていくんだよ」とのメッセージが教科書に込められていることを述べた。当人に気づかれないよう、巧妙に「社会化」を行えるよう、公教育では教育プログラムが組まれている。自分が、さも自由意志に基づいて判断を行ったように錯覚させることができれば、「社会化」プログラムは大成功なのだ。年金制度について誰も疑問を持たないまま授業を終らせることができたら、「社会化」完了なのである。
 

なぜ私は受け身なのか?

 どうも私は「固い話」が好きで、それ以外になるとすべてに受け身(聞き手)になる。会話だけでなく、行動もそうだ。例えば何人かで海にいく時。「自由にしていい」ゆえに何をしていいかわからなくなる。友人とプールに行った時、適切に振る舞えないのが私なのだ(自分が本当にしたいことは、勝手に行えるんだけどね)。何か指示されて初めて動ける。
 なぜ私は受け身なのだろう? それは「一人」になる良さを知ったことによる。一人の良さは、「何もしない」ことを受け入れてくれるところにある。何かを集団でやるのは私の性にあわない。一人で何かをするのが好きだ。

 「たま」の歌『そんなぼくがすき』。これは一人で何かを行い、「かなしい夜」を楽しめる男の明るい歌である。

かなしい夜には 留守番電話を買って
かなしいおもいでを 留守番電話にはなす(…)
かなしい夜がすきだから
かなしい朝はきらい
たのしい朝もきらい
そんなぼくがすき
 固い話は一人で進められる。しかし、集団での「遊び」は何をしていいのか非常に困る。