そんな考えのもと、脱学校論的発想を表現している音楽として「たま」の曲に出会った。彼らの音楽については今までもこのブログで書いてきた。次は誰の曲にしようか。
カラオケで先輩が「15の夜」を歌うのを聞いたのが、私と尾崎豊との出会いである。聞いたとき、「ああ、ここまで学校への嫌悪感を表した曲があるのか」と感銘を受けた。その記憶を思い出し、尾崎豊の曲をもとに考えていく事にした。
尾崎は「たま」以上に多くの人々に聞かれてきた。それはよくいわれるように「青春の叫び」を表現した音楽だったから、という理由だけではないように思える。むしろ「学校的なるもの」への人々の不満を、尾崎が代弁したからと言えるのではないだろうか。
今日読んだ橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書、2007)には、「1970−80年代の自由論」の象徴として、尾崎豊の一連の作品が紹介されている。
尾崎豊が一五歳になった一九八〇年といえば、先に触れたように、中学校では校内暴力が急増し、翌年にはそのピークを迎えていた。前年の七九年には、「偏差値教育」の象徴である「共通一次試験」が導入され、中学生の生活は、極度に縛りつけられていた。中学生の「生徒手帳」には、髪型や服装、あるいは先生や他の生徒に対する態度まで、事細かな規律が記されていた。(138〜139頁)
実際、この時代は校内暴力を押さえるための管理教育が多くなった時である。教育学の世界では、80年代が校内暴力→管理教育、90年代がいじめ・学級崩壊が騒がれる時代であったとよく説明されている。つまり、尾崎は学校が最も生徒に対し権力を持った時代(管理教育の時代)に生きていたからこそ、はっきりと「学校的なるもの」への気持ち悪さ/嫌悪感を表現できたのではないだろうか。
今後、しばらく尾崎の歌を脱学校論的に考察していく。
追記
●『自由に生きるとはどういうことか』には、次のような気の利いた話が書かれていた。
(石田注 「15の夜」について)この一五歳の少年は、バイクを盗んで走り出すことで、自由になったのではなく、「自由になれた気がした」という自覚をもっている。そこには依然として、逃れられない〈学校的なるもの〉(=管理教育)の存在が横たわっている。(138頁)
橋本は「〈学校的なるもの〉(=管理教育)」と書いているが、私は〈学校的なるもの〉を「管理教育」ではなく、「学校化」されたものであると認識したい。
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