2009年8月31日月曜日
「学びの共同体」は制度化された「学び」か?
イリッチとフレイレ。
フレイレは‘教育はいかなる時代にも普遍的にあった。現在、それが抑圧の教育となっている歴史的・イデオロギー的性格を把握する’といいます。しかし、イリイチは‘教育そのものが近代の構造的な産物であって、その本性からして商品である’とみなすのです。
Don't feel. Think!
2009年8月30日日曜日
欲しないと水は飲めない。
宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』という本がある。その中に、次の話が出てくる。
やる気のない人を放っておこう。
やる気のない部下を許そう。
これが本書の“本質”です。
喉が渇いたら、馬は自ら水を探します。そのときは、馬が真剣に、水の匂いを嗅ぎ分け、道を探すのです。
水がいらない馬を、川に引っ張っていくことは、ムダなことであり、自己満足にすぎません。
乾きこそ、モチベーションの源泉です。
他人に与えられるのではなく、自分で感じ取るものです。
生きていれば、必ず渇くときがあります。
他人にモチベーションを上げてもらおうと考えた瞬間に、モチベーションの炎が、あなたの心から消え去ります。(6~7頁)
学校の教育は、いわば水を欲しない馬(子ども)にむりやり水を飲ませよう(学ばせようとすること)とするものである。需要がない所に、無理やり供給をもたらそうとしている。ムダである。これが学校化社会の特徴でもある。
引用文ではモチベーションを謳っているが、学校においては「学ぶモチベーション」と考えることができるだろう。学校は、無理して子どもに「学ぼうよ」「勉強しようよ」と呼びかける。あるいは恫喝的に「勉強しろ!」「宿題忘れるな!」を叫ぶ。
これだけで済めばいいのだが、子どもたちは次第に「学校化」される。自分の「学ぶ意欲/モチベーション」を他者に上げてもらおうと考えるようになる。小中 高と、他人から「学べ!」と強制され、結果的に自分から学ぼうとしなくなる。「誰かに言われるから」という自主性のない学びのみとなる。
現在の大学もそうなっている。高校の延長でやってきているため「自分の研究をしなさい」と言われても「何をすればいいんですか?」「やる気が起きません」とシラッと返す。完全に「学校化」された姿だ。自主性をもった「学び」が起きない。
私は、学問と言うものは「禁止されても、ついついやってしまう」麻薬みたいなものだと思う。「本を読むな!」と仮に言われても、こっそり陰で呼んでしまうだろう。学問に志すと言うことは、ある意味麻薬を始めることに似ている。学ばずにはいられなくなる。
本来の学びは、これくらい中毒性の強いものなのだ。真に自発的に「学ぶ」意欲が湧いたとき、人間は果てしなく学んでいくものなのだろう。それを無理やり学ばせようとするから、「学べ!」と強制されない限り自分から学ばない「学校化」された個人が誕生してしまう。
2009年8月28日金曜日
余湖三千雄『いまある自分を打ちこわせ!』泉書房、2003年
学に志した後も、始め数年は全く成績が振るわない。1年かけて「豆単」暗記に挑戦するも、覚えていたのはわずか20単語。けれど「一点突破法」で壁を破り、予備校で英語教師ができるほどの実力を付ける。生き方がカッコいい。こんな生き方をしたいものだ。波瀾万丈だからこそ、学問の意義を語る姿が粋に映る。
印象的だったのは日大卒業後、早稲田大学の英語専攻科へいったときのワンシーン。早稲田大学生に対し、言及している場面である。忘れられないほど印象に残っている。
この類の学生(無責任で、他人の迷惑を考えない学生)や、教室の後ろに固まってお喋りする連中は高田馬場駅界隈で酒を飲み、気勢を上げ、スクラム組んで「都の西北」を歌って満足する。私も酒が好きなので誘われれば同行するが、「スクラム組んで都の西北」には、どうしても参加できない。
とは言え、母校の校歌が嫌いなのではない。全国の校歌の中で最も素晴らしいと信じているし、運転中やアパートでは一人口ずさむほど好きである。だのに、彼らと一緒には歌えないのだ。彼らはやるべきこともしないで、「都の西北」さえ歌えば全て免罪されると考えていると思われてならなかった。私の好きな校歌を免罪符扱いすることには、どうしても我慢ならなかった。(178頁)
「彼らはやるべきこともしないで、「都の西北」さえ歌えば全て免罪されると考えていると思われてならなかった」。この言葉は恐ろしい。自分が「彼ら」にならないよう、自律した生き方をしていく必要性を感じる。そう生きることは、自己に身体化した「学校化」された生き方をはねのけることになるはずだ。
『シャドウ・ワーク』第3章ヴァナキュラーな価値
山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』 抜書き集。
卒論の進み具合。
諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年
『間違いだらけの教育論』において諏訪哲二は、映画『奇跡の人』に描かれたヘレン・ケラーとサリヴァン女史の関係を元に教育論を語る。「野生」的本能丸出しであった少女ヘレンに、サリヴァンはスプーンとナプキンを使うことを強制させる。ヘレンにとってそういったものは「不合理な文化(外部)」であった。
それでもサリヴァン先生は執拗にちからずくでその方式をヘレンに押し付ける。固体の外部に構築される文化(作法)は、個体にとって合理的ですらないのだ。その不合理な文化(外部)を受け入れさせられることによって、ひと(個体)はひと(個人)になるのであろうか。ここが「啓蒙」としての教育の出発点である。(諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年、10頁)
これにより「ヘレンは生まれてはじめて外部を積極的に認めざるをえなくなった」(同11頁)。ここから「奇跡」が始まり、ヘレンの人間的成長が始まっていく。
この後、諏訪は「『啓蒙』の教育は上下関係のないところで成立するはずがないのだ」(同17頁)と述べる。教師-生徒という上下関係があるからこそ、子どもが近代的理性をもった近代人に「啓蒙」されるのだ、と説明している。
日本の子ども・若者たちのある特徴的な人たちは、物理的に「見えて」「聞こえて」「しゃべれる」にもかかわらず、ヘレン・ケラーのように外部や文化やルールを受容する手立てを精神的に奪われている。外部に一度屈服していないから、全能感的な「この私」的な自己感覚の支配下にあり、外に表示し生活する「私」(近代的個人)になっていない。彼らを取り巻く環境に「啓蒙」としての教育が強力に働いていないとも言える。(諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年、25頁)
ここまでが『間違いだらけの教育論』の「序論」に書かれている。近代的理性をもった近代的個人を生み出すのが学校の役割であるとして、諏訪は論を展開していく。
「おわりに」において諏訪は言う。
識者の多くが教育論において躓くのは、子どもが自ら学ぶ主体としてそこに「いる」ことから議論を始めてしまうからです。ひとは学ぶべきもの、子どもは本来的に学ぶことを望むものと固く信じているからなのでしょう。(…)学ぶ者となるためにはまず「啓蒙」としての教育の局面が理屈ぬきに必要です。そこから子ども(ひと)は「文化」としての教育、そして、「真理」としての教育に進んでいけるのだと思います。(諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年、229頁)
この「啓蒙」としての教育が、ヘレンがサリヴァンから受けた「外部」の存在に自覚し、「学ぶ」という意欲を持ち始めることなのである。諏訪のいう「啓蒙」としての教育も、ある意味でナショナルミニマムとしての義務教育に入るであろう。
ただ、フリースクールを専門に研究している学徒として、筆者は諏訪の語りに疑問を持っている。この「啓蒙」を行う場所としてフリースクールを想定してもよいはずだが、諏訪は学校で教師が行うことに固執している点である。
さらに気になるのは、本書の帯が観である。「小林よしのり氏推薦」として「彼らこそ、日本を貶めた5人の教育家だ!」とし、齋藤孝・陰山英男・義家弘介・寺脇研・渡邉美樹の5氏を名指ししている。本文を見ても、作者の諏訪は5人に「日本を貶めた」と言及する点はどこにもない。それに、本書は識者の教育論がいかにデタラメであるかを説いた本なので、「貶めた」はイイスギである(受験現代文の参考書では、よくこういう書き方をする)。また、本文ではこの5人に内田樹をプラスした6人を批判しているため、「貶めた」発言のためにはあと一人多く書かなければならないだろう。
2009年8月24日月曜日
NPO法人東京シューレ編『フリースクールとはなにか』教育資料出版会、2000年
このような決め方をするのは、学びとは何をどのくらい、どのように学びたいかを、自分で決めるものであって他人が押しつけるものとは考えていない、という学習感があるからだ。また、やりたい、学びたいというものに取り組むのは、学習がすすみやすいが、やりたくないもの、なぜやるかわからないものをやらされるのは意味がなく、マイナスを生むということもある。うんざりしたり、学習ぎらいになるくらいならやめた方がよい。興味、関心を大切にすることを軸にしていくことをシューレでは原則にしている。(153~155頁)
探究心が育つとか、行動的な子になるから自由は大切だというような、教育的見地で、自由にさせているということではない。目の前にある時間を、必ず目的をもって行動しなければならないのはおかしいし、息苦しい。安心してなんとなく過ごせる場、たわいなく暇つぶしのできる場でありたい。(・・・)何でもやれる自由、何もしない自由。シューレのなかで、時間の流れは人さまざまだ。(172頁)
(フリースクールなどで)人と会話をしているだけで学びがあります。人と話していくなかで自分自身も見つめられるようになり、いまの私があるのもすべては会話から生まれたもので、人にとって聞く、話すということはとても大切で、たとえそれがテレビや音楽のことでも決して無駄な時間ではないことがよくわかりました。これからもたくさんの人と話し、自分を広げていきたいと考えています。(211~212頁)
やりたいことを見つけるには時間がかかる。しかし、自分の好きなことをやっていこうと思ったときが出発点である。何歳になっても、学校に行くことも、働くことも、ボランティアも始められる。ただ、不登校である自分を肯定していないと、いつまども苦しいプレッシャーにとらわれてしまう。それには、やはり親やまわりの理解であり、ゆっくりと過ごす時間がとても必要なのだと感じる。(233頁)
子どもの冒険の自由と、教育組織としての安全確保義務の軋轢。
教育政策ネットワーク サイトに感じた違和感。
私はフリースクールでボランティアを週一の頻度で行っている者です。貴団体の教育の政策提言なのですが、すべて「学校」での教育のみに片寄っているように感じられてなりません。 日本の教育をよくするならば、学校を変えるだけでよくなることはないはずです。学校が合わないと訴える不登校の子どものための教育政策が必要だと思います。その教育政策は〈再び学校に行けるよう、学校を魅力的にする〉だけでは意味がありません。学校という存在それ自体が合わないと考える子どもは、現に存在しているからです。学校とは違う教育機関をも対象に入れた教育政策の提言が必要であると考えます。 いま、フリースクールに通う子ども達には、通学定期券以外、ほとんど行政からの支援をうけることができません。やろうと思えば、政策提言にあった奨学金制度の拡充をフリースクールに通う子どもも対象に入れることが可能だと思います。そのような「フリースクール等の学校外教育機関に通う子ども達」の利益も考えた教育政策こそが、いまの時代に必要であると考える次第です。 昨日、フリースクールに通う子ども達が中心になって「不登校の子どもの権利宣言」が発表・採択されました(「2009不登校を考える全国合宿」)。その中に、「不登校をしている私たちの生き方の権利」というものがあります。「おとなは、不登校をしている私たちの生き方を認めてほしい。私たちと向き合うことから不登校を理解してほしい。それなしに、私たちの幸せはうまれない」と書かれています。不登校の子ども達へのまなざしを忘れない教育政策が必要であると考える次第であります。
「2009不登校を考える 第20回全国大会」と「不登校の子どもの権利宣言」
前文私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを、十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考えや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会をつくっていきませんか。多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるように、今日この大会で次のことを宣言します。
個への対処と、全体の変革の矛盾。
大島七々三『社会起業家になる方法』(アスペクト、2009年)
たとえば、ある社会起業家は、後継者不足で悩む伝統陶芸の窯元に、若者を紹介する事業を立ち上げました。またある人は、増加するひきこもりやニートの人たちが社会から孤立しないよう情報を提供し、社会に復帰するきっかけを作ろうと、ニート専用のインターネットラジオ番組を始めています。(6頁)さきの引用文の後、筆者はこう続けていた。「社会貢献」を仕事にする社会起業家への温かな眼差しが感じられる(こう書いている自分が気恥ずかしくなる)。
印象的だったのは、田坂広志(シンクタンク・ソフィアバンク代表、多摩大学大学院教授)のコメントである。田坂は、「社会起業家という人材像は、本来、日本人から見ると古く懐かしい話です」(223頁)と語る。それは、元々日本人は自己の利益のためでなく、社会貢献のために働いてくるというメンタリティーを持っていたためだ。
この国では、町の豆腐屋さんでも、栄養のある美味しい豆腐を作って、地域に健康を届けたいといった志を当たり前のように語ります。世の中に貢献する、という思いは魚屋さんだろうと八百屋さんだろうと、日本人はみんな持っていた。そして、日本では、定年退職した人が、まあまだ元気なうちは世の中のお役に立ちたいと、誰もが素直に言います。この日本人の精神は、まさに、欧米の人たちが言う、社会起業家の精神そのものです。(223頁、田坂の発言より)
日本人はもともと社会起業家の精神を持っていた。それが、グローバリゼーション等の海外からの概念(村上ファンド社長の「金儲けは、悪いことですか?」に代表されるような利益重視の姿勢)のために、いつしか忘れはじめてきた。
「『働く』という言葉は、『傍』(はた)を『楽』(らく)にするという意味」(同)を、忘れないようにすること。これがいまの日本に必要なことなのだと、田坂は語っている。
なお、本書にも紹介されている山本繁(コトバノアトリエ代表)のブログはこちら。
2009年8月22日土曜日
『脱学校化の可能性』「解説」より。
「近代文明と人間に対するラディカルな問いかけ」をする人々が1960年代後半から1970年代初頭に現れてくる。
↓
「この時期にはまた『脱学校化』を唱える人々と共に,様々な学校批判と改革を主張する一群の人々があらわれた」(197頁)
「このようなラディカルズと呼ばれる人々をデイヴィッド・ハーグリーブズは脱学校論者(Deschooler)と新ロマン主義者(New Romantics)とに分類している」(197頁)
脱学校論者:「教育制度と社会を根本的に批判し、ラディカルな代案の構想を提案している人々」「彼らの主な仕事は、社会の構造の中における教育の構造についてであり、学校の廃止を主張し、教育は特定の教育制度の仕事であることをやめ、かわりに社会の様々な部門に拡散される」
「イヴァン・イリッチ、エヴァレット・ライマー、パウロ・フレイレ、等」
「長期的で幅広い展望」「学校ばかりではなく社会の変革」(分析の焦点)
新ロマン主義者:「現在の教育の実践には非常に批判的ではあるが、学校にかわるラディカルな代案よりも改革を主張する。彼らの主な関心は、カリキュラム内容の再構成や教育の性格の再規定であり、その分析は、ほとんどミクロな社会学的レベルあるいは社会心理学的レベルである」「脱学校論者の学校診断を受け容れているが、教師や学校そのものを攻撃しているのではなく、教育制度内改革を目ざしている」
「ハーバート・コール、ニール・ポーストマン、初期のジョン・ホールト、カール・ロジャース、オンタリオ教育研究所の人々や、さかのぼれば、サマーヒルのニール、フリーデンバーグ、コゾル等」(198頁)
「短期的(展望)」「焦点は教室の中」(分析の焦点)
*ポール・グッドマンは、脱学校論者、新ロマン主義者「双方のグループの父と言われている」(199頁)
国立東京近代美術館
Nの話では「日本の近代絵画の、明治時代から現在までの変遷がわかる」とのことだった。受験用の日本美術史程度の知識しかない私の目には、はっきり言ってあまり絵画の変遷がよくわからなかった。しかしながら黒田清輝など、名前だけ知ってる画家の作品を知ることができた点は大きかった(受験知にも効能があるものだと実感する)。一通り見た後、戦後絵画史上で岡本太郎だけが一種独特な雰囲気をもっているように感じた。
個人的に好きだったのは、2階の田中新太郎の展示。パネルを展示する柱のような作品「偏光」を、私は作品と思わずに跨ごうとした。すぐに背後から係員の「跨がないで下さい」との注意が飛んできた。真鍮で出来たその作品は、作品と言われないと作品には見えない。
会場に田中新太郎のトーク映像が上映されていた。ネオダダの流れを汲む田中の絵画論は、本当に面白かった。
〈私たちは言葉で考える「思考」を行っている。そうではなく、目で考えるという「視考」を行うべきだ。言葉でじっと考えるのでなく、目で視考するのだ。対象に寄り添って共有をするのだ〉
このメッセージを聞き、「臨床の知とは何か」という岩波新書を思い出した。対象の分析ではなく、対象を共有していく態度の重要性を謳った本であった。
このVTRを見るだけでも、竹橋まで来た甲斐があったように思う。
プロ論
やる気は無理に出すものではないが、やる気のないものは大体の場合、やる気のあるものに入れ替えられてしまう。
やる気を出す。これは難しい。
プロは最低のコンディションでも、お金をもらえるくらいのパフォーマンスを出来る人のことを言う。どんなときでも要求される水準以上の働きをしなければ、プロではないのだ。
やる気を出すよりも、「プロになる」ことを考え、修行せよ。やる気がなくても、要求する仕事をするのだ。この自覚を忘れてはならない。
幸せになれないのも芸のうち。
現代では高い評価を持つ「能」も、然りである。河原者(かわらもの)によって担われてきたのが能である。河原者とは、家がなくて河原に勝手に住まいを作って住んでいる人のことを言う。現代でいえば、そうホームレス。能の演者は被差別民であった。
ある意味、差別されるという属性を持つからこそ、芸術を行えるように思える。差別され、世間一般的な「幸せ」をつかむことができないからこそ、芸術に打ち込むのだろう。
幸せになれないのも芸のうち、である。幸せになる道はたくさんある。「にもかかわらず」、幸せになれない芸術の道を行く。だからこそ、いい芸術が生まれるのだろう。幸せすぎる人間は、そもそも芸術に手を出さない。出しても途中で辞めてしまう。
ゴーギャンは希有な人間だ。人生途中から絵を描きはじめ、生涯を絵に賭けた人物だからだ。ゴーギャンは株仲買人として成功するが、途中から本気で画家を目指す。生計を立てられないから妻子と別居。どんどん貧しくなる。南の島に夢を求めてタヒチに行くが、そこでも自分は異端扱い。絵を描いてパリに戻っても、そこに馴染むことができない。仕方なく、再びタヒチに。最愛の娘の死の知らせは島で聞くことになる。悲嘆するゴーギャン。彼は遺書のつもりで絵筆を握る。最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへいくのか」がこうして生まれるのである。
ゴーギャンは、絵を描けば描くほど不幸になった。けれど不幸だからこそ、恐ろしいほどの名画を残すことができた。いま竹橋の美術館で観ることが出来るのも、彼が不幸であったためである。ありがとう、ゴーギャン。
ゴーギャンの生涯を見てみると、改めて「幸せになれないのも芸のうち」との認識を強くする。
幸せになれないのも芸のうち。
組織に馴染めないのも一種の才能。
私がブログを書くのも、幸せだから書くのではない。書くことでつかの間の幸福を感じられるから書くのであって、もとが幸せだから書いているわけではないのだ。「悩み」があるからこそ、ブログを書いているのだろう。
しかし、何事にも例外がある。ルーベンスがそうである。彼は生涯、ずっと幸せな生活を過ごす。絵も生前から好評価。うらやましい限りだ。
2009年8月20日木曜日
山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』
イリッチに師事した人物だからこそのイリッチ論。他のイリッチ論とはあまりに異なっている。
〈学校化〉が明確にされるとは、つまり「産業的生活様式」が明確になることであって、彼を〈脱学校論者〉として紹介や翻訳をするのは少なくとも本筋をはずれています。イリイチに「脱学校(post-schooling)を求めるのは、「イリイチ思想」の水準では確実に誤りです。(212頁)
山本はイリッチのdeschoolingを「非学校」と呼ぶ。元々イリッチが言っているのは「非学校」であって、「脱学校」論ではない、ということである。私は強烈な誤解をしていた、ということだろうか。
『教育思想事典』で森重雄は言っている。
脱学校化とは、冠辞がpostではなくdeであるのだから、厳密には「学校解体」と訳さなければならない。ところが1970年代は、社会学・社会科学において「脱工業化社会」(post industrial society)論が華やかなりし時分であったから、教育会もこれにあやかって「脱」と訳出したものと思われる。(88頁)
要はブームだったから「脱学校」と訳してしまった。結果、イリッチの真意が伝わりにくくなってしまった、ということだ。翻訳者の責任は意外に大きい(けれど森は続けて「脱学校化という訳出は、学校化からの脱出という点で、はからずも正鵠を射た訳語である」と評価している)。
卒論を書きつつ、山本の本は真剣に読み、論文の不備を直していきたい。
飛べないテントウムシ
テントウムシはアブラムシ等の害虫を食べる「益虫」(えきちゅう)である。遺伝子操作で羽のないテントウムシを畑に蒔けば、勝手に飛んでいかないので効率よく害虫駆除が出来る。農薬で害虫を殺す必要がないため、「環境に優しい『生物農薬』に」と書かれていた。
よく考えるなら、これって恐ろしいことではないか? 確かに「遺伝子組み換えではなく、子孫は羽のある正常なテントウムシが生まれるため、生態系への影響は少ない」とは言っている。けれど、だからといってこの技術の使用を許可して構わないのだろうか?
残念ながら、感情論としてしか私は反対できない。論理面・倫理面から批判を行う頭脳を持っていない。
科学技術の発展に対し、感情論で反対をしていても何の問題解決にもならない。必要なのは論理的な批判である。
教育学徒としては、いかにすれば「論理的な批判」を科学技術に対し行える技術を教育できるか、が気にかかる。この場合の教育とは、子どもに行う教育ではなく、自己教育である。自己を教育できないものに、他人を教育することはできないはずだからだ。
参考:http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKB0139%2020072009&g=K1&d=20090722
内田樹の、「学び」論
ときたま、思わぬ発見がある(結構な確率で「これ、何のこと?」と自分の理解度の低さを嘆くが)。
卒論に使える題材が書かれていたので、コピーしておきたい。
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私たちの時代の子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの「先駆的に知る力」が破壊され尽くしたからである。内田樹の研究室より。
「学び」は、それを学ぶことの意味や実用性について何も知らない状態で、それにもかかわらず「これを学ぶことが、いずれ私が生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろう」と先駆的に確信することから始まる。
学び始める前の段階で、学び終えたときに得られる知識や技術やそれがもたらす利得についての一覧的な情報開示を要求する子どもたち(「それを勉強すると、 どんないいことがあるんですか?」と訊く「賢い消費者」的な子どもたち)は、「先駆的な知」というものがあることを知らない。
彼らは「計画に基づいて」学ぶことを求めている。
自分が実現すべき目的のために有用な知識や情報だけを獲得し、それとは関係のないものには見向きもしない。
おそらく本人はきわめて効率の良い、費用対効果の高い学び方をしていると思っているのだろう。
だが、あらかじめ下絵を描いた計画に基づいて学ぼうとするものは、「先駆的に知る」力を自分自身の手で殺していることに気づいていない。
「先駆的に知る力」とはまさしく「生きる力」のことである。それを殺すことは緩慢な自殺に他ならない。
武道は「先駆的な知」の開発に特化したメソッドである。私たちはそれを「気の感応」とか「気の錬磨」というふうに呼んでいるのである。
いろんな「学校化」。
まず山本哲士から。
学習や教育が学校に独占され、学校を通じて学習・教育が生産され価値あるものとなる「産業的生産様式」の典型。「学校」という形態とは区別されるべき、生産様式が「学校化」であり、学校の視えない働きとなっている。教育が制度化されて学校化が構成される。学校化に対抗するものが「非学校化deschooling」で、聖なる学校から教育を世俗化することを意味する。(『学校の幻想 教育の幻想』ちくま学芸文庫、17頁)
山本はイリッチの脱学校化を「非学校化」と呼んでいる点に注意したい。
次は、『新教育事典』(勉誠出版、2002)の「学校化する社会」(楠本恭之)から。
イリイチが問題とする「学校化」とは、こうした「学校」への、子どもをはじめとして、社会までもの、いわゆる「囲い込み」を意味する。彼は、『脱学校の社会』のなかで、「学校は教育に利用できる資金、人および善意を専有するだけでなく、学校以外の他の社会制度に対しては教育の仕事に手を出すことを思いとどまらせてしまう。労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活までもが教育の手段となることをやめ、それらに必要な習慣や知識を教えることを学校に任せてしまう」ことを問題とするのである。(187頁)
前半に注目。宮台真司のいう「学校化」は、〈学校的価値が社会に吹き出す〉ことであった。イリッチの定義は反対に、学校への「囲い込み」を意味している。まあ、結果的にはよく似たことを言ってるような気もするが…。
続ける。
イリイチの『脱学校の社会』という指摘は、こうした意識のもとに、社会の「脱」学校化を進め、自発的な「学びのための網の目」を、社会のいたるところに張りめぐらすことを考えたものであった。彼が意図したのは、単なる「学校廃止論」ではなく、人間と環境との間に新たに教育的関係をつくりだすことであった。したがって、われわれが「学校化する社会」において留意しなければならないのは、「ポスト『脱学校の社会』」として、あらためてイリイチを見直すことである。(189頁)
最後は『教育思想事典』(教育思想研究会編)の「学校化」(森重雄)から。
ちなみに、イリイチ自身はのちに、学校化概念は、(中略)学校や教育による人間精神の去勢の指摘にもとづく人間精神の全面的疲弊・汚染に対する警告であったと述べている。(88頁)
真の教育は学校というレイアウトではけっして行うことができず、イリイチのいう、脱学校型の「学習のためのネットワーク」のもとにはじめて可能になる、と考えられていた。この学習のためのネットワークとは、ある知識を必要とする人とその知識を提供できる人をアドホックに結合することであり、それはコンピュータ・ネットワークにもとづくデータベース構築というテクノインフラによって可能となる。ここでは固定的な教師―生徒関係は生まれないし、出来合いの知識パッケージを必要な知識であると思いこまされることもない(石田注 要はこれは「価値の制度化」ということ)。これによって真の意味での教育が可能になるとイリイチは考え、これが真の教育を可能にする脱学校化の具体的な姿であるとして提唱したのである。(89頁)
ずーっと打ち込みをしていると、手が疲れるし、眠くなる。
先輩のOさんによれば、学者とは論文の「職人」であるという。
ひょっとすると、テニス選手が素振りをするように、大工さんが鉋を磨くように、学者が空き時間に資料をキーボードで打つのも、一種の「職人ステータス」といえるのかもしれない。
キーボードを叩くことを、「学問してる!」と誤解すること。学問的価値の制度化、といえるかもね。
余談
●通信教育の大学では夏場、「スクーリング」が行われる。直訳すると、「学校化」。いままでは家で学んでいたために学校へ取り込まれなくて済んだものを「学校化」させるイベント。うーん、恐ろしい。
ジョン・ホルトを探れ!
まとめるにあたって、イリッチ以外の脱学校論者を知る必要が出てきた。
というわけで、今日はジョン・ホルトについてを書いておきたい。
タネ本は金子茂・三笠乙彦編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)の「子ども その権利と責任」(佐藤郡衛、222頁〜)より。
1970年代にはイリイッチやライマーらの強い影響を受け脱学校論に深い共感を示すようになり、脱学校論という視点から次々に論文を発表していく。(223頁)
ホルトは他の脱学校論者と異なり、学校の存続を認めており、子どもが学校へ行くにせよ、行かないにせよ、その選択を子ども自身がすることを提唱している。彼の主張の根底には、子ども中心の思想が流れている。(222頁)
お、出ました「子ども中心」との言葉。良さげな学者ではないか。
ホルトの子ども観はきわめて明確である。子どもを一人の人間として大人と変わらないように認めてやること、大人よりもあらゆる面で劣っているという見方を改めることである。(223頁)
子どもは大人からすべて与えられたり、押し付けられたりして、自ら決定できる範囲がきわめて少ない。このため、子どもが自分の行動に対して、自ら選択できる範囲を広げてやることが必要である。つまり、大人のいっさいの「管理」を拒否し、自由の回復をはかることをめざしているのである。(225頁)
子どもに対する「教育」から子ども自身による「学習」へと、言葉を変えれば「管理」から「自由」の教育へという発想の転換をはかろうとするものである。(224頁)
神戸フリースクールの設立者が面白いことを言っていた。
「ボクは普通の学校の子って、ブロイワーやと思うんやね。そやけどフリースクールの子は地鶏や」。
ブロイワーは与えられたエサだけを食べる。他に興味も何もない。というか、よそ見をしないことが求められる。
地鶏は自分の力でエサを探す。与えられるエサだけでなく、土を掘って虫やミミズも食す。どちらがたくましく育つか、言うまでもない。
決意と持続の関係性。
「青っぽい」というのは、青年っぽい、ということだ。現実を見据えないからこそ、言えることでもある。江川達也のいわく「世の中の人は、これほどまで自分のことしか考えないのかと知った」。しょせん人は、色と欲。言ってしまえばそれまでだ。
しかし、「あえて言う」ことに意義がある。あえて、自分の将来についてを話し合うことに意味があるのだ。
一通り話し終わった後、私は発言した。
「いま言った話を、40年経っても自覚できるかどうかが大事なんじゃないか」
まわりが静まった。「持続」こそが難しいのである。
決意を持続するのどうやればよいのだろう? そこでは語らなかったが、ここで書いてみることにする。
決意とは、持続しないからこそ決意なのである。三日坊主に終る人間は、「次こそは、絶対挫折しない」といくら強く決意しても、やはりすぐに挫折する。
挫折するからと言って、「挫折しないように強く強く決意する」ということで対応するのは切りがない。
学校現場で言われる「心の理解」も同じこと。子どもの行動をわかってあげられなかった、「もっと心を理解しよう」。やっぱり駄目だった、「もっと心を理解しよう」。無限ループである。
ではどうするか? 「挫折しない」という決意をする前に、「決意は挫折するものだ」との認識から入ればいいのである。それから、「挫折しかけた時に、再び決意する方法」を考えれば良いのだ。その方法は人それぞれ。気のいい仲間から励ましてもらったり(「恋人」だとなおグッド)、毎朝新たに決意したりするのを習慣にしたりしたらいい。
重要なのは、「そもそも決意は挫折するものだ」と諦めて認識し直すことである。世の中の「無限ループ」を解除する方法は、「そもそも無理なのだ」とあきらめることから始めるべきだ。
「心の理解」なら、「心の理解なんて、完全に行うことは出来ない」と諦めることだ。「心の理解は出来ないけど、その子どものためになる授業をしたい」などと認識し直すことである。
無理なことは、無理だと気づくこと。いい意味の「あきらめ」が必要である。
先週も、バイト先でタイムカードを押し忘れてしまった私。「もう押し忘れない」と決意する前に、手帳に「タイムカード」と書いておくことにしよう。
2009年8月18日火曜日
「学校化」された私。
どんなに努力をしても、どんなに「考え方を変えよう」と意識しても、自分の学歴主義を打ち消すことができない。
今日も、本屋で『東大式 絶対情報学』との本を無意識で購入していた。「東大」という言葉に、まだ体が反応してしまう。
早稲田大学生は、「東大を諦めた」組が多い。「負け組」認識をもっている側面もある。だから無意識のうちに、「東大」の名に反応してしまう。
フリースクールやオルタナティブスクールに心惹かれながらも、「東大」というブランド・学歴信仰から逃れられていないのが私である。
社会学者・宮台真司の「学校化」定義。《家や地域までもが学校的価値で一元化されることを私は「学校化」と呼びます》(『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』281頁)。私の頭の中も、「学校化」されてしまっている。
卒業論文を書く段になって、自分がいかに「学校化」された存在であるか、実感するようになった。
中学では、私は「優等生」であった。優等生特有の「優等生シンドローム」も発症していた。教員の質問に、真っ先に答える能力。言われたことを、疑わずに実行する力。
高校に入って、状況が変わる。周りは自分以上の優等生ばかり。中学と同じやり方では太刀打ちできない。私は、中学のとき以上に「優等生」になろうと決意した。
わが母校では勉強ができること以上に、高校の創立の精神を求めていることが重要視されていた。今の時代、珍しい学校である。校歌を歌い、「真の学園生とはどのような生徒か」真剣に語り合う。無理をしてでも、学問と「精神面」を鍛えようと決意した。「俺はすごいんだ!」と言いたくて、生徒会にも入った。翌年には生徒会長に。けれど、母校では生徒会長の権限は行事の実行委員会よりも小さく、意気消沈。「何のために生徒会はあるのだッ!」と、埃っぽい生徒会室で泣き叫んだ日々もあった。
生徒会での自己実現を諦め、受験勉強で「俺は勝った!」と言おうと思い立つ。ちょうどその頃、クラスから見放される事件が起こり、ますます受験に専念した。休み時間は耳栓を付けた。昼食は一人で菓子パンをかじった。他者と折り合わないために。けれど、受験は第五志望にしか受からなかった。
結局、私は「優等生」になることが出来なかった。中学以来の「優等生気質」はありながら、「優等生」にはなれない。悔しさと、惨めさ。高校の卒業文集に映った顔写真。私だけが笑っていない。
結果的に悟ったのは、人と比べてもどうにもならないということ。けれど、「人と比べる」ことを私の身体に刻み込んだのは、学校ではなかったか。学校のシステム自体が、人と比べることを要求している。私はそのシステムに、すっかり「学校化」されてしまった。今もこの傾向は残っている。「東大」という言葉への、無意識的反応がそれである。
ひょっとすると、私がフリースクールや脱学校論に関心を持つのも、「学校化」の成せる技ではないだろうか? つまり、東大に行けなかったという私のルサンチマン(恨み)が、学歴主義に反するフリースクールに心惹かれるきっかけとなっているのではないか、と思うのである。
ただ、自分がいかに「学校化」された存在であるか、気づけたことだけでも、大学に行った意味があったように思う。早稲田の教育学部に行かなければ(もっといえば、脱学校論についてをK先生の授業で聴かなければ)、このことを自己認識することはなかったであろう。
人生は、誠に奇妙なことである。第一志望に行くことだけが、幸福なのではない。私にとって、早稲田の教育学部は第五志望。夏に諦めた東大を入れるなら、実に第六志望となる。
…自称「三流エリート」、石田一のモノローグでした。
*宮台真司『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』朝日文庫、2002年。
2009年8月17日月曜日
卒業論文レイアウト。
何度も変遷しているが、卒論の概要は次のようにしたいと思う。
題目:イリッチ『脱学校の社会』の現代的意義の考察(「学校化」「脱学校」「価値の制度化」「ラーニング・ウェッブ」 の定義の考察)
序論:『脱学校の社会』特有のキーワードを探る。
本論:イリッチ『脱学校の社会』を読み解く。
●イリッチが本書を書いた理由は何か?
ライマー、ホルトなどの影響。
「価値の制度化」への批判
●価値の制度化とは何か?
価値観の転倒する社会
●学校化とは何か?
「学校化」という言葉をめぐる混乱
宮台真司・上野千鶴子の「学校化」とイリッチの「学校化」の違い
学校的価値が吹き出す社会(宮台)
学びが制度化する(イリッチ)
●ラーニングウェッブとは何か?
イリッチの描くラーニングウェッブ像
ブログ空間によって、ラーニングウェッブは構築可能か?
●イリッチのフリースクール観
フリースクールを否定的にみるイリッチ。
「脱学校」とフリースクールはイコールではない。
フリースクール論はニイルに求めよ。
結論:『脱学校の社会』から何が見えてくるか。
●「価値の制度化」が起きていないかを常に確認せよ。
●ウェブ時代におけるイリッチ再考の必要性。
●今後の課題
イリッチの思想の変遷を探る
フレイレとの出会いの前後の変遷。
ニイル思想の研究の必要性。
参考文献
フリースクールにおける、ミーティングの意義。
クロンララの活動はミーティングで話し合って決められている。子どもとスタッフが対等のクロンララでは、ミーティングでもそれは同じである。子どもの提案もスタッフの提案と同じように扱われるし、決を採るときは、子どももスタッフも同じ一票をもっている。そればかりではない。スタッフの採用も、子どもたちがほかのスタッフと話し合って決めるのだ。スタッフの希望者は、子どもと前からいるスタッフのインタビューを受け、何日かクロンララで過ごしたあとで、子どもとスタッフのミーティングで話し合って決められる。(『フリースクールとはなにか』、43~44頁)
『大人のいない国』(内田樹と鷲田清一の共著)
2009年8月14日金曜日
『オートポイエーシスの教育』、または卒論の概要。
将来どの人格を担うにしろ、その社会における社会人人格を最低限担えるだけのコードを前もって習得させておく必要が生じ、そのために特化した教育システムが分化してきました。これがつまり普通教育です。技能教育のネットワーク化を唱えて学校を否定するイリッチが見落としているのがこの点で、何を学ぶべきかが個人個人にわかっていないからこそ、学校による普通教育が必要なのです。独学の困難は学ぶべきことの選別にこそ存するのですから。(pp123~124)
再記
再び確認してみると、イリッチの本文に、技能教育のネットワークを示唆するものがありました。ただ、山下さんの記述にあるような「技能教育のネットワーク」だけをイリッチが説いたわけではありません。
…。おかしいな。イリッチは技能教育を学校で行うことに肯定的だったはずなのに…(というか、学校が役立つのは技能教育と大学だけだ、といっていた)。
2009年8月12日水曜日
「にもかかわらず」のボランティア
ある日のこと。授業が終わり教室をふと見回す。机の上に、誰かの携帯がある。教室にはあなた一人だけだ。このとき、あなたはどうするか?
(1) そのままにしておく。
(2) 学部の事務所にもって行き、「忘れ物です」と伝える。
(3) 中を興味半分に見る。
先日、私はこの状況に出くわした。授業に行く途中、空き教室に携帯がぽつんとある。授業後に覗くとまだ残っている。その部屋で授業を受けていた人も、確実に視野に入ったはずであるのに、みな携帯をスルーして退出していった。教室の中には私ひとり。時計を見ると、次の授業までもう時間がない。おまけに今日は7限までぶっ通しで授業がある。事務所は19時には閉まってしまう。葛藤が始まった。(3)は論外として、(1)か(2)か。
結果、私は(2)を選んだ。たとえ授業に遅れても、携帯がなくなり、困る人がいるだろうからだ。「勝手に場所を変えたら、かえって見つからなくなる」という人もいるかもしれない。しかし、世の中には(1)してくれる人ばかりではない。時には(3)を選ぶ人がいておかしくないし、場合によっては名簿をどこかの業者に売る輩もいるかもしれない。そう考えて、多少授業に遅れたが事務所に届けたのであった。
日本におけるボランティア論の先駆に、金子郁容がいる。金子は著書『ボランティア もうひとつの情報社会』において、こう言っている。「『ボランティアとしてのかかわり方』を選択をするということは、(中略)自分自身をひ弱い立場に立たせることを意味する」。ボランティアする者は、ひ弱い立場にある、というのだ。先の例でいえば、確かに授業に遅れ、遅刻扱いされることもある。仮に「携帯を届けにいっていた」と伝えても、遅刻が取り消される保証はない。この決定が、成績に響くこともある。しかし、「にもかかわらず」、リスクを背負ってでも他者のために行動する。これが真のボランティアといえるのではないか。
先に示した引用のあと、金子は次のように書いている。あえて自分を弱い立場に立たせるかわりに、「意外な展開や、不思議な魅力のある関係性がプレゼントされることをボランティア〔する人〕は経験的に知っている」(〔 〕内は藤本)。ここでいう「関係性」とは、他者を思いやれる心であろう。あるいは、相手からの感謝のことであろう。喜ばれるとうれしいから、善意で行動する。誰にも経験があるだろう。
別の例を出そう。あきらかに道に迷っている人がいる。たくさんの荷物を持ち、あたふたしている。自分は授業に遅れそうだ。このとき、あなたはどう反応するか? 授業に遅れそう、でも「にもかかわらず」道を教えられるかどうか。相手からの感謝を期待すること、つまり「意外な展開や、不思議な魅力ある関係性」の「プレゼント」を期待して行動できるか。ボランティアの精神は、「にもかかわらず」動けるか、ということに帰着するのだと思う。
こちらがまったくの善意で行うのが、一般的なボランティアだ。通常は、感謝されることが多い。が、善意で行ったことはしばしば誤解される。むこうが怒り出すことさえある。席をお年寄りに譲ったとき、「人を年寄り扱いするな」と怒鳴られた、ボランティアに出たとき友人から「点数稼ぎ」といわれた、電車を転がる空き缶を拾ったとき、まわりから変な目で見られた、等など。まったくの善意で行ったことで誤解を受けると、ものすごく身にこたえるものである。私にも経験がある。「何でボランティアなどやったんだろう?」と思ってしまう。金子のいうとおり、ボランティアする者は「ひ弱い立場」に立たされているのだ。
誤解を受ける。しかし、それにへこたれず、つまり「にもかかわらず」にボランティアの実践を続ける。これが真のボランティアだといえるのではないか。たとえ相手が誤解したとしても、自分の行動自体は善なのである。そこは自信を持っていい。何も動けない人の方が、よっぽど心が貧しいのだ。私はそう考えるようにしている。
ボランティアの立場はたしかに弱い。しかし、「にもかかわらず」行うのが真のボランティアである。さまざまなつらさを超えてこそ、他者を思いやれる人物になれると感じるからだ。
*金子郁容著『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書)1992年、p112より引用。
叙情詩・缶バッヂ
何にも出来ない 我が心
如何とせんと 思えども
どうにもならない 心持ち
トードバックに 付けたりし
岡本太郎の 缶バッヂ
我をみつめる その文字は
なぜか私を なぐさめる
「才能なんて なくていい」
そういう彼の 声を聞く
ともあれ私は 自転車に
またがってまた 坂をゆく
それが私に できること
ペダル漕ぎつつ 汗をかく。
2009年8月10日月曜日
ゴーギャン展に思うこと。
2009年8月7日金曜日
宮台真司・奥平康弘『憲法対論』(平凡社新書、2002年)抜粋
宮台:(アマルティア・センの言葉を借りて)ケーパビリティとは、本人がもしかすると別の選択肢を選べたかもしれないのに、自分はあえてその選択肢を選んだと思えることを意味します。当事者たちが、今の行動以外の行動を選べるのに、あえてそうした生活や行動を選んでいると思えるような、「選択肢の束」を社会が与えていることが豊かさだということです。(・・・)何も考えずに物質的に豊かな生活が送れるのに、何が悲しゅうて子々孫々や地球の裏側の人のことを考えて生活しなきゃいけないのか。そういうときに、「それが義務だからだ」というのではなく、「それが豊かさだからだ」と言うことが、現実に動員上有効だし、現に起こっている若い人たちの動機づけをうまく説明するのです。(pp70~72)
卒論の構成
これからの時代とヴァルネラブル
集団の健全性は、内部批判者への対応によって決まる。
本サークルの特徴は、方向性を定める3〜4年生の「首脳」メンバーが、時を追うごとに減っていくという点だ。十数人から始まり、いまはヒトケタ。「次は自分がいなくなるかも…」との不安を、今でも持っているのが私である。
そのサークル内では「来ないメンバーを何とか来れるようにしよう」という声が強い。以前の私はその声に同調する側だった。けれど、最近は疑問を感じている。無理にサークルに来させることに、いかほどの価値があるのか? 周りの「首脳」は来れなくなったメンバーが戻って来て、「僕が悪かった。ごめん」というシナリオを描いているようである。
あれ、こんな構造、何かに似てるぞ? そうだ、学校組織だ。
『学校が自由になる日』の内藤朝雄の文章を思い出す。日本の学校共同体の中では いじめられた側が「私が悪かった。性格を直すから、仲良くして」とすりよるため、陰惨な いじめが行われることがあるという。
いじめられているなら、学校という集団に来ないという「不登校」という選択肢もある。けれど、日本の子どもたちは虐められるのが分かっていながら、学校に行ってしまう。「学校に行かないのは悪いことだ」と素直に信じている者も多い。
不登校は社会の健全性のバロメーターではないか。そんなふうに思う。いじめという「人権侵害」のある集団に、「NO!」を突きつける個人がいるかどうかが重要なのだ。理不尽な苛めがあっても、誰も不登校という選択肢を選ばない。そんな集団は個人に際限のない人権侵害を行ってしまう、「腐った」組織である。不登校を選んだ子どもがいるという事実が、集団から逃れるという選択肢の存在を、集団内メンバーに自覚させることになる。
不登校は悪いことではない。不登校の存在が「不登校という道がある」と他の構成員に示すことになるからだ。
不登校同様に、サークルに来れなくなったメンバーの存在を認められる集団は、「健全である」という評価をすることができるのではないか。皆が一律に同じ行動をする。そんなことは不可能だ。集団の力は個人よりも大きい。故に、しばしば集団は個人に人権侵害を行う。人権侵害が存在していても、「集団に参加し続けないといけない」と思うことが、さらなる侵害を招く。いじめの構造だ。
集団の力は、個人よりも強い。そんな中、不登校という存在は「集団から出ることは可能なのだ」という、強いメッセージを他の集団内メンバーに示すことができる。
学問の世界では、論文の評価は〈批判が来るかどうか〉で決まる。よい論文には、必ず反論がある。反論・批判がない論文は最悪の論文だ。同様に、集団に対して構成員から批判がないのは不健全な組織であることが多いのではないか。つまり、通常の認識とは逆に、学校における「問題児」や「不登校」の存在は、学校が「健全」であることの証明であるのだ。逆転の発想である。
《全員が》、《一人も残らず》、《一丸となって》、《団結する》。学校的共同体特有のキーワードである。本当に人々が「心を一つに」することはあるのだろ うか? 幻想である。内田樹は〈幻想であっても、幻想があると考えることに何らかの意味があるならいい〉というだろう。けれど、この問題に関し『サヨ ナラ、学校化社会』で上野千鶴子(内田の「天敵」)が語ったのは、「学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります」(57頁)というメッセージであった。「学校化社会」とは、学校的共同体がもたらす「幻想」の別名である。
無論、組織によっては本当に皆が「心を一つに」しているところも存在するかもしれない。けれど、それを当然視していると、集団が個人に持つ暴力性に対し、無自覚になってしまう。「心を一つにするのが当然だ」と、集団に批判的な個人を攻撃することとなるからだ。
まとめをするなら、こうなるだろうか。集団は個人に対し、しばしば人権侵害を行う。そのため、「集団から逃れることができるのだ」という道(不登校など)を示している集団は、個人の人権侵害を極力減らすことができる。それゆえ、「健全である」といえる。逆に集団から逃れることができない組織(あるいは集団から出るということを誰も行っていない組織。不登校のない学校など)は、個人に対し人権侵害を行っていることがある。
離脱者がいる集団こそ、健全な集団であるといえるのだ。
2009年8月5日水曜日
お札と切手の博物館
自宅そばにある「お札と切手の博物館」に行ってみる。
夏休みということもあり(入場無料ということもあり)、親子連れが多かった。
いままで日本のコインは「型に流し込む」という鋳造コインであると思っていた。本当は金属片に型をあて、上から叩いて模様を付けていたそうだ。打刻コインというらしい。
教育社会学者を目指すものとして、本展示の「隠れたカリキュラム」を探っていきたい。国立印刷局が「お札と切手の博物館」を開く意図はどこにあるのだろう。
国家は、さまざまな制度を「国家のみがそれを行うのだ」という強烈な意志を持っている。人々の商取引の際、なくてはならない存在である「貨幣」は、国家の信頼の証しである。古来より、洋の東西を問わず贋金づくりは極刑に処せられてきた。何故か? 貨幣の信頼は国家自体の信頼にもつながるからだ。
「お札と切手の博物館」内では、何度も次の説明に出会う。
《日本の紙幣の印刷技術が高いので、日本の紙幣は偽札をつくりにくいことで有名です》。
まさに、偽札が出回らないことこそ、国家信頼の基であると、国立印刷局が語っているのだ。
もう1点。博物館の中に海外の紙幣を展示しているコーナーがあった。聞いたこともないような国の、見たことのない人物の描かれた紙幣。よくニュースに登場する、ドルやユーロの紙幣。こういった様々なものを見ていると、各国それぞれ別の紙幣を使用していることが見学者に伝わる。それと同時に、「紙幣を出せるのは政府だけだ」というメッセージを見物人に伝えることができる。
江戸時代、日本で使われていた紙幣は「藩札」であった。全国の藩が、領内のみでつかえる紙幣を勝手に発行していたのだ。明治政府以降、一時期は銀行が勝手に紙幣を出せた時代もあるが、発行するのは一貫して政府であった。
貨幣の発行主体こそ、国家に他ならない。各国の様々な貨幣を目にした見学者は、知らず知らずのうちに「貨幣をつくっていいのは国家だけなのだ」ということを学んでいく。
意図的か知らないが、この博物館には「地域通貨」の説明が一切ない。
注 「隠れたカリキュラム(潜在的カリキュラム)」について、田中智志『教育学がわかる事典』(日本実業出版社、2003)には次のようにある。
「潜在的カリキュラムの内容は、教師によって明言されることはすくないけれども、教育関係が成り立っているところでは、それは暗黙のうちに子どもに強要され、暗黙のうちに子どもに了解されている。それは、たとえば、教師を尊敬するという態度、衆人環視のなかでの自己表現・自己防衛する知恵など、教育関係を存立可能にしている基本条件である」(109頁)
2009年8月4日火曜日
フリースクールと、それにまつわる種々の名言。
打っていて、「有り難い仕事だな」と思う。フリースクール関係者のコメントは、非常に面白いものが多いからだ。
名言を残しておきたい。
「フリースクールには、〈何もしない自由〉がある」
「教育を使うのは子どもたち自身」(「教育を使う」とは、すごい着眼点だ)
「フリースクールは自分の母校。だからいつまでもそこに存在し続けてほしい」(内田樹も《自分の母校が無くなることを、卒業生は望まない。自分の頃と同じ教育がずっと続いていくことをOB/OGは望むのだ》と語っている)
「子どもの自己肯定感は、教えられるものじゃない。子どもたち自身が学ぶものだ」(以前書いた『マトリックス』の評論を思い出す。モーフィアスの台詞「マトリックスの正体は教えられるものじゃない。自分で見るものだ」)
「自分らしさとは、自分で決めること」
「フリースクールの活動はほとんどソーシャルワーク」
永六輔が『週刊金曜日』で連載している「無名人語録」。私もフリースクールや脱学校関係でこんな語録集をつくりたいものだと思う。
映画『重力ピエロ』
相変わらず、私の話に論理的に批判をしてくる。兄弟で議論をすると楽しいのはその点だ。こうまで痛烈に批判をしてくる相手はほとんどいない。血族の成せる技だ。
夜の9時、新宿に一人取り残される。そんなとき、私は映画館に駆け込みたくなる。周りの喧噪を目にしていると、いたたまれなくなってくるからだ。そんなわけで、新宿武蔵野館で映画『重力ピエロ』を観る。選んだ理由は単純明快。「たまたま、あと少しで上映開始だから」である。私は「この映画が観たい!」と思って映画を見に行くのでなく、「何か映画を観たい!」と思い映画館へ行き、それから観る作品を探すタイプの人間だ。わが親友のOが伊坂幸太郎の作品を絶賛していたことも、選択の理由である。
泉水(いずみ)と春(はる)の兄弟には、ある秘密があった。泉水は実の子どもであるが、春は母がレイプされた時に出来た子どもであったのだ…。春の出生の秘密は、地域においては公然の秘密となっている。父は妻が強姦魔の子を身ごもったことを知ったとき、即座に「生もう」と妻を励ます。このシーンが印象的だった。
思わず涙が出たシーン。2段ベットで寝る小学生時代の兄弟の会話。
春「おにいちゃん、レイプって何? みんな僕のことをそういうんだ」
泉水「(しばしの沈黙。その後、思いついたように)レイプ、グレイプ、ファンタグレープ。レイプ、グレイプ、ファンタグレープ」
春「(真似をして、笑顔で)レイプ、グレイプ、ファンタグレープ。レイプ、グレイプ、ファンタグレープ」
楽しげにリズムに乗る春とは対照的に、泉水は沈んだままの表情だった。
レイプされて生まれた子ども。本人は何も悪くないにも関わらず、周りはその子を悪く言う。子どものもつ苦しみを感じた映画である。
昔、早稲田松竹で観た『サラエボの花』のテーマも、『重力ピエロ』と同じであった。主人公・エスマは、ボスニア紛争中、兵士のレイプに遭いサラを身ごもる。サラには長い間、この事実は秘密にしていたが、ある日エスマは事実を口走ってしまう…。取り乱すサラとエスマ。けれど学校の旅行にいくサラを見送るラスト・シーンには希望が見えている。手を振るサラのアップが印象深かった。
映画館を出た私の目には、再び新宿の光景が広がる。『重力ピエロ』の泉水と春は、なんだかんだいい兄弟であった。私と弟の関係も、そのようなものにしていきたいと思う。お互い東京に住んでいながら、最近全く会っていなかったからだ。
『重力ピエロ』原作:伊坂幸太郎 監督:森淳一/2009年/日本
『サラエボの花』監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ/2006年/ボスニア・ヘルツェゴビナ
追記
●最近、本を読むのが面倒になってきた。人が「この作家、いいよ」といっても、あまり読む気がしない。
そのかわり、「名著」の映画版(あるいはマンガ版)を積極的に観るようになった。『重力ピエロ』も、いちど伊坂幸太郎の作品に触れておきたい思いから観ることにした。
2009年8月3日月曜日
早稲田に受かる人はどんな人たちか?
『入学データ集2010』を開く。受験のデータを見ると、いろいろ面白い。一緒にもらえる「早稲田大学案内」は読まないことにしている。読めば読むほど、「へー、早稲田ってこんなにいい大学なんだ。そうは全く見えないんだけど」とツッコミたくなる衝動を押さえにくくなるからだ。
わが教育学部・教育学科・教育学専修の2009年度入試の倍率は5.8倍。私のとき(2006年度入試)とほぼ同じだ。一応、チェックしておく習慣がある。
「出身高等学校所在地別状況」という項目に目が行く。早稲田に来る人たちの出身地がほぼ分かる、という便利な資料だ。
最も数字が多いのが東京都。31.43%もの学生が東京にある高校出身だ。地域としては関東の高校出身者が全体の71.14%を占める。うーむ、早稲田はほとんど「関東人」のための大学といえそうだ。
わが故郷・兵庫の出身者はわずか1.42%なり。みんな、ワセダになんか来ないんだ、と思うと寂しくなる。近畿地方までみると4.94%。早稲田生100人中、5人ほどが関西の高校出身。関西は少数勢力だなあ、と心もとない。
リストの一番下に私の目は止まった。「高卒認定等」の欄である。なるほど、「出身高等学校所在地」であるわけだから「高卒認定」試験で入ってきた人は除外されているわけか。「高卒認定等」の受験者は1397名。合格者は134名。2009年度合格者全体に占める割合は0.92%である。
ちなみに、北海道の高校出身者は0.97%である。「高卒認定等」で早稲田に合格した割合とほぼ同じ。早稲田大学内で北海道の高校出身者に会うのと同じくらいの割合で、「高卒認定等」合格者がいるのである。私のいるゼミに、北海道の高校出身の先輩がいる。この方と遭遇したのだから、案外「高卒認定等」でワセダに来た人はいるのだろう。
フリースクール→高卒認定→大学進学、というルートが認められることを期待している私にとって、このニュースは非常に嬉しい知らせであった。
水族館劇場『谷間の百合』
野外公演。ちょうど、天候は雨が降ったり・やんだり。ビニールシートに座っていた私と親友は、頭にタオルをかぶるなどして対応した。どんよりとした天気は本演劇のもつ暗いイメージと非常にマッチしていた。天候という偶然の産物が、演劇という時に偶然性をも利用する芸術と、うまくおりあっていたといえるだろう。ヒロインの「これからの一条さゆり」の、今後の人生への暗い展望が、心情描写として描かれていた。
ストーリーとしては、ストリッパーとして働く「これからの一条さゆり」のもとに、将来の一条さゆり(「あれからの一条さゆり」)が会いにくる。いまは売れっ子の踊り子・一条さゆりであるが、その内全く売れなくなり、酒に溺れ、釜ヶ崎の住人となってしまうほど落ちぶれてしまう。「あれからの一条さゆり」は「あんな町へ行ったらあかん」と、忠告に来たのだ。
「これから」と「あれから」の一条さゆりは互いに苦しい身の内を語り合った後、抱きしめあうところで幕となる(野外なので、本当の「幕」はないけれど)。
「人間は阿呆でさびしんぼうや」というセリフに、非常に惹かれるものがあった。続けて「夜になると人が恋しくなり、酒を飲む。寂しさが分からなくなるくらいまで飲む。金がなくなると、体を売る」。私も夜になると、無性に寂しい思いになり、酒を飲んでしまう。「あれからの一条さゆり」の寂しさが、無性に伝わってきて泣きたい思いがした。
調べてみた所、この「一条さゆり」は実在の人物であるようだ。60~70年代に一世を風靡したストリッパー・ポルノ女優。晩年は釜ヶ崎で寂しくこの世を去ったと聞く。
野外公演も、ぎゅうぎゅう詰めで観る演劇も初めてなので、非常に印象深かった。学生演劇くらいしか今まで観ていなかったが、プロの演劇は違うと実感した。早稲田での公演でありながら、観客は中高年ばかり。早稲田生は数えるほどしかいないようである。