たとえば、ある社会起業家は、後継者不足で悩む伝統陶芸の窯元に、若者を紹介する事業を立ち上げました。またある人は、増加するひきこもりやニートの人たちが社会から孤立しないよう情報を提供し、社会に復帰するきっかけを作ろうと、ニート専用のインターネットラジオ番組を始めています。(6頁)さきの引用文の後、筆者はこう続けていた。「社会貢献」を仕事にする社会起業家への温かな眼差しが感じられる(こう書いている自分が気恥ずかしくなる)。
印象的だったのは、田坂広志(シンクタンク・ソフィアバンク代表、多摩大学大学院教授)のコメントである。田坂は、「社会起業家という人材像は、本来、日本人から見ると古く懐かしい話です」(223頁)と語る。それは、元々日本人は自己の利益のためでなく、社会貢献のために働いてくるというメンタリティーを持っていたためだ。
この国では、町の豆腐屋さんでも、栄養のある美味しい豆腐を作って、地域に健康を届けたいといった志を当たり前のように語ります。世の中に貢献する、という思いは魚屋さんだろうと八百屋さんだろうと、日本人はみんな持っていた。そして、日本では、定年退職した人が、まあまだ元気なうちは世の中のお役に立ちたいと、誰もが素直に言います。この日本人の精神は、まさに、欧米の人たちが言う、社会起業家の精神そのものです。(223頁、田坂の発言より)
日本人はもともと社会起業家の精神を持っていた。それが、グローバリゼーション等の海外からの概念(村上ファンド社長の「金儲けは、悪いことですか?」に代表されるような利益重視の姿勢)のために、いつしか忘れはじめてきた。
「『働く』という言葉は、『傍』(はた)を『楽』(らく)にするという意味」(同)を、忘れないようにすること。これがいまの日本に必要なことなのだと、田坂は語っている。
なお、本書にも紹介されている山本繁(コトバノアトリエ代表)のブログはこちら。
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