わが早稲田大学の演劇博物館前広場において、水族館劇場という劇団の公演が行われた。『谷間の百合』というタイトルだ(同行したわが親友は「百合」が読めなかった)。「伝説のストリッパーの芝居を上演します」という説明から密かな「期待」があったが、案の定その「期待」は現実のものとなった(何を意味するかはここでは書かない)。
野外公演。ちょうど、天候は雨が降ったり・やんだり。ビニールシートに座っていた私と親友は、頭にタオルをかぶるなどして対応した。どんよりとした天気は本演劇のもつ暗いイメージと非常にマッチしていた。天候という偶然の産物が、演劇という時に偶然性をも利用する芸術と、うまくおりあっていたといえるだろう。ヒロインの「これからの一条さゆり」の、今後の人生への暗い展望が、心情描写として描かれていた。
ストーリーとしては、ストリッパーとして働く「これからの一条さゆり」のもとに、将来の一条さゆり(「あれからの一条さゆり」)が会いにくる。いまは売れっ子の踊り子・一条さゆりであるが、その内全く売れなくなり、酒に溺れ、釜ヶ崎の住人となってしまうほど落ちぶれてしまう。「あれからの一条さゆり」は「あんな町へ行ったらあかん」と、忠告に来たのだ。
「これから」と「あれから」の一条さゆりは互いに苦しい身の内を語り合った後、抱きしめあうところで幕となる(野外なので、本当の「幕」はないけれど)。
「人間は阿呆でさびしんぼうや」というセリフに、非常に惹かれるものがあった。続けて「夜になると人が恋しくなり、酒を飲む。寂しさが分からなくなるくらいまで飲む。金がなくなると、体を売る」。私も夜になると、無性に寂しい思いになり、酒を飲んでしまう。「あれからの一条さゆり」の寂しさが、無性に伝わってきて泣きたい思いがした。
調べてみた所、この「一条さゆり」は実在の人物であるようだ。60~70年代に一世を風靡したストリッパー・ポルノ女優。晩年は釜ヶ崎で寂しくこの世を去ったと聞く。
野外公演も、ぎゅうぎゅう詰めで観る演劇も初めてなので、非常に印象深かった。学生演劇くらいしか今まで観ていなかったが、プロの演劇は違うと実感した。早稲田での公演でありながら、観客は中高年ばかり。早稲田生は数えるほどしかいないようである。
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