2009年8月24日月曜日

「2009不登校を考える 第20回全国大会」と「不登校の子どもの権利宣言」

 昨日、「2009不登校を考える 第20回全国大会」が終了した(8月22日~23日)。この大会は保護者の部門と子どもの部門に分かれて開催された。
 フリネット(フリースクール全国ネットワーク)ボランティアの私は、子どもの部門のほうでスタッフとして関わらせていただいた。子どもの部門は「子ども交流合宿ぱおぱお」という名称で行われた。

 大会のエンディング。「不登校の子どもの権利宣言」という文章が発表・採択された。これは不登校の子ども達が作った、画期的な宣言文である。大会の実行委員長のひとり・K君が中心になり、話し合いに話し合いを重ね、作った宣言だ。前文を引用する。

前文
 私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。
しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを、十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。
不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。
 おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考えや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会をつくっていきませんか。
 多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるように、今日この大会で次のことを宣言します。
 このあと、13条にわたって様々な権利が主張される。
1、教育の権利
2、学ぶ権利
3、学び・育ちのあり方を選ぶ権利
4、安心して休む権利
5、ありのままに生きる権利
6、差別を受けない権利
7、公的な費用による保障を受ける権利
8、暴力から守られ安心して育つ権利
9、プライバシーの権利
10、対等な人格として認められる権利
11、不登校をしている私たちの生き方の権利
12、他者の権利の尊重
13、子どもの権利を知る権利

 実行委員長の奥地圭子さんは「この提言を聞いていて思わず涙が出てきた、と参加者が何人も語ってくれた」とおっしゃっていた。


なお、参加者の方が「不登校の子どもの権利宣言」へのコメントを書いているブログがありましたので、ご紹介いたします

個への対処と、全体の変革の矛盾。

 不登校という「個」への対応を、フリースクールは行っている。
 けれど、これは時に宮台真司のいう、スクールカウンセラーの矛盾にもつながる。個への対応をすることは、時に全体の変革の妨げとなり、現状は変わらないという矛盾である。
 どういうことかというと、スクールカウンセラーは「鬱っぽいんですけど・・・」という生徒への対応を行う。そのために、うつ気味の状態回復のプログラムを個人に提案したり、じっくり話をきいたりする。それ自体は個の対応として重要なことだ。けれど、スクールカウンセラーは鬱の原因を作った学校や家庭それ自体への対処を行うことは(ほとんど)ない。
 最近はましになったが、教員とスクールカウンセラーの連携が取れていないところもあった。そういう場所では「教師は教える仕事、スクールカウンセラーは治す仕事」と単純に仕事の割り振りが行われ、スクールカウンセラーの声が教員に届かない状況があった。スクールカウンセラーが個にいくら対処しても、学校や家庭自体が変わらないならばいつまでたっても状況は好転しない。

 この矛盾に対し、2つの考え方がある。1つは「個」に接し、対処して「治った」子どもが多くなると、社会システム自体が変化するという考え方だ。つまりスクールカウンセラーによって「治った」子どもが増えてきたら、自然と精神的に悩む子どもが少なくなる、という考え方である。これには批判ができる。病院の存在である。病院で治療しても、その病気やけがの発生が減るということはない。
 もう1つの考え方は、「個」への対処では限界がある分、システム自体を変えるという発想だ。フリースクールの例で言えば、個別のフリースクールの対応のレベルから次の2つの活動に広げていくことが挙げられるだろう。①全国組織であるフリースクール全国ネットワークを結成し、政策提言(既存の学校システムへの変革)や予算請求などを行いやすくし、より広域での活動を行うということ。②東京シューレやきのくに子どもの村学園のように、学校システムそれ自体へ参加し、「現在の学校制度内でもフリースクール的教育実践は可能なのだ」示すこと。この2つである。不登校の子どもという「個」への対応にとどまっていると、目前の子どもしか関わることができない。けれど、システム自体の変革に目を向けていくと、より広範な子どもと関わることができる。
 いま不登校は12万6000人いるといわれている。学校システムや教育システムの変革が必要となってきているようである。個別のフリースクールでの「個」への対応が重要なのは言うまでもないが、より広範な対応を行うため学校/教育システムの変革を①や②の方法で取り組んでいくことがこれからさらに必要になってくると考えられる。
 
 

大島七々三『社会起業家になる方法』(アスペクト、2009年)

最近、心ある友人/先輩が「社会起業家」という言葉を発するのを聞くようになってきた。「社会起業家とは、社会が抱えるさまざまな課題の解決のために、事業として取り組んでいる人たちのことです」(6頁)と、筆者はあっさりと説明する。このあと、6名の「社会起業家」を紹介し、読者に「社会起業家」とはどんな職業で、どんな人がその職業を行っているのか伝えていく。この仕事は株式会社だったり、NPOだったり、「週末起業」だったりと、特定の形態のあるものではない。それ故に、「人」に注目した書き方をとっているのだろう。

たとえば、ある社会起業家は、後継者不足で悩む伝統陶芸の窯元に、若者を紹介する事業を立ち上げました。またある人は、増加するひきこもりやニートの人たちが社会から孤立しないよう情報を提供し、社会に復帰するきっかけを作ろうと、ニート専用のインターネットラジオ番組を始めています。(6頁)
さきの引用文の後、筆者はこう続けていた。「社会貢献」を仕事にする社会起業家への温かな眼差しが感じられる(こう書いている自分が気恥ずかしくなる)。

印象的だったのは、田坂広志(シンクタンク・ソフィアバンク代表、多摩大学大学院教授)のコメントである。田坂は、「社会起業家という人材像は、本来、日本人から見ると古く懐かしい話です」(223頁)と語る。それは、元々日本人は自己の利益のためでなく、社会貢献のために働いてくるというメンタリティーを持っていたためだ。

この国では、町の豆腐屋さんでも、栄養のある美味しい豆腐を作って、地域に健康を届けたいといった志を当たり前のように語ります。世の中に貢献する、という思いは魚屋さんだろうと八百屋さんだろうと、日本人はみんな持っていた。そして、日本では、定年退職した人が、まあまだ元気なうちは世の中のお役に立ちたいと、誰もが素直に言います。この日本人の精神は、まさに、欧米の人たちが言う、社会起業家の精神そのものです。(223頁、田坂の発言より)

日本人はもともと社会起業家の精神を持っていた。それが、グローバリゼーション等の海外からの概念(村上ファンド社長の「金儲けは、悪いことですか?」に代表されるような利益重視の姿勢)のために、いつしか忘れはじめてきた。
「『働く』という言葉は、『傍』(はた)を『楽』(らく)にするという意味」(同)を、忘れないようにすること。これがいまの日本に必要なことなのだと、田坂は語っている。



なお、本書にも紹介されている山本繁(コトバノアトリエ代表)のブログはこちら

2009年8月22日土曜日

『脱学校化の可能性』「解説」より。

『脱学校化の可能性』「解説」より。


「近代文明と人間に対するラディカルな問いかけ」をする人々が1960年代後半から1970年代初頭に現れてくる。
  ↓
「この時期にはまた『脱学校化』を唱える人々と共に,様々な学校批判と改革を主張する一群の人々があらわれた」(197頁)

「このようなラディカルズと呼ばれる人々をデイヴィッド・ハーグリーブズは脱学校論者(Deschooler)と新ロマン主義者(New Romantics)とに分類している」(197頁)
脱学校論者:「教育制度と社会を根本的に批判し、ラディカルな代案の構想を提案している人々」「彼らの主な仕事は、社会の構造の中における教育の構造についてであり、学校の廃止を主張し、教育は特定の教育制度の仕事であることをやめ、かわりに社会の様々な部門に拡散される」
「イヴァン・イリッチ、エヴァレット・ライマー、パウロ・フレイレ、等」
「長期的で幅広い展望」「学校ばかりではなく社会の変革」(分析の焦点)

新ロマン主義者:「現在の教育の実践には非常に批判的ではあるが、学校にかわるラディカルな代案よりも改革を主張する。彼らの主な関心は、カリキュラム内容の再構成や教育の性格の再規定であり、その分析は、ほとんどミクロな社会学的レベルあるいは社会心理学的レベルである」「脱学校論者の学校診断を受け容れているが、教師や学校そのものを攻撃しているのではなく、教育制度内改革を目ざしている」
「ハーバート・コール、ニール・ポーストマン、初期のジョン・ホールト、カール・ロジャース、オンタリオ教育研究所の人々や、さかのぼれば、サマーヒルのニール、フリーデンバーグ、コゾル等」(198頁)
「短期的(展望)」「焦点は教室の中」(分析の焦点)

*ポール・グッドマンは、脱学校論者、新ロマン主義者「双方のグループの父と言われている」(199頁)

国立東京近代美術館

 友人Nのすすめで、国立東京近代美術館に行く(最寄り:東西線竹橋駅)。ゴーギャン展を素通りして(前回来たから)常設展のみ見る。学生130円はバカなくらい安い。行かないのは損である。

 Nの話では「日本の近代絵画の、明治時代から現在までの変遷がわかる」とのことだった。受験用の日本美術史程度の知識しかない私の目には、はっきり言ってあまり絵画の変遷がよくわからなかった。しかしながら黒田清輝など、名前だけ知ってる画家の作品を知ることができた点は大きかった(受験知にも効能があるものだと実感する)。一通り見た後、戦後絵画史上で岡本太郎だけが一種独特な雰囲気をもっているように感じた。

 個人的に好きだったのは、2階の田中新太郎の展示。パネルを展示する柱のような作品「偏光」を、私は作品と思わずに跨ごうとした。すぐに背後から係員の「跨がないで下さい」との注意が飛んできた。真鍮で出来たその作品は、作品と言われないと作品には見えない。
 会場に田中新太郎のトーク映像が上映されていた。ネオダダの流れを汲む田中の絵画論は、本当に面白かった。
〈私たちは言葉で考える「思考」を行っている。そうではなく、目で考えるという「視考」を行うべきだ。言葉でじっと考えるのでなく、目で視考するのだ。対象に寄り添って共有をするのだ〉
 このメッセージを聞き、「臨床の知とは何か」という岩波新書を思い出した。対象の分析ではなく、対象を共有していく態度の重要性を謳った本であった。
 このVTRを見るだけでも、竹橋まで来た甲斐があったように思う。

プロ論

やる気がない時の対象法を私は知りたい。

やる気は無理に出すものではないが、やる気のないものは大体の場合、やる気のあるものに入れ替えられてしまう。

やる気を出す。これは難しい。

プロは最低のコンディションでも、お金をもらえるくらいのパフォーマンスを出来る人のことを言う。どんなときでも要求される水準以上の働きをしなければ、プロではないのだ。

やる気を出すよりも、「プロになる」ことを考え、修行せよ。やる気がなくても、要求する仕事をするのだ。この自覚を忘れてはならない。

幸せになれないのも芸のうち。

 古来より芸術は「ハッピーな人」によって担われてきたわけではない。むしろ逆である。「アヴァンギャルド」とはいい言葉であるが、周囲より「変人」・「風変わり」・「可哀想」と思われてきた側面が強い。今でさえ、アヴァンギャルドつまり前衛芸術家は「アンタたち、そんな変な絵を描いてて何が楽しいの?」という視点に絶えず晒されている。一昔前のアングラ演劇も、全く差別されない芸術だった、といえば嘘になる。
 現代では高い評価を持つ「能」も、然りである。河原者(かわらもの)によって担われてきたのが能である。河原者とは、家がなくて河原に勝手に住まいを作って住んでいる人のことを言う。現代でいえば、そうホームレス。能の演者は被差別民であった。

 ある意味、差別されるという属性を持つからこそ、芸術を行えるように思える。差別され、世間一般的な「幸せ」をつかむことができないからこそ、芸術に打ち込むのだろう。
 幸せになれないのも芸のうち、である。幸せになる道はたくさんある。「にもかかわらず」、幸せになれない芸術の道を行く。だからこそ、いい芸術が生まれるのだろう。幸せすぎる人間は、そもそも芸術に手を出さない。出しても途中で辞めてしまう。
 ゴーギャンは希有な人間だ。人生途中から絵を描きはじめ、生涯を絵に賭けた人物だからだ。ゴーギャンは株仲買人として成功するが、途中から本気で画家を目指す。生計を立てられないから妻子と別居。どんどん貧しくなる。南の島に夢を求めてタヒチに行くが、そこでも自分は異端扱い。絵を描いてパリに戻っても、そこに馴染むことができない。仕方なく、再びタヒチに。最愛の娘の死の知らせは島で聞くことになる。悲嘆するゴーギャン。彼は遺書のつもりで絵筆を握る。最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへいくのか」がこうして生まれるのである。
 ゴーギャンは、絵を描けば描くほど不幸になった。けれど不幸だからこそ、恐ろしいほどの名画を残すことができた。いま竹橋の美術館で観ることが出来るのも、彼が不幸であったためである。ありがとう、ゴーギャン。
 
 ゴーギャンの生涯を見てみると、改めて「幸せになれないのも芸のうち」との認識を強くする。
 
 幸せになれないのも芸のうち。
 組織に馴染めないのも一種の才能。

 私がブログを書くのも、幸せだから書くのではない。書くことでつかの間の幸福を感じられるから書くのであって、もとが幸せだから書いているわけではないのだ。「悩み」があるからこそ、ブログを書いているのだろう。

 しかし、何事にも例外がある。ルーベンスがそうである。彼は生涯、ずっと幸せな生活を過ごす。絵も生前から好評価。うらやましい限りだ。

2009年8月20日木曜日

山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』

 この本は恐ろしい本である。特に私のようにイリッチを卒論のテーマに掲げた人間にとっては。

 イリッチに師事した人物だからこそのイリッチ論。他のイリッチ論とはあまりに異なっている。

〈学校化〉が明確にされるとは、つまり「産業的生活様式」が明確になることであって、彼を〈脱学校論者〉として紹介や翻訳をするのは少なくとも本筋をはずれています。イリイチに「脱学校(post-schooling)を求めるのは、「イリイチ思想」の水準では確実に誤りです。(212頁)


 山本はイリッチのdeschoolingを「非学校」と呼ぶ。元々イリッチが言っているのは「非学校」であって、「脱学校」論ではない、ということである。私は強烈な誤解をしていた、ということだろうか。
 『教育思想事典』で森重雄は言っている。

脱学校化とは、冠辞がpostではなくdeであるのだから、厳密には「学校解体」と訳さなければならない。ところが1970年代は、社会学・社会科学において「脱工業化社会」(post industrial society)論が華やかなりし時分であったから、教育会もこれにあやかって「脱」と訳出したものと思われる。(88頁)


 要はブームだったから「脱学校」と訳してしまった。結果、イリッチの真意が伝わりにくくなってしまった、ということだ。翻訳者の責任は意外に大きい(けれど森は続けて「脱学校化という訳出は、学校化からの脱出という点で、はからずも正鵠を射た訳語である」と評価している)。

 卒論を書きつつ、山本の本は真剣に読み、論文の不備を直していきたい。

飛べないテントウムシ

 新聞に「世界初 飛べないテントウムシ」を遺伝子操作でつくり出した、というニュースが載っていた。

 テントウムシはアブラムシ等の害虫を食べる「益虫」(えきちゅう)である。遺伝子操作で羽のないテントウムシを畑に蒔けば、勝手に飛んでいかないので効率よく害虫駆除が出来る。農薬で害虫を殺す必要がないため、「環境に優しい『生物農薬』に」と書かれていた。

 よく考えるなら、これって恐ろしいことではないか? 確かに「遺伝子組み換えではなく、子孫は羽のある正常なテントウムシが生まれるため、生態系への影響は少ない」とは言っている。けれど、だからといってこの技術の使用を許可して構わないのだろうか? 

 残念ながら、感情論としてしか私は反対できない。論理面・倫理面から批判を行う頭脳を持っていない。
 科学技術の発展に対し、感情論で反対をしていても何の問題解決にもならない。必要なのは論理的な批判である。
 教育学徒としては、いかにすれば「論理的な批判」を科学技術に対し行える技術を教育できるか、が気にかかる。この場合の教育とは、子どもに行う教育ではなく、自己教育である。自己を教育できないものに、他人を教育することはできないはずだからだ。

参考:http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKB0139%2020072009&g=K1&d=20090722

内田樹の、「学び」論

いつも私は内田樹「先生」のブログを拝見している。

ときたま、思わぬ発見がある(結構な確率で「これ、何のこと?」と自分の理解度の低さを嘆くが)。

卒論に使える題材が書かれていたので、コピーしておきたい。
/////////

私たちの時代の子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの「先駆的に知る力」が破壊され尽くしたからである。
「学び」は、それを学ぶことの意味や実用性について何も知らない状態で、それにもかかわらず「これを学ぶことが、いずれ私が生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろう」と先駆的に確信することから始まる。
学び始める前の段階で、学び終えたときに得られる知識や技術やそれがもたらす利得についての一覧的な情報開示を要求する子どもたち(「それを勉強すると、 どんないいことがあるんですか?」と訊く「賢い消費者」的な子どもたち)は、「先駆的な知」というものがあることを知らない。
彼らは「計画に基づいて」学ぶことを求めている。
自分が実現すべき目的のために有用な知識や情報だけを獲得し、それとは関係のないものには見向きもしない。
おそらく本人はきわめて効率の良い、費用対効果の高い学び方をしていると思っているのだろう。
だが、あらかじめ下絵を描いた計画に基づいて学ぼうとするものは、「先駆的に知る」力を自分自身の手で殺していることに気づいていない。
「先駆的に知る力」とはまさしく「生きる力」のことである。それを殺すことは緩慢な自殺に他ならない。
武道は「先駆的な知」の開発に特化したメソッドである。私たちはそれを「気の感応」とか「気の錬磨」というふうに呼んでいるのである。
内田樹の研究室より。

追記
 諏訪哲二『間違いだらけの教育論』において、内田樹は批判の対象となっている。内田の言う「学び」は「真理」としての教育を説いているが、「真理」としての教育を発動させるにはまず「啓蒙」の教育を行う必要性があるのだ、と。
 「啓蒙」の教育の後、「文化」の教育、「真理」の教育に段々とすすんでいく。肝心なのは、なまみの人間は「学ぶ」必要性を実感しないということである。この「学び」を発動させるための仕組みが「啓蒙」の教育なのだと諏訪は語っているのである。

いろんな「学校化」。

いろんな「学校化schooling」論。

まず山本哲士から。

学習や教育が学校に独占され、学校を通じて学習・教育が生産され価値あるものとなる「産業的生産様式」の典型。「学校」という形態とは区別されるべき、生産様式が「学校化」であり、学校の視えない働きとなっている。教育が制度化されて学校化が構成される。学校化に対抗するものが「非学校化deschooling」で、聖なる学校から教育を世俗化することを意味する。(『学校の幻想 教育の幻想』ちくま学芸文庫、17頁)


 山本はイリッチの脱学校化を「非学校化」と呼んでいる点に注意したい。


次は、『新教育事典』(勉誠出版、2002)の「学校化する社会」(楠本恭之)から。

イリイチが問題とする「学校化」とは、こうした「学校」への、子どもをはじめとして、社会までもの、いわゆる「囲い込み」を意味する。彼は、『脱学校の社会』のなかで、「学校は教育に利用できる資金、人および善意を専有するだけでなく、学校以外の他の社会制度に対しては教育の仕事に手を出すことを思いとどまらせてしまう。労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活までもが教育の手段となることをやめ、それらに必要な習慣や知識を教えることを学校に任せてしまう」ことを問題とするのである。(187頁)


 前半に注目。宮台真司のいう「学校化」は、〈学校的価値が社会に吹き出す〉ことであった。イリッチの定義は反対に、学校への「囲い込み」を意味している。まあ、結果的にはよく似たことを言ってるような気もするが…。

 続ける。

イリイチの『脱学校の社会』という指摘は、こうした意識のもとに、社会の「脱」学校化を進め、自発的な「学びのための網の目」を、社会のいたるところに張りめぐらすことを考えたものであった。彼が意図したのは、単なる「学校廃止論」ではなく、人間と環境との間に新たに教育的関係をつくりだすことであった。したがって、われわれが「学校化する社会」において留意しなければならないのは、「ポスト『脱学校の社会』」として、あらためてイリイチを見直すことである。(189頁)


 
 最後は『教育思想事典』(教育思想研究会編)の「学校化」(森重雄)から。

ちなみに、イリイチ自身はのちに、学校化概念は、(中略)学校や教育による人間精神の去勢の指摘にもとづく人間精神の全面的疲弊・汚染に対する警告であったと述べている。(88頁)


真の教育は学校というレイアウトではけっして行うことができず、イリイチのいう、脱学校型の「学習のためのネットワーク」のもとにはじめて可能になる、と考えられていた。この学習のためのネットワークとは、ある知識を必要とする人とその知識を提供できる人をアドホックに結合することであり、それはコンピュータ・ネットワークにもとづくデータベース構築というテクノインフラによって可能となる。ここでは固定的な教師―生徒関係は生まれないし、出来合いの知識パッケージを必要な知識であると思いこまされることもない(石田注 要はこれは「価値の制度化」ということ)。これによって真の意味での教育が可能になるとイリイチは考え、これが真の教育を可能にする脱学校化の具体的な姿であるとして提唱したのである。(89頁)



 ずーっと打ち込みをしていると、手が疲れるし、眠くなる。
 先輩のOさんによれば、学者とは論文の「職人」であるという。
 ひょっとすると、テニス選手が素振りをするように、大工さんが鉋を磨くように、学者が空き時間に資料をキーボードで打つのも、一種の「職人ステータス」といえるのかもしれない。
 キーボードを叩くことを、「学問してる!」と誤解すること。学問的価値の制度化、といえるかもね。

余談
●通信教育の大学では夏場、「スクーリング」が行われる。直訳すると、「学校化」。いままでは家で学んでいたために学校へ取り込まれなくて済んだものを「学校化」させるイベント。うーん、恐ろしい。

ジョン・ホルトを探れ!

 卒論を書き始める。このブログに書いた内容を継ぎはぎするだけで、もう2万字になった。あと1万2000字。8月中に終りそうな気がしてきた。

 まとめるにあたって、イリッチ以外の脱学校論者を知る必要が出てきた。
 というわけで、今日はジョン・ホルトについてを書いておきたい。

 タネ本は金子茂・三笠乙彦編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)の「子ども その権利と責任」(佐藤郡衛、222頁〜)より。

1970年代にはイリイッチやライマーらの強い影響を受け脱学校論に深い共感を示すようになり、脱学校論という視点から次々に論文を発表していく。(223頁)


ホルトは他の脱学校論者と異なり、学校の存続を認めており、子どもが学校へ行くにせよ、行かないにせよ、その選択を子ども自身がすることを提唱している。彼の主張の根底には、子ども中心の思想が流れている。(222頁)


 お、出ました「子ども中心」との言葉。良さげな学者ではないか。

ホルトの子ども観はきわめて明確である。子どもを一人の人間として大人と変わらないように認めてやること、大人よりもあらゆる面で劣っているという見方を改めることである。(223頁)


子どもは大人からすべて与えられたり、押し付けられたりして、自ら決定できる範囲がきわめて少ない。このため、子どもが自分の行動に対して、自ら選択できる範囲を広げてやることが必要である。つまり、大人のいっさいの「管理」を拒否し、自由の回復をはかることをめざしているのである。(225頁)


子どもに対する「教育」から子ども自身による「学習」へと、言葉を変えれば「管理」から「自由」の教育へという発想の転換をはかろうとするものである。(224頁)


 神戸フリースクールの設立者が面白いことを言っていた。
「ボクは普通の学校の子って、ブロイワーやと思うんやね。そやけどフリースクールの子は地鶏や」。
 ブロイワーは与えられたエサだけを食べる。他に興味も何もない。というか、よそ見をしないことが求められる。
 地鶏は自分の力でエサを探す。与えられるエサだけでなく、土を掘って虫やミミズも食す。どちらがたくましく育つか、言うまでもない。

決意と持続の関係性。

 サークルで、なかなか青っぽい話をした。いま早稲田にいる意味は何か? 自分は将来、どのように生きていくことが正しいのか? なにを今決意して、社会に出るべきか?

 「青っぽい」というのは、青年っぽい、ということだ。現実を見据えないからこそ、言えることでもある。江川達也のいわく「世の中の人は、これほどまで自分のことしか考えないのかと知った」。しょせん人は、色と欲。言ってしまえばそれまでだ。

 しかし、「あえて言う」ことに意義がある。あえて、自分の将来についてを話し合うことに意味があるのだ。
 
 一通り話し終わった後、私は発言した。
「いま言った話を、40年経っても自覚できるかどうかが大事なんじゃないか」
 まわりが静まった。「持続」こそが難しいのである。

 決意を持続するのどうやればよいのだろう? そこでは語らなかったが、ここで書いてみることにする。
 
 決意とは、持続しないからこそ決意なのである。三日坊主に終る人間は、「次こそは、絶対挫折しない」といくら強く決意しても、やはりすぐに挫折する。
 挫折するからと言って、「挫折しないように強く強く決意する」ということで対応するのは切りがない。
 学校現場で言われる「心の理解」も同じこと。子どもの行動をわかってあげられなかった、「もっと心を理解しよう」。やっぱり駄目だった、「もっと心を理解しよう」。無限ループである。

 ではどうするか? 「挫折しない」という決意をする前に、「決意は挫折するものだ」との認識から入ればいいのである。それから、「挫折しかけた時に、再び決意する方法」を考えれば良いのだ。その方法は人それぞれ。気のいい仲間から励ましてもらったり(「恋人」だとなおグッド)、毎朝新たに決意したりするのを習慣にしたりしたらいい。

 重要なのは、「そもそも決意は挫折するものだ」と諦めて認識し直すことである。世の中の「無限ループ」を解除する方法は、「そもそも無理なのだ」とあきらめることから始めるべきだ。
 「心の理解」なら、「心の理解なんて、完全に行うことは出来ない」と諦めることだ。「心の理解は出来ないけど、その子どものためになる授業をしたい」などと認識し直すことである。

 無理なことは、無理だと気づくこと。いい意味の「あきらめ」が必要である。
 先週も、バイト先でタイムカードを押し忘れてしまった私。「もう押し忘れない」と決意する前に、手帳に「タイムカード」と書いておくことにしよう。

2009年8月18日火曜日

「学校化」された私。

 何故だろうか。

 どんなに努力をしても、どんなに「考え方を変えよう」と意識しても、自分の学歴主義を打ち消すことができない。

 今日も、本屋で『東大式 絶対情報学』との本を無意識で購入していた。「東大」という言葉に、まだ体が反応してしまう。

 早稲田大学生は、「東大を諦めた」組が多い。「負け組」認識をもっている側面もある。だから無意識のうちに、「東大」の名に反応してしまう。

 フリースクールやオルタナティブスクールに心惹かれながらも、「東大」というブランド・学歴信仰から逃れられていないのが私である。

 社会学者・宮台真司の「学校化」定義。《家や地域までもが学校的価値で一元化されることを私は「学校化」と呼びます》(『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』281頁)。私の頭の中も、「学校化」されてしまっている。

 卒業論文を書く段になって、自分がいかに「学校化」された存在であるか、実感するようになった。
 
 中学では、私は「優等生」であった。優等生特有の「優等生シンドローム」も発症していた。教員の質問に、真っ先に答える能力。言われたことを、疑わずに実行する力。
 高校に入って、状況が変わる。周りは自分以上の優等生ばかり。中学と同じやり方では太刀打ちできない。私は、中学のとき以上に「優等生」になろうと決意した。
 わが母校では勉強ができること以上に、高校の創立の精神を求めていることが重要視されていた。今の時代、珍しい学校である。校歌を歌い、「真の学園生とはどのような生徒か」真剣に語り合う。無理をしてでも、学問と「精神面」を鍛えようと決意した。「俺はすごいんだ!」と言いたくて、生徒会にも入った。翌年には生徒会長に。けれど、母校では生徒会長の権限は行事の実行委員会よりも小さく、意気消沈。「何のために生徒会はあるのだッ!」と、埃っぽい生徒会室で泣き叫んだ日々もあった。 
 生徒会での自己実現を諦め、受験勉強で「俺は勝った!」と言おうと思い立つ。ちょうどその頃、クラスから見放される事件が起こり、ますます受験に専念した。休み時間は耳栓を付けた。昼食は一人で菓子パンをかじった。他者と折り合わないために。けれど、受験は第五志望にしか受からなかった。
 結局、私は「優等生」になることが出来なかった。中学以来の「優等生気質」はありながら、「優等生」にはなれない。悔しさと、惨めさ。高校の卒業文集に映った顔写真。私だけが笑っていない。
 結果的に悟ったのは、人と比べてもどうにもならないということ。けれど、「人と比べる」ことを私の身体に刻み込んだのは、学校ではなかったか。学校のシステム自体が、人と比べることを要求している。私はそのシステムに、すっかり「学校化」されてしまった。今もこの傾向は残っている。「東大」という言葉への、無意識的反応がそれである。

 ひょっとすると、私がフリースクールや脱学校論に関心を持つのも、「学校化」の成せる技ではないだろうか? つまり、東大に行けなかったという私のルサンチマン(恨み)が、学歴主義に反するフリースクールに心惹かれるきっかけとなっているのではないか、と思うのである。

 ただ、自分がいかに「学校化」された存在であるか、気づけたことだけでも、大学に行った意味があったように思う。早稲田の教育学部に行かなければ(もっといえば、脱学校論についてをK先生の授業で聴かなければ)、このことを自己認識することはなかったであろう。
 人生は、誠に奇妙なことである。第一志望に行くことだけが、幸福なのではない。私にとって、早稲田の教育学部は第五志望。夏に諦めた東大を入れるなら、実に第六志望となる。

 …自称「三流エリート」、石田一のモノローグでした。
 

*宮台真司『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』朝日文庫、2002年。

2009年8月17日月曜日

卒業論文レイアウト。

何度も変遷しているが、卒論の概要は次のようにしたいと思う。

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題目:イリッチ『脱学校の社会』の現代的意義の考察(「学校化」「脱学校」「価値の制度化」「ラーニング・ウェッブ」の定義の考察)


序論:『脱学校の社会』特有のキーワードを探る。

本論:イリッチ『脱学校の社会』を読み解く。
イリッチが本書を書いた理由は何か?
  ライマー、ホルトなどの影響。
  「価値の制度化」への批判
価値の制度化とは何か?
  価値観の転倒する社会
学校化とは何か?
  「学校化」という言葉をめぐる混乱
     宮台真司・上野千鶴子の「学校化」とイリッチの「学校化」の違い
       学校的価値が吹き出す社会(宮台)
       学びが制度化する(イリッチ)
ラーニングウェッブとは何か?
  イリッチの描くラーニングウェッブ像
  ブログ空間によって、ラーニングウェッブは構築可能か?
イリッチのフリースクール観
  フリースクールを否定的にみるイリッチ。
  「脱学校」とフリースクールはイコールではない。
  フリースクール論はニイルに求めよ。

結論:『脱学校の社会』から何が見えてくるか。
「価値の制度化」が起きていないかを常に確認せよ。
ウェブ時代におけるイリッチ再考の必要性。
今後の課題
  イリッチの思想の変遷を探る
  フレイレとの出会いの前後の変遷。
  ニイル思想の研究の必要性。

参考文献

フリースクールにおける、ミーティングの意義。

 クロンララスクールは東京シューレが交流を行っている、アメリカのフリースクールである。『フリースクールとはなにか』によると、「クロンララスクールは、設立が古いということだけでなく、さまざまな機会をとらえて子どもが中心の教育の大切さを説いてきており、フリースクールとしてもホームエジュケーション運動の拠点としてもアメリカのリーダー的存在の一つである」(42頁)と紹介されている。
 クロンララの活動の鍵となるのは、ミーティングである。再び、『フリースクールとはなにか』より引用する。

クロンララの活動はミーティングで話し合って決められている。子どもとスタッフが対等のクロンララでは、ミーティングでもそれは同じである。子どもの提案もスタッフの提案と同じように扱われるし、決を採るときは、子どももスタッフも同じ一票をもっている。そればかりではない。スタッフの採用も、子どもたちがほかのスタッフと話し合って決めるのだ。スタッフの希望者は、子どもと前からいるスタッフのインタビューを受け、何日かクロンララで過ごしたあとで、子どもとスタッフのミーティングで話し合って決められる。(『フリースクールとはなにか』、43~44頁)

 『超・学校』で紹介されたサドベリーバレースクールにも、同じような記述があった。子どもとスタッフは同じ1票を持つということ、スタッフの人事に子どもも加わって話し合うことなど、共通点が多い。
 東京シューレでは活動を話し合う、というレベルでミーティングが重視されている。けれどスタッフの人事まで話し合うということはない。

 直接民主制を成立させるかのように、フリースクールではミーティングが重視されているようだ。

『大人のいない国』(内田樹と鷲田清一の共著)

 好きな作家の本をある程度読んだ後、ブームが去り、その作家の本を全く読まない時期がある。そんなとき、その作家の本を久々に読んだとき、不思議な感情が芽生えることがある。
 その作家の言葉が、脳内からあふれ出してくる。その作家の思考の枠組みが、頭の中によみがえってくる。
 同一著者の本を読みためておくと、未来にその著者の本を再び読んだとき、一気に著者の思考を思い出すのである。
 若いときに好きな作家を見つけ、読みこんでおくことのメリットであろうか。

 久々に内田樹の本を読みながら、このことに気づいた。
 
 以下は、『大人のいない国』(内田樹と鷲田清一の共著)の抜粋である。

●「実学」中心に教育を再編するということは、要するに学校内外の価値観を平準化するということである。(111頁、内田)

→宮台真司のいう「学校化」の、別の表現の仕方である。宮台は〈学校的価値が社会全般に吹き出すこと〉という定義で「学校化」を語った。これは要するに「学校内外の価値観」が「平準化」するということである。

●言論の自由が問題になるときには、まずその発信者に受信者の知性や倫理性に対する敬意が十分に含まれているかどうかが問われなければならない。というのは、受信者に対する敬意がなければ言論の自由にはもう存在する意味がないからである。(83頁、内田)

●教育の目的は信じられているように、子どもを邪悪なものから守るために成熟させることにあるのではない。子どもが世界にとって邪悪なものとならないように成熟を強いることに存するのである。少なくとも、私たちの遠い祖先はそう考えた。(107頁、内田)

→灰谷健次郎的「子どもに学ぶ」姿勢の両義性である。


2009年8月14日金曜日

『オートポイエーシスの教育』、または卒論の概要。

 山下和也『オートポイエーシスの教育』を読んでいる。ルーマンの社会システム論のキー概念である「オートポイエーシス」理論をもとに、教育を再考するという本である。

 山下は、2通りの教育コミュニケーションが存在していることを説明する。ひとつは、「全体としての社会システムの期待される人格一般としての人格の担い手の育成を期待する」普通教育コミュニケーションである。もうひとつは「特定の社会システムの特定の人格の担い手育成を期待する」専門教育コミュニケーションを意味する(117頁)。
 現在では、普通教育コミュニケーションは最低限必要な基準であると考えられている。いわゆる義務教育である。社会の一員となるに当たり、「ないと困る」レベルの内容である。一方、専門教育コミュニケーションは、個人に応じ要求されるものが異なってくる。山下の言葉を使うと、将来になう人格に応じて専門教育コミュニケーションの中身は変わっていくのである。
 この言葉を説明した後、山下は次のように語る。これはイリッチの「学習のためのネットワーク」(ラーニング・ウェッブ)の欠点をしたものだ。

 将来どの人格を担うにしろ、その社会における社会人人格を最低限担えるだけのコードを前もって習得させておく必要が生じ、そのために特化した教育システムが分化してきました。これがつまり普通教育です。技能教育のネットワーク化を唱えて学校を否定するイリッチが見落としているのがこの点で、何を学ぶべきかが個人個人にわかっていないからこそ、学校による普通教育が必要なのです。独学の困難は学ぶべきことの選別にこそ存するのですから。(pp123~124)
 重要な指摘だ。けれど、見当違いもいくつかある。イリッチは確かに『脱学校の社会』のなかで、「技能教育」についても書いていた。けれど、山下の文脈にある意味ではなく、「学校的な機能が役立つのは、技能教育についてだけだ」といっているように私は解釈している。「技能教育」と「ネットワーク化」をつなげてはいなかったはずだが・・・。小中さんに聞いてみようかしら。
 個人は「何を学ぶべきか」「わかっていない」という点が印象的だ。若干、内田樹の語り口を思い出す。内田ならば〈学びとは、何を学ぶべきかわからない状態の中からはじまる。「自分はこれを学びたい」、と学びを商品のように扱うことはできない。学びは、何をどこまで学ぶかわからない中、それでも学び始めることから始まるのだ〉という感じで書くだろう(『街場の教育論』にあったはず)。ある程度学びが進まない限り、「これを学びたい!」という感情が起こることはないようだ。
 この点についてだが、フリースクールの理念を思い出すと、いささか疑問も感じられる。
 フリースクールの「自由な教育」は、「勉強しない自由」も認めている。奥地圭子のいう「ヒロベン」(広い意味の勉強)が行われているから、いまは遊んでいてもいいのだ、という態度である。『超・学校』に紹介されたサドベリー・バレースクールの実践も、「ヒロベン」である。生徒達は何をしてもいい。一日中、釣りを続けてもいいし、学校に来なくてもいい。「これを学べ」とは決して教師が言わず、「これを授業して下さい」と子どもがいうまで、教師はものを教えない。「教育とは待つということだ」という言葉があるが、サドベリー・バレーはそれを地でいく学校(語弊があるなら「学び場」か?)であるのだ。
 サドベリー・バレーのようなフリースクール(あるいはデモクラティック・スクール)において、「普通教育」を行っているといえるのか? 「ヒロベン」という便利な言葉を使うなら、「ヒロベン」を「普通教育」と考えられるのだろうか? 山下は学校内での、制度としての授業を「普通教育」と考えてるようだが、制度によらない「ヒロベン」を「普通教育」ととらえてもよいのであろうか。
 フリースクールなどの「自由な教育」の中で、「最低限必要な学習」が行われることを説明できるなら、いま以上にフリースクールが教育界で重視される存在となると考えるられる。
 けれど自分で書いといて何だが、この結論はフリースクールの命取りともなるような気がしてならない。イリッチは「価値の制度化」という状況への批判を『脱学校の社会』で行ってきた。イリッチのいうラーニングウェッブやフリースクールに、「普通教育を行いなさい」と伝えることは、フリースクールの「フリー」さを損ねる結果となるのではないか。「教えられたことを学んだことの結果だと考える」のが価値の制度化、「学校化」現象である。自由さがウリのフリースクールに、「これを行いなさい」ということは「価値の制度化」といえなくもない。
 方向性としては、いまフリースクールで繰り広げられている学びを、山下の言う「普通教育」ととらえていくという姿勢が必要となるのだろう。東京シューレなど「フリースクール全国ネットワーク」加盟団体であればこの考え方でいい。
 ただし、これは団体に入っているからOK、というわけではない(それでは「価値の制度化」である)。団体加盟の際に加盟条件に適った団体かをチェックする機能が働いているからOKとみなすのである(無理に子どもに教育を与えようとする組織は、外される)。このチェック機能にも残念ながら穴がある。加盟後に不適切な行動をしはじめる団体へのチェックを行えない点だ。実際、フリースクール全国ネットワークの活動を見てみると、「総会」に参加しない団体へのチェック機能がないように思う。また「総会」やその他活動にフリースクールの代表者が参加していても、適切なフリースクール運営をしているかを、「全国ネットワーク」メンバーが確認することはほとんどない。加盟数が100に満たない間は、それでも善意でなんとか運営されるかもしれない。けれど、数が増えて加盟数が300を超えてくると誰も実体を知らない組織が存在することになる可能性がある。絶えず加盟団体の行動をチェックする機構が「全国ネットワーク」に存在するのか否か。それがキーになる気がする。
 話が脱線したので戻すと、フリースクールだから「普通教育が」が「ヒロベン」の名で行われているのだろう、と思うことに危険が伴うのだと私は考えてるということだ。下手に「フリースクールには『普通教育』を制度としては取りいれない」とした場合、「フリースクール」という名称が名ばかりとなっているような学びの場(昨年の丹波ナチュラルスクールなど)に対し、「もっと~~な教育を行いなさい」といえないことになってしまう。
 この問題も、自称「フリースクール」と、「フリースクールの理念に合致した真のフリースクール」が明確に区別され、第三者機関によって評価される時代が来たら、解決するような気がする。現段階では「フリースクール全国ネットワーク」加盟のフリースクールを、典型的な「フリースクール」であると考えておくのが無難なようだ。
 

追記

 卒論では、イリッチのラーニングウェッブに対しての批判を行う内容を行いたいと思う。『学校が自由になる日』内の「学校リベラリスト宣言」の内容を踏まえ、「最低限必要な学習」と「発展的な内容」に教育内容を分けて行うなら、イリッチの主張は実現可能であるということを示したい。

再記

 再び確認してみると、イリッチの本文に、技能教育のネットワークを示唆するものがありました。ただ、山下さんの記述にあるような「技能教育のネットワーク」だけをイリッチが説いたわけではありません。
 …。おかしいな。イリッチは技能教育を学校で行うことに肯定的だったはずなのに…(というか、学校が役立つのは技能教育と大学だけだ、といっていた)。

2009年8月12日水曜日

「にもかかわらず」のボランティア

*本作は私が2年生のときに書いたエッセイである。いまさら見ると、気恥ずかしい。


 ある日のこと。授業が終わり教室をふと見回す。机の上に、誰かの携帯がある。教室にはあなた一人だけだ。このとき、あなたはどうするか?

(1) そのままにしておく。
(2) 学部の事務所にもって行き、「忘れ物です」と伝える。
(3) 中を興味半分に見る。

 先日、私はこの状況に出くわした。授業に行く途中、空き教室に携帯がぽつんとある。授業後に覗くとまだ残っている。その部屋で授業を受けていた人も、確実に視野に入ったはずであるのに、みな携帯をスルーして退出していった。教室の中には私ひとり。時計を見ると、次の授業までもう時間がない。おまけに今日は7限までぶっ通しで授業がある。事務所は19時には閉まってしまう。葛藤が始まった。(3)は論外として、(1)か(2)か。
結果、私は(2)を選んだ。たとえ授業に遅れても、携帯がなくなり、困る人がいるだろうからだ。「勝手に場所を変えたら、かえって見つからなくなる」という人もいるかもしれない。しかし、世の中には(1)してくれる人ばかりではない。時には(3)を選ぶ人がいておかしくないし、場合によっては名簿をどこかの業者に売る輩もいるかもしれない。そう考えて、多少授業に遅れたが事務所に届けたのであった。
 日本におけるボランティア論の先駆に、金子郁容がいる。金子は著書『ボランティア もうひとつの情報社会』において、こう言っている。「『ボランティアとしてのかかわり方』を選択をするということは、(中略)自分自身をひ弱い立場に立たせることを意味する」。ボランティアする者は、ひ弱い立場にある、というのだ。先の例でいえば、確かに授業に遅れ、遅刻扱いされることもある。仮に「携帯を届けにいっていた」と伝えても、遅刻が取り消される保証はない。この決定が、成績に響くこともある。しかし、「にもかかわらず」、リスクを背負ってでも他者のために行動する。これが真のボランティアといえるのではないか。
先に示した引用のあと、金子は次のように書いている。あえて自分を弱い立場に立たせるかわりに、「意外な展開や、不思議な魅力のある関係性がプレゼントされることをボランティア〔する人〕は経験的に知っている」(〔 〕内は藤本)。ここでいう「関係性」とは、他者を思いやれる心であろう。あるいは、相手からの感謝のことであろう。喜ばれるとうれしいから、善意で行動する。誰にも経験があるだろう。
別の例を出そう。あきらかに道に迷っている人がいる。たくさんの荷物を持ち、あたふたしている。自分は授業に遅れそうだ。このとき、あなたはどう反応するか? 授業に遅れそう、でも「にもかかわらず」道を教えられるかどうか。相手からの感謝を期待すること、つまり「意外な展開や、不思議な魅力ある関係性」の「プレゼント」を期待して行動できるか。ボランティアの精神は、「にもかかわらず」動けるか、ということに帰着するのだと思う。
 こちらがまったくの善意で行うのが、一般的なボランティアだ。通常は、感謝されることが多い。が、善意で行ったことはしばしば誤解される。むこうが怒り出すことさえある。席をお年寄りに譲ったとき、「人を年寄り扱いするな」と怒鳴られた、ボランティアに出たとき友人から「点数稼ぎ」といわれた、電車を転がる空き缶を拾ったとき、まわりから変な目で見られた、等など。まったくの善意で行ったことで誤解を受けると、ものすごく身にこたえるものである。私にも経験がある。「何でボランティアなどやったんだろう?」と思ってしまう。金子のいうとおり、ボランティアする者は「ひ弱い立場」に立たされているのだ。
 誤解を受ける。しかし、それにへこたれず、つまり「にもかかわらず」にボランティアの実践を続ける。これが真のボランティアだといえるのではないか。たとえ相手が誤解したとしても、自分の行動自体は善なのである。そこは自信を持っていい。何も動けない人の方が、よっぽど心が貧しいのだ。私はそう考えるようにしている。
 ボランティアの立場はたしかに弱い。しかし、「にもかかわらず」行うのが真のボランティアである。さまざまなつらさを超えてこそ、他者を思いやれる人物になれると感じるからだ。

*金子郁容著『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書)1992年、p112より引用。

叙情詩・缶バッヂ

「何かしなきゃ」と思うのに
何にも出来ない 我が心
如何とせんと 思えども
どうにもならない 心持ち

トードバックに 付けたりし
岡本太郎の 缶バッヂ
我をみつめる その文字は
なぜか私を なぐさめる
「才能なんて なくていい」
そういう彼の 声を聞く

ともあれ私は 自転車に
またがってまた 坂をゆく
それが私に できること
ペダル漕ぎつつ 汗をかく。

2009年8月10日月曜日

ゴーギャン展に思うこと。

 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。

 何の問いかけであろうか。これは、ゴーギャンの最高傑作とされる絵画の題名である。ゴーギャン自身も「私は、この作品がこれまで描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これよりすぐれているものも、これと同等のものも、決して描くことはできまいと信じている」と述べている。

 友人のOに薦められて、竹橋の東京国立近代美術館のゴーギャン展を昨日見てきた。ぐるぐる館内をめぐった後、冒頭に書いた「我々は・・・」の前で私はノートを広げた。目の前に広がる光景を見つつ、心に浮かぶことを書き綴っていったのだ。

 じーっと見るなかで、生命の持つダイナミズムを感じた。生命はつねに動き続け、静止することがない。生命の「動」についてを実感していった。画中の少女はそのうちリンゴをかじり終えるだろうし、水浴している女性はやがて水浴をやめる。今日赤ん坊であっても、そのうち死を目前にした老人となる。生命は「変化」「動」の連続である。本絵画全体のあいまいさは、人間生命のアナログ(連続)性を示してもいるようだ。
 「美」もやがてうつり変わる。生命の「動」、連続性。それを前に、座り込んで佇むのも必要だが、その時間もやがて移りゆく。
 熱帯にいても文明圏にいても、生老病死からは逃れられない。ゆえに、そのことに絶望するよりは、「変化こそ生命」と見るほうがよいだろう。
 私のまわりで本作を見ている人々は、次々と場所を移動し、次の作品へと移っていく。とどまり続けるものは誰もいない。この「動」こそが生命である。
 ゴーギャンは生命の「動」を、絵画という「静」の技法で示そうとした。そこに無理があるといえばそうだが、いまにも語り出しそうな人物たちの姿を見ていると、やはり「動」がこの絵にあふれているように思う。
 
 変化こそが生命だ。「万物は流転する」のである。ただ、その「流転」もエヴァ(旧約聖書の人物。イヴともいう)が禁断の木の実を取ることから始まった。それがなければ、人間は「静」の世界、無変化の世界しか生きれなかったであろう。
 そういえば、ゴーギャンが来たときのタヒチも、「文明化」の波が始まっていたという。その生々流転する「動」のきっかけは、すべてエヴァの行動からはじまった。本モチーフには、生老病死という「動」の苦しみがもたらす人間の宿命と、それゆえの「ひとときの輝き」「現在の肯定」という二面性が描かれているようだ。
 株仲買人として成功した後に絵を描き始め、35歳で画家になる。収入が著しく減り、妻に逃げられ、絵を描くことだけが彼の生きがいとなる。フランスから出て、南太平洋のタヒチへ。彼の生涯自体、変化の連続。本作は、貧困・健康状態悪化・娘の死という、ゴーギャンのどん底時代に描かれた。

 万物は流転する。変化こそ生命。なら自分も、いまとはちがう何かになれるはずだ。変化を楽しむことが人生を楽しみ、充実させることとなる。

 「変化する主体」としての人間観は、ルーマン以来の教育学のテーマだ。
 オートポイエーシス(自己塑成)という人間像を私は思い出す。勝手に変化するとの動的生命を、私は大事にしたい。よもや教育がこの生命の「動」のダイナミズムを殺してはいないか、と。

 

2009年8月7日金曜日

宮台真司・奥平康弘『憲法対論』(平凡社新書、2002年)抜粋

宮台:
(アマルティア・センの言葉を借りて)ケーパビリティとは、本人がもしかすると別の選択肢を選べたかもしれないのに、自分はあえてその選択肢を選んだと思えることを意味します。当事者たちが、今の行動以外の行動を選べるのに、あえてそうした生活や行動を選んでいると思えるような、「選択肢の束」を社会が与えていることが豊かさだということです。(・・・)何も考えずに物質的に豊かな生活が送れるのに、何が悲しゅうて子々孫々や地球の裏側の人のことを考えて生活しなきゃいけないのか。そういうときに、「それが義務だからだ」というのではなく、「それが豊かさだからだ」と言うことが、現実に動員上有効だし、現に起こっている若い人たちの動機づけをうまく説明するのです。(pp70~72)


*(  )内は石田。

卒論の構成

 そろそろ、卒論のことを考えていこう。卒論の構成について、次のように考えている(随時更新)。

卒論の題目:「    」

はじめに

イリッチ『脱学校の社会』
・イリッチが本書を書いた理由は何か?
・価値の制度化とは何か?
・学校化とは何か?
 →宮台真司・上野千鶴子の「学校化」とイリッチの「学校化」の違い

フリースクールの中身
・フリースクールの「フリー」の意味
・フリースクールの存在がもたらす社会的意義
 →オルタナティブな社会
・東京シューレの活動
・ミーティングの意義
 →子どもの権利条約との関わり。

ラーニングウェッブの可能性
・イリッチの描くラーニングウェッブ像
・ブログ空間によって、ラーニングウェッブは構築可能か?
・『学校が自由になる日』の「学校リベラリズム宣言」との対比

結論

うーむ、全然まとまっていない。まずは構成を完成させないと。

これからの時代とヴァルネラブル

 『ボランティア もう一つの情報社会』(金子郁容著)という岩波新書がある。結末部分に、ボランティアに関わる人間について、「ヴァルネラブル」という言葉で説明をする箇所がある。

 ヴァルネラブル。英語で書くとvulnerable。「傷つきやすさ」「弱々しさ」を意味する。ボランティアに関わる者は「そんなことをして、一体なんになるの?」「所詮、自分のためでしょ?」という冷たい視線にさらされる。〈にもかかわらず〉、行動し続けられるかどうかが、ボランティアには求められるのだ。周囲から必ずしも評価されるとは限らない。ヴァルネラブルだ。けれど、行動し続けることがボランティアには欠かせない。

 金子郁容のメッセージは、私の生き方にも繋がってくる。来年、大学院に進学する私。研究者を目指している。おそらく、修士課程1年目はフリースクールのボランティアとアルバイトをして生活することとなる。それ以降も、どこかの高校の非常勤講師をしながら自分の研究を進めることとなる。大学に定職を得ても、現場の学校を知るために非常勤講師をやり続けたいと思っている。
 この生き方を選択した場合、私はどこにいっても「はみ出し者」となる。ボランティアでフリースクールへいくと、毎日来ているスタッフと子どもが存在する。そのフリースクールの「常識」を自分だけはいつまでたっても知ることができないかもしれない。ヴァルネラブルだ。
 高校の非常勤講師。クラスを持っていもいなければ、学校集団に馴染みきることもない。ヴァルネラブル。
 大学院に行くということは、まわりのクラスメイトが社会で働いているのを横で眺めつつ、他者には評価されにくい研究をやり続けるということだ。「俺は、一体何をしてるんだろう。社会に出たほうがよっぽどいいんじゃないか」。ヴァルネラブルである。

 私はおそらく、しばらくの間は特定の集団に帰属し、フルタイムで行動するということはないはずだ。曜日ごと、あるいは時間ごとに参加する集団が変わってくる。どこにも落ち着けないということで、弱々しい気持ちになる。「俺はこれでいいのだろうか?」と。
 自分で選んだ道である。この生き方はヴァルネラブルであると自覚して、「わが道を行く」決意で日々進んでいくしかない。支えになるのは自らの哲学と信念である。

 考えれば、共同体が生きていたころは、ヴァルネラブルな生き方をする人間はあまりいなかったであろう。「こう生きればいいんだ」という大きな物語が生きていたために、自らを「弱々しい」立場に落とす必要性は必ずしもなかったのだ。
 今の時代に、特定の集団(会社、公務員など)に属さずに生きる人々は多くいる。その人たちはフリーターと呼ばれたり、ボランティアと呼ばれたり、大学院生と呼ばれたりする。「あえて」特定の集団に属さない生き方をする際は、ヴァルネラブルな存在であることを自覚して、生きることが必要となるような気がしてならない。

追記
●湯川秀樹は、京大のいろんな研究会に参加しまくった、という経歴を持つ。文学など、専門外のところにいき、頓珍漢な発言をするということで有名人だったのだ。ノーベル賞学者の隠された一面である。
 なぜ湯川は自分の専門外の箇所に顔を出しまくったのだろう? ヴァルネラブルな生き方を実践していたのかもしれないと私は思う。
 昨日、フラッと前を通ったことをきっかけに「海洋酸性化」についてのシンポジウムに参加してきた。まわりは理系研究者ばかりのようだ。文系の学部生など、ほとんどいない。発言内容も、化学式が登場しよくわからない。まさにヴァルネラブルな状況だった。けれど、その状況に耐えていると、少しずつだが海洋酸性化という問題について理解できるようになった。
 湯川にとっても、専門外の場所に出るのは私と同じ発想に基づいていたのではないかと思うのである。あえて自分が弱々しくならざるを得ない場所(専門外の研究会)に参加するという態度。ヴァルネラブルを恐れない姿だ。この姿勢を貫いたために、日本人初のノーベル賞受賞に繋がったのではないかと思うのである。

再記
●考えてみれば、不登校という選択もヴァルネラブルな生き方であるように思う。あえてメインストリームを外れるという選択。そしてその選択に伴うデメリットでさえも気にせずに乗り越えていく姿(高検に受かって有名大学に行く人もいる)は、いま私の持っている閉塞感を払拭してくれるのだ。

集団の健全性は、内部批判者への対応によって決まる。

 昨日、サークルの話し合いに参加。議題は、11月8日の早稲田祭企画について。企画の方向性や意義、今後のスケジュール等など。大体2時間半かかった。これから毎週続く。いつ故郷に帰るべきか、毎年タイミングを計るのが難しい。
 本サークルの特徴は、方向性を定める3〜4年生の「首脳」メンバーが、時を追うごとに減っていくという点だ。十数人から始まり、いまはヒトケタ。「次は自分がいなくなるかも…」との不安を、今でも持っているのが私である。

 そのサークル内では「来ないメンバーを何とか来れるようにしよう」という声が強い。以前の私はその声に同調する側だった。けれど、最近は疑問を感じている。無理にサークルに来させることに、いかほどの価値があるのか? 周りの「首脳」は来れなくなったメンバーが戻って来て、「僕が悪かった。ごめん」というシナリオを描いているようである。
 
 あれ、こんな構造、何かに似てるぞ? そうだ、学校組織だ。
 『学校が自由になる日』の内藤朝雄の文章を思い出す。日本の学校共同体の中では いじめられた側が「私が悪かった。性格を直すから、仲良くして」とすりよるため、陰惨な いじめが行われることがあるという。
 いじめられているなら、学校という集団に来ないという「不登校」という選択肢もある。けれど、日本の子どもたちは虐められるのが分かっていながら、学校に行ってしまう。「学校に行かないのは悪いことだ」と素直に信じている者も多い。 
 不登校は社会の健全性のバロメーターではないか。そんなふうに思う。いじめという「人権侵害」のある集団に、「NO!」を突きつける個人がいるかどうかが重要なのだ。理不尽な苛めがあっても、誰も不登校という選択肢を選ばない。そんな集団は個人に際限のない人権侵害を行ってしまう、「腐った」組織である。不登校を選んだ子どもがいるという事実が、集団から逃れるという選択肢の存在を、集団内メンバーに自覚させることになる。
 不登校は悪いことではない。不登校の存在が「不登校という道がある」と他の構成員に示すことになるからだ。

 不登校同様に、サークルに来れなくなったメンバーの存在を認められる集団は、「健全である」という評価をすることができるのではないか。皆が一律に同じ行動をする。そんなことは不可能だ。集団の力は個人よりも大きい。故に、しばしば集団は個人に人権侵害を行う。人権侵害が存在していても、「集団に参加し続けないといけない」と思うことが、さらなる侵害を招く。いじめの構造だ。

 集団の力は、個人よりも強い。そんな中、不登校という存在は「集団から出ることは可能なのだ」という、強いメッセージを他の集団内メンバーに示すことができる。

 学問の世界では、論文の評価は〈批判が来るかどうか〉で決まる。よい論文には、必ず反論がある。反論・批判がない論文は最悪の論文だ。同様に、集団に対して構成員から批判がないのは不健全な組織であることが多いのではないか。つまり、通常の認識とは逆に、学校における「問題児」や「不登校」の存在は、学校が「健全」であることの証明であるのだ。逆転の発想である。

《全員が》、《一人も残らず》、《一丸となって》、《団結する》。学校的共同体特有のキーワードである。本当に人々が「心を一つに」することはあるのだろ うか? 幻想である。内田樹は〈幻想であっても、幻想があると考えることに何らかの意味があるならいい〉というだろう。けれど、この問題に関し『サヨ ナラ、学校化社会』で上野千鶴子(内田の「天敵」)が語ったのは、「学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります」(57頁)というメッセージであった。「学校化社会」とは、学校的共同体がもたらす「幻想」の別名である。
 無論、組織によっては本当に皆が「心を一つに」しているところも存在するかもしれない。けれど、それを当然視していると、集団が個人に持つ暴力性に対し、無自覚になってしまう。「心を一つにするのが当然だ」と、集団に批判的な個人を攻撃することとなるからだ。

 まとめをするなら、こうなるだろうか。集団は個人に対し、しばしば人権侵害を行う。そのため、「集団から逃れることができるのだ」という道(不登校など)を示している集団は、個人の人権侵害を極力減らすことができる。それゆえ、「健全である」といえる。逆に集団から逃れることができない組織(あるいは集団から出るということを誰も行っていない組織。不登校のない学校など)は、個人に対し人権侵害を行っていることがある。
 離脱者がいる集団こそ、健全な集団であるといえるのだ。
 

 

2009年8月5日水曜日

お札と切手の博物館

 夏休みは、何もすることがない。
 自宅そばにある「お札と切手の博物館」に行ってみる。
 夏休みということもあり(入場無料ということもあり)、親子連れが多かった。

 いままで日本のコインは「型に流し込む」という鋳造コインであると思っていた。本当は金属片に型をあて、上から叩いて模様を付けていたそうだ。打刻コインというらしい。

 教育社会学者を目指すものとして、本展示の「隠れたカリキュラム」を探っていきたい。国立印刷局が「お札と切手の博物館」を開く意図はどこにあるのだろう。

 国家は、さまざまな制度を「国家のみがそれを行うのだ」という強烈な意志を持っている。人々の商取引の際、なくてはならない存在である「貨幣」は、国家の信頼の証しである。古来より、洋の東西を問わず贋金づくりは極刑に処せられてきた。何故か? 貨幣の信頼は国家自体の信頼にもつながるからだ。
 「お札と切手の博物館」内では、何度も次の説明に出会う。
 《日本の紙幣の印刷技術が高いので、日本の紙幣は偽札をつくりにくいことで有名です》。
 まさに、偽札が出回らないことこそ、国家信頼の基であると、国立印刷局が語っているのだ。

 もう1点。博物館の中に海外の紙幣を展示しているコーナーがあった。聞いたこともないような国の、見たことのない人物の描かれた紙幣。よくニュースに登場する、ドルやユーロの紙幣。こういった様々なものを見ていると、各国それぞれ別の紙幣を使用していることが見学者に伝わる。それと同時に、「紙幣を出せるのは政府だけだ」というメッセージを見物人に伝えることができる。
 江戸時代、日本で使われていた紙幣は「藩札」であった。全国の藩が、領内のみでつかえる紙幣を勝手に発行していたのだ。明治政府以降、一時期は銀行が勝手に紙幣を出せた時代もあるが、発行するのは一貫して政府であった。

 貨幣の発行主体こそ、国家に他ならない。各国の様々な貨幣を目にした見学者は、知らず知らずのうちに「貨幣をつくっていいのは国家だけなのだ」ということを学んでいく。
 意図的か知らないが、この博物館には「地域通貨」の説明が一切ない。


注 「隠れたカリキュラム(潜在的カリキュラム)」について、田中智志『教育学がわかる事典』(日本実業出版社、2003)には次のようにある。

「潜在的カリキュラムの内容は、教師によって明言されることはすくないけれども、教育関係が成り立っているところでは、それは暗黙のうちに子どもに強要され、暗黙のうちに子どもに了解されている。それは、たとえば、教師を尊敬するという態度、衆人環視のなかでの自己表現・自己防衛する知恵など、教育関係を存立可能にしている基本条件である」(109頁)

2009年8月4日火曜日

フリースクールと、それにまつわる種々の名言。

 最近、フリースクール関連でボランティアをしている。今日はJDECというイベント内で行われた、パネルディスカッションの打ち込み作業に没頭した。

 打っていて、「有り難い仕事だな」と思う。フリースクール関係者のコメントは、非常に面白いものが多いからだ。

 名言を残しておきたい。

「フリースクールには、〈何もしない自由〉がある」

「教育を使うのは子どもたち自身」(「教育を使う」とは、すごい着眼点だ)

「フリースクールは自分の母校。だからいつまでもそこに存在し続けてほしい」(内田樹も《自分の母校が無くなることを、卒業生は望まない。自分の頃と同じ教育がずっと続いていくことをOB/OGは望むのだ》と語っている)

「子どもの自己肯定感は、教えられるものじゃない。子どもたち自身が学ぶものだ」(以前書いた『マトリックス』の評論を思い出す。モーフィアスの台詞「マトリックスの正体は教えられるものじゃない。自分で見るものだ」)

「自分らしさとは、自分で決めること」

「フリースクールの活動はほとんどソーシャルワーク」

 永六輔が『週刊金曜日』で連載している「無名人語録」。私もフリースクールや脱学校関係でこんな語録集をつくりたいものだと思う。

映画『重力ピエロ』

 八王子の大学に通っている弟と、久しぶりに会った。髪が長くなり、背も高くなった(ような)気がしたので、一瞬誰か分からなかった。金を使わない性格の弟なので、21時に大阪行き深夜バスを見送るまで、書籍代しかかからなかった。
 相変わらず、私の話に論理的に批判をしてくる。兄弟で議論をすると楽しいのはその点だ。こうまで痛烈に批判をしてくる相手はほとんどいない。血族の成せる技だ。

 夜の9時、新宿に一人取り残される。そんなとき、私は映画館に駆け込みたくなる。周りの喧噪を目にしていると、いたたまれなくなってくるからだ。そんなわけで、新宿武蔵野館で映画『重力ピエロ』を観る。選んだ理由は単純明快。「たまたま、あと少しで上映開始だから」である。私は「この映画が観たい!」と思って映画を見に行くのでなく、「何か映画を観たい!」と思い映画館へ行き、それから観る作品を探すタイプの人間だ。わが親友のOが伊坂幸太郎の作品を絶賛していたことも、選択の理由である。

 泉水(いずみ)と春(はる)の兄弟には、ある秘密があった。泉水は実の子どもであるが、春は母がレイプされた時に出来た子どもであったのだ…。春の出生の秘密は、地域においては公然の秘密となっている。父は妻が強姦魔の子を身ごもったことを知ったとき、即座に「生もう」と妻を励ます。このシーンが印象的だった。

 思わず涙が出たシーン。2段ベットで寝る小学生時代の兄弟の会話。

春「おにいちゃん、レイプって何? みんな僕のことをそういうんだ」
泉水「(しばしの沈黙。その後、思いついたように)レイプ、グレイプ、ファンタグレープ。レイプ、グレイプ、ファンタグレープ」
春「(真似をして、笑顔で)レイプ、グレイプ、ファンタグレープ。レイプ、グレイプ、ファンタグレープ」
 楽しげにリズムに乗る春とは対照的に、泉水は沈んだままの表情だった。

 レイプされて生まれた子ども。本人は何も悪くないにも関わらず、周りはその子を悪く言う。子どものもつ苦しみを感じた映画である。
 
 昔、早稲田松竹で観た『サラエボの花』のテーマも、『重力ピエロ』と同じであった。主人公・エスマは、ボスニア紛争中、兵士のレイプに遭いサラを身ごもる。サラには長い間、この事実は秘密にしていたが、ある日エスマは事実を口走ってしまう…。取り乱すサラとエスマ。けれど学校の旅行にいくサラを見送るラスト・シーンには希望が見えている。手を振るサラのアップが印象深かった。

 映画館を出た私の目には、再び新宿の光景が広がる。『重力ピエロ』の泉水と春は、なんだかんだいい兄弟であった。私と弟の関係も、そのようなものにしていきたいと思う。お互い東京に住んでいながら、最近全く会っていなかったからだ。

『重力ピエロ』原作:伊坂幸太郎 監督:森淳一/2009年/日本

『サラエボの花』監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ/2006年/ボスニア・ヘルツェゴビナ

追記
●最近、本を読むのが面倒になってきた。人が「この作家、いいよ」といっても、あまり読む気がしない。
 そのかわり、「名著」の映画版(あるいはマンガ版)を積極的に観るようになった。『重力ピエロ』も、いちど
伊坂幸太郎の作品に触れておきたい思いから観ることにした。

2009年8月3日月曜日

早稲田に受かる人はどんな人たちか?

 早稲田大学で、オープンキャンパスが開かれている。道理で馬場下町の交差点に制服の高校生が多いわけだ。大学の受付で、オープンキャンパス参加者に配っている資料・プレゼントを受け取る。別に「悪いことをしている」実感はない。「ください」と言ったら、役員が渡してくれたんだから…。

 『入学データ集2010』を開く。受験のデータを見ると、いろいろ面白い。一緒にもらえる「早稲田大学案内」は読まないことにしている。読めば読むほど、「へー、早稲田ってこんなにいい大学なんだ。そうは全く見えないんだけど」とツッコミたくなる衝動を押さえにくくなるからだ。

 わが教育学部・教育学科・教育学専修の2009年度入試の倍率は5.8倍。私のとき(2006年度入試)とほぼ同じだ。一応、チェックしておく習慣がある。

 「出身高等学校所在地別状況」という項目に目が行く。早稲田に来る人たちの出身地がほぼ分かる、という便利な資料だ。
 最も数字が多いのが東京都。31.43%もの学生が東京にある高校出身だ。地域としては関東の高校出身者が全体の71.14%を占める。うーむ、早稲田はほとんど「関東人」のための大学といえそうだ。

 わが故郷・兵庫の出身者はわずか1.42%なり。みんな、ワセダになんか来ないんだ、と思うと寂しくなる。近畿地方までみると4.94%。早稲田生100人中、5人ほどが関西の高校出身。関西は少数勢力だなあ、と心もとない。

 リストの一番下に私の目は止まった。「高卒認定等」の欄である。なるほど、「出身高等学校所在地」であるわけだから「高卒認定」試験で入ってきた人は除外されているわけか。「高卒認定等」の受験者は1397名。合格者は134名。2009年度合格者全体に占める割合は0.92%である。
 ちなみに、北海道の高校出身者は0.97%である。「高卒認定等」で早稲田に合格した割合とほぼ同じ。早稲田大学内で北海道の高校出身者に会うのと同じくらいの割合で、「高卒認定等」合格者がいるのである。私のいるゼミに、北海道の高校出身の先輩がいる。この方と遭遇したのだから、案外「高卒認定等」でワセダに来た人はいるのだろう。

 フリースクール→高卒認定→大学進学、というルートが認められることを期待している私にとって、このニュースは非常に嬉しい知らせであった。

水族館劇場『谷間の百合』

 わが早稲田大学の演劇博物館前広場において、水族館劇場という劇団の公演が行われた。『谷間の百合』というタイトルだ(同行したわが親友は「百合」が読めなかった)。「伝説のストリッパーの芝居を上演します」という説明から密かな「期待」があったが、案の定その「期待」は現実のものとなった(何を意味するかはここでは書かない)。

 野外公演。ちょうど、天候は雨が降ったり・やんだり。ビニールシートに座っていた私と親友は、頭にタオルをかぶるなどして対応した。どんよりとした天気は本演劇のもつ暗いイメージと非常にマッチしていた。天候という偶然の産物が、演劇という時に偶然性をも利用する芸術と、うまくおりあっていたといえるだろう。ヒロインの「これからの一条さゆり」の、今後の人生への暗い展望が、心情描写として描かれていた。

 ストーリーとしては、ストリッパーとして働く「これからの一条さゆり」のもとに、将来の一条さゆり(「あれからの一条さゆり」)が会いにくる。いまは売れっ子の踊り子・一条さゆりであるが、その内全く売れなくなり、酒に溺れ、釜ヶ崎の住人となってしまうほど落ちぶれてしまう。「あれからの一条さゆり」は「あんな町へ行ったらあかん」と、忠告に来たのだ。
 「これから」と「あれから」の一条さゆりは互いに苦しい身の内を語り合った後、抱きしめあうところで幕となる(野外なので、本当の「幕」はないけれど)。

 「人間は阿呆でさびしんぼうや」というセリフに、非常に惹かれるものがあった。続けて「夜になると人が恋しくなり、酒を飲む。寂しさが分からなくなるくらいまで飲む。金がなくなると、体を売る」。私も夜になると、無性に寂しい思いになり、酒を飲んでしまう。「あれからの一条さゆり」の寂しさが、無性に伝わってきて泣きたい思いがした。

 調べてみた所、この「一条さゆり」は実在の人物であるようだ。60~70年代に一世を風靡したストリッパー・ポルノ女優。晩年は釜ヶ崎で寂しくこの世を去ったと聞く。

 野外公演も、ぎゅうぎゅう詰めで観る演劇も初めてなので、非常に印象深かった。学生演劇くらいしか今まで観ていなかったが、プロの演劇は違うと実感した。早稲田での公演でありながら、観客は中高年ばかり。早稲田生は数えるほどしかいないようである。