城山三郎の小説『素直な戦士たち』。東大にいくことを至上目的とする母親に振り回される子どもたちの姿と彼らの反乱が描かれる。
プレジデントファミリー読者の将来が、こうならないとは誰も断言できないであろう。
教育学/社会学ネタメインです。「子どもを不幸にする一番確実な方法は何か、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(ルソー)
城山三郎の小説『素直な戦士たち』。東大にいくことを至上目的とする母親に振り回される子どもたちの姿と彼らの反乱が描かれる。
プレジデントファミリー読者の将来が、こうならないとは誰も断言できないであろう。
2 件のコメント:
ただなんとなくたどり着きました。古い記事ですがコメントします。
私もプレジデントファミリーという雑誌は好きではありませんね。「ファミリー」に限らずプレジデント自体もそんな好きではないです。情報を出しているところとしては面白いとは思います。
サンデー毎日でもそうですが、私は高校生の頃にこういった記事を読むのが好きでした。自分が高校の受験競争に勝ち抜いた「エリートの卵」であったからでしょう。そしてかつて私が抱いていた考えとして、学歴に箔をつけて大企業に就職すれば(または医者になれば)社会的地位も得て幸せに暮らせるというのが大きな理由となっていたと思います。
ところが高校生の頃にそういった考えをもてなくなり、大学生のいまでは違う考えをもつに至っています。
そもそもこういう考えは親に、塾の講師に、学校の先生に「言われて」きたことなんですよね。むかしから自分は非常に純粋な人間でした。言われたことはすぐに鵜呑みにするし、負けず嫌いでなんでも勝とうとする。ある意味そうした価値観しかしら知らなかった自分が、親の言うような考えに染まっていたのはしょうがないと思います。
Ishidaさんの言うように、プレジデントは『中学受験ありき』で物事を話すし、おそらくその子供が中学生になれば『高校受験ありき』で周りの大人は接するでしょうし、そのまま『大学受験ありき』『就職活動ありき』で目の前の試験・壁に勝つことに精を出す人間が生みだされていくんじゃないかと思います。それ自体は悪いことではないと思いますが、必ず違和感をもつ子供やコースから外れる子供が出てくるので、絶対ではないですね。
なんていうか子供の頃は学校が絶対だったんですよね。すべての価値観のもと。学校以外が見えなかったので、そこから外れることが怖かったんです。
ブックマークしましたんで、これから気になる記事があればちょくちょくコメントしますね。
コメント、本当にあちがとうございます。
学校という存在は「違和感」がつきまといます。
私も、この「違和感」ゆえに教育について見ていこうと思い、院生になりました。
学校という存在を相対化できたとき、はじめていまの日本では「自由」になれる気がします。
今後とも、よろしくお願いします。
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