東野高校は1985年に設立された「自由」を重視した学校。制服も校則もない。生徒は喫煙もすれば授業中も外でふざけている。教員もヒッピー的な服装。Yさんによると「バンダナを巻いている人がいた」という。けれど荒れて人気も下がってきたため、制服や校則が制定された。wikiを見る限り、2007年から改革がはじまったらしい。ついでにいうと、今日見た時、教員もきちんとスーツを付けていた。「自由」を重視して蹉跌を踏んだ点では「自由の森学園」と近い。
自由を重視する教育。それを「学校」体系で行うと挫折することを知る。
逆に言えば、現在の校則も制服もある東野高校は、現体制内で「自由」に基づく教育を行うとどういう形になるかを示している。
「自由な教育」なんて、「学校」形態では無理なのだ。本当に実現しようとするなら、画一的・一斉授業の「学校」では不可能で、フリースクールの形態をとるしかない。
そう思った。
2 件のコメント:
本日はおつかれさまでした。
かつての東野高校を知る者として、あまりの変容に驚きでした。
私の知る東野高校は、制服も校則もない自由な学校でした。(その実、ヤンチャな子どもたちに地域の住民も困っていましたが…)
いわゆる偏差値や管理を排し、進路などは、子ども自身に決めさせ、学校はあまり干渉しないという理念は、新しい学校教育の挑戦と当時の私には思われました。しかし、このたび見学をし、制服や大学進学コースの導入などは、現実問題として、学校が存続するための苦肉の策ではなかったかと思われます。
自由や自己責任のもとで、子どもを放任することで、結局は学力もつかず、高校卒業後には、進路も決められず、フリーターなど社会の弱者になるようでは、その学校が選択されることは困難です。
今回は、学校教育の理想と現実を考えるうえで、よい材料になるとも思われます。
お時間があれば、岩波講座1現代の教育「いま教育を問う」の栗原彬氏の論文を参照してください。東野高校のことが、書かれています。
コメントありがとうございます。
ぜひ、栗林涁氏の論文、参照させていただきます。
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