ラストはウィリアム・B・ケネディーが語った「教育の巡礼者 フレイレとイリイチ」より。
イリイチは、抑圧された人間を消費者とみなしている。消費者は、自分から行動したり生きていこうとはせずに、受動的にやりとりするばかりで、地球の資源を使いつくしてしまうように仕込まれているのである。資本主義諸国も社会主義諸国も、そういったことを人類の目標として永続化させるという点で変わりがないため、かれは双方を批判する。絶えざる成長をその目的とする限り、「発展」はつねに害をもたらすのである。(128頁)
イリイチは「サービス」というところで権力論を構築する。それがフーコーとの違いのようだ。
「消費者」は、企業や国家の「サービス」をただ受け止めるだけ。「遊びに行きたいな」「はい、ぜひディズニーランドへお越し下さい」。自分から「何をして遊ぶか」を主体的に選択するのではなく、企業や国家の示す選択肢から選ぶにすぎない存在となってしまう。
最後に、両者についての説明を引用する。
フレイレがその国情に通じているラテン・アメリカ諸国では、教育にたずさわる人間は、自分たちが行動できる「自由な場」を問題にしている。自由を制限する巨大な力に対抗する上での助けとなる、民衆の生活に根ざした戦略を追求するという点で、フレイレの活動はイリイチと結びつく。その線にそって、かれは、慎重に行動し反省していくことを勧め、現実の中で、ペシミズムや冷笑的な態度におちいったり、オプティミズムや単純な行動主義におちいったりしないようにと忠告している。(140頁)
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