小中さんの「小春日ダイアリー」の内容がすばらしかったので、今回はそれを貼らせていただいて、自分の考察を述べようと思う。アドレスはこちら。
ライマーとイリッチの学校の定義
ライマー
「段階づけられたカリキュラムの学習のために、教師が監督する教室に特定の年齢群の者が常時出席することを要求する機関[1]」
イリッチ
「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程[2]」
二人の学校の定義から共通項を書き出すと以下のようになる。
フルタイムの出席、義務制 特定の年齢群の生徒 教師 カリキュラムの学習
こ の要素からわかることは、子どもは子ども時代を学校にささげなければならず、その多くの時間を同学年の者だけと共有し、国家のような権威のあるシステムが 定めたカリキュラムを教師を仲介し、学習するということだ。そしてその場は「学校」であるということだ。さすがにライマーとイリッチは二人で研究してきた こともあって、このような定義に差異はないだろう。
またこのことからも導き出せるが、彼らの研究の主な対象はこの定義にもとづく「学校」であり、この定義に基づかないものは、議論から外れることになる。
公教育の成立でポイントとなったのは①機会均等②義務制③宗教的中立であったが、脱学校論で彼らが指摘したのは、②義務制であった、というのが上記より見出せる。
ま た、話は変わるが、近代から現代の流れ(第三の波の到来)をみるなかで、その新たな社会の創造がなされるなかで、近代(モダン)の制度象徴としての「学 校」が現代(ポストモダン)では適当な仕組みであるのか。そのことへの疑問から生まれた問題提起から新たな学校に変わる仕組みの提案、つまり、これが脱学 校論なのではないだろうか。
何を話してるのかわからなくなった。眠い。
また編集します。ではまた。。
[1] エヴェレット・ライマー著、松居弘道訳『学校は死んでいる』晶文社、1985年、60頁。
[2] イヴァン・イリッチ著、東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(現代社会科学叢書)、東京創元社、1977年、59頁。
おつかれさまです。
「義務制」がポイントだったんですね。
フリースクール(といってもいっぱいあるので、東京シューレ)は、
①来ても来なくてもいいし、いつ帰ってもいい(「フルタイムの出席」は当てはまらない)
②無理していくところでなく「もしあわないならホームエジュケーションなんてのもありますよ」という(「義務制」ではない)
③下は6歳、上は20歳まで異なる年齢層の人たちがいる(「特定の年齢群の生徒」はいない)
④何かを教えようとしない「大人」と過ごす場所である(教員免許を持つ者はいるが、教えようとする「教師」はいない)
⑤学ぶこと、過ごす内容が自由(「カリキュラムの学習」はない)
こうしてみると、フリースクールはライマーやイリッチの言う「学校」定義から全て外れていることが分かる(「サポート校」や塾形式のフリースクールは無論外しますよ)。
いやー、小中さんがまとめてくれたお陰でフリースクールの定義が分かりやすくなりました。ありがとう。