2009年4月18日土曜日

フリースクールの定義②

小中さん同様、私も手持ち文献から「フリースクール」の定義を探ることにする。

『教職基本用語辞典』より。
フリースクールとは、従来の学校にあるような管理と強制から開放されて子どもの自由と自治が尊重される中で教育活動が展開される「自由学校」のことを意味する。1960年代後半、ヴェトナム反戦運動と結びついてアメリカで活発化した人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否等に対抗する学校改革として広がったオルタナティブ・スクール運動の一つとしてフリー・スク―ルが位置づけられた。その際、モデルとされたのは、1925年にニールが開設したイギリスの「サマーヒル学園」とかフランスのフレネ学校、ドイツのシュタイナー学校などである。
 わが国では、1985年(昭和60年)に奥地圭子により不登校の生徒を集めて開かれた「東京シューレ」や1992年(平成4年)に和歌山県に堀慎一郎によって設立された「きのくに子どもの村学園」などがある。 (柴田義松ほか編『教職基本用語辞典』2004年、学文社、73頁)
つづいて、『教育学用語辞典』から。

適応指導教室との決定的な違いは、その運営(経営)母体が民間の個人や団体であることにあろう。また、各フリースクールにほぼ共通しているのは、いわゆる「学校」という枠組みにとらわれることなく、民間の特色を生かした自由な生活空間を学齢児に提供することにあろう。フリースクールと一口で言っても、その運営の理念も特徴も形態も規模もスタイルも歴史も立地も活動内容も、ありとあらゆるものがバラバラであり多様化している。そのため、一方では経済的な競争原理によって開設して数年のうちに淘汰されていく活動体も少なくない。現在は、文部科学省も「民間施設」という名称でフリースクールを一般化し、その役割に一定の評価を与えている。(明石要一ほか編『教育学用語辞典 第4版』2006年、学文社、211頁)

はじめてフリースクールを研究していた頃は『教育学用語辞典』の「バラバラであり多様」という定義が結構好きだった。まさしく「自由」という思いが感じられるからだ。
けれど、いろいろな文献/フリースクールを見るにつれ、いくらなんでもこの定義は適当すぎると思うようになった。自称「フリースクール」でも中身は普通の塾であるケースや、「丹波ナチュラルスクール」のように全く自由がないケースでも、「バラバラであり多様」だからいいじゃないか、となってしまいそうであるからだ。
前に書いたフリースクールの説明でも書いたが、まだまだ制度が新しいためフリースクールの名称を〈言ったもの勝ち〉という状況になっている。はやく統一的なフリースクールの基準が必要であることを痛感している。もし基準を作る際は東京シューレのいう〈子ども中心主義〉の学びをフリースクールとするとよいであろうと思う(公立校/私立校が〈子ども中心主義〉を打ち出した場合、どうなるかとの疑問はあるが)。

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