教育学/社会学ネタメインです。「子どもを不幸にする一番確実な方法は何か、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(ルソー)
これは卒論を書くということに留まらない。
書くことにより、気分が晴れ、自分の考えがまとまる。精神的にも助けてくれるのだ。
「気分が晴れ、自分の考えがまとまる。精神的に助」かる、というのは、Ishidaさんにおける《書く》ことの目的のうち、第何義くらいに位置するのだろう?ちょっと気になったのです。
昔から「書く」ことに憧れがありました。常に読む側にしかいることの出来ない自分。これに不満があったのです。はっきりした理由はないけれど「書きたい」という表現欲求のようなものがある、と言えるのでしょうか。「書きたい!」思いに筆を動かし、キーボードを叩く。「書く」中で気分が晴れ、「書いた」結果自分の考えが整理される、ということだと思います。・・・ちなみに「書くことだけがお前を助ける」はどこかの本からの引用です。何の本だったか…。
よくわかりました!やむにやまれぬ思いが、ふつふつとある、といったところでしょうか。うらやましいです。そしてIshidaさんは、それを欲求で終わらせずに、ちゃんとカタチにしていけるだろうな、とも、たしかに予感します。…なぜぼくがこういう質問をしてしまうのかというと、(次元は結構異なってきてしまうのかもしれないけれど)国語や朗読なんかをぼくはねちねち考えてきたわけですが、そのときどうしても「表現行為における、受け手への配慮」というものを意識せざるを得なかった、ということがあります。表現することはたしかに《お前=表現者自身》をまず助ける。しかし《受け手》をも助けることは、けっこう難しいことなんだなあとここ数年で思い知らされました。《届く表現》とは、どういう表現か。ぼくのなかでは、まだこたえは出ていません。Ishidaさんの姿勢からも、学ばせていただこうと思っています。
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3 件のコメント:
「気分が晴れ、自分の考えがまとまる。精神的に助」かる、というのは、Ishidaさんにおける《書く》ことの目的のうち、第何義くらいに位置するのだろう?
ちょっと気になったのです。
昔から「書く」ことに憧れがありました。常に読む側にしかいることの出来ない自分。これに不満があったのです。
はっきりした理由はないけれど「書きたい」という表現欲求のようなものがある、と言えるのでしょうか。
「書きたい!」思いに筆を動かし、キーボードを叩く。「書く」中で気分が晴れ、「書いた」結果自分の考えが整理される、ということだと思います。
・・・ちなみに「書くことだけがお前を助ける」はどこかの本からの引用です。何の本だったか…。
よくわかりました!
やむにやまれぬ思いが、ふつふつとある、といったところでしょうか。
うらやましいです。
そしてIshidaさんは、それを欲求で終わらせずに、ちゃんとカタチにしていけるだろうな、とも、たしかに予感します。
…なぜぼくがこういう質問をしてしまうのかというと、(次元は結構異なってきてしまうのかもしれないけれど)国語や朗読なんかをぼくはねちねち考えてきたわけですが、そのときどうしても「表現行為における、受け手への配慮」というものを意識せざるを得なかった、ということがあります。表現することはたしかに《お前=表現者自身》をまず助ける。しかし《受け手》をも助けることは、けっこう難しいことなんだなあとここ数年で思い知らされました。
《届く表現》とは、どういう表現か。ぼくのなかでは、まだこたえは出ていません。
Ishidaさんの姿勢からも、学ばせていただこうと思っています。
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