書評・山本政男『ヨーロッパ「近代」の終焉』(講談社現代新書、1992年)
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書、2005年)
文字の洪水の中から「近代」や「ポストモダン」という単語が目に飛び込んでくるようになった。公教育という「近代」の営みについて研究している者として、ある意味あるべき姿なのかもしれない。
ヨーロッパの「近代」は、人類の歴史のなかでかつて見なかったような激動の時期であったが、それだけに、光と蔭の対照も明確であった。その「近代」の光と蔭は、これまで述べてきたように、あるていど時間的な順序をもっていたことがわかる。すなわち、十六・十七・十八世紀を「近代」の光の部分だとすれば、蔭の部分は、まさに十九世紀ということになろう。もちろん、これもヨーロッパの中で多少のずれがあることは言うまでもない。だが、このずれも十九世紀の中期ごろにはほぼ足並みが揃ってくる。そして、ちょうどこの時期に、日本は西洋世界に向けて門戸を開くのである。
ということは、当初の日本が理念とした近代ヨーロッパとは、じつは蔭の部分のそれではなかったのかという想いが湧いてくる。(山本1992)
1992年に山本が書いている点がすごい。
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