個のレベルでの学びを大胆に追求した教育実践家たちの多くは、学習の個別化と学びの共同性の追究を、二律背反のこととは考えていない。一方の深化は他方の深化をうながすのだ。(47頁)
クラスをもった教師たちがまず最初にとりくむのは、学級づくりであり、あたたかで協力的な子どもの関係性をつくりだすことだ。勉強そのものよりも、この子どもの関係づくりに教師は自分をかけているといっても過言ではないだろう。それがなければ「勉強」も進捗(石田注 しんちょく)しないことを熟知しているからである。(51頁)
たんなる情報蓄積型の学習ならば、共同性は、おそらく無用であろう。昨今、学力向上の名目で、いわゆる「学習の個別化」、そのじつは「学習の一律化」が推奨されるのは、その学力観が徹底的に情報蓄積型であり、同化・吸収型であり、預金型であるからだ。こうした学習像の行きつくところ、それは、電子メディアによる「学習の個別化」の徹底、その「能率」化、すなわち学校の解体であると思われる。そうした「ポスト学校」社会へのシフトは、教育産業だけでなく、今日の学校の内部で、すでにはじまっているといってよいだろう。
だからこそいま、学校で何が可能かを、われわれは深刻に問わなければならないのだ。(52頁)
→「銀行型教育」はフレイレが批判した概念である。「銀行型教育概念にあっては、知識は、自分をもの知りと考える人びとが、何も知っていないとかれらが考える人びとに授ける贈物である」(フレイレ『被抑圧者の教育学』67頁)。このとき生徒は教員の言葉を頭の中に「預金」するのみであり、その預金を活用することがない。教員―生徒の間に「対話」は成立しない。ゆえにフレイレは「課題提起教育」という教員―生徒間の「対話」が成立する教育法を提唱したのであった。そのときに「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師teacher-student with students-teachersが登場してくる」(同81頁)。
習熟主義的な「学力向上」は、最終的には学校否定に行きつくことになるのではないかと、ぼくは思っています。つまり、それは学習を本質的に利己的なもの、個人主義的なものとしてとらえていて、他者とのやりとりのなかで解発され、高められていく場のなかの行為としてはとらえられていないのです。となれば、学習の成否を一義的に規定するのは、その子どものアタマのよさ、遺伝子的に決定された知的能力といったようなものになっていくでしょう。それはなんとも「貧しい」学習ではないでしょうか。(199頁)
→ここで里見が言う点は、非常に重要な概念である。正統的周辺参加論legitimated peripheral participationを思い起こす。「徒弟制度などの下で、新参者が当該の実践的共同体の営みに参加することを通して、古参者からその知識や技能を修得していく過程を学習論として一般化した理論である。この理論によって、文脈を欠いた知識や技能を個々に獲得するのではなく、本物の実践を組織することで状況の文脈に埋め込まれた学びを共同的に展開することの重要性が指摘された」(浜田寿美男「正統的周辺参加論」、佐伯胖編『「学び」の認知科学事典』大修館書店、2010年、118頁)。「学び」は個人的プロセスである点は否めないが、集団内だからこそ学べる点もあるのである。それが「暗黙知」であったり、「こつ」であったりする。
*『「学び」の認知科学事典』より、暗黙知について。「暗黙知(tacit knowledge):実戦的経験からインフォーマルに獲得された非言語的な知識。学校や書物を通して教えられる形式的、言語的な知識と対比される」(楠見孝「大人の学び」、同書257頁)。
なお、解発とは「特定の反応または行動が一定の要因によって誘発されること」(『広辞苑』第5版)。
事物とかかわり、また他者と恊働する場を保障しないかぎり、個人の成長もまた期待しがたい。社会成員としての人間の成長と個人の個性の開花を、デューイは二項対立と考えませんでした。それを対立項にしてしまう社会と教育のありかたこそが問われなければならないのです。(205頁)
最後に、後学のための引用。
約束の土地であった西部のフロンティアが消滅した十九世紀の後半以降、学校が新しい「西部」として登場したと、『アメリカ資本主義と学校教育』の著者、S・ボウルズとH・ギンタスはいう。学校の階梯をよじのぼることによって、貧困や肉体的苦役から個人は解放されると期待された。そしてこの競争は、すべての者にたいして均しく開かれており、チャンスは平等で公平でなければならなかった。それこそがアメリカの民主主義の証たるべきものであった。(18頁)
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