いい教育を求めてフリースクールにいく。これは「価値の制度化」である。本来、学校による強制的な「教育」に対するアンチテーゼを示すのがフリースクールの役割であった。このことは忘れてはならないであろう。
「学校」が駄目だから、「学校」的なものとしてフリースクールにいく。これは結局、「学校」というものに取り憑かれた考え方なのだ。
初期のフリースクールはもっとラディカルであった。国に対し、「子どもの権利」を主張して堂々と「NO!」を突きつけていたのだ。
フリースクールは「学校」がわりに行くものではない。「子どもの幸福のため」に「学校」が機能していないからこそ、「上に任せず、自分たちが教育を行うのだ」という草の根運動の結果できたものであるのだ。
フリースクール創設時の苦闘を、忘れるべきではない。
…あんまりまとまってなくて、ごめんなさい。
2009年11月22日日曜日
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