前回のO先生のゼミでもコーヒーの議論をした。コーヒー豆は中南米や東南アジア、アフリカの一部くらいでしか生産できない。けれども、日本を含めた先進国あちこちに「喫茶店」があり、缶コーヒーが普及している。
本来、コーヒーは世界中で飲まれるはずがない商品なのだ。一部の地域でしか生産できないからだ。にもかかわらず、世界中で飲まれている。これは文化伝達というよりも、「異常」と見たほうがよいのではないか。
世界中で同じものが嗜好される。これにはコマーシャリズムの影が見える。
近年、日本では緑茶の消費量をコーヒーの消費量が上回った。この事実は「コーヒーは万人に愛されている」ということではなく、「人々がコーヒーを好むよう、商業主義がコントロールをしている」と解するべきであろう。
イリッチは「場所性」を主張する。田舎が都会をまねる必要はないし、都会も田舎をまねる必要はない。それぞれの場所が、それぞれの場所固有の生活・文化を維持していくことが必要なのではないか。イリッチのこの考え方を頭に置いた場合、現在のコーヒー文化のもつ「異常」性が見えてくる気がする。
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