人が何かを〈学ぶ〉ということは、その対象を通して、生活世界に新たな意味を付与していく営みである。自己の生活世界をつねに新たに更新していく営み、それが〈学ぶ〉という行為にほかならない。その行為は、ものへのはたらきかけや他者とのかかわり合いなしには成立しない。〈はたらきかけ〉、〈かかわること〉によってしか、私たちは自己の世界を更新してはゆけないのだから。それは、必要や効用といった功利的原理を超えた、根源的な「生の世界」それ自体の自己蘇生の営みなのだ。(15−16頁)私たちの〈学び〉とは、それまでの狭い世界を脱出して、より広い世界を切り拓き、再構成していく行為にほかならない。それはきわめて創造的であり、主体的な営みなのである。(18頁)
〈学び〉とは、〈自己〉の解体と再生の営みなのだ。(18頁)
子どもたちが、多様で異質な文化や人々と出会い、交流する場として、学校を考えたい。同年齢ばかりでなく、異年齢の子どもたち、地域の住民、異国籍の人々、多様な文化的世界、そうした多数の他者と交わることによって、子どもは、一人で学ぶ以上のことが学べるのである。「学ぶたのしみ」を肌で実感できる人々が寄り集まり、〈学びのネットワーク〉を織り上げていく場所、それが、これからの学校なのだ。(28頁)
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