2009年9月4日金曜日

漫才を始める。

最近、本格的に漫才の練習を始めた。
サークルの後輩のS君に誘われ、9月半ばのM−1の予選に出ることになった。

予選150組中、2次予選に出れるのはわずか30組。その組の中に素人(プロでない人)で残るのは1組くらいになっているという。

S君の指示に従い、ひたすらボケの練習をする。

時に「こんな恥ずかしいこと、出来るか!」と思うが、練習を続ける。漫才において、コンビ仲の悪くなることが多いという。その理由が少しわかった気がする。
演劇において、演出家の地位は果てしなく高い。どんな役者も、演出家の指示に従うよう努力をする。
漫才の場合、漫才の進行を考えるのは当事者2人である。けれど、両者の考えのぶつかることがかなりあるだろう。地位が高い側がなく、一見対等であるからだ。ひたすら指示に従って動くことは、漫才において非常に重要な要素である。2人の動きのバランスにおいて、笑いの成立/不成立が決まるためだ。

現在の私はS君の指示のもと、ひたすら平田オリザのいう「考えるコマ」になるべく努力している。変に自分の考えや意見を持って行動しない主義で動いている。
漫才や演劇等で重要なのは、指示におとなしく従うことである。結果的に作品が素晴らしくなるなら、自発的に自らの意志を抑圧するという選択を取るべきなのだ。

いつも「自分で考える」ことの大事さを主張している私が、「意志を抑圧する」ことを主張する。矛盾しているようだが、意志の抑圧を「自分で考え」た結果行うべきタイミングは存在しているのである。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

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