早稲田祭とは、退廃文化の異名である。本来、文化祭は文化活動を行う場所である。決して、騒音とコスプレとナンパ活動で終わる祭りではない。最高学府で行うのだから、なおさら文化的であるべきだ。けれども早稲田祭2008は、人の多さに驚き、見るべき企画の少なさに驚き、早稲田祭参加者の態度に驚くという、驚いてばかりの祭りであった。
赤いハッピを着た早稲田祭スタッフ。何人かは昨夜から一睡もせず、早稲田祭2日目に臨んでいる。11月3日の夕方、スタッフは懸命に撤収作業に当たっていた。その横で、たむろした大学生が女子高校生をナンパしているのを見た。その集団により、道が通りにくくなっている。何ともやりきれない思いを感じる。スタッフの方々は、こんな人たちのために苦労する必要があったのだろうか。それでも笑顔で対応しようとするスタッフの姿に脱帽した。
昨年、一昨年の早稲田祭では、私は講演会企画サークルで動き回っていた。昨年は講演の司会をすることとなり、緊張しながらこの日を迎えた記憶がある。本年は準備の都合上、早稲田祭での企画はできなかった。そのため早稲田祭2008では比較的フリーアリーにキャンパスを回ることができた。
回ってみて、とにかく疲れが出る。人の多さ、企画のくだらなさ。座って休もうにも、休める空間がない。何かを見て帰るべきであるのに、見るべき企画がほとんどない。別に私はバンドにもコスプレにも、興味はないのだ。アカデミックなもの、「来て良かった」といえるものはないのか?
早稲田祭ではいつも講演会をする側であった分、他の企画のくだらなさに愕然としてしまった。そこで改めて、自分の講演会サークルが早稲田祭に企画を出す意義を感じたのである。〈俺たちが企画をしないと、早稲田祭の文化性が下がってしまう〉と切実に感じた。早稲田の文化性は、自分たちのサークルが少なくとも一翼を担っていたことに気づいたのだった。
本年は手伝いの形ではあるが、別のサークルの客寄せを行った。教育学部歴史学研究会というサークルだ。《歴史検定》という企画を打った。教室に来てもらい、日本史・世界史のうち、自分にあったレベルの問題を解いてもらう、という至極シンプルな企画である。はじめ、〈100人も来ないだろう〉と思われていた。しかし蓋を開けてみれば、2日間でなんと400人以上が来場していた。入り口には行列ができた。カップルで受験に来た人もいた。受験生も来た。シルバーカーを押して、お婆さんもやってきた。うれしい悲鳴である。退廃文化の広がる中で、ただ問題を解くだけの企画に多くの人がやってきたのだ。「早稲田祭も、まだまだ捨てたものじゃない。アカデミック志向でも、十分企画は持てるのだ」との自覚を強くしたのである。
早稲田祭についての種々の思いが想起する中で、早稲田祭2008は閉幕した。教育学部歴史学研究会は打ち上げをすることもなく、部室にて現地解散となった。あっさり感が小気味よかった。(了)
2008年11月5日水曜日
退廃文化の向こうに
退廃文化の向こうに 〜早稲田祭に思うこと〜
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