2009年5月21日木曜日

『サヨナラ、学校化社会』にみる、「学校化」

 上位者を上位へ、下位者を下位へ再生産するカラクリのなかで、学校はなにをやってきたかというと、学校的価値を再生産してきました。
 学校的価値とは、明日のために今日のがまんをするという「未来志向」と「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」です。だから学校はつまらないところです。いまを楽しむのではなく、つねに現在を未来のための手段とし、すべてを偏差値一本で評価することを学習するのが学校なのですから。
 その学校的価値が学校空間からあふれ出し、にじみ出し、それ以外の社会にも浸透していった。これを「学校化社会」といいます。学校化社会という用語はもともとはイヴァン・イリイチの言葉ですが、最近は別な文脈で流通しています。それというもの、宮台真司さんが学校化社会という用語を使っているからですが、私はこれを卓抜なネーミングだと思います。(50頁)
 上野千鶴子は「学校化社会」をこう説明している。
 追加説明として脚注に「学校化社会」として、さらに説明を加える。

学校化社会
もともとは、イヴァン・イリイチが『脱学校の社会』(1970)で指摘した現代社会の特徴。学校がその本来の役割を超えて、過剰な影響力を持つにいたった社会のこと。しかし現代日本では、学校的価値が社会の全領域に浸透した社会という、宮台真司が広めた定義のほうが有名である。(50頁)
 ただ、田中の『教育学がわかる事典』では「学校化」の意味は宮台の『終わりなき日常を生きろ』に書かれている、と示されているのだが、私が『終わりなき』を読んでも結局最後までそういった記述を見つけられなかった。何故だろう。
 引用した2章「学校に浸食される社会」の終わりには、上野が学校化社会を総括した次の言葉が書かれている。
学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります。(57頁)

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