書評『要約世界文学全集Ⅰ』
高校の図書室にトルストイの『戦争と平和』全6巻が大きな場所を占めていた。長い。単調。隣においてあった『失われた時を求めて』も長過ぎて読む気が失せる。そんな時の大きな味方がこの『要約世界文学全集』だ。原作の長さに関係なく、一作品をたった13ページに収めている。それでいて原作の魅力をきちんと伝えている。サン=テグジュペリ『人間の大地』とカミュ『ペスト』には十分に引き込まれた。
名著の要約。この言葉を聞いて、「安直だ」とか「それでは読んだことにならぬ」という批判が聞こえてきそうだ。批判者のこの言い分が表れたのはいつごろか? 大正時代からである。
明治以前、よい文学には大体「普及版」・「要約版」があった。原作を分かりやすく縮訳した本があったのだ。大正時代にこの風潮は否定される。「原文で読まぬと意味がない」という原文主義が広まっていったのである(『使える!レファ本150選』)。
原文主義は何をもたらしたのだろう? 作者オリジナルの物語を読むので、作者の肉声に迫ることができる。文体・リズムを味わうことができる。作者が本当に伝えようとしたかったことが分かる。利点ではこういった所だろうか。あらゆるものはコインの表裏。原文主義のデメリットも当然存在する。読むのに時間がかかる、あるいは原文を読むには相当な教養が必要である…、等など。文学は文化である。読者に読まれることで初めて価値が生じるのである。トルストイやドストエフスキーが苦労して書いた文化遺産を読むことで、読者の人間性や教養が高まっていく。しかし、原文主義を取ることは文化遺産を知識人のみに独占させることになる。原文は読みにくい。長い。難しい。「要約を読むのは安直だ」と主張することは現代に生きる多忙な読者から、文学文化を奪うことになる。
大文豪の書いた文章はたとえ一部の抜粋や要約であっても、大きな文化性をもっているものだ。だからこそ「要約本」が価値をもつことになる。いま本屋に増えている[世界文学を漫画化した本]にも大きな意味合いがあるだろう。
名作の「要約」や「漫画」では原作に及ばないのは当然である。しかし原文に入るきっかけになる。それ自体でも原作の文化性を人々に伝えるはたらきがある。文学を知識人から解放せよ。もっと(私を含めた)大衆に解放していくべきだ。この『要約世界文学全集』は出来がいい要約をおさめている。文化解放の一助となるであろう。
3 件のコメント:
「大衆に解放していくべきだ」というのはまったくおっしゃるとおりと感じました。
ところで詩や美術・音楽なんかだと、どうなるんだろうね?
コメントありがとうございます。
You Tubeで今、オーケストラの演奏を観ることもできますし、「中原中也」と検索すると彼の詩を読むことができます。
デジタル化・ウェブの進化によって文化を共有することができるのではないでしょうか?
あ、ごめんなさい、ちょっとことば足らずでした。
「解放」のほうというより、「要約」のほうの文脈でのコメントだったのです。
小説だとまあ「要約」しやすいですよね? でも、同じ文学であっても詩だと「要約」ってちょっと違和感あるし、さらに音楽や美術だとなおさら。その相違をふと思ってひとりごとを言いました。
「解放」というところまで話を進めるなら、おっしゃる通り、Webの力が大ですね、きっと。
ジャンルによって、「解放」に適したメディアは変わってくるのかもしれないですね…って結局すごくあたりまえの結論に落ち着きそうだ(汗
コメントを投稿