池袋のジュンク堂書店に行った。小学生向けの学習参考書の棚の隣に、児童書の棚があった。小学生の男の子が一人、立ち読みをしていた。あとは保護者のみが本を探している。横から見ていた私は、小学生の読書が「教育」に取り囲まれているように感じた。
古来、読書が悪であった時代がある。それゆえに、読書が娯楽であった。
現在「子どもに読ませたい本」一覧のように、読書が教育に入り込み「制度化」されている。
もっとも、この傾向は明治末期から起きていた。夏目漱石の小説が良家の子女に「読ませたい本」になった時からだ。読ませても、「大人」や「親」たちに無害だ、と感じるがゆえに「読ませたい本」になったのだ。
現在の子どもの悲劇の一つは、そんな制度化された無害な本しか与えられないところにあるだろう。
『ズッコケ三人組』や『ハリー・ポッター』で夏休みの読書感想文を書く小学生は排斥をされる。それは「読ませたい」本ではないからだ。
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