対談集『21世紀への対話』より、教育関連の項目の整理。
(上)128項 第三章 知的生物としての人間
1 学問・教育のあり方
(1)教育のめざすもの
・「学問・教育の本質は、実利的な動機に基づくものではなく、宇宙の背後に存在する‘精神的実在’との霊的な交わりを求めること」トインビー
・学問や教育、ある意味宗教的なものにまで迫る。人間としていかにあるべきか、人生をどのようにいきるべきか。
・しかし、実利のみを動機とし、目的とするのは、教育のあるべき姿ではない。現代の技術文明の社会では教育が「実理性の侍女」に成り下がっている。「欲望追求の具」に。
・「教育は、人生の意味や目的を理解させ、正しい生き方を見いださせるための探求でなければならないのです」トインビー
・「知的職業の訓練を受けたすべてのものが‘ヒポクラテスの宣誓’を行うべきです。」「自分の専門的な知識や技能を、人間同胞の搾取に向けることなく、彼らへの奉仕に用いる旨を誓うべきでしょう。」「最大限の利益ではなく、最大限のサービスこそ、知的職業人が目的とし、身を尽くしていくべきものです。」
・現代の教育は、実利主義に陥っている(「宗教的なもの」だから、実利主義は否定すべき、と解すべきか?)
→二つの弊害。
①「学問が政治や経済の道具と化して、その本来もつべき主体性、したがって尊厳性を失ってしまったこと。」
②「実利的な知識や技術にのみ価値が認められるために、そうした学問をする人びとが知識や技術の奴隷に成り下がってしまっていること」→人間の尊厳性の失墜が起こる。
まとめ…「知識や技術に人間が奉仕し、政治や経済に操られるようになった学問・教育を、本来の、人間としての基本的なあり方や人間存在の根本を明らかにする学問、また、それを伝えていく教育へと転換することが、どうしても必要だと思います」
(2)生涯教育について
・「知識が常に増大し、しかもその解釈がたえず変化している今日の世界では、フルタイム(全日制)の青少年教育だけでは十分であはありません。引き続いて、生涯にわたるパートタイム的な自己教育をしていく必要があります。
・学校教育にも、社会との接点を作って人生の経験を踏ませる方法を考えるとか、課外活動や共同生活の経験を持たせられるよう、なるべく多くの機会を設けるべき。
→「現在求められている教育のあり方として、私は、この全体人間を志向した人間教育の必要性を強調したいと思います」
・「成人期に教育を続けることの利点の一つは、成人者は自分の個人的な経験を、学問的に、―つまり間接的に―学ぶ事項に関連付けることができるということです」トインビー
・パブリック・スクールの事例。「年長の生徒たちに実際に権力を行使させ、責任感を養う機会を与えています。」「生徒会長は常に、‘権力は人格の試金石である’というギリシャの格言で戒められていました」トインビー
まとめ…「人間の能力は多種多様であり、これら多種多様な能力はすべて社会的に価値があるものです。各個人がもつ独自の能力というものは、すべて発掘し、育成すべきです。それを可能にするには、学生たちに、実際に経験を積み、それを生かす機会を与えてやらなければなりません。また、理論と実践とが互いに補足し合い刺激しあうような、一体化した教育を、生涯続けることが必要です。(ドイツのディアルシステムは、これに近い。また牧口の『創価教育学体系』の「半日学校制度」も近いといえる)」トインビー
(3)教育の資金源について
・「私は、あらゆる国のあらゆる機関が、撤回不能の土地の寄贈を受けて、学生の学費を安く、教職者の給料を高く維持できるようになってほしいと思います。これによって初めて、国家や大企業によるコントロールからの自由が保障されることでしょう。」トインビー
(4)男女共学の得失
・男女教学
メリット
デメリット「性の紊乱」「妊娠の問題があり、生命の尊厳という問題が関わってきます」
・男女別学
メリット
デメリット「同性愛などの性的な問題」
→「二つの制度の長所と短所のバランスをとることは、きわめてむずかしいこと」
まとめ…「私は、学校なり、公共の機関が個人に教えるべきことは、個人の自由な判断を尊重できるような、それぞれの人格を磨くことであり、正しい判断のための素材を与えることだと考えます。個人の判断の結果が誤っていたとすれば、それは学校がその任務を十分に果たしていない証拠であって、個人の自由に干渉することは、自らの無能と怠慢をあらわにすることにほからならないでしょう。理想主義的にすぎるかもしれませんが、私は、学校教育とは、そうあるべきだと考えています。」
(5)教育者と研究者 →むしろ、対談集『学は光』に詳しい?
・「大学教育の役割は、学生に自己教育のやり方を教えるところにあります。私は、これを効果的に教えようとするなら、まず教授陣自らが自己教育を続けていかなければならないと考えます。そして、教職者にとっての自己教育とは、研究活動にほかならないのです」
・「最も想像性豊かな研究者というのは、常に研究を何か他の活動と結びつけてきた人々でした。」
・研究者が、人間の実際生活にふれることによってこそ、生き生きとした力を得て、自分の専門分野の研究を、より豊かに進めていくことができる。
・まとめ…「専門研究というものが、人間の実生活における感情や行動から遊離することによって、研究成果がきわめて危険なものになりうるという傾向を、是正する手がかりにもなろうかと思います。」「非常に専門化された分野の研究者も、自分の研究課題やその結果を学生や一般市民に理解できるように伝達し、あるいは教育しうるようでなければなりません(私は、ドキュメンタリー映画で、教育学の理論を伝えたい)。それによって初めて、自己の研究を人間的な眼で見つめ直すことができ、研究への新しい視点を見いだすことができるでしょう。それがまた、危険への暴走を食い止めるブレーキにもなり、その軌道を正しく修正することにもなると思うのです。」
2008年6月25日水曜日
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