2008年6月6日金曜日

11年目のサカキバラ

1997年も、神戸が揺れた

 「サカキバラ」事件を、覚えておられるだろうか。漢字で書けば酒鬼薔薇。1997(平成9)年に日本中を震撼させた事件だ。「酒鬼薔薇事件」は通称で、正式名称は神戸連続児童殺傷事件という。1997527日、市内の中学校正門前で小学校6年生児童の頭部が発見される。口には2枚の犯行声明文。1枚の紙には、「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと、という名前があり、もう1枚には次の内容が書かれていた。

「さあ、ゲームの始まりです/警察諸君、私を止めてみたまえ/人の死が見たくてしょうがない/私は殺しが愉快でたまらない/積年の大怨に流血の裁きを/SHOOLL KILL/学校殺死の酒鬼薔薇」

注…shoollschoolの書きまちがえだと言われる。またこの声明文は、さまざまな書籍などの引用から構成されている。

 この事件の3ヶ月前の2月10日と316日。神戸市内ではハンマーによる通り魔事件が起きていた。当初、20代から30代の男性が犯人像であったが、被疑者として捕まったのは14歳の少年。いわゆる、「少年A」とされる人物だ。冒頭の殺害事件と、同一人物による犯行であった。

事件当時、昭和632月生まれの私は小学校4年生であった。郷里は兵庫である。といっても、神戸まで2時間は車でかかる片田舎だ。四方は山に囲まれている。家に鍵をかけずとも、盗みを働く者がいないほど、のどかなところだ。事件が起きることもほとんどない。

それでも、この酒鬼薔薇事件のあと、犯人がつかまるまで、「登下校の際、不審者に十分気をつけること」と注意されていた。防犯ブザーも支給され、集団登校に加え、集団下校が義務づけられた。「まっすぐ家に帰りなさい」としつこく注意を受けた。酒鬼薔薇事件は私にとっても、身近な問題であったのだ。

子どもを見ない教育思想家たち

 この事件から、11星霜。少年Aは成人し、社会にも復帰した。このあいだに、「17歳の犯罪」を始めとする少年犯罪が、週刊誌・ワイドショーを賑わした。少年法の改正も、この11年間の出来事だ。

酒鬼薔薇事件は、教育行政のあり方を再考させるきっかけともなったようだ。どこか心に影を持った存在として、子どもが認識されるようになった。思想界も同様に、子どもへのまなざしが変化した。この酒鬼薔薇事件は重要なインパクトを今なお持っているのである。

教育学者・佐藤学の著書に、『身体のダイアローグ』(2002年、太郎次郎社)という対談集がある。佐藤氏のおこなってきた、さまざまなフィールドの知識人との対談を納めてある本で、何度も対談のテーマになっているのは、本稿で示した酒鬼薔薇事件だ。1997年の事件発生直後の対談も、入っていた。以下は、19971121日の『週刊 読書人』掲載分の写真家の藤原新也との対談だ。

佐藤:中学生、高校生の多くは、この事件を他人事と考えていません。とくに「透明な存在」(藤本注 酒鬼薔薇が自身の説明の中で使った言葉)というのは人ごとではない。一触即発すれば、自分たちの中でも起こりうる事件としてとらえている。教師たちは、その部分をある程度感じ取ってはいるんだけれど、どう受け止めていいかとまどっている。(34項)

この部分を良く見てほしい。「中学生、高校生の多くは、この事件を他人事と考えていません」とある。どの中学生・高校生も、少年Aのような行動に走る可能性があるということを、中高生たちが自覚している、というのである。このような論調は、「まじめそうな子がキレると、何をするかわからない」などと、ほかの多くの少年犯罪報道でもいわれている。

ところで、酒鬼薔薇事件があった当時、いまの大学生は小中学生だった。酒鬼薔薇のすぐ下の年代だ。つまり、当時の知識人にとって、我々の世代は「誰もが酒鬼薔薇になりうる存在」、と見られていたのである。

けれど、本当に自分たちは当時、「酒鬼薔薇は他人事でない」と考えたであろうか? 私には、そんな記憶がない。周りの友人に聞いてみても、いなかった。私は、「酒鬼薔薇事件は酒鬼薔薇本人、つまり『少年A』という一人の異常者が犯行を行っていた」ものと考えていた。自分が酒鬼薔薇と同じ要素を持つとは、考えたこともない。しかし、佐藤学や彼の対談者は、“今の子どもたち皆に、少年Aの要素がそなわっている”と考えているようだった。

 この佐藤学と同様の主張をした人物は、多くいた。1997年のニュース番組内で、佐藤学同様か、それ以上の主張をした者もいるのである。いわゆる知識人の、ラジカルさを思う。たった一人の例から、多くの人々に敷衍させる。少年Aという「異常者」の犯行を見て、「子どもは皆、少年Aになりうる」と考えてしまう。

 実際、酒鬼薔薇事件を見て、当時の知識人たちは気味の悪さを感じたのだろう。「いまの子どもは変だ」、と。しかし、早急すぎる発想ではないか。私という、酒鬼薔薇事件を「『自分たちの中で』『起こり』えない事件だ」と考えた子どもがいたのだから。

異常者の行動が、世に広まる時代

なぜ、思想家をはじめとする知識人は、ラジカルに子どもを見てしまうのか。私は、マスメディアの発達(特にテレビジョン)が理由であると考える。

私の認識の中では、異常者は常に社会にいた。けれどかつてはマスメディアの発達が無く、その異常者のおこした犯行が世のなかに知れ渡らなかった。日本国内の一地方の事件が、日本津々浦々まで浸透することは、マスメディアの発達するまでなかったはずである(赤穂浪士レベルならあるかもしれない)。近年のマスメディアの発達により、1人の異常者の行動が、日本中に知れ渡るようになった。そのため、通常ならば「少年Aが異常だった」となっていたものを、「今の子どもたちは、どこか心に闇をもっている」と大人たちが考えるようになったのではないか、と思うのである。

日本において、もっとも少年犯罪が多く、凶悪であった時代はいつかご存知だろうか。1997年? 違う。現在? ノン。正解は終戦直後。少年による万引きはもちろん、放火・強盗・殺人などが、現在の基準よりはるかに多かった。それだけを見ても、少年犯罪が凶悪化しているとはいえないはずである。「生きるために必死だった」といえばそれまでだが、「最近、少年犯罪は凶悪化している」「少年犯罪の数が増えている」というとき、人々は終戦直後のことを考えていない。凶悪な一部の少年犯罪を何度も報道することで、いまの子どもたち皆が凶悪に見えてしまうのである。

ともあれ、知識人による「最近の子どもたちは、酒鬼薔薇を人ごとだと思っていない」というラジカルな認識は、マスメディアの発達が支えているのである。

 

ひとりを見て、勝手に全体を判断してはいないか?

たった1人を見て、全体を判断する。酒鬼薔薇事件において、知識人たちが使った発想である。「酒鬼薔薇と同じ要素を、いまの子どもは皆が持っている」、と。一度考えてしまうと、もうこの発想から離れられなくなる。子どもを薄気味悪く感じるようになる。発想の「例外」にあたる人物が多いときも、「例外」が見えなくなってしまう。一人ひとりと会って、話さなければ分からないことが現実には多いにもかかわらず、一度決め付けてしまうと、すべてがそう見えてくる。「実際に子どもたちと話して、確認してみよう」とは思わなくなる。

 私は別に当時、少年Aに心引かれることも、あこがれることも無かった。心に闇を持っていた記憶がない。というより、あれだけ1997年は酒鬼薔薇事件がとりただされたにもかかわらず、少年Aと同じ世代が普通に成人を迎えている昨今に、「いまの20代の若者は、心に闇をもっている」という言説を聞くことが無い。

 知識人たちは、何かと子どもを悪者や「劣ったもの」と見る傾向があるのではないかと、感じる。少年Aひとりから、今の社会の子どもたちみなを推し量ることはできないはずである。けれど、どうも知識人という人々は直に子どもたちと会って、「酒鬼薔薇って、どう思う?」と聞きに行かないようである。

参考文献:

佐藤学著『身体のダイアローグ』(2002年、太郎次郎社)

『無限回廊』WEBサイトhttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/koube.htm

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