2011年1月31日月曜日

PISAの調査結果報道から見えてくること  ~各紙社説の検討から~

0、目次

 本稿は以下のように構成されている。

1、はじめに
2、「社説」から見えてくること
2.1. PISA調査の重要度認識の違い
2.2. 内容の検討
3、調査結果の社説報道の問題点
3.1.教育問題の「格差」性への各社の認識
3.2.教育問題を煽る社説
3.3. 他のアジア諸国への言及
3.4. 社説の最終部分の記述
4、日本の義務教育の内容・方法について、今後改善すべき課題ないし改善策
4.1. 教育問題の「格差」性への検討
4.2. 教育目標の検討
4.3. 教員の自己教育力の養成
5、終わりに
6、参考文献

1、 はじめに

 PISAの調査結果をもとに日本の義務教育の内容・方法について考察を行うのが本稿のテーマである。そのために、まずはPISAを巡るマスメディアの言説を探る点から行っていく。
 本稿では各紙に掲載されたPISA2009年調査の結果を受けての「社説」の内容の検討を行う。対象となるのは全国紙5紙(読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞・日経新聞)に地方紙1紙(東京新聞)の朝刊である。なお、本稿では各紙を略称で扱うものとする。
 図表1に、検討する社説の掲載日とタイトルをまとめている。

図表1 検討する新聞社説と掲載日の一覧

新聞名 掲載日 社説タイトル
読売 12月9日 国際学力調査 応用力を鍛えて向上めざせ
朝日 12月8日 国際学力調査 根づいたか「未来型学力」
毎日 12月8日 国際学力テスト 向上の流れを確かに
産経 12月9日 国際学力調査 「8位」で手綱を緩めるな
日経 12月8日 「考える力」をどう育てるか
東京 12月9日 国際学力調査 順位に一喜一憂ではなく

2、「社説」から見えてくること 

2.1. PISA調査の重要度認識の違い

図表1をみると、PISA関連の社説の掲載日には2010年12月8日のグループ(朝日・毎日・日経)と9日のグループ(読売・産経・東京)の2つがあることが分かる。
12月9日にPISAに関する社説を掲載した読売・産経・東京も、8日の1面にはPISAの記事を掲載している 。1面に掲載するほど重要であると認識されたPISA調査について、社説で取り扱うのが9日になった理由は一体何であるか。それは、12月8日の社説においてPISAよりも重要だと認識される内容を、社説で取り扱う必要があったためであると考察できる。図表2に12月8日の各紙の社説をまとめている。

図表2 各紙の12/8の社説

新聞名 上段/下段
読売 日米韓外相会談 中国と連携し対北圧力強めよ/諫早湾開拓訴訟 「開門」命令が問う政治の責任
産経 民社「復縁」 数合わせで国益害するな/日米韓外相会談 連携して対中圧力強化を
東京 菅内閣半年 課題に挑む気迫感じぬ/日米韓外相会談 中国も北の暴走止めよ
朝日 朝鮮半島 外交で打開する以外ない/国際学力調査 根づいたか「未来型学力」
毎日 日米韓外相会談 中国は「北」説得に動け/国際学力テスト 向上の流れを確かに
日経 中国は北朝鮮の蛮行封じ込めへ行動を/「考える力」をどう育てるか
斜体はPISAに関する社説である。

 各紙社説に日米韓外相会談に関する社説が掲載されている点は6紙共通の特徴である。2枠ある社説欄のもう1欄において、読売・産経・東京はPISAではなく「諫早湾開拓訴訟」(読売)・「民社『復縁』」(産経)・「菅内閣半年」(東京)と、いずれも政治面、特に政府批判の内容を掲載している。朝日・毎日・日経のように8日にPISAの社説を掲載しなかったのは、読売・産経・東京が政府批判の文脈が強いためであると考察できる。つまり、PISA調査よりも政府批判の社説掲載のほうを優先したと考えられる。
 今回のPISA調査結果において、日本の子どもの学力が改善したと報道をされている。読売・産経・東京にとっては現政府の政策の取り組みを肯定する評価を下すことになる。そのためあえて社説発表を9日にずらした可能性を考察することができる。
 実際、読売・産経・東京のPISAに関する社説では、民主党政権への批判が取り上げられている。読売は全国学力テストが「PISAと同じ応用力を問う問題が出される」意味合いで有効と述べたのち、「民主党政権はコスト削減を理由に抽出方式に変えたが、全員参加方式に戻すべきだ」と記述している。産経は「民主党政権は学力テスト方式を全員参加から一部参加に変えた。『競争』から目をそらしている。教育の成果を適切に評価する取り組み姿勢に欠ける」と言及。東京は「国を挙げての〝受験対策″が軌道に乗り始めただけだ」と指摘する。いずれも現政府への批判となっている。一方、朝日・毎日・日経では政府批判の内容は掲載されていなかった。
 政治的色合いのもとで、各紙はPISA調査に関する内容を報道していることが見て取ることができる。
 なお、産経・読売については筆者の想定する「ストーリー」を述べたいと思う。一般的に保守的とされる産経・読売は、今回のPISA調査で日本の順位が上がったことを真っ先に報道したいと考える。いわば「国益」とも言えることだからだ。しかし、現状は「民主党政権」である。素直に日本の順位が上がったことを述べてしまうと、現政府に花を持たせることになる。そのためにあえて12月8日に現政府批判の社説を掲載し、翌日にPISA調査に関する社説を出したのではないか。その際も、「民主党政権」への批判を書くことを怠らずに行うことで自社のスタンスに反しないようにしているのである。

2.2. 内容の検討

 朝日の社説では「日本の子が苦手とされてきた「読解力」の分野で、国別順位が改善した」ことを述べたのち、「だが、21世紀を生き抜くための力が日本の子どもたちに備わってきたと、本当に喜んでよいのだろうか」と指摘する。「言葉という道具を駆使して他人と交わり、考えを深め、社会に役立ててゆくような力強さはまだまだ。そんな日本の子の姿が浮かぶ」とまとめた後、「朝読書」などの事例を述べている。しかし全体として何が言いたいのか不明瞭になっている。
 日本の新聞メディアにおいて、今回のPISAの調査結果を「改善」と見る動きが強い。しかし、「社説」では記者がいろいろ「本当に喜んでよいだろうか」(朝日)などと教育内容を煽る。その割に記者が提案するのは「朝読書」(朝日・東京が言及)のなかで「感想を話し合い、違う意見もとりいれて発表する」(朝日)など、教育学プロパーから見て低レベルな内容でしかない。
 新聞記者の視点にはリテラシー能力向上の「手法」は「朝読書」くらいしか入っていない点に注意をしたい。
 教育行政全体の変革を述べていたのは毎日と日経のみである。毎日は「状況を大きく前進させるには入試改革が不可欠だ。思考や表現を重視する授業を普及させるには高校、大学が手間をかけた試験を避けてはならない。暗記知識の多寡でコンピューター処理をするような試験は、PISA型学力からは最も遠い」とまとめている。ここで考えるべきは、毎日の社説が言うような「コンピューター処理」する入試を経ずに入学する生徒が現状では6割いるという点である。「暗記知識の多寡」で受験者を選別できる学校は、いまでは数少なくなっている。毎日の提案は現状とミスマッチなのである。
その点、日経は毎日同様に大学入試改革を述べてはいるものの、「教育課程の弾力化と、地域や学校現場の創意工夫を生かす教育行政の分権が欠かせない」と書いていた。提言として妥当なのは日経のこの提起のみである。
  
3、調査結果の社説報道の問題点

3.1.教育問題の「格差」性への各社の認識

 近年、教育における「格差」の存在が言及されることが多くなった。今回のPISA調査の結果を受けた社説をみると、「格差」について言及をしている社説と全く言及のない社説の2つにわかれた(図表3)。朝日・日経を除く4紙はいずれも「格差」について言及をしていることがわかる。

図表3 「格差」への言及の有無
新聞名 格差への言及
読売 「低学力層」
毎日 「学力格差」「経済格差」
産経 「格差も解消されていない」
東京 「所得格差」
朝日 ×
日経 ×

 「格差」についてもっとも多くの文字数を使って言及をしていたのは毎日であった。学力二極化の傾向への指摘にとどまらず、「経済格差」にも言及があった 。読売は毎日同様「低学力層」の存在の指摘を行った後、教員への要望を述べている 。東京は「成績の良い子と悪い子の二極化が依然目立つ」との指摘後、「背後には所得格差の問題が潜んでいる」と述べ、不明確な形ながら「格差」の存在を匂わせている。
 興味深いのは産経の記述である。参加国と比較し「日本は学力下位層が多く、格差も解消されていない」と言及した次の箇所で、「民主党政権は学力テスト方式を全員参加から一部参加に変えた。『競争』から目をそらしている。教育の成果を適切に評価する取り組み姿勢にかける」と述べている。「格差」解消を目指しつつも「競争」を重視する姿勢に矛盾を見て取ることができる。
 一方、教育問題が経済格差などとつながりを持っている点について、朝日・日経では指摘がされていない。教育問題の持つ「格差」性についての認識をマスメディア自身が持つことが必要であろう。

3.2.教育問題を煽る社説

 なぜ学力の向上を行う必要があるのか。その哲学性や理念についての言及が6紙の社説には現れていない。産経は「国力」やノーベル賞受賞という記述があるが、教育問題をなぜ社説で扱う問題であると考えるのか、その点の考察が必要である。現状ではただ教育の現状を嘆き、教育の改善を煽る紙面になってしまっている。

3.3. 他のアジア諸国への言及

 今回のPISA調査では初参加の上海が全領域でトップの結果を示していた。そのことについて言及しているのは読売・産経・東京・日経の4紙である。12月9日に社説を掲載したグループに日経を足したものである。一方、朝日・毎日は自国の調査結果に関する内容のみで終始した内容である。
 東アジア諸国への言及があった4紙でも、記事の扱い方は異なっている。読売・産経は「アジアのライバルの学力向上熱は高い」(産経)、「アジアの優秀な学生を日本の本社で採用する企業も現れ始めた。日本の若者が各国のライバルと就業を競う時代に入っている」(読売)と、明確に「各国のライバル」と日本の若者が競うことを言及した内容となっている。一方、東京・日経は上海を含めたアジア諸国のPISA結果が高かった、という事実の記述にとどまっている 。
 まとめると、PISAが国力を競うものとして騒がれる傾向が読売・産経では強く表れている。一方、東京・日経は調査結果として「アジア勢」の結果が上位に並んだことを掲載したのみであり、朝日・毎日は全く他国の結果を掲載していなかった。

3.4. 社説の最終部分の記述

 次に、新聞社説の最終部分について比較を行う。この部分を比べるのは、照らし合わせた際に各紙の主張や傾向が強く表れていたためである(図表4)。
 図表4をみると、朝日・東京は「腰を落ち着け、学びの質をかえてゆくときだろう」(朝日)・「一喜一憂する必要はない」(東京)と、教育政策の方向性を漸進的に変化させる方向性での記述がなされていることが分かる。また日経は朝日同様、「学びの質」を改善する内容を述べていることで共通している 。
 一方、読売・毎日は今後の教育政策を「自己表現力」などを高める方向性で変えていく必要性について述べている。産経は若者への呼びかけで終えている点が特徴的である。

図表4 各社説の最終部分の記述
新聞名 最終部分の記述
読売 「自己表現力や対話能力も問われる。見劣りしない能力をつけさせることは国の責務だろう」
朝日 「未来に向けて腰を落ち着け、学びの質を変えてゆくときだろう」
毎日 (入試改革の提言をした後に)「暗記知識の多寡でコンピュータ処理するような試験は、PISA型学力からは最も遠い」
産経 「将来の日本が世界と競い合うためにも、若い世代はひたすら学ぶしかない」
日経 「子どもにしっかりものを考えさせる、本来の意味での『ゆとり』が大切だ」
東京 「順位に一喜一憂する必要はない」


4、日本の義務教育の内容・方法について、今後改善すべき課題ないし改善策

 ここでは今まで検討してきた各紙のPISAをめぐる社説の記述から見えてきた点をもとに、日本の義務教育をめぐる改善すべき課題と、改善策に関する筆者の私見をまとめる。

4.1. 教育問題の「格差」性への検討

 先に図表3において各紙の「格差」報道を見てきた。「『社会生活を営む上で支障があるレベル』とされる低学力層の割合が、日本は三つの分野とも1割を超えていた。上位10か国・地域の中では目立って高い」(読売)。この「社会生活を営む上で支障があるレベル」の低学力層の割合が高い点は、読売・毎日の記述に述べられていた。安彦(1996)が述べる「基礎」と「基本」に義務教育の範囲をたてわけ、「基礎」だけは個別指導や特別授業を行ってでも底上げをするという改善策が考えられる。
 また、所得格差問題についても毎日において指摘があった。これを是正するためには、生活保護の受給を容易にする点や、北海道三笠市のように給食費無償化を実現する点などを方法として挙げることができる。

4.2. 教育目標の検討

 3.2.において、各紙の社説が教育問題を煽って終わりになっている点を述べた。
 教育方法を定めるには、目標goalが必要である。そうでなければPDCAサイクルをそもそも動かすことができない。「ゆとり教育」には学力低下などの批判がさらされたが、「生きる力」という目標が定められていた点に一つの意味があったと考えられる。目標や理念が曲がりなりにも定められていたため、「ゆとり教育」という目標の妥当性を議論できたのである。 
 PISA導入後、「リテラシー能力」や「基礎・基本の徹底」などが新たな目標として語られるようになったが、これらはあらゆる方向に向けられたものであり、結局のところ何を目指すのか不明確になっている。
 次の4.3.でも述べることではあるが、義務教育において何を求めるのか、議論が必要であろう。それは教育行政のみではなく、職員会議(現状では校長の方針を打ちだすのみの場になっている)や教育委員会内での真剣な議論が必要であると考える。

4.3. 教員の自己教育力の養成

 各社説には現場教員への提言も3紙に述べられていた。「先生が細かく目を配り、つまずきを克服するまで指導することが大切である」(読売)・「授業をどう工夫するか先生の力量がますます問われる」(東京)・「教科書の使い方や教科を横断するような形式の授業にも、工夫が必要だ」(朝日)。
 実際、現場教員自身の自己教育が今後の必要となるであろう。PISA型学力への転換、「考える力」重視の教育実践も、最終的には教員の創意工夫によって実現されることである。むろん、一方的押しつけにならないよう十分に議論して政策を行う必要はある。しかし、教員自身の取り組みが「良い教育」を支える根拠となることは確かであろう。
 アーレントは空間をprivate-public-socialの3つの側面から考察する(Arendt 1957)。画一的なsocialたる教育行政・教育政策のみでなく、その学校・その教室独自の公共性publicを作っていくことの重要性を、アーレントの概念枠組みから読み取ることができる。彼女は理想の公共空間として、他者との網の目の空間に「現れ」、議論・行為するなかで正義を実現することを述べている(同)。理想の教育空間(あるいは場)は教員-生徒間で作り上げていく必要がある。そのためにこそ、教員自身の自己教育が必要となる。これが教育行政に使役される形で行われるならば、イリイチのいうシャドウ・ワーク(賃金の支払われない他律的労働)になるが(Illich 1981)、国家の権力に対抗する形で行うこともできる。
 上から言われた通りに行うだけで「効果」が出るわけでないのが教育現場である。教育目標が「ゆとり」や「学力向上」の間を揺れ動く中、自分に関与する児童・生徒との間での教育実践をアーレントの言うpublicの図式に合う形で行うことで、国家の力を制限することができる。
 ちょうど向山洋一の教育技術法則化運動も、教員自身の自発性・能動性に支えられていることも思い起こす必要がある。向山は新任校での自己紹介を朝会で行う際、5分のあいさつのために何時間もかけて指導案の作成・検討・練習を繰り返したという(向山 1987)。教員自身が国家や行政とのバランスの中で「良い教育」を実践するためにも、教員自らの自己教育が必要であるということができる。

5、終わりに

 本稿では各紙社説の検討後、それを基にして今後日本の義務教育段階で行っていくべき提言を3点提示した。具体的な方法論についての検討はできなかったが、数ある方法の中から児童・生徒の現状を見て必要な方法を用いられるよう、教員の自己教育力の養成(4.3.)や教育目標をpublicな議論によって決定すること(4.2.)が養成されると考察できる。また、教育実践を行うための土台となる「格差」の是正を政治・行政のレベルで行うこと(4.1.)が必要であるといえる。
 本稿の課題点を述べる。今回はPISA調査を受けての社説記事の出る日付が12月8日と9日に各紙が分かれていた点を取り上げている(図表1)が、前回・前々回などのPISA調査結果報道の際は社説掲載日にずれがあったのか、検討することができなかった。その点について今後検討する必要があるだろう。

6、参考文献

安彦忠彦(1996):『新学力観と基礎学力』、明治図書出版。
Arendt, Hannah(1957):志水速雄訳『人間の条件』、ちくま学芸文庫、1994。
向山洋一(1987):『子供を動かす法則』、明治図書出版。
Illich, Ivan(1981):玉野井芳郎・栗林彬訳『シャドウ・ワーク』、岩波現代文庫、2005。

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