2010年6月28日月曜日

メディアの重要性

 第三者的メディアによって、人は一対一関係に耐えることが出来る。
 たとえば男女は「性」を媒介にしているからつながっていられるのであり、読書会も家族も、対象とする本や家を媒介にしてつながっているのである。吉本隆明のいう共同幻想である。吉本は一対一関係(特に男女間)は対幻想と説明しているのであるが。
 恋愛が「学校」によってはじまる学園ドラマも、学校空間・学校的時間を媒介(=メディア)としてつながっている。何のメディアもなく、一対一の実存的関わりを持つことは難しい。趣味の話や最近のスポーツをネタに(ワールドカップは格好の会話メディアになる)しなければ、人は一対一の関係に耐えることはできない。齊藤孝は偏愛マップなるものを用意し、各人の好きなものを明らかにしたうえで会話をすると話が盛り上がる、と語っているが(『友だちいないと不安だ症候群につける薬』など)これこそ一対一関係に耐える方法である。
 カー・ドライブを二人で行く時、会話なしで走ることは可能だが、わびしさや居心地の悪さを感じる(映画『レインマン』で、スザンナが恋人チャーリーに「何も話さないなんて、一人で旅行してるみたい」と訴えるシーンがある)。だからドライバーは「地図を読んでもらう」ことやカーステレオをつけて音楽メディアを媒介に助手席にいる人間と空間・時間を共有しようとする。

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