私が死んでも、この社会は残る。しかしそれを私は認識できない。おそらく、私がいなくなっても人類は存続するであろう。しかし「私」のいない世界を私が認識できない以上、そんなものに何の意味があろう?
このような実存的問題を人間にもたらさないために、「子ども」という足枷を人間は持たされる。自分の死後に残るであろう「社会」の象徴が「子ども」である。
教育学/社会学ネタメインです。「子どもを不幸にする一番確実な方法は何か、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(ルソー)
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