本日のゼミで、次の内容のレジュメを元に、話をした。議論に出たことは最後尾を見てほしい。
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1、はじめに
フリースクールは近代教育制度に対して懐疑的まなざしを持つ。「画一的・均一・規律的」な近代教育制度に対し、フリースクールは「多様性・自由」を重視する。目指すものが違うため、フリースクールについて調べるうちに、近代教育の〈気持ち悪さ〉が見えてくる。自分が自明視していた近代教育の短所が現れるのだ。
近代教育制度とフリースクール。両者は違う価値観で動いている。従来、近代教育に慣れ親しんだ人びとがフリースクールについて何かを語ることはあっても、フリースクール関係者が近代教育制度に対して何かを語ることはあまりなかった。あったとしても、それが政策提言としてまとめられることは皆無であった。
本年1月11日から12日にかけて、第1回日本フリースクール大会が国立オリンピックセンターで開催された。略称をJDEC(ジェイデック)という。この中で『フリースクールからの政策提言』(以下『提言』)が採択された。偶然ではあるが、私もこの場に参加していた(といっても、採択された12日ではなく、一般公開していた11日のみであった)。
私はこの『提言』がいかなる理由で採択され、そしてどのような内容を持ち、どのように活用されていくのかについて調べてみようと考え、この研究を行うことにした。
2、提言の目的と背景
A 提言の目的
まずこの提言は何の為に書かれたものであるのか。「はじめに」を見てみる。
言うまでもなく、子どもの存在は多様である。その多様な子どもたちを受け入れる教育の場が必要であることは論を待たない。子どもは多様であるということを踏まえ、世界的にも、多様な教育の場を社会が認め支えていく流れがある。それでは、私たちの社会ではどのように多様な子どもたちを受入れる場を持っていくべきであるのかを真剣に問わなければならない。また、そのような場を親・市民の努力に頼るだけでなく、社会が支える仕組みを整える必要がある。
この部分には⑴子どもは多様であるということ、⑵⑴ゆえに多様な教育の場を社会が認めるべきこと、⑶親・市民の努力だけでなく、社会が⑵の多様な教育を支える仕組みを作るべきこと、という3点が書かれている。
B『提言』の出された背景
『提言』より引用する。
フリースクール等の活動が日本でさらに広がり、 深まるよう、2009 年 1 月、 JDEC( 日本フリースクール大会 ) をはじめて開催することになった。これにあわせて、私たちのフリースクール等での活動から見た教育や子どもの状況を改善すべく、すぐに実現にむけて取り組むべきことをまとめ採択したものが、この提言である。
フリースクール等の活動の拡大のために書かれたものである。朝日新聞朝刊2009年1月19日付けには「多様な学びの場を学校と並んで教育制度に位置づけ、公的に支援することを求める政策提言」と書かれている。
3、提言に示された精神性
続いて、『提言』内に示された精神性についてを見ていく。
『提言』は〈子どもの意思の尊重〉を重視している。学校があわなければ休むことを選択できるようにする・学校とは違う学びの場である「フリースクール等」(『提言』では「フリースクール、フリースペース、居場所、ホームエジュケーションのネットワークや訪問支援等の活動を含めて、『フリースクール等』と表示しています」とある)にいけるようにする等、さまざまな形態での「学び」重視を行っている。この背景には『子どもの権利条約』等の法規に示された、〈子どもの権利保障〉の実現、という考え方がある。不登校の子どもの意見を反映することなど、『提言』で示した政策提言の根拠を〈子どもの権利保障〉に置いているのである(このケースでは「意見を聞いてもらう権利」)。
学校教育は教育基本法や学校教育法、文科省の学習指導要領や学校設置基準などに縛られて行われている。これらの法規はいずれも「教育はこうあるべきだ」「教育はこう行わなければならない」というスタンスで書かれたものである。学校教育はともすれば「あるべき教育像」を重視し現実の子どもたちを無視したものになる可能性がある。対して、『子どもの権利条約』等の〈子どもの権利保障〉を謳った法規は「あるべき教育像」より先に「子どもの権利を保障しよう」という立場から始まる。
全体を重視するか、個を重視するか。学校教育と「フリースクール等」とでは教育に対する立ち位置が違う。日本国の教育の体制を定めているのが学校教育に関する法規である。フリースクールは子どもの人権保障の観点から語られるべきものである。
4、提言の中身
『提言』に挙げられた「すぐにでも実現すべき9つの提言」について列記する。
①フリースクール等の教育環境整備と運営安定化を図るための公的支援の実施
②教育行政・関係機関とフリースクール等との連携体制の促進
③フリースクール的な学校設立の促進
④学校復帰を前提とする政策の見直し
⑤教育行政や学校等の現場の対応改善
⑥在宅不登校に対する公的支援の実施
⑦子どもが相談しやすい環境づくり
⑧当事者の立場に立った医療への転換
⑨国や自治体等で取り組むべき課題
5、まとめ
フリースクールを始めとしたオルタナティブな教育は、今後の社会において重要な価値をもっている。けれど、今まではあまりフリースクールの視点から教育界への具体的な提言はほとんど出ていなかったように思う。その点で、今回の提言には重要な意義があると考えられる。
6、参考文献
フリースクール全国ネットワークWEB(http://www.freeschoolnetwork.jp/)
中野光・小笠毅編著『ハンドブック子どもの権利条約』(岩波ジュニア新書、1996)
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ゼミでのコメント
●この提言では、公的な支援を受けることを説明しているが、公的支援を受ける為には「基礎学力」の担保をフリースクールが行っている必要があるのではないか。確かにフリースクールは「自由」を重視しているが、このフリースクールで過ごすことが、社会に出たときに役立つのかどうか、疑問である。そうであれば、学習指導要領をひとまず守っている学校の方がいいのではないか。
つまり、社会へ出る橋渡しの役割をフリースクールが果たしているのか、という点を考えていくべきだ。
→次回はここを意識して研究していきたい。そのために進路先の状況等を個人に着目して(『学校に行かなかった私たちのハローワーク』などで)「顔の見える」研究にしていきたい。大体、「子どもの存在は多様」といってる割に、「多様な子ども」という抽象的な存在でしか話をしていなかった。もっとある個人の子どもの生活に着目した研究にしていきたい。
→オランダはフリースクールを公的な支援の上で行っている。そのなかでは監査制度を持っていて、教育の質が確保されているかを確認している。
●フリースクールの研究を通し、いまの日本の教育に光を充てていくと面白いのではないか、とのご指摘。O先生よりいただく。話が壮大で、研究していくやりがいを感じた。
2009年4月9日木曜日
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2 件のコメント:
ゼミお疲れ様でした。
フリースクールに一定の学力担保を求めることに私自身あまりピンとこないというか、砂糖水にしょっぱさを求めているような、そんな印象を持ちました。
自律的な学びを獲得することを一義的におく場合、あくまでフリースクールは学びの場や機会の提供に終始するべきではないでしょうか(すっごい理想論だけど・・・)。
子どもへの動機づけがあいまいなままで、学習指導がなされるなら、それは「学校化」を促しかねないと思うけど・・・。
二項対立的に考えるのではなく、あくまで知識と活用のバランスが必要であるという前提があるけれどもね。
長々と失礼しました。
小中さん、コメントありがとうございます。
相手の論理や戦法を利用してしまう、というのは有効な戦術です(おそらく)。
「フリースクールに通っている子なんて、どうせ学力低いんでしょ?」という批判者には、〈フリースクール出身で、早稲田に入り、朝日新聞社で記者をしている人がいるのだ〉という事実を示すと反論しにくくなります。〈 〉内は、前に奥地圭子さんが語ってくださった話ですので、ねつ造ではないです。(『不登校という生き方』にも、不登校経験者で東大や京大に言った人の話が129頁にチラッと書かれています)。
今回の「学力担保」の話では、「フリースクールに通っていて、学力もある人」を例に出してしまうと話が早いと思います。行政側の「出し渋り」を否定してしまえるはずです。だって、行政側の役人が地方の三流国立大卒である場合、それ以上の学歴を持つ人がフリースクール出身者にいる事実を示すと、その人をある意味でビビらせることができます(おそらく)。
ともあれ、目的を達成する為にはいろんな手段をとるべきです。現にフリースクールにお金がないのなら、少しでも資金を持って来れるよう、「カネを出してくれる人(団体)」が出しやすくなるような方法でお願いした方がいいですね。そのための「学力担保」を方便としてでも使用できれば、と思うのです。
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