2010年1月31日日曜日

「たま」の曲を聴く。


 最近、ふいに「たま」の歌を聴きたくなった。「さよなら人類」で有名な、あの「たま」である。名前は知らなくても、「今日 人類が初めて/木星についたよ/ピテカントロプスになる日も/近づいたんだよ」という歌詞は聞いたことがあるのではないだろうか。

 私の専門の「脱学校論」的に聴ける歌を、「たま」は数多く歌っている。




 「かなしいずぼん」の中で、石川(パーカッション)のモノローグがある。〈もう学校へなんか行かなくてもいいのに、それでも学校へ目指し走り続ける元・少年〉。老いさばらえてしまっても、それでも「学校に行かなきゃ」という強迫観念にかられてしまう場所。学校というものは、それだけ深く人びとの内面に傷をつける場所ではないのだろうか。

 「とおい昔のぼくらは子どもたち」。この感覚を忘れないようにしたいと思った。「教育」学者を目指すのであるならば。学校の〈気持ち悪さ〉を忘れてしまったら、もう脱学校論の研究は出来なくなってしまう。それを防ぐために、子ども時代の感覚に立ち戻ることの出来る音楽が必要になってくるのだ。

通信教育に、人はなぜ「だまされた!」と思ってしまうのか。

いま山手線の車内ではユーキャンのが流されている。それを見るたびに私は苦い記憶を思い出す。かくいう私は通信教育に何度も挫折しているからだ。「記憶術」やら「行政書士」など、いろいろやったが、最後までやり遂げたのは小学生の時の「電子工作」くらい。何故、私は通信教育に挫折してしまうのか。こうも何度も何度も挫折するということは、私が悪いのではなく通信教育の構造上の問題があるのではないだろうか(責任逃れとは呼ばないでほしい)
言い換えよう。なぜ人は通信教育で「だまされた!」あるいは「挫折した」と思ってしまうのだろうか。
 それは学ぶのには、「お金」以外に時間というストックも必要だからだ。「私」という存在は、時間によってどんどん変化していく(レヴィナスは「時間とは私が他人になるプロセス」だといった)。通信教育を始める前の自分と、始めたあとの自分は別の存在なのだ(学習して変化したのではなく、ただ時間の経過が自分を他者にする)。通信教材の頁を開くとき、「なぜこんなものを学びたいと思ったのだろう」と思うことがある。段々開くのがイヤになる。それが高価であればあるほど、見たくもなくなる。
クーリングオフ期間に決断できることは少ない。いずれも、「あ、ムリかも」から始まって、いずれは「無理だ」とあきらめることになる。おまけに、1回やったからといってその学習が習慣化されなければ、「気づいたとき」「レポートを出すとき」しか教材をやらなくなる(そのうち、レポート期限なのにやらなくなってしまう)。
学校の場合であれば、肉体的に学びの場所に「行く」という行為によって、学びの「構え」を成立させることができる。そのため、学びの場所(学校やサークル等)に行く間に、モチベーションを自分で定めることができる。けれど通信教育は自宅の中で行う。いままでの何らかの生活時間を縮減する中でしか学びを行うことができない(だから、通信教育を経験した人の回想には「喫茶店で会社の帰りに勉強しました」というコメントが登場するのだろう)。モチベーションを上げるのも難しくなってしまう。
結論。通信教育は始めから失敗するように出来ているのだ。教材会社が悪いのではなく、通信教育という「学び」のあり方自体が持つ性格が人を挫折させるのだ。もしあなたが通信教育で挫折していたとしても、それはあなたが悪いのではない。「そういうもの」なのだ。
 通信教育というサービスが、にもかかわらず卒業生を送り出している。これはその人たちの努力の賜物であろう。
学校と違い、通信教育で学ぶ際「こんなはずじゃなかった!」という思いを共有する人がいないのはツラいことだ。グチを言える他人がいれば、「まあ、そんなものかな」と過ごしていける。通信教育は基本的には一人のみでおこなう。強き意志をもった主体でないと、「遊んで」しまう。通信制大学の卒業率の低さ(場所によっては1割もいかない)は、レポート課題の困難さよりむしろ、制度的な学びを一人で行うことの難しさを示している。巨大な学校制度に対し、同僚もなくたったひとりで立ち向かうのはなかなかに過酷なことなのだ。
おまけに、やらなくなる結果が多くなると自分を卑下し、自暴自棄になる。社会人で、「今日から通信制の大学で学びはじめたんだ」と宣言している人はうまくいかなくなると、自分が惨めになる。〈制度的な学び〉はグチれる〈他者〉がいないと、うまくいかない(ことが多い)。
世にこれだけ通信教育が流行っているということは、それだけたくさんの挫折者がいるということだ。
 冒頭にも書いたが、私もいろんな通信教育で学び、そして挫折してきた。苦さを経験してきた反面、通信教育の「良さ」もよくわかる。それは、「あんな自分になりたい」という欲望を一時的に満たすことができるということだ。
 通信教育はまさにドラえもんのポケットなのだ。「あんな自分になりたい」思いを一時的に満足させてくれるが、相当努力しないと夢は実現せず、自らが変化しない。のび太は漫画『ドラえもん』のなかではほぼ無成長モデルで描かれていることを考えてほしい。のび太は一時的にドラえもんの出す道具によって全能観を得るが、そのあとは再び「ひどい目」にあっている(要は挫折しているのだ)。通信教育の良さは、ドラえもんの道具を貸してもらったときののび太のような「全能観」(夢が叶ったような気がする思い)を味わえる点だ。悪い点は道具を出してもらったあとののび太のように「挫折」を味わうてんである。
 一人で学べる力がなければ、結局は制度的な通信教育もうまくいかないのだ。そのためには、自分が心の底から「これを学びたい!」「学ばないと、仕事で困る」という切実な思いがなければならない。私はこういった切実な思いをもつ学びのことを「渇きによる学び」と命名しているが、この「渇きによる学び」がなければ通信教育は結局成立しないのだ。

フリースクールに似た学校にサポート校というものがある。通信制高校の課題を学校のなかで行うというシステムをとっている場所のことだ。本文でも書いた「グチをいえる同僚」を存在させるために、一定の価値があるような気がする。
本文では、①通信制の大学や高校と、②仕事に直結する資格の通信教育、③趣味の通信教育を立て分けなかった。そのため荒い議論になったことは否めない。

戯曲・眼鏡(めがね)

(引き出しやタンスなどがおかれた室内。A、眼鏡をかけて、何かを探している)
(B、上手より登場)
B:お、何か探し物?
A:うん、ちょっと見つからなくて。
B:手伝うよ。
A:ありがとう。
B:何探してるの?
A:めがね。
B:(けげんそうに)めがね?
…え、めがね?
A:そう、メガネ探してるのよ。
B:え、本当に?
(独り言のようにつぶやく)そうか、もう一つ別のメガネを探してるのか。近眼用と老眼用を使い分けてる人もいるしね。
A:何か言った?
B:いや、別に。(手を動かす)見つからないなあ。
A:そうだね。あの本棚かな?
(A、下手より退場。しばらくしてC、上手より登場)
C:や、久しぶり!
B:ああ、君か。
C:何してんの?
B:うん、Aの手伝いで探し物。メガネを探してるんだ。
C:ふーん、メガネ?
(A、下手から登場)
A:あ、C、来てたの。
C:えっ!(Bに)本当にメガネ探してるんだよね?
B:そうだよ。
C:(しばし沈黙。独り言のように)あ、そうか。別のやつだよね。
A・B:何か言った?
C:いや、別に。
A:見つからないな。
B:枕元においたんじゃない?
A:そうね。ベッド見てくるね。
B:俺も行くよ。
(A・B、下手より退場。しばらくしてD、上手より登場)
D:お、Aのところにきたら君がいるとは。最近、どうなの?
C:バイトがキツくてね。君は?
D:よく聞いてくれたね。いいバイト見つけたのよ。
C:(手を動かしつつ、視線を外して)嬉しそうだね。
D:うん、この話は長くなるよ。
C:じゃ、いいや。
D:おい! …ところで何してんの?
C:Aがメガネ探してんのよ。
D:そうなの。Aはどこにいるの?
C:Bも来ているから、Bと一緒に寝室にいるよ。
D:え、あの二人、そんな関係?
C:ちがうちがう。メガネ探してるの。
D:ああ、そうなんだ。
C:がっかりするなよ。
(A・B、下手より登場)
C:あった?
A:無かったよ。
(D、驚いてAを見る)
D:おい、C、Aの奴、本当にメガネ探してるのか?
C:そうだよ。
D:(独り言で)ああ、別のやつね。そういやアイツ、赤フレームのも持ってたよな。
A・B・C:なんか言った?
D:いや、独り言だよ。俺も手伝うよ。
(ナレーター、上手より登場)
ナレーター:1時間後。
(ナレーター、上手より退場)
C:もう、疲れた!(足を投げ出す)
B:お前がへばるなよ。俺もくたくただ。
D:ああ、本当にしんどいな。
A:こんなに探してもないんだから、もうメガネは諦めるよ。
B:…そんな悲しいこと言うなよ。
C:もう少し探すと見つかるよ。
D:でも、少し休もうぜ。俺がお茶でも入れるよ。
(D、上手より退場)
B:どこで最後にメガネを置いたか、覚えてない?
A:うーん、それが全然覚えてなくて…。
(D、湯のみ4つをお盆に乗せて上手より登場)
D:お茶入れさせてもらったよ。はい、A。
A:どうも。
(飲もうとして、メガネがくもる)
あ! メガネ付けてた!
B・C・D:いまさら言うな!

fin.

2010年1月26日火曜日

イヴァン・イリイチ『生きる思想』より、「静けさはみんなのもの」を読む。

 「コンピューターに管理された社会」。イリッチの本講演はこんなテーマのフォーラムにおいて行われた。冒頭においてイリッチは「人間の真似をする機械が、人びとの生活のあらゆる側面を侵害しつつあること、そして、そうした機械が、機械のように行動することを人びとに強いること」(40頁)と述べ、それまでのフォーラムの議論をまとめている。「機械のことばをつかって『コミュニケート』することを強いられる」(同)ようになるという言い方で、人間の機械化を批判する。

 たしかに、現在の学校教育では「情報」の時間にパソコンの使いかたを扱っている。私も、小学校で「パソコンを使う際は、パソコンの動きを待つようにしましょう」と教わった記憶がある。あれは子どもという小さな主体者を、機械に従属させる存在に変えることを意図した授業であったのかもしれない。

 イリッチが人間の機械化を批判するのは、人びとが「自分自身を統治できなくな」(41頁)り、「管理されることを必要とする」(同)ためである。何故そうなるのだろうか。私は人間の主体性が機械によって浸食され、サービスや機械がないと何もできなくなる為であると思う。自分で行っていたものを外部(サービスや機械)に頼るようになると、自分で何も出来なくなるのだ。私はイリッチが各種論文(本書『生きる思想』や『脱学校の社会』)を書いたのは〈人間性の回復〉を訴えるためであると考えているが、機械の存在が人間性を奪っていくということをイリッチは伝えたいのであろう。

 論を進めるにあたり、イリッチは「コモンズ」と「資源」という二項対立を示す。下に両者を整理して書いてみる。

コモンズ[みんなが共有するもの]commons:

「人びとの生活のための活動subsistence activitiesがそのなかに根づいている」(43頁)

「いりあい(入会)」という日本語に近い。

「人びとの家の戸口を超え出たところにあり、人びとの私有財産ではありませんでした」(44頁)

皆が利用できる雑木林など。

資源resouces:

「現代人が生きていくために依存しているさまざまな商品を経済的に生産するのに使われる」(43頁)

「警察によって守られることを必要とします。そして、いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)

イングランドの牧草地など。

 「資源」のところに「依存している」という言葉が出てきたところに注目したい。イリッチは依存自体には批判的でない。それはイリッチ思想のキー概念であるコンヴィヴィアル(convivial)を、「相互依存」と示す訳者がいることからも分かる。問題なのは何に対する依存か、ということである。他者に対する依存であれば(助け合いということ)問題ないが、依存の対象がサービスや制度・機械であるならば問題になる。「資源」を批判するのは「商品」(ここにはサービスも入る)に依存してしまう結果となるからであろう。

 産業革命が起きた時(近代の初め)のイギリスでは「囲い込み運動」が行われた。入会地に柵を作り、資本家が自らのものとして扱う。それにより、入会地は「商品としての羊の群れを育てるための資源に様変わりした」(46頁)。この流れは、私有財産制度と登記制度により加速されたことだろう。日本でも近代の初め、「入会地」に所有者がついた[1]。国有地など公の所有[2]になったところもあるが、それにより自由にその場所を使用することが出来なくなった。「コモンズ」の消滅である。「コモンズ」にいた人びとは「土地を追われ、賃労働に追いやられ」、「絶対的に貧困化した」(46頁)のである。イリッチは近代の初めにおきたこの一連の出来事を批判し、もう一度中世の「コモンズ」の復興を呼びかけているのである。

 では、具体的にイリッチは復興した「コモンズ」像をどのように想像していたのだろうか。イリッチはメキシコ・シティの旧市街の話をする。「道端にすわって野菜や炭を売っている人びとがいるかと思えば、路上に椅子を並べてコーヒーやテキーラを飲ませている人びとがいました」(47頁)などと続く。「それでも歩行者は、ひとところから他のところへ移動するためにその道路を利用することができました」(同)。現在のイタリアの広場にあるバールをイメージすると良いだろう。ちなみに、バールとは喫茶店やバーのようなものである。島村菜津の『バール、コーヒー、イタリア人』(光文社新書)によると、次のようにある。

イタリアには、広場という空間がある。そして、この広場に寄生するようにしてあるのが、バールだ。多いところには何軒もある。バールのない広場は珍しいといえるほど、この二つは分けがたく、どうやって権利を手にしたものか、公共の場である広場に堂々とテーブルを並べている。(島村菜津『バール、コーヒー、イタリア人』2007年、光文社新書、8頁)

 路上や広場に、様々な人やモノが入り乱れるような状態。それがイリッチの「コモンズ」の現代的イメージなのだ。

 なお、日本の「コモンズ」は「入会地」だけではなく、「路地」でもあった。日本では子ども社会の間にも存在したようで、それが教育学的には大きな意義があるように思える。鶴見俊輔の文章から示しておく。

モースというアメリカ人の動物学者が明治の初めに日本に来て驚いたんですね。東京には「路地」というのがあって、路地で年齢の違う子供たちが一緒に遊んでいる。で、年長の子供が責任を持って、一種の共同体をつくっていると。彼はボストン近郊の出身で、そういう光景はボストンあたりにはないわけです。モースはそれにびっくりして、そのことを『日本その日その日』という本に書くのですが、これは大変重大なところを見ているんですよ。(鶴見俊輔・重松清『ぼくはこう生きている君はどうか』潮出版社、2010年、80〜81頁、鶴見の発言から)

 かつて、路上は「コモンズ」であったのだが、近代化のため「通りはもはや人びとのものでは」なくなり、「いまや自動車やバスやタクシーや市街電車やトラックのための通路」(48頁)となってしまった。効率化/スピード化の結果(スローでなくなった)なのであるが、本来の路上にあった豊かな文化性がいっぺんに失われてしまう。その結果、「場所性」も失われどこに行っても同じような町並みになってしまった。いま山手線のどの駅で降りても、駅前にはたいていマクドナルドが位置している(現在の日本では個性的な「食堂」が消え、かわりに「吉野家」や「大戸屋」に置換されているように最近私は感じている)。

 では「コモンズ」を復興するにはどうすればいいのか。イリッチは「資源」が「警察によって守られることを必要と」(54頁)する、と指摘する。「いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)と本講演を締めくくっている。早稲田大学の側にある戸山公園でサッカーをするには、たしか公園側からの許可が必要だったと思うが、そういった許可制度の廃止をすることが最初の一歩となるのだろうか。

※本項目の冒頭にイリッチが《「コンピューターに管理された社会」という都留[重人]さんが提案されておられるテーマは、一つの警鐘のように響きます》(40頁)と語っている。この都留重人とはハーバード大学で名誉学位も受けた経済学者である。思想家・鶴見俊輔の師匠でもある。

 本文でも引用した『ぼくはこう生きている君はどうか』(鶴見俊輔・重松清)にはこうある。

私にとって生涯の師というのは都留重人しかいないんですよ。(…)日本のインテリはそのときどきに合わせて、権力の動きに合わせて変わっていくわけですよ。だけど都留さんは死ぬまで権力に同調して自分の考えを変えることはなかった。終生、私にとって必要な指針となったんです。都留さんは経済学者なんだけれど、何か個別的な問題に取り組んでいるときに、その問題よりもっと応用範囲が広いことを思いつく。それが哲学なんだ―と。そういう都留さんのプラグマティズムを私は引き継いでいるんですよ》(147〜148頁)。

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「静けさはみんなのもの」

掲載:『生きる思想』pp39-54

形態:「朝日シンポジウム『科学と人間―コンピューターに管理された社会』」での講演。

講演の実施日:1982年3月21日

講演の場所:東京



[1] 「日本」の一部となった朝鮮半島でも、同様のことが行われた。所有者の分からない土地は朝鮮統監府が接収した。山川出版の『日本史B』教科書には「これによって多くの朝鮮農民が土地をうばわれて困窮し、一部の人びとは職を求めて日本に移住するようになった」(274頁)と書かれている。日本に在日と呼ばれる人びとがいる理由の一つになったのである。

[2] わが故郷・兵庫県多可町の柳山寺(りゅうさんじ)地区では、年に一度公の財産の「松茸山」の使用者を決める話し合いが行われている(と、父に聞いた)。競りを行い、勝った人がその山からとれる松茸を一年間手に入れる権利が与えられる。おそらく、公の財産になる前は各人が勝手に松茸を採取し、勝手に食していたのであろう。10年ほど前に父が500円で購入した山からは、ついに1本も松茸をとることができなかった。代わりに怪しげな紫色の椎茸(みたいなキノコ)を採ってきて、父が食べていた。

2010年1月25日月曜日

いま一度、「渇きによる学び」考。

 以前、「渇きによる学び」についてを、卒論を要約する形でまとめたことがある。

 少しそれについて考察する中で、「渇きによる学び」には2つの種類があることに気付いた。それは、①生存上必要な「学び」と、②趣味としての「学び」である。

 ①は説明しやすい。「仕事に必要だから」「進路に必要だから」などと外在的理由で行う学びである。のどが渇いて、水を飲まないと死んでしまう。そういった意味の「渇きによる学び」である。
 ②は「楽しいから」「興味があるから」行う学びである。のどが渇いたときに、おいしいものを飲みたいと考えてミックスジュースを喫茶店で頼む。いわば「おいしさ」を求めるタイプの「渇きによる学び」である。

 ①と②は正反対のようだが、つながりがある。将来医者になりたい。そのために医学の本を読むのは「趣味」としての学び(②)であるが、受験して医学部に入るための学びは「生存上必要な学び」(①)となる。

 私はいま、竹田青嗣『現代思想の冒険』を読んでいる。これは自分の専門である教育社会学を学ぶために必要だからである。『教育社会学』という入門書に出てくる「構造主義」や「ポストモダン」などという言葉を再び学びなおす必要が出てきた。こういう「渇きによる学び」は①にあたるだろう。
 さっさと①の学びを済ませ、②の学びであるフリースクールやイリッチに関する本を読む段階に移っていきたいものだ。

DVD『こんばんは』と、「渇きによる学び」考。

 前に映画『学校』を観た。西田敏行が夜間中学校の教員を好演している。生徒たちと生と死について議論しあうラスト・シーンが心に残る映画だ。『こんばんは』を観て、「映画『学校』の世界は、本当に存在するのだなあ」との思いを持った。学び手たちが生き生きと学校で過ごしている。「こんな学校、いいなあ」と素直に思った。『学校』にもあったが、夜間中学校でこそ本当の教育が行われているのかもしれないと感じた。

 このように生き生きとした学びが夜間中学校で行われているのはなぜであろうか。私は、「渇きによる学び」が起きているためであると思う。「渇きによる学び[i]」とは私の造語だ。卒論の中には次のように書いている(概要)。

フリースクールは子どもを無理やり学ばせることはしない。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間が経つかもしれないが、「渇き」が起こる。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。奥地恵子のいう「ヒロベン」(テレビやゲーム、友人との遊びなど、日常生活で〈広い意味での勉強〉)が、やがて「渇きによる学び」を誘発するのである。

 フリースクールでは、子どもが「学びたい」と思うまで待つ。けれど「学校」は無理矢理でも学ばせようとする。そのために生徒はイヤイヤ勉強をする。しまいには「学校」にいくことと「学ぶ」ことをイコールだと錯覚してしまう(イリッチの言った「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と勘違いするようになる「価値の制度化」が起こる)。
 夜間中学校は、「文字を読み書きできるようになりたい」・「日本語を何としても習得したい」という思い、つまり「渇き」を学習者が持っている。また、夜間中学校には自らの自由意思に基づいて通っている。だからこそ、生き生きとした学びが行われるようになるのだろう。もし夜間中学校が「いままで義務教育をうけたことがない人は全員行かないといけない」場所になってしまえば、映像にあったような生き生きとした学びは行われなくなってしまうだろう(夜間中学校が「学校化」されてしまうのだ)。

 映像を観ていて、もう一点感じたことがある。それは〈生活経験や悩んだ体験がないと、詩や小説を本当の意味で読むことができないのではないか〉ということだ。映像内では「雨ニモ負ケズ」をクラスで読むシーンがあった。同じ詩を、私は小学校の高学年で習った記憶がある。その際は「こんな生き方を希望した人がいたのだなあ」という印象を持った。宮沢賢治の詩が全く自分の内面に響いてこなかったのだ。
 けれど、映像では自らの体験を踏まえて学習者が語り合っている。自らの経験を踏まえたうえで、作品を読み取っているのだ。これは通常の「学校」では必ずしも行われていない。小学生のころの私もそうであるが、作品が自分にとって「遠い」のだ。クリステン・コルは『子どもの学校論』のなかで、本来ドラマティックなはずの聖書の物語が、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」させられる状況を批判している。日常生活と乖離した学問を学ぶのが、通常の「学校」になってしまっているのだ。

 詩や小説は、読まれることで初めて意味を持つ。そして読まれるためには、読み手が成熟を遂げていなければならない。よく「夏目漱石の作品は40を超えてからでないと分からない」と聞くが、これも読み手の成熟がないと本当に理解することができないということなのだ。ちょうど「バカの壁」が作品と自分との間にあるのだろう。成熟するということは、種々の経験を経ることでバカの壁に穴をあける作業を意味する。

 このように、詩を読み取れるだけの成熟を「待つ」姿勢を持っているからこそ、夜間中学校では「渇きによる学び」が起きているという側面があるのだろう。



[i] 梅田望夫は『私塾のすすめ』のなかで〈のどが渇いて水を飲むように学ぶ〉ということを書いている。その部分や宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』を参考にして、「渇きによる学び」という言葉を使っている。

2010年1月18日月曜日

クリステン・コル『コルの「子どもの学校論」』(新評論、2007年)

 デンマークの教育を、草の根から変革した人間、それがコルであった。19世紀に師匠・グルントヴィの教育思想を実践した人物だ。教育論者ではなく、教育者である。ヒラ教員の立場からでも一国の教育変革が可能であることを、コルは教えてくれる。

 本書はコルの残した数少ない書物のひとつ「子どもの学校論」の翻訳である。本書に通底するテーマ、それは「そもそも学校では何を行うべきか?」である。
 19世紀のデンマーク(あるいは現在21世紀の日本でもよい)では「死んだ」知識が重視されていた。読み書き計算(教育学者は気取って3R'sと呼ぶ)の習得が「目的」となっていた。無理やり読み書き計算を教えられることに、本当に意味があるのか? コルは考える。
≪書くことを教えるなら、子どもが「書きたい」と思うまで待つべきではないか? 筆算の仕方を教える前に、〈数とは、一体どんなものなのか〉子どもが分かるよう、身の回りから数について考えられるようにしたほうがいいのではないか? 本来ドラマティックな聖書の物語を、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」(153頁)させられるなんて、無意味ではないか?≫などと。
 それゆえ、コルは読み書き計算を無理やりに教え込もうとする現状に「No!」を叫んだ。教育現場における口頭による関わり合いを重視したのだ。コルは人間が語る「生きた言葉」による、対話の重要性を訴えた。清水満は本書の「解説」で次のように語る。
書かれた文字による教育が、すでにその文字を知り、多くの文献を知る識者が上から一方的にそれを教え込む上下の関係であるのに対して、「生きた言葉」による「対話」にはそのような専制的な関係が生じない。また、とりわけ教育の対象となる青少年たちは想像力と感性の豊かさに富んでいる時期であるから、理性的な文字よりも生きた言葉の音調、つまり耳の言葉で想像力を活性化させるにふさわしい存在となる。(200頁)
 コルが偉大であるのは、実践者であった点だ。自分でフリースコーレ(本書の清水満訳では「フリースクール」となるが、日本に存在する「フリースクール」とごっちゃになることを危惧し、ほかの訳者が使った「フリースコーレ」の語を使用した)を建設し、自分で運営をする。そこで育った子どもたちも、のちにフリースコーレを各地に作る。そしていまでは全デンマークに普及したのである。

 最後に、本書から印象深い言葉をいくつか引用しよう。

子どもたちの教育にかかわる者はみな、精神的に強い人間でなければならない。古代ギリシャにおいては、教育にかかわる人間がその国でもっとも精神的に強い人間であった。一方、古代ローマでは教育には奴隷を使ったので、ローマの教育レベルはそれに応じたものにしかならなかった。(139頁)

ただ、心から出たものだけが心に響く。良かれ悪しかれ、特別な訴求力をもつとされるものはすべて心の深いところでつくられ、そこから表出して言葉と行動へ向かわなければならない。表面的な生は、ただ浅薄なものと幻影を生み出すだけである。無知蒙昧な者にとってはそういう生があたかも実在するかのように見えるが、現実には存在しないのである。(141頁)

国家権力は私たちが思っているほど子どもたちを愛していないし、愛することはできない。私たちは子どもたちが好きだし、だからこそ子どもたちを一番よく元気づけることができる。そういう大事な事柄で、私たちは脇に立って傍観者のように見守るだけで満足するつもりはない。私たちは、子どもの教育の全責任を引き受ける。そして、援助を必要とする。私たちは、自分たちでこの援助を調達するので、国家はむしろそこから手を引かねばならない。(175頁)


 本当に最後は訳者の清水満の言葉。

グルントヴィとコルの伝統に連なるものとしては「教育の自由」がある。もともとはグルントヴィがイギリスの大学と市民社会から学んだ市民的自由が基礎になっているが、コルに率いられたフリースクール運動などによって地域の民衆が自分たちで学校をつくることができる自由として認められ、公教育ではない教育を少数者が行う自由という意義をもつようになった。いうなれば、デンマークの教育権は「教育を受ける権利」ではなく、自分たちで自分たちの考える「教育をつくる権利」なのである。(243~244頁)

映画『板尾創路の脱獄王』

 一定の期間ごとに、「芸能人が映画を撮る」話が出てくる。昨年は松本人志の『しんぼる』を観に行った記憶がある。今回観た映画も、芸人・板尾創路(いたおいつじ)が撮ったものだ。

 映画中、主人公・鈴木雅之を演じる板尾は一切しゃべらない。囚人である彼は何度も何度も脱獄を行い、そのたび刑務官からリンチを受ける。その際も何も口に出さない。孤高の生き方を感じさせる。 刑務官をじっと見据え、抵抗の思いを示す。マンデラやキング牧師を思い出すシーンだ。
 
 本作を観て、私は国家の持つ暴力性を感じた。脱獄をするたびに、「国家の威信を傷つけた」として懲役の年数が上がっていく。最終的には脱獄不可能・入ると二度と出てこれない「監獄島」に送られることになる。つまり終身刑になるのだ。
 終身刑を言い渡されてしまう鈴木は、そもそもどんな犯罪を犯したのか。映画では彼の調書をアップするシーンがある。そこに書かれていたのは「無銭飲食」。軽犯罪で逮捕されたにも関わらず、国家は鈴木を終身刑にしてしまう。それほど、「国家への冒涜」は重大犯罪なのだろう。とてつもない暴力性だ。おまけに脱獄のたびに鈴木は非人間的な監獄に入れられていく。

 そういえば昨日、早稲田の小野講堂で行われた「犬死に大国、ニッポン」というシンポジウムに参加した。ハンセン病療養所入所者協議会の事務局長・神美知宏(こう・みちひろ)氏の語ったハンセン病当事者の話が印象的だった。
 らい予防法という悪法により、ハンセン病患者を強制的に療養所に入所させる。その際、戸籍は抹消され、入れば二度と出ることはない。「入所者の義務」と称して、入所者に治療の手伝いや死者の火葬まで行わせる。
 板尾の映画に出てきた「監獄島」も、そんなところであった。収容者は戸籍を抹消された上で、社会から抹殺される。死んでも、出てくることはできない。ハンセン病療養所そのままではないか。

 『板尾創路の脱獄王』は、社会派の映画であったことに改めて気付いた。

2010年1月17日日曜日

子どもに生きる人?

日本児童教育専門学校(高田馬場)の張り紙。

子どもに生きる、とは何なのか? 子どものまま暮らすことか、子どものために人生を捧げる人のことか?

思うに、私は保育園や幼稚園の先生に「わたしの人生はあなたたち子どものためにあるのよ」と言われるとプレッシャーを感じてしまう。「そんなことして頂かなくても…」と感じる。

人生の意味は人に奉仕することにある。そういう人がけっこういる。けれど私はあくまで自分の人生を大事にした上でいうべき言葉だと思う。そうでないと捧げられる側がプレッシャーなのである。

2010年1月13日水曜日

ペスタロッチ『シュタンツだより』とフリースクール

 ペスタロッチは貧しい子どもと共同生活をする中で教育を行ったことがある。そのときに書いた文章は『シュタンツだより』として現在にまで残っている。

「最も憐れな最も見放された子供にも神の与え給う人間性の諸力をわたしは信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱の泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験がすでに久しくわたしに教えていただけではなくて、わたしはわたしの子供の場合にも、無教育ではあるが、この生き生きとした本性の力がいたるところに発露するのをみた」(『隠者の夕暮れ・シュタンツだより』長田新訳・岩波文庫)

 味わい深い言葉だ。
 興味深いのは、シュタンツにおいてペスタロッチがおこなった「教育」は、いわゆる学校教育とはちがう実践であったという点だ。子どもと生活する中で学んでいくというスタイルだ。よくペスタロッチは「近代教育の父」という呼ばれかたをするが、「近代教育」が「学校」を意味する以上、この呼ばれかたは正しくない。むしろ近代教育のアンチテーゼとして出てきた「フリースクールの父」と言ったほうが良いのではないだろうか。学校では全てを「授業」として教える。けれどイリッチは生活の中で教えた。この差は大きい。
 ペスタロッチがシュタンツにいたのは1798年から1799年の間である。52歳から53歳にかけての時期である。ペスタロッチの行った教育を、そのまま実践するのが「近代教育」であったならば、現在のような「学校」教育の弊害も起こらなかったことであろう。残念で仕方ない。

追記
 日本の教育思想家・牧口常三郎も、ペスタロッチ同様の発言を行っていた。ここに引用する。
「皆、等しく生徒である。教育の眼から見て、何の違いがあるだろうか。
 たまたま、垢や塵に汚れていたとしても、燦然たる生命の光輝が、汚れた着物から発するのを、どうして見ようとしないのか」(『牧口常三郎全集』7)
 牧口は学校の教員として、この「垢や塵に汚れて」いるような子どもとも関わり合った。風呂に入れない子どもには学校の風呂を使わせた(しかも牧口自身、児童とともに入浴し、児童の背中を洗ってもいたのである)。この「思いやり」の心が、教育の原点であろう。

フリースクール スタッフ養成講座の合宿。

 先週の土・日・月と、フリースクール全国ネットワーク(通称フリネット)が開催する合宿に参加した。ボランティアのスタッフとして。非常に勉強になった。ふだん、フリネットのボランティアはしんどいため、嫌々やっていることがあった。フリネットへの「不登校」という状態だろうか。この合宿に行き、「しんどいけれども、意味のあることだったのだ」と再認識できた。いいことである。

 講師の話にあった内容から、印象に残った点をいくつか。
 
 インドの子どもが、フリースクールに通う日本の子どもと交流した時の言葉。
「〈学校に行きたくても、貧しくて行けない〉ことと、〈学校に行きたくないのに、無理やり行かされる〉ことは、同じ問題なのだ。子どもの権利から見るなら、どちらも同じことなのだ」
 私たちは、よく「学校に行きたくても行けない子どもがいるのだから、頑張って学校に行こうよ」という。学校に行ける状態であるのに不登校でいることは、「ぜいたく」「わがまま」だと考える。けれど、本当はそうではないのだということが、この話から解った。

 いい合宿であった。

2010年1月12日火曜日

生きることはリハビリ?

ある雑誌広告に、ゴミ出し作業をしていて気付く。

「生きることがリハビリ」

何とも言えない違和感を感じる。

リハビリは、よりよく生きるために行うものだがリハビリが人生それ自体を意味するような言葉だと思うからだ。

2010年1月10日日曜日

ツイッターを始めました。

『Twitter社会学』(津田大介、洋泉社)を読了。「速さ」がネット時代において強烈な力になることを実感した。

 それに刺激されて、私もツイッターを始めた。
 
 「IshidaHajime」との名前で登録しているので、探してみていただきたい。

孤独であるためのレッスン。

 いろんな道を歩いても、自分と言う物語は一つである。ならば自分の決めた道を貫くしかない。「十年一剣を磨く」である。
 一人でいる時間を大事に出来ない人は、真に人と出会うことができない。ひとりでも過ごせる人が最も強い人だ。先日、兵庫に帰省したとき神戸の街に私は一人で佇んでいた。だからこそ神戸の夜景に感動したし、クルーズの際に船酔いする自己の弱さと向き合うことができた。他者の有り難さにも気づくことが出来た。一人で過ごすからこそ、他者や自然の美しさと出会うことができるのだ。
 一人でいることをネガティブに考えてはいけない。一人の時間を大事にせよ! 私たちに必要なのは、まさに『孤独であるためのレッスン』なのである。

2010年1月8日金曜日

モンテッソーリの教育法。

 本日、カフェスローで「幼児教育から生涯教育へ」というテーマで講演会が行われた。講師はジュディ・オライオンというモンテッソーリ協会公認の教師養成者。講師も通訳も、そして聴衆の大部分が女性。来ている男性も「夫婦」で来ている人ばかり。学生の男一人は目立った。
  
 いままで全く幼児教育には関心がなかったが、今日の講演会で認識を新たにした。それは質疑応答時に私が次のように質問したことと関連している。
「本日のテーマは〈幼児教育から生涯教育へ〉ということでしたが、全体的に幼児教育と学校教育の話ばかりで、生涯教育についてのお話があまりなかったように感じます。もしよろしければ、モンテッソーリ教育における生涯教育はどのようなものになるか、お話いただけますか」
 講師のオライオン氏はこう答えた。
「大人になった時、土台がしっかりしていたならば誰にいわれなくとも自分で自分を育てることができます。そうした〈根〉の部分が確立していると、制度的な生涯教育は不必要になるのです。人生の最初の24年間に、〈根〉を確立できなかったならば60歳くらいになる時に困ることがあるかもしれません」
 この話は非常に示唆的だった。生涯教育というと、どうしても何か「機関」や「制度」が必要だと感じてしまうが、そうではないのだ。それまでにきちんと育つことができれば、特に生涯教育というものを用意しなくても、個人が勝手に学び、勝手に成長していくのだ。
 制度的な生涯教育を否定するのが、モンテッソーリ式の生涯教育なのだ。

 
 モンテッソーリ教育の特徴は「命」に沿った教育を行う点である。モンテッソーリ式の幼稚園では2歳半から子どもたちの相互の助け合いが起こるように集団での生活を行う。子どもの「命」の発達段階に応じて、子どもが自分で学べるような教具や環境を提供する。小学校段階からグループでの探求活動を行い、研究旅行の行き先や計画すら子どもたちで行えるようにする。「子どもだから、これは無理だろう」と決めつけていないのだ。そこを見て、子どもを決してバカにしてはならないのだ、と感じた。そのため、モンテッソーリ教育は〈子どもという人間性を軽視してはならない〉ということを伝えているように思える。
 前に私は「イリッチは〈人間の復権〉を形をかえて伝えようとしたのではないか」、と書いた。《例えば消費者という言葉。ただ消費だけを行う者という意味だ。人間を消費者と生産者に分けるのではない。本来、人間は生産も消費もどちらも行ってきた存在である。それを「生産者」「消費者」に分けることは人間を軽視することだ》と。私たちは「子ども」というものも、軽視してきたのではないだろうか。

 そんな風に感じた。

2010年1月4日月曜日

コンビニ本恐るべし

JR加古川駅のコンビニで、網野先生の日本史本を購入した。

こんなところで買えるとは…。

コンビニ本、恐るべし、である。日本の文化性の向上とも言えようか。

2009年12月31日木曜日

虐待する親は親と言えるのか?

虐待する親から子どもを引き離し児童養護施設に入れても、親が親権を訴え、連れ戻しに来る。

ちょうどいま連載中の『GTO』でも、この問題を扱っている。

もともと公立学校は親が子どもを使役・労役するのを防ぐために作られた側面がある。つまり親が虐待をする前提で、学校は作られたのである。

いま親に過度の期待をしすぎているのかもしれない。その風潮を正す意味でも、今回の親権制限への政策は画期的といえるだろう。

2009年12月30日水曜日

できる子・できない子

勝ち組・負け組という言葉がある。

今日、本屋で<できる子・できない子>という説明の仕方を目にした。どうやら勝ち組・負け組と同じようなくくりらしい。親に恐怖心を与え、早期教育に走らせる魂胆だ。

人間を出来る・出来ないや勝ち・負けで見ること、私は嫌いだ。

2009年12月28日月曜日

適塾

適塾へ行ってみた。大阪は淀屋橋駅のそば。帰省がてらに。

扱いが「旧宅及び塾」であり、予想を裏切っていた。

適塾を開いていたのは17年間。その間に多くの偉人が出た。

2009年12月21日月曜日

フィリップ・ブラウンほか『教育社会学』(九州大学出版会)より。

われわれの基本的な考えは、次のとおりである。平等な社会は、経済と政治の改革を通じて造り出すべきものであり、教育の主たる役割は、そのようにして造り出された社会を維持することにある。(53頁)

 この一文、印象的であった。教育に過度の期待をするのは間違いである。山本哲司はいう。〈教育を通じて社会をよくしよう、とかそういう人間はいなくなるほうがいい〉などと。別に教育を受ける人たちは社会をよくするために生まれてきたのではない。「生まれる」ために、「生きる」ために生まれてきたのだ。そんな主体を何かの目的(社会をよくする、など)に使役するのはお門違いである。

自立の支援か、依存の奨励か。

 宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』を読了する。

自民党が「再配分=既得権益温存」などという看板で再生可能ですか。百パーセントあり得ない。再生するとすれば、「再配分=既得権益剥し」は当然としたうえで、再配分が「自立の支援」なのか「依存の奨励」なのかを厳しく吟味する以外にあり得ない。(83頁、宮台の発言)

 これ、教育(特にイリッチ思想)にも適合できる。
 教育することが「自立の支援」でなくサーヴィスの依存者(つまり「依存の奨励」)になる結果になってはいないか? そうなってしまうなら、そんな「教育なんていらない」ということになる。

2009年12月17日木曜日

『シャドウ・ワーク』第6章後半

『シャドウ・ワーク』第6章後半


 12月10日に提出した卒論。そのラストに、私は次のように書いた。

 


 今回、卒論執筆のなかでイリッチ思想について様々な文献に目を通してきた。その作業のなかで、イリッチは「人間の復権」を形を変えて伝えようとしていたのではないか、と感じるようになった。

 例えば消費者という言葉。ただ消費だけを行う者という意味だ。人間を消費者と生産者に分けるのではない。本来、人間は生産も消費もどちらも行ってきた存在である。それを「生産者」「消費者」に分けることは人間を軽視することだ。

 教育も同じだ。本来、教育を受ける主体と教育する主体は分かれていなかったはずだ。大人が子どもを教えるとき、子どもから大人は何かを学んでいた。本来、教育とは相互依存的なものだったのだ(イリッチの相互親和、つまりconvivial)。それを「教育を授ける者=教師」、「教育される者=生徒」の関係に人間を貶めてしまった。それが「制度」のもつ問題点である。

 Convivialな生き方。これをイリッチは提唱した。相互親和、つまり人間どうしが助け合って生きる姿をイメージしている。

 イリッチは脱学校化の必要性を訴えた。それは本来的な教育が、制度化された「学校」では実現できていなかったからだ。脱学校化を図ることで、「人間の復権」を行おうとしたのだ。


 このように私は書いた。今回扱う範囲も、「人間の復興」をイリッチが言葉を変えて示しているように思える。

 

 イリッチはかつて女性も家計のために働いていたことを示す。《シャドウ・ワーク》ではなく、「ワーク」そのものだったのだ。自分たちの生活に必要な物は自分たちで作り上げた。例えば毛織物、例えば建築など。イリッチ用語でいう、自立・自存(要は自給自足のようなこと)を意味するサブシステンス(生存維持的)が行われていたのである。そこに、賃労働で人を働かせ商品を生産するという資本主義の仕組みが入ってきた。その結果、女性が生活に必要なものを直接作り出すということが減り、かわりに夫の賃労働をサポートし、子どもを教育するという《シャドウ・ワーク》が押し付けられるようになってしまったのだ。女性が自立自存的な生活の基盤から外されてしまったのだ。「賃金を稼ぐ者とそれに依存する者より構成される19世紀の市民的家庭が、生活の自立・自存を中心とする生産=消費の場としての家にとってかわった」(235頁)のである。

 冒頭の私の文章でいえば、女性の「人間生命が小さくされる」現象が起きたのである。平塚らいてうは「女性は太陽であった」と青鞜社を作った際に語った。文明が進むにつれて、かつて太陽だった女性は、まさに影(シャドウ)に追い込まれてしまったのである。

 

 イリッチは続ける。「専門的職業はつねにそのサーヴィスへの依存の必要を前提とするものだが、そうした必要を専門的職業に可能にさせるものはすべて、対応する〈シャドウ・ワーク〉を顧客にたいしてきわめて効果的に押しつけることになる。こうした無能力化を推進する専門的職業の典型例は、医療科学者と教育社である」(235~236頁)と。これも冒頭の私の文をもとに解釈したい。文明が進むにつれ、自分で考えなくても「制度」や「サーヴィス」が答えを示してくれるようになる。例えばツタヤにある厖大なCD。この中に自分にあった歌がある。そう考えるとき、人は自ら音楽をつくり出すことをしなくなり、CDという制度に依存してしまうことになる。本来、人間は誰でも音楽をつくり出すことが出来たはずなのに。イリッチはそのことを「〈シャドウ・ワーク〉の創出に従事しているのは、今日のエリートたちである」と皮肉る。システムエンジニア、OSの開発、塾産業の興隆も消費者が「自らつくり出す」力を弱めてしまう。

 イリッチは人間の自立・自存を奪うことを「自分自身を破滅させる行為」(239頁)と呼ぶ。ゆえに「産業社会とはその犠牲者なしには済まされない社会であ」(同)り、そのことが「生活の自立・自存の基盤を経済の影法師の姿へと変化させる」(240頁)のだ。

 いまこそ、自立・自存というサブシステンスを取り戻し、本来偉大である人間生命の可能性に立ち返るべきではないか。イリッチがそう叫んでいるような気がしてならない。

上野圭一・辻信一『スローメディスン』(大月書店)

 前の日曜日、高田馬場で『スローメディスン』の出版記念シンポジウムが行われた。出版記念のシンポジウムに行くのは、初めてである。作者2人の話の中に、著作の裏話が現れる。本を作る過程が見えて、なかなか面白かった。


 スローメディスンとは、要は「オルタナティブ医療」(代替医療)ということ。あるいは「ホリスティック医療」ということである。西洋医学だけでなく、針やお灸・漢方などの東洋医学も復興すべきだ、また気功・スピリチュアル的治療も認めていこう、という内容である。

 オルタナティブという言葉を聞くと、私の血が騒ぐ。私の専門のオルタナティブ教育を思い起こすためである。話を聞けば聴くほど、私の専門分野との共通点が浮かび上がってきた。

 オルタナティブ医療もオルタナティブ教育も、メインストリームに対するものとして立ち現れてきた。オルタナティブ医療の方は西洋医学、オルタナティブ教育の方は「学校」教育。西洋医学も「学校」教育も、「それ以外は駄目」という圧力のもとに「それ以外のもの」を否定してきた。例えば針灸、例えばフリースクール。「切り捨て」をしてきたわけである。

 けれど、原点に帰らなければならない。医療は人の治療をすることが目的だ。その目的を達成するためなら、西洋医療以外を使ってもいいではないか。同様に、真に子どものためになるのなら学校以外で教育を行ってもいいではないか。

 

 シンポジウムの質疑応答の際、疑問を感じた点がある。代替医療を押し進めたとき、例えば「手かざしで病を治します、その費用は100万円です」ということを主張するカルト宗教への対応である。講師2人の意見は、そこで割れた。

 辻信一は「手かざし、つまり気功で病を治す人々はいる。だからそういう人々を排除することがあってはならない」と語った。一理ある。本当に手かざしで治療できる人が現にいるからだ。問題はそんな能力がないにも関わらず「手かざしで治す」と言い張るカルトをどうするか、という点だ。けれど辻はその可能性を言及していなかった。辻に違和感を感じる。

 上野圭一は「宗教的行為と治療行為は分けなければならない」と語る。そして、純粋な治療行為に対しては「代替医療」と認めていくべきだと主張した。宗教的な部分については代替医療と認めない方が良いと指摘する。その際、治療行為の費用が他と比較して正当な金額かを考えていく必要があると語った。「同業者団体が自然発生的に作られ、その内部規定が出来ていく必要がありますね」とまとめていた。つまり、「このような治療(手かざし等)には、これくらいの金額にしましょう」という内部規定だ。この上野の説明には納得できた。

 

 辻・上野両氏の話を聴いていて、次のようなケースを思いついた。成功率10%の手術(つまり西洋医療)に100万を出す人は、成功率10%の「手かざし療法」(オルタナティブ医療)に100万を出すかどうか。成功率ではどちらも同じだ。けれど、手かざしに100万を出すのは「インチキではないか」との疑惑がどうしても残る。何故、私はこう感じてしまうのか、よく理由が分からない。


 辻と上野の見解の相違は、オルタナティブ教育を考える際にも有効である。いま、「学校」教育以外のオルタナティブ教育を、「学校」同様に認めていく方向に政策が変わったとする。その結果、ヤマギシ会やオウムが作ったような胡散臭い教育機関も認めていく方向になったとする。戸塚ヨットスクールも当然「学校」同様に認められるだろう。そうなることは本当に良いことなのか? 「何でもあり」という状況が現れることは、本当に子どもの教育に役立つのだろうか。

 教育機関が「何でもあり」になるとき、上野が語る「同業者団体」の存在価値が高まってくるように思える。子どもや保護者が教育機関を選択する際の指標とすることができるからだ。上野のいう「同業者団体」として、いまフリースクールは「フリースクール全国ネットワーク」という組織をもっている(厳密には、他に「日本フリースクール協会」と「日本オルタナティブスクール協会」がある)。この組織に入るには「子ども中心の学び」を行っているか否かなど、細かな点のチェックが行われている。教育機関を自由に選択できるようになったとき、同業者団体の存在が、選択に安心感を与えるであろう。同業者団体に必ず所属しなければならない、ということはない(それはイリッチでいう「価値の制度化」にあたる)。選択する人がいる限り、同業者とは全く違う教育理念を持つ教育機関はいくらでもあっていい(一部の人に有効という観点から、私は戸塚ヨットスクールにも一定の評価を与えている)。


 

追記

「職業的な医者への依存の構造が、私たち一人ひとりの心のなかにできあがってしまった。子どもが熱を出したら、自分で手を打つことなしに近くの病院に駆けこむ。昭和30年代までは、病院出産と自宅出産が半々だったのが、それを境いにだんだん病院化してくる」(111頁、上野の発言)とあった。

 この文を読んでいて、イリッチの『脱病院化社会』という本を思い出した。未読なので、読んでみたい。そう思うのである。


追記2

 オルタナティブ教育も、ただ「フリースクール性」を担保するよりも、「何でもあり」で「自分が自分で学ぶ」「自分を教育する」自発性の視点を失ってはいけない、ということだろうか。こういったフリースクールの「フリースクール性」についての考察を行っていくことが必要である。

 

追記3

 上野・辻の話を聞き、代替医療やオルタナティブ教育の「基準を立てる」というよりも、代替医療やオルタナティブ教育全般を認めていき、それぞれが自発的に同業者団体をつくっていくことが必要である、ということを学んだ。

2009年12月13日日曜日

映画『僕の初恋をキミに捧ぐ』

 映画の前売り券をもらったとき、「何があっても行かなければ!」という気持ちになる。貧乏性というのであろうが、その思いがあれば「絶対、自分が行くはずがない映画」を観に行くことができる。『僕の初恋をキミに捧ぐ』はそんな映画である。まず、タイトルからして「痛い」感じが出ている。特に、23:10から始まる回に一人で行く時点で痛い。

 やはりと言うべきか、前半はとてつもなく「痛い」映画である。ジェンダー論の教材になりそうな展開だ。男が初恋に対して抱く、身勝手な欲望を描いている。幼い頃に「結婚しよう」といったことを、中学生になっても引きずる「痛い」男。また幼少期のシーンは「かわいらしい子ども」を無理に演じさせられるような気がしてくる。それに、展開の中では主人公とヒロイン、そしてライバルの3人くらいしか「子ども」は出てこない。主人公の男に男友達というものはいないのか? ひたすら「気持ち悪さ」を感じる。何度時計を見、何度帰ろうと思ったことか。
 
 しかし、まさかこの映画の後半で泣かされてしまうとは思わなかった。映画館で泣くのは久々だ。
 心臓移植しなければ生きれない主人公。ちょうど心臓移植のチャンスが回ってきたと思いきや、そのドナーが自分のライバルだった…。移植を受けるか、否か。時々涙を流したり、指がかすかに動いたりする脳死状態は人の死なのか? 臓器移植についてを色々考えさせる映画だ。

 ラストシーン。ヒロインと主人公は病院を抜け出してデートに行く。夢のように楽しい時間。お互い、「先が長くない」ことを分かっているゆえに、精一杯楽しもうとする。ヒロインがこの先、「ひと時のうちに永遠を感じる」というウィリアム・ブレイクの詩のように、主人公との思い出を残しつつすごしていくであろうことも予感させている。そしてその夜、主人公は発作が起きて帰らぬ人となってしまう。

 終わりが見えている方が恋は燃えるし、人生も充実する。そんな皮肉を感じてしまう。そういえば鎌倉時代の随想家・兼好法師が語っていた。病気の人にとってだけ死が身近なのではなく、我々にとっても死はすぐ後ろにあるのだ、と。メメント・モリ(死を忘れるな)。それは人生を充実させるコツでもあるのだ。
 

 この映画、タイトルと前半で損をしている。もっとコンパクトに前半をまとめ、後半に速やかに移行しないと。私同様、「帰ろう」とした男性一人で鑑賞にきている人もいるだろうから…。それとも前半で「痛い」シーンを満載させ、期待感を無くすことで後半の感動を招いているのか?

 
 

2009年12月11日金曜日

劇団てあとろ50'『last gasp』

 シンクロニシティーという言葉がある。同時性という意味だ。今日『last gasp』という演劇を観て、それを感じている。
 最近、サークルの先輩と飲んだ。その際、家族論について話をした。なんでも、家族論的には家族は外部の「サービス」で代行できるらしい。ベビーシッター、家政婦さん、究極的には教師や塾講師…。家事業も、教育もすべてに外部の「サービス」が存在する。ではサービスで代行できる現在において、「家族」の「家族性」、つまり「家族」たる由縁はどこにあるのか? そんな疑問を持っていた。

 てあとろ50’sの演劇のテーマは、私が疑問に思っていた点と同じだった(ような気がする)。主人公・神谷和人(かみたに・わひと)の妹・仁香(じんか)は昔すごした家族5人(父・母・兄・弟)との生活を夢見ている。「5人」にこだわり、細かな所に妥協しない。家を出て行った母から「家に戻ってもいい?」との電話があっても、黙って切ってしまう。結局、引きこもりの兄・和人とともに2人で生活をしている。父も弟である三治郎も出て行ったままだ。
 そんな折、弟・三治郎が「結婚するんだ」と山崎蘭をつれてくる。そのやり取りの中で妹はgaspをする。gaspとは、はっと息をのむこと(すべて『ジーニアス英和』の受け売り)らしい。そして泣き叫び、しばらく入院をすることに。不思議と、妹のgaspが新たな家族構築につながっていく。母・弟・義理の妹という4人の生活に。兄は入院中にどこかへ出てしまったが、《やがて戻ってくるだろう》と観客に匂わせるラストであった。

 「家族を演じる」意志のない人は、家族のメンバーになることはできない。そう感じた。「家族を演じる」意志のない人を無理に家族に引き込もうとしても、ストレスが溜まるだけである。家族を演じる意志のない人は抜け、意志のある人・意志が戻ってきた人が再び家族になる。家族の物語は一つではない。それぞれの物語を持つ各人が、「演じる」意志のある間だけ、かろうじて家族になれるのだ。

 シンクロニシティーを感じたのは、家族論を演劇でやっていたことによる。偶然だが私のカバンには『子どもと出会い 別れるまで 〜希望の家族学〜』(石川憲彦)が入っていた。この本では、「思い」や「感情」をぶつけるとき、はじめて家族の再生があることを描いている。人々がgaspをし、「思い」や「感情」を伝える努力をする際、新たな家族を構築することにつながるのだ。

 余談だが、演劇の舞台上、ほぼ全ての間、人間二人が座っていた。和人と仁香の家の猫2匹の役だ。人間たちのやりとりを、この2匹は絶えず見つめている。実はこの家は兄と妹の2人家族でなく、ペットも入れた4人家族であったような気がしてならない。敬愛するO先生が「ペットも家族」と言っていたし…。

フルートを始める。

 本日15時。無事、卒業論文を学部事務所に提出することができた。ようやく私も「学士様」。いまはものすごく多い学歴なので、明治期のような輝かしさはないが。
 
 何かが終るとき、新たな決意をしなければ「落ちて」しまうのが私である。一念発起して、楽器の街・大久保に行ってきた。笛を始めるためである。

 昔から、何か一つでもいいから楽器が出来るようになりたいと考えていた。なかなか始めるチャンスがない。なんだかんだ大学4年生になってしまった。卒論の終った今、新たに始めるのに最適な時期だ。

 中古の楽器屋で2万円でフルートを購入。新品を買うと6万円はかかる。「楽器」という文化は恐ろしい。

 内田樹の言葉だったか忘れたが、「人間は異物ともコミュニケーションが出来る」というものがある。「なんだかよくわからないもの」、つまり「異物」であっても人間は意思疎通が可能となるのだ、という文章である。
 今日、フルートを口に当ててみたがびっくりするほど音が何も出ない。「不良品か?」と焦るくらいである。私にとって、このフルートは完全な「異物」だ。さっぱり音を出すことができない。you tubeでは、あんなに美しい音を奏でる人がいるのに…。
 おそらく、演奏家にとっても始めのうち、フルートは「異物」であったのだろう。それを日々接し、少しずつ「異物」との関わり方を練習するうちに、自らの身体同様にフルートを活用できるようになったのだ。
 今日、フルートという「異物」に関わり、久しぶりにコミュニケーションが取れないことのもどかしさを経験した。「異物」に出会うとき、人は謙虚になるものだ。少しずつこのフルートとコミュニケート出来るようになりたいと考えている。

2009年12月10日木曜日

「制度」としての「学校」の不可思議さ

 もとから、私の教育学的主張は学校外の学び舎をさらに普及させることである。例えばフリースクール、例えば「子どもの居場所」。それ故、私はフリースクール全国ネットワークというNPO団体のボランティアを週1でやらせていただいている。

 私が教育実習で行った八千代中学校はド田舎の中学校。ヘルメット・タスキをつけ、生徒は自転車で通学する。逸脱する者はあまりいない。生徒をしばる教員の圧力の強い所であった。

 こういうことがあった。男子生徒更衣室から制汗スプレーがみつかり、担任が生徒に「こんなものを持ってきてはいけないだろう」と叱っていた。そのシーンを私は少し離れた所から黙ってみていたのだが、非常に不思議な気持ちになった。その教員の話を聞いていても、「どうして制汗スプレーを持ってきてはいけないのか」という理由の説明にはなっていない。理不尽な叱り方である。おそらく、その教員の側にしてみれば本当に「こんなものを持ってきてはいけない」のであろう。中学生だった頃には存在しないものだったのだから。けれど時代は日々進む。現在、高校や大学で運動をする人たちの間で制汗スプレーをしないことの方が「お前、それはないだろう」と言われることが多い。自分の体臭を気にしないことは《非礼》であると伝わってしまうのだ。

 まさに社会学でいう「権力」関係が働いていたことに気づく。「隠れたカリキュラム」として、中学生は教員権力に従うということを内面化されていくのだ。

 教育実習、気づけば終っていた。「学校」や「教師」という存在が生徒を支配する関係が存在していることに改めて気づき、「ああ、やはり学校外の学び舎がさらに普及することが必要なんだな」という考えに至った。八千代中学校の「不登校」・「教室外登校」の生徒数は、6名(総生徒数208名)である。およそ3%の生徒は「学校があわない」ということを無言のうちに示している。

 「学校」や「教師」が大好きな生徒がいるのと同様に、それらが大嫌いな生徒がいるのは当然である。その子に対し、無理やりでも「学校へ来い」と言い続けるのは酷であろう。学校が「学校」である限り、どれだけ努力をしようとも「学校」を好きになれない生徒は必ずいる。ならば学校外の学び舎(フリースクールなど)をさらに普及させることが必要だ[1]。

 しかし、「学校」の持つ「気持ち悪さ」を教育実習のなかで幾つも感じながらも、生徒と触れ合うことはものすごく楽しかった。S君という生徒と、放課後の無人の図書室で日本の歴史のロマンを語り合ったことは未だに鮮明に頭に残っている。

 「学校」という制度のなかで、いかに生徒と人間的つながりを築けるか。これが大切なのではないだろうか。



[1] もう一つの考え方として、ボーイスカウトなどの「ノンフォーマル教育」活動を押し進め、学校外にも子どもが育つ場所を提供するというものがある。私の実習校でも、ボーイスカウトや地域のサッカークラブに参加している生徒が一定数いた。

2009年12月7日月曜日

中谷彰宏(なかたにあきひろ)のDVD

 昔から中谷彰宏の本が好きだった。というよりも、自己啓発本が好きであった。
 初めに自分のお金で買った新書は『知的生産の技術』。次が『超・整理術』。図書館でも、小学生のうちから「効率的なメモの取り方」・「成功する人の仕事術」的本を読み続けていた。私が、なんとか第五志望である早稲田大学教育学部に引っかかったのも、小学生以来の自己啓発本読者であったからだろう。自己啓発本は、「何事にもコツがある」・「勉強にはやり方がある」という認識を持たせてくれるのだ(その弊害は、別のところで語ることにしよう)。

 「自己啓発本」を日本で最も多く出版している人間は、おそらくは中谷彰宏。各種DVDでも「僕は800冊書いてきた」ということをサラッと口にしている。それだけ多く書いたら、どこかでマンネリに陥りそうになるはずだ。けれど、どの本を読んでも新鮮な発見をする私がいる。

 中谷彰宏と、私はずっと「本」で触れてきた。博報堂時代がもとになっているのか、キャッチコピー風の短い文章の集まりを読みつつ、「そんな考え方があるのだな」と学んできた。

 DVDに表れた中谷の姿。非常にインパクトがあった。何と言ったらいいか、「言葉の響き」にすら感動を覚えた。中谷の本に書かれた言葉が、中谷の口を通して語られる。話される内容よりも、話す言葉の「響き」から多くの点が学べたような気がした。

 口から発せられた言葉には、必ずその人の「響き」がある。このことを私は忘れていた。中谷が関西弁でしゃべっていたことも、発見の一つであった。

 プラトン以来、「言葉」「ロゴス」のみを人間は追い求めてきた。「言葉」の中でも、「書き言葉」を重視した。「言葉の響き」よりも。その姿勢がデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」につながり、近代が開かれた。その姿勢は「自分で考える」ことを重視する姿勢であった。「自分で考える」ゆえに、「他者」はあまり登場しない。
 夏目漱石の『行人』(こうじん)には、近代理性の権化ともいうべき人物・長野一郎が登場する。彼は理性や学識は非常に高い。けれど、妻や母親、その他の家族と分かり合えることができず、常に孤独に苛まれている。近代的知識人の持つ「孤独さ」を感じた本であった(余談だが、一郎が友人と神について語る際、突然友人を殴るシーンがある。「君、これでも神を信じるかね?」という言葉に、私は笑ってしまった)。

 プラトン以前、「模倣」(ミメーシス)が重視されていたと聞く。踊りを観たり、演じたり。歌を聴いたり、歌ったり。宗教においても然りであった。「自分で考える」というよりも、模倣を通じて瞬時に「神に至る」道が重視されていたのだ(ちなみにプラトン以前を注目し始めたのはニーチェである)。「模倣」は、一人ではできない。常に他者の存在が必要である。必然的に孤独になることはない。
 イリッチはconvivialという言葉(どうもスペイン語らしい)を重視する。訳者によって「相互依存」と訳したり、「相互親和」と訳したりする、日本語化しにくい言葉だ(辻信一は「共に生きる」と説明する)。これは「孤独」と対比的な言葉である。一人でいるのではなく、誰かと話したり・親しく過ごしたり・共に生活をしたりすることを重視している。
 イリッチの『脱学校の社会』のラストも、convivialを社会にもたらそう(「相互親和型社会」ということ)、と呼びかけるものであった。誰かの美しい詩を引用し、イリッチはそこで唄った。「人が薄暗がりに住んでいて、薄暗がりの中で友を得るなら、薄暗がりも面白いじゃないか」(208頁)と。 convivialと語る時、必ずそこには「他者」が存在する。理解出来る/出来ないにかかわらず、「他者」と「共に生き」ようとする。『行人』の長野一郎も、convivialな生き方をもっと志向すればよかったのではないか。そう思われて仕方ない(小説だと、なんだか自殺しちゃいそうだし)。
 現代人の生きづらさは、「言葉」に執着するところにあるのだろう。「自分で考える」のも大事だが、もっと「模倣」のよさに立ち返ってもよいのではないか。それがconvivialということである。

 中谷の「言葉の響き」をめぐって、よくわからない話になってしまった。けれど、ここで書いた内容は私が数多くの「他者」から「模倣」してきたから、まあいいんじゃないかな。

2009年12月6日日曜日

自主・自律

写真は、ある小学校のスローガン。

学校の存在自体が、生徒の自主性を奪うことはあるのではないか。

「学校」という土俵でいくら自主性を発揮する教育ができたとしても、それが社会でも使える「自主性」である必然性はどこにもないのである。

2009年11月30日月曜日

「自分に合った仕事」という幻想

 友人が就職活動を行っている。その際、リクナビやマイナビなどに希望する条件を登録し、そこから送られてくる情報をもとに行動を行っている。

 「自分に合った仕事を探そう」と、最近の就職関連の本には登場する。「自己分析」がやたら騒がれ、「一生の大半は仕事をするのだから、自分に最もあったものを選ばないと不幸になる」とすら語るものもある。

 しかし、本当だろうか? 自分という個が先にあって、その個に合う仕事を探す。このプロセスは真理なのだろうか。

 かつて、仕事は「一人前になる」ために行うものだった。「自分に合った仕事を探す」のではなく、仕事を通じて自分を作り上げる、というプロセスをとっていたのだ。
 
 私の家は、代々職人の家系であったらしい。祖父の代までは建具屋さんをしていた。建具屋とはたんすなどの家具を作る人のことをいう。そのため家の納屋にはカンナや金槌などがたくさん散らばっている。
 木にカンナをかける。なかなかうまく出来ない。力を均等にし、慎重にカンナをかけていく。この作業を繰り返し、きれいにカンナがけができるようになったとき、少し「一人前になる」ことが出来たのであろう。仕事を通しての人間成長があったのだ。
 仕事を通じて、かつては人生における真理を学んでもいた。先のカンナがけ。カンナをかけるだけでなく、「ゆっくりと慎重に行うこと」「練習をすれば必ず技術は習得できるようになるということ」すら学ぶことができていた。表面上は単調にカンナがけをしているようでも、作業を通じて人生の真理を学んでいた。

 いまは個があって、「自分に合った仕事を探す」というプロセスをとっているが、かつてはそうではないのが一般的だった。仕事は何でもいい、けれどその仕事を通じて「自分」を作り上げろ、というメッセージが社会に広まっていた。

 就職活動に行き詰っている友人にこの話をすると、非常に喜ばれたのが印象的だ。いまの就職活動は何か誤っている点があるのではないだろうか。