2009年12月31日木曜日

虐待する親は親と言えるのか?

虐待する親から子どもを引き離し児童養護施設に入れても、親が親権を訴え、連れ戻しに来る。

ちょうどいま連載中の『GTO』でも、この問題を扱っている。

もともと公立学校は親が子どもを使役・労役するのを防ぐために作られた側面がある。つまり親が虐待をする前提で、学校は作られたのである。

いま親に過度の期待をしすぎているのかもしれない。その風潮を正す意味でも、今回の親権制限への政策は画期的といえるだろう。

2009年12月30日水曜日

できる子・できない子

勝ち組・負け組という言葉がある。

今日、本屋で<できる子・できない子>という説明の仕方を目にした。どうやら勝ち組・負け組と同じようなくくりらしい。親に恐怖心を与え、早期教育に走らせる魂胆だ。

人間を出来る・出来ないや勝ち・負けで見ること、私は嫌いだ。

2009年12月28日月曜日

適塾

適塾へ行ってみた。大阪は淀屋橋駅のそば。帰省がてらに。

扱いが「旧宅及び塾」であり、予想を裏切っていた。

適塾を開いていたのは17年間。その間に多くの偉人が出た。

2009年12月21日月曜日

フィリップ・ブラウンほか『教育社会学』(九州大学出版会)より。

われわれの基本的な考えは、次のとおりである。平等な社会は、経済と政治の改革を通じて造り出すべきものであり、教育の主たる役割は、そのようにして造り出された社会を維持することにある。(53頁)

 この一文、印象的であった。教育に過度の期待をするのは間違いである。山本哲司はいう。〈教育を通じて社会をよくしよう、とかそういう人間はいなくなるほうがいい〉などと。別に教育を受ける人たちは社会をよくするために生まれてきたのではない。「生まれる」ために、「生きる」ために生まれてきたのだ。そんな主体を何かの目的(社会をよくする、など)に使役するのはお門違いである。

自立の支援か、依存の奨励か。

 宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』を読了する。

自民党が「再配分=既得権益温存」などという看板で再生可能ですか。百パーセントあり得ない。再生するとすれば、「再配分=既得権益剥し」は当然としたうえで、再配分が「自立の支援」なのか「依存の奨励」なのかを厳しく吟味する以外にあり得ない。(83頁、宮台の発言)

 これ、教育(特にイリッチ思想)にも適合できる。
 教育することが「自立の支援」でなくサーヴィスの依存者(つまり「依存の奨励」)になる結果になってはいないか? そうなってしまうなら、そんな「教育なんていらない」ということになる。

2009年12月17日木曜日

『シャドウ・ワーク』第6章後半

『シャドウ・ワーク』第6章後半


 12月10日に提出した卒論。そのラストに、私は次のように書いた。

 


 今回、卒論執筆のなかでイリッチ思想について様々な文献に目を通してきた。その作業のなかで、イリッチは「人間の復権」を形を変えて伝えようとしていたのではないか、と感じるようになった。

 例えば消費者という言葉。ただ消費だけを行う者という意味だ。人間を消費者と生産者に分けるのではない。本来、人間は生産も消費もどちらも行ってきた存在である。それを「生産者」「消費者」に分けることは人間を軽視することだ。

 教育も同じだ。本来、教育を受ける主体と教育する主体は分かれていなかったはずだ。大人が子どもを教えるとき、子どもから大人は何かを学んでいた。本来、教育とは相互依存的なものだったのだ(イリッチの相互親和、つまりconvivial)。それを「教育を授ける者=教師」、「教育される者=生徒」の関係に人間を貶めてしまった。それが「制度」のもつ問題点である。

 Convivialな生き方。これをイリッチは提唱した。相互親和、つまり人間どうしが助け合って生きる姿をイメージしている。

 イリッチは脱学校化の必要性を訴えた。それは本来的な教育が、制度化された「学校」では実現できていなかったからだ。脱学校化を図ることで、「人間の復権」を行おうとしたのだ。


 このように私は書いた。今回扱う範囲も、「人間の復興」をイリッチが言葉を変えて示しているように思える。

 

 イリッチはかつて女性も家計のために働いていたことを示す。《シャドウ・ワーク》ではなく、「ワーク」そのものだったのだ。自分たちの生活に必要な物は自分たちで作り上げた。例えば毛織物、例えば建築など。イリッチ用語でいう、自立・自存(要は自給自足のようなこと)を意味するサブシステンス(生存維持的)が行われていたのである。そこに、賃労働で人を働かせ商品を生産するという資本主義の仕組みが入ってきた。その結果、女性が生活に必要なものを直接作り出すということが減り、かわりに夫の賃労働をサポートし、子どもを教育するという《シャドウ・ワーク》が押し付けられるようになってしまったのだ。女性が自立自存的な生活の基盤から外されてしまったのだ。「賃金を稼ぐ者とそれに依存する者より構成される19世紀の市民的家庭が、生活の自立・自存を中心とする生産=消費の場としての家にとってかわった」(235頁)のである。

 冒頭の私の文章でいえば、女性の「人間生命が小さくされる」現象が起きたのである。平塚らいてうは「女性は太陽であった」と青鞜社を作った際に語った。文明が進むにつれて、かつて太陽だった女性は、まさに影(シャドウ)に追い込まれてしまったのである。

 

 イリッチは続ける。「専門的職業はつねにそのサーヴィスへの依存の必要を前提とするものだが、そうした必要を専門的職業に可能にさせるものはすべて、対応する〈シャドウ・ワーク〉を顧客にたいしてきわめて効果的に押しつけることになる。こうした無能力化を推進する専門的職業の典型例は、医療科学者と教育社である」(235~236頁)と。これも冒頭の私の文をもとに解釈したい。文明が進むにつれ、自分で考えなくても「制度」や「サーヴィス」が答えを示してくれるようになる。例えばツタヤにある厖大なCD。この中に自分にあった歌がある。そう考えるとき、人は自ら音楽をつくり出すことをしなくなり、CDという制度に依存してしまうことになる。本来、人間は誰でも音楽をつくり出すことが出来たはずなのに。イリッチはそのことを「〈シャドウ・ワーク〉の創出に従事しているのは、今日のエリートたちである」と皮肉る。システムエンジニア、OSの開発、塾産業の興隆も消費者が「自らつくり出す」力を弱めてしまう。

 イリッチは人間の自立・自存を奪うことを「自分自身を破滅させる行為」(239頁)と呼ぶ。ゆえに「産業社会とはその犠牲者なしには済まされない社会であ」(同)り、そのことが「生活の自立・自存の基盤を経済の影法師の姿へと変化させる」(240頁)のだ。

 いまこそ、自立・自存というサブシステンスを取り戻し、本来偉大である人間生命の可能性に立ち返るべきではないか。イリッチがそう叫んでいるような気がしてならない。

上野圭一・辻信一『スローメディスン』(大月書店)

 前の日曜日、高田馬場で『スローメディスン』の出版記念シンポジウムが行われた。出版記念のシンポジウムに行くのは、初めてである。作者2人の話の中に、著作の裏話が現れる。本を作る過程が見えて、なかなか面白かった。


 スローメディスンとは、要は「オルタナティブ医療」(代替医療)ということ。あるいは「ホリスティック医療」ということである。西洋医学だけでなく、針やお灸・漢方などの東洋医学も復興すべきだ、また気功・スピリチュアル的治療も認めていこう、という内容である。

 オルタナティブという言葉を聞くと、私の血が騒ぐ。私の専門のオルタナティブ教育を思い起こすためである。話を聞けば聴くほど、私の専門分野との共通点が浮かび上がってきた。

 オルタナティブ医療もオルタナティブ教育も、メインストリームに対するものとして立ち現れてきた。オルタナティブ医療の方は西洋医学、オルタナティブ教育の方は「学校」教育。西洋医学も「学校」教育も、「それ以外は駄目」という圧力のもとに「それ以外のもの」を否定してきた。例えば針灸、例えばフリースクール。「切り捨て」をしてきたわけである。

 けれど、原点に帰らなければならない。医療は人の治療をすることが目的だ。その目的を達成するためなら、西洋医療以外を使ってもいいではないか。同様に、真に子どものためになるのなら学校以外で教育を行ってもいいではないか。

 

 シンポジウムの質疑応答の際、疑問を感じた点がある。代替医療を押し進めたとき、例えば「手かざしで病を治します、その費用は100万円です」ということを主張するカルト宗教への対応である。講師2人の意見は、そこで割れた。

 辻信一は「手かざし、つまり気功で病を治す人々はいる。だからそういう人々を排除することがあってはならない」と語った。一理ある。本当に手かざしで治療できる人が現にいるからだ。問題はそんな能力がないにも関わらず「手かざしで治す」と言い張るカルトをどうするか、という点だ。けれど辻はその可能性を言及していなかった。辻に違和感を感じる。

 上野圭一は「宗教的行為と治療行為は分けなければならない」と語る。そして、純粋な治療行為に対しては「代替医療」と認めていくべきだと主張した。宗教的な部分については代替医療と認めない方が良いと指摘する。その際、治療行為の費用が他と比較して正当な金額かを考えていく必要があると語った。「同業者団体が自然発生的に作られ、その内部規定が出来ていく必要がありますね」とまとめていた。つまり、「このような治療(手かざし等)には、これくらいの金額にしましょう」という内部規定だ。この上野の説明には納得できた。

 

 辻・上野両氏の話を聴いていて、次のようなケースを思いついた。成功率10%の手術(つまり西洋医療)に100万を出す人は、成功率10%の「手かざし療法」(オルタナティブ医療)に100万を出すかどうか。成功率ではどちらも同じだ。けれど、手かざしに100万を出すのは「インチキではないか」との疑惑がどうしても残る。何故、私はこう感じてしまうのか、よく理由が分からない。


 辻と上野の見解の相違は、オルタナティブ教育を考える際にも有効である。いま、「学校」教育以外のオルタナティブ教育を、「学校」同様に認めていく方向に政策が変わったとする。その結果、ヤマギシ会やオウムが作ったような胡散臭い教育機関も認めていく方向になったとする。戸塚ヨットスクールも当然「学校」同様に認められるだろう。そうなることは本当に良いことなのか? 「何でもあり」という状況が現れることは、本当に子どもの教育に役立つのだろうか。

 教育機関が「何でもあり」になるとき、上野が語る「同業者団体」の存在価値が高まってくるように思える。子どもや保護者が教育機関を選択する際の指標とすることができるからだ。上野のいう「同業者団体」として、いまフリースクールは「フリースクール全国ネットワーク」という組織をもっている(厳密には、他に「日本フリースクール協会」と「日本オルタナティブスクール協会」がある)。この組織に入るには「子ども中心の学び」を行っているか否かなど、細かな点のチェックが行われている。教育機関を自由に選択できるようになったとき、同業者団体の存在が、選択に安心感を与えるであろう。同業者団体に必ず所属しなければならない、ということはない(それはイリッチでいう「価値の制度化」にあたる)。選択する人がいる限り、同業者とは全く違う教育理念を持つ教育機関はいくらでもあっていい(一部の人に有効という観点から、私は戸塚ヨットスクールにも一定の評価を与えている)。


 

追記

「職業的な医者への依存の構造が、私たち一人ひとりの心のなかにできあがってしまった。子どもが熱を出したら、自分で手を打つことなしに近くの病院に駆けこむ。昭和30年代までは、病院出産と自宅出産が半々だったのが、それを境いにだんだん病院化してくる」(111頁、上野の発言)とあった。

 この文を読んでいて、イリッチの『脱病院化社会』という本を思い出した。未読なので、読んでみたい。そう思うのである。


追記2

 オルタナティブ教育も、ただ「フリースクール性」を担保するよりも、「何でもあり」で「自分が自分で学ぶ」「自分を教育する」自発性の視点を失ってはいけない、ということだろうか。こういったフリースクールの「フリースクール性」についての考察を行っていくことが必要である。

 

追記3

 上野・辻の話を聞き、代替医療やオルタナティブ教育の「基準を立てる」というよりも、代替医療やオルタナティブ教育全般を認めていき、それぞれが自発的に同業者団体をつくっていくことが必要である、ということを学んだ。

2009年12月13日日曜日

映画『僕の初恋をキミに捧ぐ』

 映画の前売り券をもらったとき、「何があっても行かなければ!」という気持ちになる。貧乏性というのであろうが、その思いがあれば「絶対、自分が行くはずがない映画」を観に行くことができる。『僕の初恋をキミに捧ぐ』はそんな映画である。まず、タイトルからして「痛い」感じが出ている。特に、23:10から始まる回に一人で行く時点で痛い。

 やはりと言うべきか、前半はとてつもなく「痛い」映画である。ジェンダー論の教材になりそうな展開だ。男が初恋に対して抱く、身勝手な欲望を描いている。幼い頃に「結婚しよう」といったことを、中学生になっても引きずる「痛い」男。また幼少期のシーンは「かわいらしい子ども」を無理に演じさせられるような気がしてくる。それに、展開の中では主人公とヒロイン、そしてライバルの3人くらいしか「子ども」は出てこない。主人公の男に男友達というものはいないのか? ひたすら「気持ち悪さ」を感じる。何度時計を見、何度帰ろうと思ったことか。
 
 しかし、まさかこの映画の後半で泣かされてしまうとは思わなかった。映画館で泣くのは久々だ。
 心臓移植しなければ生きれない主人公。ちょうど心臓移植のチャンスが回ってきたと思いきや、そのドナーが自分のライバルだった…。移植を受けるか、否か。時々涙を流したり、指がかすかに動いたりする脳死状態は人の死なのか? 臓器移植についてを色々考えさせる映画だ。

 ラストシーン。ヒロインと主人公は病院を抜け出してデートに行く。夢のように楽しい時間。お互い、「先が長くない」ことを分かっているゆえに、精一杯楽しもうとする。ヒロインがこの先、「ひと時のうちに永遠を感じる」というウィリアム・ブレイクの詩のように、主人公との思い出を残しつつすごしていくであろうことも予感させている。そしてその夜、主人公は発作が起きて帰らぬ人となってしまう。

 終わりが見えている方が恋は燃えるし、人生も充実する。そんな皮肉を感じてしまう。そういえば鎌倉時代の随想家・兼好法師が語っていた。病気の人にとってだけ死が身近なのではなく、我々にとっても死はすぐ後ろにあるのだ、と。メメント・モリ(死を忘れるな)。それは人生を充実させるコツでもあるのだ。
 

 この映画、タイトルと前半で損をしている。もっとコンパクトに前半をまとめ、後半に速やかに移行しないと。私同様、「帰ろう」とした男性一人で鑑賞にきている人もいるだろうから…。それとも前半で「痛い」シーンを満載させ、期待感を無くすことで後半の感動を招いているのか?

 
 

2009年12月11日金曜日

劇団てあとろ50'『last gasp』

 シンクロニシティーという言葉がある。同時性という意味だ。今日『last gasp』という演劇を観て、それを感じている。
 最近、サークルの先輩と飲んだ。その際、家族論について話をした。なんでも、家族論的には家族は外部の「サービス」で代行できるらしい。ベビーシッター、家政婦さん、究極的には教師や塾講師…。家事業も、教育もすべてに外部の「サービス」が存在する。ではサービスで代行できる現在において、「家族」の「家族性」、つまり「家族」たる由縁はどこにあるのか? そんな疑問を持っていた。

 てあとろ50’sの演劇のテーマは、私が疑問に思っていた点と同じだった(ような気がする)。主人公・神谷和人(かみたに・わひと)の妹・仁香(じんか)は昔すごした家族5人(父・母・兄・弟)との生活を夢見ている。「5人」にこだわり、細かな所に妥協しない。家を出て行った母から「家に戻ってもいい?」との電話があっても、黙って切ってしまう。結局、引きこもりの兄・和人とともに2人で生活をしている。父も弟である三治郎も出て行ったままだ。
 そんな折、弟・三治郎が「結婚するんだ」と山崎蘭をつれてくる。そのやり取りの中で妹はgaspをする。gaspとは、はっと息をのむこと(すべて『ジーニアス英和』の受け売り)らしい。そして泣き叫び、しばらく入院をすることに。不思議と、妹のgaspが新たな家族構築につながっていく。母・弟・義理の妹という4人の生活に。兄は入院中にどこかへ出てしまったが、《やがて戻ってくるだろう》と観客に匂わせるラストであった。

 「家族を演じる」意志のない人は、家族のメンバーになることはできない。そう感じた。「家族を演じる」意志のない人を無理に家族に引き込もうとしても、ストレスが溜まるだけである。家族を演じる意志のない人は抜け、意志のある人・意志が戻ってきた人が再び家族になる。家族の物語は一つではない。それぞれの物語を持つ各人が、「演じる」意志のある間だけ、かろうじて家族になれるのだ。

 シンクロニシティーを感じたのは、家族論を演劇でやっていたことによる。偶然だが私のカバンには『子どもと出会い 別れるまで 〜希望の家族学〜』(石川憲彦)が入っていた。この本では、「思い」や「感情」をぶつけるとき、はじめて家族の再生があることを描いている。人々がgaspをし、「思い」や「感情」を伝える努力をする際、新たな家族を構築することにつながるのだ。

 余談だが、演劇の舞台上、ほぼ全ての間、人間二人が座っていた。和人と仁香の家の猫2匹の役だ。人間たちのやりとりを、この2匹は絶えず見つめている。実はこの家は兄と妹の2人家族でなく、ペットも入れた4人家族であったような気がしてならない。敬愛するO先生が「ペットも家族」と言っていたし…。

フルートを始める。

 本日15時。無事、卒業論文を学部事務所に提出することができた。ようやく私も「学士様」。いまはものすごく多い学歴なので、明治期のような輝かしさはないが。
 
 何かが終るとき、新たな決意をしなければ「落ちて」しまうのが私である。一念発起して、楽器の街・大久保に行ってきた。笛を始めるためである。

 昔から、何か一つでもいいから楽器が出来るようになりたいと考えていた。なかなか始めるチャンスがない。なんだかんだ大学4年生になってしまった。卒論の終った今、新たに始めるのに最適な時期だ。

 中古の楽器屋で2万円でフルートを購入。新品を買うと6万円はかかる。「楽器」という文化は恐ろしい。

 内田樹の言葉だったか忘れたが、「人間は異物ともコミュニケーションが出来る」というものがある。「なんだかよくわからないもの」、つまり「異物」であっても人間は意思疎通が可能となるのだ、という文章である。
 今日、フルートを口に当ててみたがびっくりするほど音が何も出ない。「不良品か?」と焦るくらいである。私にとって、このフルートは完全な「異物」だ。さっぱり音を出すことができない。you tubeでは、あんなに美しい音を奏でる人がいるのに…。
 おそらく、演奏家にとっても始めのうち、フルートは「異物」であったのだろう。それを日々接し、少しずつ「異物」との関わり方を練習するうちに、自らの身体同様にフルートを活用できるようになったのだ。
 今日、フルートという「異物」に関わり、久しぶりにコミュニケーションが取れないことのもどかしさを経験した。「異物」に出会うとき、人は謙虚になるものだ。少しずつこのフルートとコミュニケート出来るようになりたいと考えている。

2009年12月10日木曜日

「制度」としての「学校」の不可思議さ

 もとから、私の教育学的主張は学校外の学び舎をさらに普及させることである。例えばフリースクール、例えば「子どもの居場所」。それ故、私はフリースクール全国ネットワークというNPO団体のボランティアを週1でやらせていただいている。

 私が教育実習で行った八千代中学校はド田舎の中学校。ヘルメット・タスキをつけ、生徒は自転車で通学する。逸脱する者はあまりいない。生徒をしばる教員の圧力の強い所であった。

 こういうことがあった。男子生徒更衣室から制汗スプレーがみつかり、担任が生徒に「こんなものを持ってきてはいけないだろう」と叱っていた。そのシーンを私は少し離れた所から黙ってみていたのだが、非常に不思議な気持ちになった。その教員の話を聞いていても、「どうして制汗スプレーを持ってきてはいけないのか」という理由の説明にはなっていない。理不尽な叱り方である。おそらく、その教員の側にしてみれば本当に「こんなものを持ってきてはいけない」のであろう。中学生だった頃には存在しないものだったのだから。けれど時代は日々進む。現在、高校や大学で運動をする人たちの間で制汗スプレーをしないことの方が「お前、それはないだろう」と言われることが多い。自分の体臭を気にしないことは《非礼》であると伝わってしまうのだ。

 まさに社会学でいう「権力」関係が働いていたことに気づく。「隠れたカリキュラム」として、中学生は教員権力に従うということを内面化されていくのだ。

 教育実習、気づけば終っていた。「学校」や「教師」という存在が生徒を支配する関係が存在していることに改めて気づき、「ああ、やはり学校外の学び舎がさらに普及することが必要なんだな」という考えに至った。八千代中学校の「不登校」・「教室外登校」の生徒数は、6名(総生徒数208名)である。およそ3%の生徒は「学校があわない」ということを無言のうちに示している。

 「学校」や「教師」が大好きな生徒がいるのと同様に、それらが大嫌いな生徒がいるのは当然である。その子に対し、無理やりでも「学校へ来い」と言い続けるのは酷であろう。学校が「学校」である限り、どれだけ努力をしようとも「学校」を好きになれない生徒は必ずいる。ならば学校外の学び舎(フリースクールなど)をさらに普及させることが必要だ[1]

 しかし、「学校」の持つ「気持ち悪さ」を教育実習のなかで幾つも感じながらも、生徒と触れ合うことはものすごく楽しかった。S君という生徒と、放課後の無人の図書室で日本の歴史のロマンを語り合ったことは未だに鮮明に頭に残っている。

 「学校」という制度のなかで、いかに生徒と人間的つながりを築けるか。これが大切なのではないだろうか。



[1] もう一つの考え方として、ボーイスカウトなどの「ノンフォーマル教育」活動を押し進め、学校外にも子どもが育つ場所を提供するというものがある。私の実習校でも、ボーイスカウトや地域のサッカークラブに参加している生徒が一定数いた。

2009年12月7日月曜日

中谷彰宏(なかたにあきひろ)のDVD

 昔から中谷彰宏の本が好きだった。というよりも、自己啓発本が好きであった。
 初めに自分のお金で買った新書は『知的生産の技術』。次が『超・整理術』。図書館でも、小学生のうちから「効率的なメモの取り方」・「成功する人の仕事術」的本を読み続けていた。私が、なんとか第五志望である早稲田大学教育学部に引っかかったのも、小学生以来の自己啓発本読者であったからだろう。自己啓発本は、「何事にもコツがある」・「勉強にはやり方がある」という認識を持たせてくれるのだ(その弊害は、別のところで語ることにしよう)。

 「自己啓発本」を日本で最も多く出版している人間は、おそらくは中谷彰宏。各種DVDでも「僕は800冊書いてきた」ということをサラッと口にしている。それだけ多く書いたら、どこかでマンネリに陥りそうになるはずだ。けれど、どの本を読んでも新鮮な発見をする私がいる。

 中谷彰宏と、私はずっと「本」で触れてきた。博報堂時代がもとになっているのか、キャッチコピー風の短い文章の集まりを読みつつ、「そんな考え方があるのだな」と学んできた。

 DVDに表れた中谷の姿。非常にインパクトがあった。何と言ったらいいか、「言葉の響き」にすら感動を覚えた。中谷の本に書かれた言葉が、中谷の口を通して語られる。話される内容よりも、話す言葉の「響き」から多くの点が学べたような気がした。

 口から発せられた言葉には、必ずその人の「響き」がある。このことを私は忘れていた。中谷が関西弁でしゃべっていたことも、発見の一つであった。

 プラトン以来、「言葉」「ロゴス」のみを人間は追い求めてきた。「言葉」の中でも、「書き言葉」を重視した。「言葉の響き」よりも。その姿勢がデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」につながり、近代が開かれた。その姿勢は「自分で考える」ことを重視する姿勢であった。「自分で考える」ゆえに、「他者」はあまり登場しない。
 夏目漱石の『行人』(こうじん)には、近代理性の権化ともいうべき人物・長野一郎が登場する。彼は理性や学識は非常に高い。けれど、妻や母親、その他の家族と分かり合えることができず、常に孤独に苛まれている。近代的知識人の持つ「孤独さ」を感じた本であった(余談だが、一郎が友人と神について語る際、突然友人を殴るシーンがある。「君、これでも神を信じるかね?」という言葉に、私は笑ってしまった)。

 プラトン以前、「模倣」(ミメーシス)が重視されていたと聞く。踊りを観たり、演じたり。歌を聴いたり、歌ったり。宗教においても然りであった。「自分で考える」というよりも、模倣を通じて瞬時に「神に至る」道が重視されていたのだ(ちなみにプラトン以前を注目し始めたのはニーチェである)。「模倣」は、一人ではできない。常に他者の存在が必要である。必然的に孤独になることはない。
 イリッチはconvivialという言葉(どうもスペイン語らしい)を重視する。訳者によって「相互依存」と訳したり、「相互親和」と訳したりする、日本語化しにくい言葉だ(辻信一は「共に生きる」と説明する)。これは「孤独」と対比的な言葉である。一人でいるのではなく、誰かと話したり・親しく過ごしたり・共に生活をしたりすることを重視している。
 イリッチの『脱学校の社会』のラストも、convivialを社会にもたらそう(「相互親和型社会」ということ)、と呼びかけるものであった。誰かの美しい詩を引用し、イリッチはそこで唄った。「人が薄暗がりに住んでいて、薄暗がりの中で友を得るなら、薄暗がりも面白いじゃないか」(208頁)と。 convivialと語る時、必ずそこには「他者」が存在する。理解出来る/出来ないにかかわらず、「他者」と「共に生き」ようとする。『行人』の長野一郎も、convivialな生き方をもっと志向すればよかったのではないか。そう思われて仕方ない(小説だと、なんだか自殺しちゃいそうだし)。
 現代人の生きづらさは、「言葉」に執着するところにあるのだろう。「自分で考える」のも大事だが、もっと「模倣」のよさに立ち返ってもよいのではないか。それがconvivialということである。

 中谷の「言葉の響き」をめぐって、よくわからない話になってしまった。けれど、ここで書いた内容は私が数多くの「他者」から「模倣」してきたから、まあいいんじゃないかな。

2009年12月6日日曜日

自主・自律

写真は、ある小学校のスローガン。

学校の存在自体が、生徒の自主性を奪うことはあるのではないか。

「学校」という土俵でいくら自主性を発揮する教育ができたとしても、それが社会でも使える「自主性」である必然性はどこにもないのである。

2009年11月30日月曜日

「自分に合った仕事」という幻想

 友人が就職活動を行っている。その際、リクナビやマイナビなどに希望する条件を登録し、そこから送られてくる情報をもとに行動を行っている。

 「自分に合った仕事を探そう」と、最近の就職関連の本には登場する。「自己分析」がやたら騒がれ、「一生の大半は仕事をするのだから、自分に最もあったものを選ばないと不幸になる」とすら語るものもある。

 しかし、本当だろうか? 自分という個が先にあって、その個に合う仕事を探す。このプロセスは真理なのだろうか。

 かつて、仕事は「一人前になる」ために行うものだった。「自分に合った仕事を探す」のではなく、仕事を通じて自分を作り上げる、というプロセスをとっていたのだ。
 
 私の家は、代々職人の家系であったらしい。祖父の代までは建具屋さんをしていた。建具屋とはたんすなどの家具を作る人のことをいう。そのため家の納屋にはカンナや金槌などがたくさん散らばっている。
 木にカンナをかける。なかなかうまく出来ない。力を均等にし、慎重にカンナをかけていく。この作業を繰り返し、きれいにカンナがけができるようになったとき、少し「一人前になる」ことが出来たのであろう。仕事を通しての人間成長があったのだ。
 仕事を通じて、かつては人生における真理を学んでもいた。先のカンナがけ。カンナをかけるだけでなく、「ゆっくりと慎重に行うこと」「練習をすれば必ず技術は習得できるようになるということ」すら学ぶことができていた。表面上は単調にカンナがけをしているようでも、作業を通じて人生の真理を学んでいた。

 いまは個があって、「自分に合った仕事を探す」というプロセスをとっているが、かつてはそうではないのが一般的だった。仕事は何でもいい、けれどその仕事を通じて「自分」を作り上げろ、というメッセージが社会に広まっていた。

 就職活動に行き詰っている友人にこの話をすると、非常に喜ばれたのが印象的だ。いまの就職活動は何か誤っている点があるのではないだろうか。

2009年11月29日日曜日

鈴木雅之のCDを聴きながら。

 最近、鈴木雅之のCDをずっと聴いている。「♫もう涙はいらない…」。名曲である(現在のBGM)。

「もう涙はいらない 僕が側にいるから」(「もう涙はいらない」)

 この一節に鳥肌が立ってくる。
 もう一カ所、彼の別の歌から。

「後悔するよ きっと こんなさよならは
 今日までの二人 どこへ 消えてしまうのか
 追うことさえ 出来なかったのは 俺の方で
 泣くことしか 出来なかったのは 君の方で」(「さよならいとしのBaby blues」)

 この歌詞が、いつぞやの苦い記憶を呼び戻す(ような気がしてならない)。

 ブックオフで買ったのは鈴木の「Best Love Song Album」たる、「MEDIUM SLOW」である。流していて、色々気づく。「あれ、どこかで聴いたな?」。思案した結果、もともと父のカーステレオで聴いたことがあることを発見した。

 幼き日、父のワゴン車の助手席で聴いた曲の数々。サザンオールスターズ、TUBE、そして鈴木雅之…。私が、いわゆる「懐メロ」を愛好する理由には父のカーステの存在が大きい(同じ懐メロでも さだまさしが好きなのは母の影響から)。

 そのためか、鈴木雅之にしても何にしても、「全くの未知」の曲よりも「あ、この曲はカーステで聴いた!」と分かるものの方が私の好みである。

 鈴木雅之の存在は、いろいろYOU TUBEを散策するなかで偶然見つけ、「この歌手、すごいじゃないか!」と発見した。いざCDを買ってくると「あ、この曲はカーステで聴いた!」と改めて認識したのである。

 結局、人間は自分の育った環境から離れることができないのではないか、と気づく。意図的に離れようとしても、油断すると気づけばその環境に戻っている。そういうものである。
 一人で生活していると、あんまり両親の存在を意識することはない。月末にキャッシュカードを使う際、「今月も仕送りがしてある」と事実に感謝するときくらいである。けれど、実は自己の内面の「趣味」「興味」という位相には常に両親が存在している。



 さて、全く関係ないが昨日「思い」が通じた瞬間があった。「思い」が通じるのは実に嬉しいことだ(恋愛のことのようだが、そうではない、念のため)。

2009年11月28日土曜日

映画 マイケル・ジャクソン『This is it』

 私は今まで色々な映画を見てきたが、観客の拍手で始まり拍手で終る映画は始めてである。まるで昭和の映画館のよう。マイケル・ジャクソン(MJ)のコアなファンの多さを実感した。映画の合間にあがる歓声と拍手。光るブレスを付けた人の多さに驚く。

 映画を見ていて。MJは「変化し続けたかった」のではないか、と思う。顔を白くしたのも整形したのも、すべてその意志の現れではないか。
 「変化する主体」としてのMJ。リハーサルをしながら演出や振り付けを考えていくのも、「変化する主体」ならではではないか。
 変化。人間生命の本質にはこれがあるのではないか。まさに「万物は流転する」。

(・・・)
 映画が終わる瞬間、観客は日常に引き戻される。突然に、それこそ唐突に。新宿バルト9のエスカレーターで新宿の夜景を見るとき、マイケル・ジャクソンの偉大さと共に、自らの日常を思い出すのだ。それは辛い作業だろう。しかし我々は戻らねばならない。MJのいない日常に、そしてありふれた世界へと。
 映画のラスト。「さあ変わろう」。我々もつまらない日常を変えていかなければならない。
 自らが変わることで。

2009年11月27日金曜日

高橋勝『学校のパラダイム転換』(川島書店、1997)

人が何かを〈学ぶ〉ということは、その対象を通して、生活世界に新たな意味を付与していく営みである。自己の生活世界をつねに新たに更新していく営み、それが〈学ぶ〉という行為にほかならない。その行為は、ものへのはたらきかけや他者とのかかわり合いなしには成立しない。〈はたらきかけ〉、〈かかわること〉によってしか、私たちは自己の世界を更新してはゆけないのだから。それは、必要や効用といった功利的原理を超えた、根源的な「生の世界」それ自体の自己蘇生の営みなのだ。(15−16頁)
 私たちの〈学び〉とは、それまでの狭い世界を脱出して、より広い世界を切り拓き、再構成していく行為にほかならない。それはきわめて創造的であり、主体的な営みなのである。(18頁)

〈学び〉とは、〈自己〉の解体と再生の営みなのだ。(18頁)

子どもたちが、多様で異質な文化や人々と出会い、交流する場として、学校を考えたい。同年齢ばかりでなく、異年齢の子どもたち、地域の住民、異国籍の人々、多様な文化的世界、そうした多数の他者と交わることによって、子どもは、一人で学ぶ以上のことが学べるのである。「学ぶたのしみ」を肌で実感できる人々が寄り集まり、〈学びのネットワーク〉を織り上げていく場所、それが、これからの学校なのだ。(28頁)

2009年11月24日火曜日

感想『いよいよローカルの時代』(大月書店)

この本に、次のようにあった。

《ぼくは、スローとはなにかと言われたら、「つながり」と答えることにしています。ローカリゼーションというのは、一度断たれた大切なつながりをとりもどすことですよね》(172ページ、辻)

いま私は一人暮らしをしているが、西早稲田の我が家にはいろんな人が出入りしている。

風呂を借りに来るN君、夜話し合いにくるFさん・Oさん、よく「泊めて」とくるS君、「部屋を貸してください」と急にメールするI君…。ひとりも女性はいないが、たくさんの人がうちを使っている。

人はよく「お人好しが過ぎるんじゃないか」と言うが、私にとってはこの「いろんな人が我が家に来る」生活のほうが好きだ。これこそ「つながり」であり、真の豊かさであると言える気がするからである。

一人暮らしの家に1人で住む。けっこうキツいことだ。 必要以上にプライバシーに配慮していても、孤独さが増すばかりである。

昔の下町長屋にはほとんどプライバシーはなかった。けれどそれと引き換えに「つながり」という豊かさがあったのである。

内田樹も、他人と部屋を共有することの意義を語っている。

大学生がよく欝になるのは、部屋の共有をしないためではないだろうか?

怠惰な生活

昨日は慌ただしかった。ボランティアスタッフとしてフリースクールフェスティバルの役員で1日戦った後、地域の活動に行った。
全て終わったのが夜1時。けっこう疲れる。

今日の火曜は起きたのが午後1時。素晴らしく気楽な大学生であるものだ(怠惰生とかいて大学生と読む)。

自分のリズムを見ていると、めちゃくちゃ忙しい→ボーっとして怠惰な生活→また忙しい生活…、という繰り返しである。同じペースで持続可能な戦いをするのがどうも苦手だ。研究者に必要な資質であるはずなのだが…。

そろそろ、怠惰な生活をする頻度を下げていきたい。友人は来年から社会人になる。自分も社会人的なリズムで生きれるようになりたい。

昨日はフリースクールフェスティバルの運営を手伝え、けっこう楽しかった。ふだんフリースクール関連で知り合っている子たちが楽しそうな姿をみるのは嬉しいものだ。それはよかったのだが、かなり疲労がたまった。はやく本調子に戻したい。

2009年11月23日月曜日

いじめられない子

「いじめられない子に」という看板。

何か間違っている。

2009年11月22日日曜日

「いい教育を求めてフリースクールにいく」、ことの欺瞞。

いい教育を求めてフリースクールにいく。これは「価値の制度化」である。本来、学校による強制的な「教育」に対するアンチテーゼを示すのがフリースクールの役割であった。このことは忘れてはならないであろう。

「学校」が駄目だから、「学校」的なものとしてフリースクールにいく。これは結局、「学校」というものに取り憑かれた考え方なのだ。

初期のフリースクールはもっとラディカルであった。国に対し、「子どもの権利」を主張して堂々と「NO!」を突きつけていたのだ。

フリースクールは「学校」がわりに行くものではない。「子どもの幸福のため」に「学校」が機能していないからこそ、「上に任せず、自分たちが教育を行うのだ」という草の根運動の結果できたものであるのだ。

フリースクール創設時の苦闘を、忘れるべきではない。

…あんまりまとまってなくて、ごめんなさい。

カフェスローへの道。

 高尾山に登ろうという話になり、私は中央線に乗った。そのついでに国分寺で降り、カフェスローへ行ってみた。
 イリッチの「脱学校」論の究極は人が会い、ものに触れ、何かを考えることである。そのような場を提供できるのは喫茶店であり、「喫茶店スタイルの
学びこそがイリッチの理想の教育形態ではないか」と私は仮説を立てている。このカフェスローは哲学としての「スローライフ」を掲げ、実際に実践を行っている場所である。イリッチの思想の現れを見る気がする。

 スローライフやナチュラルライフを地でいくメニュー。「フェアトレード」「無農薬」などの言葉が踊っている。部屋の隅には「スローライフ」系イベントの案内が置かれている。
 スローライフを示す本を売っているコーナー。私は3冊購入した。
 購入した『カフェがつなぐ地域と世界 カフェスローへようこそ』(吉岡淳)にはこうある。「カフェとしての形態をとってはいるが、環境・文化運動を目指す拠点としてのカフェスロー」(78頁)というところが印象的であった。
 このカフェには明確な哲学がある。店名にもなった「スローライフ」をメニューや店舗自体、扱う商品や店員の態度を通じて示そうとしているのだ。

 コーヒーを啜る私の周りには「オバさま」ばかり。自分が「浮く」ことがなければもっと来やすい店になるのに、という点のみが残念であった。

2009年11月16日月曜日

抜粋集『21世紀の教育と人間を語る』(第三文明社、1997)

以前、「21世紀」という言葉には無限の輝きがあった。夢と希望があふれる社会が、21世紀に実現されているはずであった(はからずも「20世紀少年」や「クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲」にはかつての「希望あふれる21世紀」が語られている)。

けれど、いまの世の中は決して輝かしいものではない。20世紀後半にとって21世紀は輝かしい未来。だから「将来のために今頑張ろう」と考えていた。いまの世に、かつて「21世紀」という言葉で示された「輝かしい未来」を意味する言葉は存在しない。

そんな時代だからこそ、「将来は明るいのだ」という信念を持ち続けることが必要なのではないか。今回の抜粋分には、そのような「希望」が綴られている。

希望がない社会だからこそ、「こんな世の中だから仕方ない」と思うのでなく、「自分が希望ある社会をつくっていくのだ」というポジティブな行動を行っていく必要があるのではないか、とおもう。


時代はどんどん変化しているのです。「競争社会」から「実力社会」へ、そして二十一世紀には、必ず「人道社会へ」と動き始めることでしょう。(中略)人道的な行動が、価値を持つ時代です。子どもに対しても、社会全体が、人道的にやさしく包み込むことが必要でしょう。
「不登校の体験が人生の大きな宝になった」「家族の絆が強くなった」「学ぶことの本当の意味が分かった」という多くの体験も聞いています。
 不登校になったからといって、子どもを責めたり、自分の子育てが悪かったと嘆いても問題解決にはならない。貴重な体験をしていると思ってください。人生に意味のないことなど何もないのですから。(220頁)

 
学校に通うことが目的ではないのです。
 学ぶことが目的です。力をつけることです。他人のために尽くすことです。
 本来、人間にとって、学ぶことも、教えることも、喜びであるはずです。この喜びがあるところ、「学校」は生まれるのです。(中略)
 学ぶことは「喜び」であり、学ぶことは「権利」です。たとえ、大人たちが作った学校という制度が悪かったとしても、それに負けて「学ぶ権利」を放棄するのは不幸です。
 青春の時、社会に出ていく時、結婚する時など、人生には、さまざまな「時」があります。それを一歩ずつ進んでいくのです。
 その「生きる力」の源泉となるのが、学ぶことです。学びは一生です。人間は、死ぬまで学び続けるのです。
 ゆえに一歩一歩でいい。どうしても学校に行けなければ、家で一歩一歩、進むのです。
 一歩一歩、進めば、悩みの向こうから、必ず何かが見えてきます。
 お母さんも、そしてお父さんも、家族の皆が、お子さんといっしょに進んでください。
 歩みを止めなければ、必ず勝利の日が来るのですから。(278~280頁)


2009年11月9日月曜日

コーヒーが飲める「異常」性。

 11月8日。早稲田祭が終了した。我がサークルで睡眠時間を削りまくって戦っていた。酒も絶っていた。そんな中、私はコーヒーをやたら飲んでいた。缶コーヒーをひどい日は5缶。あんまり飲まない日でも朝に1本は飲んでいた(ワンダのモーニング・ショットは中毒性がある)。つらくなった時は、喫茶店にいった。「どんなことがあってもコーヒーだけは温かい」という少し前の缶コーヒーのキャッチ・コピーの秀逸性を感じる。

 前回のO先生のゼミでもコーヒーの議論をした。コーヒー豆は中南米や東南アジア、アフリカの一部くらいでしか生産できない。けれども、日本を含めた先進国あちこちに「喫茶店」があり、缶コーヒーが普及している。
 本来、コーヒーは世界中で飲まれるはずがない商品なのだ。一部の地域でしか生産できないからだ。にもかかわらず、世界中で飲まれている。これは文化伝達というよりも、「異常」と見たほうがよいのではないか。
 世界中で同じものが嗜好される。これにはコマーシャリズムの影が見える。
 近年、日本では緑茶の消費量をコーヒーの消費量が上回った。この事実は「コーヒーは万人に愛されている」ということではなく、「人々がコーヒーを好むよう、商業主義がコントロールをしている」と解するべきであろう。

 イリッチは「場所性」を主張する。田舎が都会をまねる必要はないし、都会も田舎をまねる必要はない。それぞれの場所が、それぞれの場所固有の生活・文化を維持していくことが必要なのではないか。イリッチのこの考え方を頭に置いた場合、現在のコーヒー文化のもつ「異常」性が見えてくる気がする。

幕引き

4年間やってきた大学のサークルも、昨日でついに幕となる。早稲田祭企画のあと、終了式→飲み会→高田馬場ロータリーで騒ぐ、という流れを過ごした。このサークル、軽いサークルでは全然なく、話し合いの場で泣き出すものも出てくるほど「熱い」、別の言い方をすれば「恐ろしい」サークルなのである。

何事も、最後までやりきることが必要なのだと実感した。

このサークルで学んだこと。それは「思い」を語ること・「思い」を込めて行動することである。
私は形式的に行動することが多い。サークルのメンバーへの励ましも、企画の準備も、日常の活動も、「やらなきゃいけないから」、型どおりに行っていた。「やっていないじゃないか」と叱られないために。はじめはうまく回っていたが、3年生の途中からつらくなってきた。「やりたくない」という思いが強くなってきた。けれど、「嫌だけれど、やらなきゃな。仕方ない」との意識で行っていた。
 4年生の9月。どうしようもなくなった。全くやる気が起きなくなった。でも、サークルに行かなければ。しんどさが付きまとっていた。
 サークルの話し合いをサボった翌日、尊敬している人からメッセージをもらった。自分に対する期待が感じられた。「もう一度、素直に・謙虚に、やり直すことからはじめよう」と決意した。
 それ以来、叱られたなら素直に聞いて「よし、改善しよう」と努めるようにした。特に意識したのは「絶対に諦めないという執念を持つこと」、それと先ほどの「思いを語る・思いを込めて行動する」ということであった。
 サークルのラスト1ヶ月で、自分の考え方が大きく変わった。
 途中で投げ出さずに済んで、本当によかったと思っている。最後の最後に、私に欠けていた部分を知り、克服のために動くことができたからだ。

 さて。来年このサークルに私はいない。昨日、ロータリーで校歌を歌ったが、そこの一節が非常に胸にしみた。

「集まり散じて/人は変われど/仰ぐは同じき/理想の光/いざ声そろえて/空もとどろに/我らが母校の/名をば讃えん」。

 

2009年11月2日月曜日

私教育と公教育

 教育には2つある。それが公教育と私教育である。
 本来的な教育は私教育。「学校」ができる数万年以上も前から、私教育は行われていた。集団の中で、地域の中で。
 国家がつくる「学校」は、設立されてたかだか200年だが、私教育は常にあった(人間が生きるために)。
 しかし教育学は「学校」でおこなう公教育しか語ろうとはしない。

 あえて私教育としてのフリースクールを語り、私教育性を担保するのが私の使命だ。

 学校だけが人生でないし、喫茶店だけが人生でもない。
 どんな人生がいいのかも、自分で決めることが大切だ。

2009年10月26日月曜日

仮説:「脱学校」的学びの究極は喫茶店スタイルである。

仮説:「脱学校」的学びの究極は喫茶店スタイルである

 前に親友のOと話していたとき、ふと「脱学校的な学びの究極は、喫茶店スタイルではないか」と気づいた。まさに早稲田駅前のシャノワールで話していたためでもある。
 答えにはならなくとも、近い回答にはなるであろう。
 前に「勉強カフェ」という喫茶店に行った。渋谷にあるそのカフェは「勉強する」という意思を持った人が多く集まる場所だ。自習室で集中して学ぶことも、自分と同じ資格取得を目指す人たちと交流することもできる。これ、イリッチの言うラーニングウェッブの「仲間探し」という機能そのままではないか。
 以前、私は「ラーニングウェッブは現在のブログ空間のことでないか」という雑文を書いた。そこには実は大きな限界があった。ブログでは物理的に会って学ぶということが起きにくい。また、検索によってそのブログを知るために《全く興味がない人》が意図せずに見る、ということも起きにくい。内田樹は〈ひとは「これを学びたい」と思わないことを学ぶことがある〉などと書いているが、本来人は「何を学ぶか」を説明することはできないものなのだ。
 
 喫茶店に、新たな学びの可能性がある。喫茶店のテーブルから周囲を見ると、一人雑誌を読む人・書物と格闘する人・雑談を楽しむ人・目を閉じて瞑想にふける人(単に寝ているだけだが・・・)など、様々な人が眼に入る。「何をしてもいい」「学ばなくてもいい」のが喫茶店なのだ。学校なら「これをしなさい」と言われる。フリースクールは確かに喫茶店に近いが、「ふらっと、全く契約していない人が来る」ことはない。それに来るのは子どもばかりである。
 喫茶店には「アジール」という働きもある。日常に疲れた人々がやってくる「逃れの街」である。よく「子どもの居場所」を自認するフリースクールがあるが、喫茶店は子どもを含めた「現代人の居場所」であるかもしれない。

 脱学校的学びの究極は、喫茶店スタイルかもしれない。
 どうせなら、フリースクール的要素を満載した喫茶店もあってもいいのではないか。
 
 「そんな喫茶店を、自分がやってみたい」という声が、内面から響いてきた。


追記
 喫茶店の名前はどうするか? 色々考えた。そんなとき私の口癖の「フラッと」「サラッと」と言う言葉を思い起こす。
 結果的に「フラット」という名前がいいのではないか、と考える。

追記2
 フリースクール情報のセンターとして、地域の「学び場」「居場所」「フリースクール」「親の会」「フリースペース」をつなぐ存在にしたいとおもう。なかなか、こういった情報は一般から手に入れにくい。
 また、学んでいる子には「学び方のコツ」や各教科の知識を「求められる限りにおいて」、伝える場所にしたい。
 様々な実践ができるよう、体育館のように「ものすごく広い空間」にしたい。

「教育」なんて、要らない。~「渇きによる学び」考~

16年間の「学校」教育。

 気づけば、私も大学生になっていた。早いものでもう4年目である。ここまで、義務教育9年+高校3年+大学4年=16年間も、「学校」で教育を受けてきたことになる。長いものだ。

ところで、「学校」で学んできたものの総量と、「学校」外で学んできたものの総量とでは、どちらが多いだろうか。学校制度は「教育」政策の根幹をなすものである。本来は学校という場において「学ぶ」という作業は行われているはず。しかし私は日本語運用能力も、コミュニケーションの技術も学校の外でほとんどを学んできた記憶がある。学術的知識という、学校が本来担っている部分ですら、大部分は自分で本を読んで学んだことだ。

では、学校という存在は本当に役立っているといえるのか? 学校は何のためにあるのか。

寺子屋をつぶして、「学校」へ。

江戸時代の日本には寺子屋という教育機関があった。人口4000万人の時代に、約2万校存在したとされる。これは江戸幕府や藩が設立したのではない。自然発生的に、民間の有志が作ったものである。

この寺子屋では「子どものため」の教育が行われていた。社会で生きるのに必要な「読み・書き・そろばん」の技術を習得する場所であった。必要がなくなればいつでも卒業できた。学習内容も、子どもとその親の要望によって変わった。大工の子どもには「大工往来」という、大工になるのに必要な知識を詰め込んだ教科書が使われた。商人の子にも、やはりそれに応じた教材が使われていた。現存するだけでも、寺子屋で使われた教科書は1万種類を超えている。寺子屋では子どもの要望に対応した教育が行われていたのである。おまけに、寺子屋は必要ないと判断すれば、「行かない」ことすら選択できたのである。

先ほど、「学校は何のためにあるのか」という疑問を述べた。教育学的に見ると、「学校」の使命は単純明快。それは「国民」の形成である。

江戸時代が終わったとき、日本にいわゆる「日本人」はいなかった。何故か? 全国各地がいくつもの国に分かれていたからである。当時日本は大小多くの藩にわかれており、それが国としての役割を果たしていた。そして薩摩の国・長州の国など、それぞれの国を大名が治め、その大名を江戸幕府が統括していたのだ(故郷を聞く際、「クニはどこだ?」と言うのはその名残である)。薩摩の国に住む人は、自分のことを「日本人」と捉えず「薩摩の国に住む者だ」と認識していた。

それぞれの国どうしは話す言葉もちがっており、方言は相互に理解不能なほど複雑なものだった。参勤交代で江戸に来た大名たちも、お互いの意思疎通には筆談を使っていたといわれている。

要するに、明治時代に入るまで日本には「日本人」はいなかったのである。これでは明治政府は困ってしまう。「日本」という抽象的概念の元に国をまとめなければ、国内が混乱してしまう。前近代であった江戸時代、たくさんの国に分かれていたことはすでに述べた。国自体がバラバラであったわけだ。国内がバラバラであれば、その混乱に乗じて外国が日本を攻めてくる可能性がある。すでに同時代のアジアでは欧米諸国によるアジア侵略が始まりつつあった。「日本も欧米に侵略されるかもしれない」。こんな危機感が政府の中にあった。そのため、「日本人」という認識を人々にもたせ、国民の精神の統一を図ろうとしたのである。

そこで明治政府は2つのものを利用した。それは「学校」と天皇である。

全国各地に昔からあった寺子屋を廃止し、「学校」をつくる。「学校」では方言ではない標準語で授業をした。「日本人」という意識を持たせるため、日本史や日本の地理の学習をさせた。同時にトドメとして、天皇を用いた。〈日本国民は天皇の赤子である〉という教育を行い、精神的な意味での「日本人」意識を持たせたのである。

つまり、「学校」なんてものは本来、私たち個々の人間のために作られたのではなかったのだ。国家のために働く「日本人」を育成するためだけに、「学校」がつくられた。その証拠に、「学校」をつくるとき、明治政府はわざわざ寺子屋をつぶしてしまった。

「子どものため」に作られた寺子屋を壊すところから始まった、明治の「学校」教育。現在もまだ、明治の制度を引きずっている。

ここら辺で、一度「本当に《学校》教育は必要なのであろうか」と、探ってみることも必要なのではないだろうか。

強制的・制度的な勉強は有効か? Hさんの事例より。

 

私の友人に、Hさんがいる。現在20歳の彼は小学1年のときに不登校になり、13歳くらいからフリースクールに通うようになったそうである。なお、フリースクールというものは日本では「不登校の子のための学び舎」という意味が一般的だ。無理に子どもを勉強させるのではなく、自由に過ごすことのできる場所。いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。来ないという選択肢もある。カリキュラムは一応決まってはいるが、基本的には子どもがやりたいと思うことを自由に行えるところだ。以前私が「東京シューレ」というフリースクールに見学に行った際、6歳の子どもと16歳の子どもが一緒にテレビゲームに興じていた。キャッチボールをしている子どもも、『名探偵コナン』を読んでいる子どももいた。

Hさんは「東京シューレ」に、8年間通った。今年の春にシューレを辞め、会社で働きはじめた。彼は18歳まで、文字を読むことができても、ひらがなを書くことができなかったとそうだ。いまでは習得し、書けるようになった。会社でも普通に文字を書いて働いている。

Hさんの話を居酒屋で聞いていて、自分の「教育」に対する思い込みが晴れていくように思えた。今まで私は「文字の読み書きくらいは、無理やりでも子どもに学ばせなければならない」と考えていた。そうしなければ、個人の不利益になるからだ。けれどHさんの話を聞いて以来、「無理やりでも学ばせる」ということの必要性を疑うようになる。話を聞いていて、思わず焼き鳥の串を落としていた。

 現状の教育制度ではHさんのような存在が「あってはならない」ものだと考えられている。文字の読み書きが出来ないと、人は不幸になる。だから、無理やりでも教えなければならない。普通はこう考えられている。けれど、本当にそうだろうか。彼は「ひらがなを長い間書けなかったけど、そんなに困らなかったよ」と語っていた。「無理やりでも学ばせないといけない」と教育関係者は躍起になっているが、案外Hさんの言うようなものかもしれない。

 パウロ・フレイレというブラジルの教育運動家がいる。フレイレは学校廃止を主張した人物だ。その理由として「何年もの長期にわたって厖大な公費を投じてなされる公教育による教育的な結果は、ほんの六週間程度の成人識字教育によって充分はたしうる」(山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』174175頁)からであると説明した。いつ文字を学ぶかということも、本人の自由で決めていいのではないか、とHさんの話から思うようになった。

 冒頭に、寺子屋の話を書いた。寺子屋は文字の読み書きと、そろばんの技術を学ぶところであるが、「行かない」という選択肢もあった。「学びたくない」と思えば、学ばずにいることもできた。その点が明治期以降の「学校」との違いだ。「学校」は《日本人としての一体性を持たせないといけない》という強迫観念に駆られているため、「無理やりでも学ばせよう」とする。Hさんはそんな学校のあり方に愛想を尽かしたわけだ。代わりにフリースクールで自分の興味に基づいて過ごすうちに、自主的判断から平仮名を学ぶようになった。

「渇き」による学びの重要性

 こんな文章がある。

 喉が渇いたら、馬は自ら水を探します。そのときは、馬が真剣に、水の匂いを嗅ぎ分け、道を探すのです。
 水がいらない馬を、川に引っ張っていくことは、ムダなことであり、自己満足にすぎません。
 乾きこそ、モチベーションの源泉です。
 他人に与えられるのではなく、自分で感じ取るものです。
 生きていれば、必ず渇くときがあります。
 他人にモチベーションを上げてもらおうと考えた瞬間に、モチベーションの炎が、あなたの心から消え去ります。(
宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』幻冬社、2009年、67頁)

 フリースクール[1]では、子どもを無理に学ばせようとはしない。

フリースクールは「子ども中心の教育」が行われているところだ。子どもはいつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。休むのも自由であれば、何をするのも自由である。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間はかかるかもしれないが、宋の文章でいう「渇き」が起こるのだろう。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。

 日本初のフリースクールを設立した奥地圭子の著書に、『不登校という生き方』がある。この本の中に「進学先を選択する」という項目がある。フリースクールに通う子どもたちのうち、高校・大学への進学を希望する子どもについて書いているところである。奥地は「志望した人のかなりが高校や大学に受かっています。そしてどうやらついていけるようです。もちろん、受験をすると決めたら、少しは、または熱心に本人が勉強しています。しかし、学校に行っていた子と比べ、圧倒的に勉強量の差はある。それでも合格するし、ついていける」(『不登校という生き方』127頁)と述べている。その理由は何であろうか。

 これは、「ヒロベン」(広い勉強のこと)をしているからです。何をしていても広い意味で勉強になっています。テレビ、本、マンガ、新聞、ゲームなどでも、知識、認識は広がっています。そういった土台があり、必要な時に勉強をやれば身につくのだと思います。予備校に行く、学習塾に行く、家庭教師に来てもらうなどの方法を取った人もいるし、一人で勉強して合格した人もいます。

 ポイントは、本当に進学したいのかどうか、ということでしょう。入りたい目的がはっきりしていることも重要です。やりたいことには、自然にエネルギーが出るからうまくいきます。実際、わが家でも、東京シューレでも、それほど長い期間ではないですが、猛烈に勉強に取り組む姿をみました。感心したのですが、何のことはない、それまでのいっぱい休息し、遊び、充電している子が不登校には多いですから、いざ、本気でやろうという時には、すごいエネルギーが出るわけです。(『不登校という生き方』127128頁)


 宮台真司の描く自伝的エッセイの中にも、こんな話がある。高校三年生までは遊んでいた生徒の方が受験の直前になると、ずっとコツコツ勉強していた生徒の成績を抜くという話だ(『日本の難点』)。皆さんのまわりでも、そのような例があったのではないだろうか。

重要なのは学ぶ気がないとき(「渇き」がないとき)は無理して学ばせないことである。だからこそ真に水を欲した際(学ぶ気力が湧いてきたとき)、「すごいエネルギーが出る」ことになるのであろう。

さきほどのHさんにしても、「無理やりでも学ばせる」という「学校」のあり方を嫌い、不登校になっていた。Hさんが18歳になってから平仮名を勉強したということも、「渇きによる学び」が発動したからこそ成功したのだろう。それ以前のマンガやゲームといった「ヒロベン」が、「渇きによる学び」が起きた際、有効に機能し始めるのである。

 強制的に「学ばせよう」とすることに、それほど意義はないのではないか。それこそ、「無理やりにでも学ばせよう」というのが「学校」の「教育」なら、そんな「教育」なんて無くなってもいいのではないか。「渇きによる学び」さえあれば、「教育」なんてなくてもいいのではないか。

 最近の私は、こんな風に思うのである。

参考文献

イリッチ『脱学校の社会』

奥地圭子『不登校という生き方』

宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』

ダニエル・グリーンバーグ『「超」学校』

林隆造『教育なんていらない』

宮台真司『日本の難点』

山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』

山本哲士『教育の政治 子どもの国家』



[1] 日本における「フリースクール」は、主として「不登校の子がいくところ」という認識である。けれど、本来的には「子ども中心の教育」が行われているところ、という意義がフリースクールにはある。強制的に学習させる「学校」ではなく、「自由」に過ごすところであるからこそ「フリースクール」なのである。「フリースクール」の実際例として、1985年に奥地圭子が作った「東京シューレ」やアメリカの「サドベリーバレースクール」などがあげられる。

2009年10月5日月曜日

吉本隆明・山本哲士『教育 学校 思想』より。

山本の言う、「教育」の4つの機能。確かライマーも言っていたような気がする。
もともと教育は学校以外の場所で実際に多様におこなわれていたんじゃないか。その場合の教育は、いわゆる文化の伝達であったり、知識の伝達であったり、父親、母親の生活や知恵の伝達とかさまざまな形があったとおもうんです。そこへ教育という文字どおり諸個人の潜在的な能力をひきだす機能と、教化(教え込む)という機能と、社会的に人間を選択、選抜していく機能と、もう一つは子どもの世話をするという、四つの機能、この機能は近代的な組みたてをこうむった機能なのですが、それを学校が集中化して、中央集権的な学校の制度をつくり出していったといえるわけです。(7頁 山本の発言)


 どうでもいいが、この本の編集者は句点(、)だけでなくナカグロ(・)も活用したほうがよいと思う。読みづらくて仕方ない。詳しくは『日本語の作文技術』(本多勝一)を参照。


続いて、吉本の発言。

人間が獲得している現在のもっとも高い水準まで知識を獲得していかせようという衝動、学校というものの衝動の在り方として、詰め込んでいったと仮定すれば、イリイチがストップをかけている標識があると、山本さんの本を読んでぼくは理解したんです。知識を詰め込む教育自体がやっていることが、どんどん詰め込んでいったら、その生徒の五〇%以上がそれにくっついていけなくなったときには、それはやめなければいけないといっていると受けとったんです。そこらのところが感心したところなんですね。(64頁 吉本の発言)

 ベネッセの第4回学習基本調査・速報(実施2006年)によれば、高校生の「数学」内容を「ほとんどわかっている」「70%くらいわかっている」と答える生徒は3割程度。細かく言えば、1990年の第1回調査から一貫して30%台である(微増はしているが)。詳細はhttp://benesse.jp/berd/center/open/report/gakukihon4/sokuho/soku_2_01.htmlを参照。
 もっとも、この調査では「そもそも、各教科が『わかる』とはどのレベルの話か」は見えてこない。数学でいえば数研出版の青チャート(『基礎からの数学』)の例題が解けるレベルなのか、それとも公式を暗記する程度のレベルなのか。「そもそも論」になるが、ベネッセの調査も吉本隆明の発言も、「各教科が『わかる』とはどういうことか」との確認が必要になるであろう。

再び、吉本。

ぼくはたいへん感動して(注 山本の本を)読んだんですが、明日の社会のため、国家のために子どもをどうするのかとか、どうしたら子どもはよくなるのかといったことを主張する教師、教育者などはいなくなったほうがいいんだ。そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだといわれていますね。そこでいわれている山本さんの主張は、おしつめていきますと、学校というのは消滅すべきものだ、あるいは、教育ということ自体が消滅すべきものだということが含まれているようにおもえたんです。(76頁 吉本の発言)

「明日の社会」や「国家」のために、教育をいじろうとする。その取り組みは、子ども個人への身勝手な要望といえるのではないか。

最後に山本。

たとえばイリイチによる学校化批判の攻撃をうけたあと、学校を制度的に変えようという三つの流れがあるといわれます。一つは、学校化をそのままにして再編・改革しようというリスクーリング(reschooling)、第二は、以前からあるフリースクーリング(free-schooling)。学校化の枠の外で、子どもを自由に育くむ場をつくってあげようという自由学校などです。そして第三は、学校をなくそうとしうディスクーリング(deschooling)です。(185頁 山本の発言)




2009年10月3日土曜日

貨幣説

 私は高校途中から、学校の持つ気持ち悪さを感じるようになった。そして、それを突き詰めていきたいと思うようになった。無意識的に大学の教育学部を受験したのも、そのためであろう。もともと私は法学部に行く予定で、教育学部には全く行く気がなかったのだから。
 私は学校に気持ち悪さを感じているが、周りに聞いてみると「学校を楽しいと思っている人もいる」事実に気づいた。この人たちは学校の「気持ち悪さ」「不愉快さ」を貨幣として扱っているのではないだろうか。
 「学校が楽しい」という人も、どこかで学校的あり方に気持ちの悪さを感じているはずだ。けれど、「友人と遊ぶためには、しかたない」と考えているのではないか。学校のもつ楽しさを享受するためには、「気持ちの悪さ」の代償も味わわないといけない。
 私はよくラーメン屋に行く。人気店は何十分と並んで待たないといけない。外は暑いし、腹も減る。でも、その「不愉快さ」を支払うことで、ラーメンの味を楽しめるのだ。「学校が楽しい」という人も、このラーメン屋と同じではないだろうか。

 吉本隆明は山本哲士との対談『教育 学校 思想』(日本エディタースクール出版部)において、次のように語っている。

小学校でも、学校は何が面白かったかといえば、そのなかでクラスメイトと遊ぶ遊び時間が面白かった。友達と遊ぶとか、いたずらするとかいうこと。授業時間はいつだって、きつい、かた苦しい、重苦しいという感じがあって、授業時間以外の休み時間とか、昼休みとか、放課後とかいうことで、友達と遊ぶ。学校で遊び切れないときは、それを家へもって帰って、近所までもち越して遊ぶ、それがぼくの学校のイメージなんです。(5頁)
 社会学者の上野千鶴子は、〈学校化社会は,誰も幸せにしない制度といえます〉(『サヨナラ、学校化社会』)と語る。学校が「楽しい」といっている人間も、結局は何らかの形で「気持ち悪さ」を感じているのではないか。それでは、学校は一体何のために存在していると言えるのであろうか?
 イリッチが数ある文献で訴えていたのは、文明が「制度」に頼ったものになっていく危険性であった。この「制度」は「専門家依存」ということでもある。「学校」も一つの制度であると相対化していく視点が必要であろう。

 1980年代に、数学者・森毅はこんなエッセイを書いていた。それは塾が自らの独自性を訴え、塾が学校と子どもを奪いあうようになる社会が必要だ、という内容のものである。のちに「不登校新聞」のインタビューに出ることになる森は、当時フリースクールの存在を知らなかったからこそ「塾」と書いていたのであろう。ここでいう「塾」を「フリースクール」として見るならば、時代が段々と森の訴えに近づいているように思える。
 教育という存在が、「学校」という制度に押し込まれたあり方を、変えていく必要があると思える。