2010年2月13日土曜日

大大学 その傾向と対策





吉本隆明は山本哲士との対談の中で「大大学」を話す。学歴社会の進行が、「大学」ではなくその上の「大大学」を要求するようになる、と。いま、大学院生の数は10年前の2倍。「大学院大学」と「専門職大学院」も普及した。吉本の「大大学」が大学院の形で広まってきている。もはや人は大学に行くだけでは差がつかなくなり、「大大学」である「大学院」にいくことが普及するであろう。学歴社会は「大学全入時代」で幕を閉ざすわけでない。今以上に進行するであろうと思う。このことが本当に「輝かしい」ことか、教育学者は考えなければならない。





 この引用はTwitterの中で、私がIshidaHajime名義で書いた文章だ。吉本隆明と山本哲士の対談『教育 学校 思想』(日本エディタースクール出版、1983)から、元の文章を見てみよう。


(石田注 吉本の発言)一般的に学問とか知識とか芸術とかいわれているものが、もう少し時代が進んで大きな観念の空間を占めるようになるとするでしょう。そうしたら、いまは小学校から大学まであって、中学まで義務教育になっていますが、やがて大学まで行ってもまだ間に合わない。そこで、大大学というものまでできるという発想になりますか。(91〜92頁)



 私の記憶違いで、どうやら必要とされる知識が増大するために「大大学」が要請されるようになる、という文脈であった。学歴社会が進行すると本来学歴が必要なかった職種に高学歴をもった人物が入って来、パイを奪い合うようになる(R・P・ドーアの『学歴社会 新しい文明病』冒頭には「学士タクシー」の話があった。これはもともと高卒程度の学歴があれば良かったタクシー運転手に、大卒の人間が入ってくるようになる、という話である)。いま、「大卒」で仕事にあぶれる人が多くいる時代である。この本が出てから27年が経ち、当時より遥かに多くの大学と大学院が作られた。吉本が危惧する「大大学」化は次第に現実化しつつあるように思える。
 そうなった場合、人間がさらに幼稚化すると吉本と山本は続ける。中卒で働くのが普通だった時代と、高卒で就職が普通であった時代、大卒就職が普通となる時代とでは、同年齢の人間でも「幼稚さ」が高まってくる。もっとさかのぼると、「学校」がなかった遥か昔、子どもたちは「小さな大人」として遇されていたことを考えれば、「学校」が人類の幼稚化をもたらしているように思える。
『対話 教育を超えて』の中で、イリイチは言う。


ぼくは、教育なんてものは、西洋の中身のないからっぽの機構、つまりもっとも異端的な教会でしかないと思っている。ぼくが子供について話すのを避けてきたのは、全世界の民衆が幼児化されるという危険がつきまとっているからなんだ。今この瞬間にも、あらゆる政府や国際組織、さらには教会でさえ、教育的な治療を広めようという政策でのぞんでいるわけだ。ぼくが、ここにやって来たのは、ただ、子供時代を社会的に拡張することに対して警告を発し、それに反対の態度を示そうと思ったからなんだ。(122頁)
 さきほど私は「幼稚化」をあげたが、イリイチも「幼児化」ということで説明をする。学校が人間を成熟させるのではなく、逆に「幼稚化」(「幼児化」)させるのであれば、そんな学校にいかほどの意味があるのか。


追記
●「過剰教育」という言葉がある。竹内洋らの『教育社会学』では次のように説明されている。「労働者の教育水準が職業の資格要件を上回っている状態。たとえば、雇用市場の不況から大卒者が専門的な仕事につけずに不熟練職に回る場合など」(252頁)。いま大卒の価値は急激に低下している。過剰教育の結果として、「大大学」が普及する可能性は十分にあるのだ。

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』からのアフォリズム その2

ここからは、「解説」以外の部分、つまり「本文」から抜粋を行っていく。


フレイレ わたしたちは、何よりもまず、どのような教育を人々が本当に必要としているのかを知る必要があると思います。わたしたちは往々にして、人々の真の要求には無頓着なまま、教育内容を云々しがちです。わたしたちが与えようとしているような体系的な教育は、必要とされないことが多いものです。(40頁)

(石田注 イリイチの発言から)
価値の学び方はふた通りあると思うんだ。ひとつは、本質的に親密な個人的な交わり、つまり、互いに顔をつきあわせているふたりの人間の責任にもとづいて行われるもの。もうひとつは、価値の他律的な生産であって、一般の人々は、その価値を必要とするように、管理する側から期待されているんだ。その中には、車の右側通行の仕方を教えてもらうことが必要だといったことから、何がしかの「代理人」をして、かれらに、民衆は意識を必要としている。(42頁)

(フレイレの発言から)
すなわち、教育が社会を形づくるわけではなく、社会が、権力を持つ者の利益にかなうように教育を形づくるのです。この過程が機械的ではないからこそ、そのように申し上げたのです。つまり、教育はある時点で社会によって形づくられながら、社会のために特別な条件を築きあげるのです。(44頁)

(イリイチに対してのフレイレの発言。両者の違いについて)
あなたは教育が人間の現象であることは認めていらっしゃる。別なことばで言えば、いろいろな理由から人間が教育を生み出したことは認めていらっしゃるようです。しかし、ある地点を超えると、教育は人間性を失ない、もはや人間のコントロールの及ばない悪魔の手先になってしまうと言うことです。ここが、わたしの考え方とは違うのです。わたしは、何よりもまず、教育が永久的な過程であると考えてきました。この点で意見が異なるのです。教育は、人間が未完成であり、歴史的な存在であり、永久に探求を続ける存在であるからこそ、永久的な過程なんです。さらに、人間はこの探求の中で、自らの現実を知り、また自分が知るということを知る能力を獲得しました。したがって、わたしは、教育の重要な一面は、いつの時代にも、知識を実行に移すための理論というところにあったし、現実もそうであると考えています。(95頁)

(ダウバーという人物が、イリイチとフレイレの議論を聞いて)
ふたつの概念の相違は、はっきりしました。イバン(石田注 イリイチのこと)は、「発展を制限する上での基準」という否定的なものを問題にし、パウロ(石田注 フレイレのこと)は、メチャクチャにならない教育の過程、つまり意識化という肯定的なものを問題にしています。(101頁)

(イリイチのことば)
ぼくは限界閾と限界設定とを、はっきり区別しているということだ。(112頁)

(ダウバーの発言)
非学校化は、集権化や制度化や専門化を排除しようということです。制度のもつ力に対して限界を設定すれば、社会における政治的・経済的な矛盾が自覚されてくるはずです。制度を変革する行動に立ちあがれば、必然的に政治闘争に足を踏み入れるようになります。そしてこれが、わたしの理解している限り、パウロがいく度となく繰り返している意識化の過程なのです。(119頁)

(イリイチの発言)
ぼくは、教育なんてものは、西洋の中身のないからっぽの機構、つまりもっとも異端的な教会でしかないと思っている。ぼくが子供について話すのを避けてきたのは、全世界の民衆が幼児化されるという危険がつきまとっているからなんだ。今この瞬間にも、あらゆる政府や国際組織、さらには教会でさえ、教育的な治療を広めようという政策でのぞんでいるわけだ。ぼくが、ここにやって来たのは、ただ、子供時代を社会的に拡張することに対して警告を発し、それに反対の態度を示そうと思ったからなんだ。(122頁)

この対談の中では、deschoolingを「脱学校」ではなく「非学校」と訳している。これ、山本哲士の影響であろう。

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』からのアフォリズム。

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』(野草社、1980、島田裕巳ほか訳)は非常に興味深い本だ。


「解説」を山本哲司が書いているのもいい。


山本の「解説」から、抜粋をしていく。


イリイチは、読み書きは意図的な学習であるとして、歩くことや話すことを学ぶ学習とは区別している。三つの大きな問題が明示されているのだ。ひとつは、教育は象徴的な暴力であるということ、もうひとつは、字の読み書きが人類にとって基本的に必要であるのかどうかということ、さらに、前二者をふまえて、もし、字の読み書きを教えるなら、それは子どもに対してはたすべきものなのかどうか、青年期でよいのではないか。この三つの問題に明確な解答を与えることーそれが、われわれの教育学的な任務である、といえよう。(188頁)


学校を正当化する考えは、それを使用する人たちが、学校制度が自らの必要や利益に奉仕しているのだと信じていなければ維持されない。たんに支配の側からのおしつけがあるのではなく,必要であると自らがおしつけていく制度的な特徴があるのだ。

「制度としての学校」を把むことによって「教育が学校化=制度化された」という教育の仕組みをとりげることができる。教育の仕組みは、教育制度を、相対的に自立したサブシステムと捉えたり、学校内での教育実践と捉える表層的な分析からは決して明らかにされない。教育という事実性を、文化の象徴的な生産様式という視座からとらえかえさねばならないのである。(163頁)


宗教制度から学校が世俗化されたことによって、学校の聖化が、〈教育〉を宗教として再構成されていると認知し、学校から「学ぶ」行為を世俗化させるべきだ、とイリイチはいう。教育を蘇生させるのでも復権させるのでもない。学ぶ様式の多次元的な世界を蘇生させることである、というのだ。(165頁)


他者への働きかけの質を主体において問うフレイレに較べ、イリイチは「主体」をいっさい問わない。正確にいえば「主体の志向性」を問題にしない。ただ、個の自律性の相互交流関係(様式)を、自律共働性の価値からとらえるだけである。痛みを感じ、苦悩し、受苦し、病や死に直面する自分、自らの足で歩き、自ら学ぶ、そうした「自律性」が確かなものであって、「政治力」であるのだと考える。他者からの働きかけによって運ばれ、教えられ、治療される様式が支配的なところに「政治」はない、人間的なものはない、というのだ。(179〜180頁)


(石田注 フレイレの話から)学校は社会を変えない、社会が学校を変えるのだ、と主張する。(181頁)


「教える」というこうとは、他者に働きかける様式、つまり概念的には他律的様式としておさえられる。それに対して「学ぶ」ということは、自律的な様式なのだ。現代の教育という商品、あるいは基本的必要を中心に構成されている〈学校〉あるいは〈学校化社会〉というのは、その自律的な「学ぶ」ということに「教える」という対立的なものが働きかけた結果なのだ、といえる。だから「教えないと学べない」とか「教えてやらなければならない」とかいう論理が生じるのだ。そういう形で「教える」という他律的なものが勝利したとき、教育という商品がそこに完成する。他律的なものが働きかけていくと、働きかけた結果、現実的にある価値が作られてしまう。ある種の〈資格〉を象徴とする競争原理に基づく序列化社会はまさしく〈教育の商品化〉の結果である。イリイチにとってはそのことが問題なのである。つまり、フレイレとイリイチにとっては、「教育」を位置づける「場」が異なっているのである。フレイレは歴史構造の現段階におけるトピックにとどまり、その限界状況下での歴史的性格と変革可能性を実践的に考察するのであるが、イリイチは、文明史的な視座から「教育=商品」を時代の本質的な構造として相対化してとらえる。(176〜177頁)


フレイレは‘教育はいかなる時代にも普遍的にあった。現在、それが抑圧の教育となっている歴史的・イデオロギー的性格を把握する’という。しかし、イリイチは‘教育そのものが近代の構造的な産物であって、その本性からして商品である’とみなす。(177頁)



「わたし」を如何に作るか。

 失恋は苦い。けれど、それにより「わたし」という存在がより深いものになる。アーレント風に言うなら、「振る」異性の存在(=他者)が私を豊かにする、ということか。
 「わたし」という「主体」を形作るには、「苦しみ」が必要である。高岡健は、人間は年上と年下の異性から別れを告げられない限り自分と向き合うこと・「わたし」を深めることは出来ないと語る(『16歳からの〈こころ〉学』)。
 教育という制度の欠点は、本来自分でやるべき「主体(=わたし)」の構築を、教育制度が行えると思ってしまうところにある。過ち・失望・絶望・孤独から子どもが学ぶのを「危険だ」と考え、そうならないように何かを教える。例えば性教育、例えば消費者教育。それが別の種類の絶望(=学歴信仰など)を生んでもいるのであるが。
 究極的には、教育で ひと(=わたし)を作ることは出来ない。教育に出来ることは ひとをその人の内面に向き合うことを手助けすることである。決して、「教える」ことで代替はできない。

2010年2月12日金曜日

レーウェンフックの顕微鏡

大学経営や学問の研究の場から、「高卒」や「中卒」の人間が排斥されている。ゆえに「大卒」の人の立場からしか、発想がなされない。

レーウェンフックが顕微鏡を作ったとき、まだ一般民衆が学者と論争し合うことができた。いま、それはない。

大学に関する立場に、「大卒」でない人間もいれていく必要があるように最近の私には思われる。「大卒」という記号にはそれほど意味はない。レーウェンフックのように正規の教育を受けていない人間でしか考えられない視点があるはずだ。
そこを見逃すことがないようにしたい。

「小説 母の弁当箱」へのコメント。

 「母の弁当箱」という小説を、本ブログで書いた。これを現役高校生であるK君に読んでもらった。
「中学生にもなって、ポケモンの話を友人としないし、弁当を捨てて何か買って食べるなら、弁当以外もの、たとえばお菓子を買いますよ」
 おっしゃる通りのコメント。
「中学生は、小学校の〈あのね帳〉みたいな文章を書きませんよ」
 これまたおっしゃる通り。

 大人は自分が子どもだった時のことを忘れる。この言い回しを時々聞くが、まさにそれを実感した。私が中学生だった時のことを、いまの私はすっかり忘れてしまっているのだ。というより、中学生だった時の私と今の私は連続する存在ではないのではないか、という思いすらしてくる。

 何かの漫画にあった。ある日小学生の「私」が野良犬のようなものを拾ってくる。実は大人になった「私」はその野良犬のようなものが変化した存在で、小学生のときの「私」はどこかへ消えたのではないか。そのことに気づいた時点で漫画は終る(永井均『マンガは哲学する』に紹介されていた物語である)。
 この寓話は、「大人は大人は自分が子どもだった時のことを忘れる」ことを身にしみて実感させてくれる物語であるように思われる。

グラウンドの芝生化

高田馬場駅そばの小学校で芝生化の作業が行われている。なんでも老朽化したゴムチップのグラウンドを剥がして芝生にするらしい。

どうせ剥がすなら、はじめから芝生でよかったのではないか、と思う。無駄な公共事業。

芝生にすると除草剤や肥料をけっこう使う必要が出てくる。「学校環境の緑化」というと聞こえがいいが、芝生化が本当に環境にいいことか、検討してみる必要がある。

2010年2月11日木曜日

子どもの保護は、絶対の真理か?

『まんが能百景』(渡辺睦子 作画・増田正造 解説、平凡社、2009)を読み終える。能の物語を見開き2ページで分かりやすく漫画で説明してくれる、便利な本。面白く読んだ。

 僧が道を歩いていると、近くにいる人が案内をする。実はその案内人は幽霊で、「弔ってくれ」と言って消える。僧が弔うと幽霊が成仏を喜んで舞う。大体の能が、こういう型に基づいて描かれていた。何事にも、「構造」があるものだ。

 「構造」と言っていいかは分からないが、子どもを人買人(ひとかいびと)にさらわれ、母親が狂乱しつつ探しまわるというシナリオも『まんが能百景色』に多く登場した。
 
 「人の命は地球より重い」という言葉をよくきく。けれど、「生命の重さ」はどの時代でも一定であるわけでない。昔、子どもは勝手にいなくなったり、勝手に死んだり、誰かに殺されたりするものだった。大体、親が子どもの数を正確に覚えていないことも多い。モラリストと評価されるモンテーニュも、自分の子どもの数を覚えていなかったほどである(以上、アリエス『「教育」の誕生』より)。「人買人」に買われたり、さらわれたり。そういうことが日常的にあった(『千と千尋の神隠し』という映画のタイトルにあるように、「神隠し」も頻繁にあった)。でなければ、日本の伝統芸能である「能」に「人買人」の話が出てくるわけがない。

 現在の社会では、「子どもを守る」ことが重視されている。いま私鉄の改札を通るたびに親にメールが送られたり、「ココセコム」や携帯で居場所を親が探せるようにしたり、塾に監視カメラがあったりするなど、種々の技術を活用しつつ子どもを保護する(『学校身体の管理技術』より)。私も保護されて育ったゆえに私が何か言える権利はないかもしれないが、本来子どもはこれほど保護されなければならない存在だったのだろうか? 能を見る限り、そうではなかったことがよくわかる。
 
 本稿で私は何も「子どもを保護するな」と言っているのではない。時代に応じて、何が正しいかは移り変わる。「子どもを保護しない」のが当然の時代もあれば、現在のように「保護しまくる」時代もあるのだ。

2010年2月9日火曜日

東野高校に見学に行く。 

 東野高校(埼玉県・入間市)へYさんと行ってきた。Yさんは3年ほど前にこちらに見学にきたらしい。
 東野高校は1985年に設立された「自由」を重視した学校。制服も校則もない。生徒は喫煙もすれば授業中も外でふざけている。教員もヒッピー的な服装。Yさんによると「バンダナを巻いている人がいた」という。けれど荒れて人気も下がってきたため、制服や校則が制定された。wikiを見る限り、2007年から改革がはじまったらしい。ついでにいうと、今日見た時、教員もきちんとスーツを付けていた。「自由」を重視して蹉跌を踏んだ点では「自由の森学園」と近い。

 自由を重視する教育。それを「学校」体系で行うと挫折することを知る。
 逆に言えば、現在の校則も制服もある東野高校は、現体制内で「自由」に基づく教育を行うとどういう形になるかを示している。

 「自由な教育」なんて、「学校」形態では無理なのだ。本当に実現しようとするなら、画一的・一斉授業の「学校」では不可能で、フリースクールの形態をとるしかない。
 そう思った。

2010年2月8日月曜日

小説 母の弁当箱

 早稲田駅前。ぼくは大学生たちと逆行する形で、夕方にこの駅から地上に出てくる。気楽な大学生たち。背中に背負った大きなバックには、なにが入っているのだろう。全部本だとするなら、ぼくは大学生になった時、ちゃんとやっていけるんだろうか。 
 そんなことを考えながら駅を出て数秒歩き、100円ショップ・キャンドゥの横を曲がったぼくは、大きな「W」の文字を目にする。ぼくの第二の学校・早稲田アカデミーだ。
 「おはよう」 。友人のIがぼくに声をかける。ぼくも「おはよう」と答える。ここの中学生の間では、夕方に出会っても「おはよう」なのだ。中1のときは不思議だったけど、いまでは慣れてしまった。
 授業のあいまに、ぼくは弁当箱を広げる。お母さんがいつも作るヤツじゃない。そばのファミマで買ってくるお弁当だ。チンしてもらうと、おいしそうな香りが湯気と一緒に立ち上ってくる。IとかNたちといつも食べている。話の内容はだいたいポケモン。
 青い早稲田アカデミーの看板の前でサヨナラをいったあと、ぼくはいつも講師室のそばの給湯室にひとり行き、母のお弁当の中身を生ごみ袋に入れて帰る。箱はもう一度きんちゃく袋に入れて、カバンにしまう。
 それがぼくの一日の終わりです。




 レポートで使う資料を探すため、僕は押入れの段ボールをあさっていた。偶然見つけたのが汚らしい原稿用紙。中学生の時に学校の宿題のために提出した文章だ。なぜこんな文章を書き、しかも学校に提出したのか、さっぱりわからない。何かに怒っていたのかもしれない。作文を出した後、担任が悲しそうな顔をしながら「もっと別のテーマで書けないのかな?」と話したことが思い返される。結局、そのときは宿題の再提出をしなかったのだった。
 作文に出てくる大学生が背負っていたバックには、テニスセット一式とジャージが入っていたことを僕は知っている。大学はあんまり勉強しなくてもやっていけることも学んでしまった。けれど、母の弁当を「まずい」と言ってすべて捨てて帰るほど、僕の人間性は悪くはなくなった。 それにしてもひどい子どもだったものだ。

 しかし。
 あの頃の僕よりも、母のほうがもっとひどい人間だった。今でも覚えているが、中三の冬(あ、受験直前だったんだ)、いつもより早起きした僕は台所で母の姿を見てしまったのだ。セブンイレブンのビニール袋から出したコンビニ弁当を、僕の弁当箱に詰め替えている姿。僕はそっと後ろに下がり、ゆっくりと布団の間に戻った。
 いつも「まずい」と捨てていた母の弁当。代わりに食べていたファミマの弁当。けれど、母の弁当も所詮はコンビニ弁当だったのだ。レンジで温めなかったために、まずくなっていた。
 それだけだったのだ。

「学校にまにあわない」の恐怖。

 前にも書いたが、私はいまひたすら「たま」というアーティストの音楽を聴き続けている。脱学校論者である私(「素人が、簡単に自分のことを『〜〜論者』と名乗るな」、と言われそうだが、自分で言わないと誰もそう認識してくれないので初めからそのように言う)に、有益なヒントをもたらしてくれる。そのうち、「たま」の音楽を評論することで脱学校論について整理する論文も書けるのでないか、と思う。
 「たま」の音楽をi-podに入れて、どこでも聴く。イヤな場所に行くのも、少し気が楽になる。「引き出しの中に広がった/三千世界の彼方まで/翼をゆらゆらバタつかせ/いますぐ着陸態勢に入るよ」(「はこにわ」)という歌を「たま」は歌うが、i-podの中にも「三千世界」が広まっているように感じるのだ。

 さて。今回は「学校にまにあわない」を例に取り上げよう。前半部には幻想的風景が、後半には「学校にまにあわない!」と叫ぶ主人公の恐怖が描かれる。冒頭は、次の詩で始まる。

百万階建ての
ビルディングの建設
階段だけしかない
それだけの為の建物

 「百万階建て」なのに「階段だけ」しかないビル。上に行くことが目的だが、それには有益性が何もない。このビルを学歴と捉えればまさにその通り。
 イリッチは「学校化」ということを述べた。学歴自体には何の意味もないのに、「能力がある」ことにされる。私の周りに「早稲田大学卒」という学歴を持つ人が多くいるが、皆すごく能力があるかというと決してそうではない。でも世間は「早大卒」という学歴には「高能力」という意味があると勘違いをする。

ある日足場踏み外して
そのままの姿勢で堕ちて行く

 学歴ビルの階段を、すべての人が上に登れるわけでない。ほとんどの人は途中で「足場踏み外して/そのままの姿勢で堕ちて行く」のである。学校秀才とされる人も、いつ「足場踏み外して」しまうかもしれないという恐怖を持っている。その恐怖が「頑張らないと!」という思いになり、さらに階段を上って行くことにつながる。そのことにより鬱になり、結局「足場踏み外」すこともあるのだが。
 学校のもつ恐ろしさ/恐怖を示すこの歌。けれど、直後に「脱学校」的希望が描かれている。「足場踏み外」す恐怖のあと、このように歌詞は続く。

でも下には網が張ってあって
僕はうまいことフィニッシュを決めるのさ
満場のお客様が
いっせいに拍手 拍手

 「足場踏み外」しても、あんがい「下には網が張ってあ」るものなのだ。大事なのはその際に「フィニッシュを決める」ことができるか、どうか。学校的価値観から脱落しても(脱落する道を選択しても)、それだけで人生に失敗することにはならない。学歴ビルの階段を上る時は「堕ちていく」ことは恐怖だが、堕ちてみると「下には網が張ってあ」ることに気付けるものだ。脱学校的価値観で生きて行く道を選択することが、「フィニッシュを決める」ことだろう。
 けれど。この歌の作者は「網が張ってあ」るだけで安心をさせてはくれない。「フィニッシュを決め」た後の、続きの歌詞を見よう。

でもひとりだけ
後ろをむいている男がいるぞ
こいつ前にまわってのぞきこんでやれ
あ なんだ僕のお父さんじゃないか

 脱学校的価値観で生きることを決めた私。周りも、けっこう肯定してくれる。「満場のお客様が/いっせいに拍手 拍手」なのだ。けれど、保護者は最後まで肯定してくれないことがある。親と子どもの価値観は、常に一致するわけではない。
 『学校の悲しみ』というエッセイがある。著者ダニエル・ペナックはものすごい「劣等生」だった。母親は子どもの将来に絶望をした。こんなに成績の悪い息子は、ろくな大人にならないのじゃないか。不安、心配。ペナックが教員になり、また作家として新聞に名が出るようになっても、母の不安は無くならなかった。

どんな「成功の証明」を見せても、母の心配がなくなることはなかった。ぼくがどんなに電話をかけても、どんなに手紙を書いても、母に何度会いに行っても、ぼくの本が出版されても、書評を見せても、ポヴォーの番組(石田注 脚注を見ると、フランスの書評テレビ番組であると出ている)に出ても、だめだった。(……)もちろん、母はぼくの成功を喜び、友人たちとそれを話題にし、息子の成功を知ることなく亡くなった父が生きていたらどれほど喜んだことかと言ってはいた。しかし、心の奥のどこかに不安が残っていた。そしてそれは、もともとの劣等生によって生み出された永久に消えることのない不安だった。(6〜7頁)
 親にとって、学校的価値を外れた存在に一度でも子どもがなってしまうと、子どもの将来を悲観してしまう。あるがままの存在として、子どもと向き合うことができなくなってしまう。「後ろをむいて」しまうのだ。

 おまけに皆がみな、「網が張ってあ」る上に堕ちるわけではない。

倒れたラクダの
目玉だけが生きててギョロリと僕を見ている
みないようにみないようにしているのだけど
どうしても見てしまう
 「ラクダ」君は、ビルから堕ちてそのまま地面に叩き付けられてしまったのだろう。学歴ビルから堕ちて、「網」にも乗ることができなかった人間は、「目玉だけが生きててギョロリ」と社会を見つめる。けれど、もの言えぬ「ラクダ」ゆえ、彼ら(彼女ら)の声は社会に響かない。私の周りにもいる。「学校的価値」のもとに生きてきたが、結局そんなものに意味がなかったことに絶望をする人。「就活が決まらないなんて、何のために早稲田に入ったんだ、俺は!」と嘆く人。残念ながら学歴ビルはそこから堕ちて「倒れたラクダ」になる人の存在を見越して設計してあるのだよ。どこかでそのことに気づき、「網」の上に乗り、「フィニッシュを決め」ないと、制度設計者の思うままになってしまう。


 「学校にまにあわない」のラストは、あえて(か分からないが、おそらく)カタカナで書かれている。読みにくいので、原文の下に漢字仮名まじり文でも示す。

ミタナ ボクノ オモイデ
キミハ キョウ カワニ ドブント オチルヨ
ボクハ クサノシゲミデ キョウカショヲ サガシテ
キョウカショガ ミツカラナイ
ガッコウニ マニアワナイ
ノートモ ドッカ イッチャッタ
センセ ニ オコラレル

見たな 僕の 思い出
君は 今日 川に どぶんと 堕ちるよ
僕は 草の茂みで 教科書を 探して
教科書が 見つからない 
学校に まにあわない
ノートも どっか いっちゃった
先生に 怒られる…
 学校に行きたくないから、河原で道草。そのままお昼寝でもしたのだろうか。天高く太陽が昇っている。やばい、学校に行かなきゃ! でも、カバンを置いていたら中の荷物が散乱しちゃっている。どうでもいい教材はすぐ見つかった。でも重要科目の教科書がない。ノートも見つからない。行ったところで、「なんで教科書を忘れたんだ」と先生に怒られてしまう。

 「学校にまにあわない」。それは学校に行きたくないのに、無理して行かなければならない子どもの悲しみを描いた歌なのだ。私にも、こんな感覚があった(でも、何故か皆勤賞だった)。学校が持つ「恐ろしさ」を次第に忘れてしまっていたが、「たま」のお陰で思い出してきたのである。
 この、学校への原初的恐怖感が描かれたラストシーン。忘れることの出来ない風景である。
 

※なお、歌詞は『たま セレクション』の歌詞カードから引用した。歌詞カードには載っていない、ボーカルの石川さんのモノローグがこのラストシーンのあとに延々と続く。こちらも「学校への恐怖」が力強く表現されたものなのだが、別の機会に書くことにしよう。
 たまの歌は少し明るい。ゆえに歌詞のもつ暗さが見えにくくなる。そこに注意すべきだ。明るく楽しい歌の中で、人間のもつ本源的孤独を示していることがある。


参考文献
ダニエル・ペナック著/水林章 訳『学校の悲しみ』みすず書房、2009



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2010年2月7日日曜日

教職大学院の真の狙い?

 よくこんな意見を聞く。「昔と違い、教員よりも親の学歴の方が高学歴になった。そのため、親が教員をバカにし、モンスターペアレントとなるのだ」など。この文脈でなくとも、保護者が教員より高学歴になったために学校の権威が下がった、と言われることが多い。

 でも、この言い方って、親を思いっきりバカにした言い方じゃないか? 保護者というのは教員の学歴を調べてまで自らの優位性を示そうとするのだろうか。そもそも、教員の学歴を親が知る機会はそんなにあるものなのだろうか。そんなことはあんまりないだろう。
 「教員よりも親の学歴の方が高くなった」ことを問題視する意見に、私は作為性を感じる。本来的な問題でないのに、「大問題だ!」と騒ごうとしているかのようだ。ではこのような意見が出されるのは、一体何故か。
 思うに、教職大学院の普及を文科省がはかりたいためであろうと思う。なぜ、そうやりたいか? 私は文科省が教員の分断をはかろうとしているためであると考える。
 教職大学院出の教員の待遇を極端に良くする。すると、教員集団の中で同質性が失われる。ただでさえ力の落ちた教員組合の力がさらに低下する。教職大学院を出た教員は待遇を良くしてくれる国家に対し、忠誠心を持つようになる。簡単に国家のエージェントとして動く教員を文科省は入手することができるのだ。
 
 「教員は高学歴であるべきだ」。言うのは簡単だ。けれど、この意見自体が国家に益するものである可能性を私たちは疑うべきであろう。

…。今回は(今回も?)、けっこう質の悪い評論になりました。ごめんなさい。
 
 

イリッチ『生きる思想』から、『レイ・リテラシー』前半部。

 読む技術を、私たちは自明のものと考えている。しかし、実はそうではなかったことをイリッチの本を読んで知った。『レイ・リテラシー』という文章自体、私は黙読で読んだが、これって実は高度なテクニックであったのだ。あのアウグスティヌスが「発見」と、わざわざ『告白』で書いていることなのだ(『生きる思想』131頁)。まあ、このことについてイリッチは結構あちこちで書いている。前に読んだ『シャドウ・ワーク』にも書かれていた。

 この『生きる思想』にはページ番号も振ってあり、章ごとに見出しもあり、章と節にも番号が振られている。おまけに段落分けもしてあれば各章のはじめに軽い要約すら施されている(133頁)。現在の私たちは「本って、こんなものだ」という認識でいるが、実はそうではなく数多くの技術(イリッチは「二ダースもの技法」と言っている)の発見によってかろうじて成立しているのが、現在書店に並ぶ「本」なのである。小学校の教科書以来、ページ番号や章ごとに見出しのある文章に私たちは馴染んでいるが、「本」を成立させているこれらの技術は、決してはじめからあったものではない。


 『レイ・リテラシー』では「テクスト」成立までの物語が説明されている。〈参照、引用の照合、黙読が一般化〉(134頁)することにより、〈ひとつひとつの手書き本から独立した「テクスト」という観念がすがたを現し〉(135頁)た。〈印刷機がもたらした社会的影響としてしばしば考えられてきたことの多くは、じつは、見て調べるlook upことのできる「テクスト」[という観念の成立]によってすでにもたらされていた結果だったのです〉(135頁)。

 日本で言えば『源氏物語』が例になるだろうか。平安の時代、源氏物語を多くの人が読みたがり、積極的に写本が行われた。その写本も写本がなされる。「伝言ゲーム」はどこかで創作が入るもの、写本にはいろんなバリエーションが出来てしまう。古代の人にとっては自分の読んだ本がすべて。けれど、研究者(や現在の私たち)は無数の写本の背後に一つの「テクスト」という真理を見る。

 イリッチの説明により、「テクスト」成立の歴史が分かった。その後、このテクストの神聖性・真理性は「構造主義」により否定されてしまう。

 レヴィ=ストロースは神話の「構造」を研究するとき、神聖不可侵だった聖書にメスを入れ、バラバラにしてしまった。そのとき、テクスト論が始まったと橋本大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)に書いてあった。イリッチは言及していないが、「テクスト」あるいは「テキスト」という言葉には構造主義の匂いがしてくる。

〈いちど神話分析の方法になじんでしまうと、そういうことはそっちのけで、勝手にテキストを組み換え、ついには、最高のテキスト(聖書)の権威を否定してしまうことになる。それとともに、「言いたいこと」を伝えていたはずの‘神’も、かき消えてしまう。〉(『はじめての構造主義』123頁)

 いま私はイリッチの『レイ・リテラシー』というテクストをバラバラに分けて論じているが、こんなことを庶民レベルの人間が行えるようになったのは最近のことなのだ。引用や参照という技法も、もともとは高度なテクニック。



 さて、私には少し関係の薄い就職活動の話。いま就職しようとしたら、インターネットでマイナビにリクナビ、人によっては「みんしゅう」に入るところからシュウカツは始まる。PC上でエントリーもセミナーの予約も行い、エントリーシートもやっぱりPCで作成する。いまの世の中、就職するためには①ネットが使える環境にいて、②PCで少なくとも文章を作成するくらいの能力があって、③こうしたシュウカツ情報を入手する能力もある、という三つの要素をクリアしないといけない。簡単に行ってしまえばパソコンもネットもつかえない人間は始めから就職戦線から離脱せざるを得ないのだ。『レイ・リテラシー』は私の担当した前半部を見るとコンピュータ・リテラシーについてを考える手助けとしてレイ・リテラシーについて指摘したようだ。現在、学校の教育(中学では「技術」、高校では「情報」の科目名のもとで)でもコンピュータ・リテラシーの授業がある(学校では「情報リテラシー」と言われることが多い)。いまの社会はすっかりコンピュータ・リテラシーの必要な世の中となってしまったのだ。

 

 本文の中でイリッチは文字の普及(つまりレイ・リテラシー)以来、それ以前の「声の文化」のなかで消滅してしまったものがあることを指摘する。

〈かれ(注 パリー)によれば、文字によってものを考える精神にとって、文字を知る以前の口承詩人がかれの歌をつむぎだすしかたを追体験することは、ほとんど不可能なのです。文字によってものを考える精神に根づいている不可疑の前提certaintiesの側からさしかけられたどんなかけはしも、われわれを口承叙事詩のマグマのなかに連れ戻してはくれません〉(126頁)

 いま、コンピュータ・リテラシーがないと就職活動が出来ない時代だ。レイ・リテラシーの普及によって消滅してしまった文化がある以上、コンピュータ・リテラシーの普及によって消えてしまう文化もあることだろう。



2010年2月5日金曜日

パッケージ化

講習会等の際、必要な文房具の「たすかる」セット。


知のパッケージ化が起きているような気がする。

2010年1月31日日曜日

「たま」の曲を聴く。


 最近、ふいに「たま」の歌を聴きたくなった。「さよなら人類」で有名な、あの「たま」である。名前は知らなくても、「今日 人類が初めて/木星についたよ/ピテカントロプスになる日も/近づいたんだよ」という歌詞は聞いたことがあるのではないだろうか。

 私の専門の「脱学校論」的に聴ける歌を、「たま」は数多く歌っている。




 「かなしいずぼん」の中で、石川(パーカッション)のモノローグがある。〈もう学校へなんか行かなくてもいいのに、それでも学校へ目指し走り続ける元・少年〉。老いさばらえてしまっても、それでも「学校に行かなきゃ」という強迫観念にかられてしまう場所。学校というものは、それだけ深く人びとの内面に傷をつける場所ではないのだろうか。

 「とおい昔のぼくらは子どもたち」。この感覚を忘れないようにしたいと思った。「教育」学者を目指すのであるならば。学校の〈気持ち悪さ〉を忘れてしまったら、もう脱学校論の研究は出来なくなってしまう。それを防ぐために、子ども時代の感覚に立ち戻ることの出来る音楽が必要になってくるのだ。

通信教育に、人はなぜ「だまされた!」と思ってしまうのか。

いま山手線の車内ではユーキャンのが流されている。それを見るたびに私は苦い記憶を思い出す。かくいう私は通信教育に何度も挫折しているからだ。「記憶術」やら「行政書士」など、いろいろやったが、最後までやり遂げたのは小学生の時の「電子工作」くらい。何故、私は通信教育に挫折してしまうのか。こうも何度も何度も挫折するということは、私が悪いのではなく通信教育の構造上の問題があるのではないだろうか(責任逃れとは呼ばないでほしい)
言い換えよう。なぜ人は通信教育で「だまされた!」あるいは「挫折した」と思ってしまうのだろうか。
 それは学ぶのには、「お金」以外に時間というストックも必要だからだ。「私」という存在は、時間によってどんどん変化していく(レヴィナスは「時間とは私が他人になるプロセス」だといった)。通信教育を始める前の自分と、始めたあとの自分は別の存在なのだ(学習して変化したのではなく、ただ時間の経過が自分を他者にする)。通信教材の頁を開くとき、「なぜこんなものを学びたいと思ったのだろう」と思うことがある。段々開くのがイヤになる。それが高価であればあるほど、見たくもなくなる。
クーリングオフ期間に決断できることは少ない。いずれも、「あ、ムリかも」から始まって、いずれは「無理だ」とあきらめることになる。おまけに、1回やったからといってその学習が習慣化されなければ、「気づいたとき」「レポートを出すとき」しか教材をやらなくなる(そのうち、レポート期限なのにやらなくなってしまう)。
学校の場合であれば、肉体的に学びの場所に「行く」という行為によって、学びの「構え」を成立させることができる。そのため、学びの場所(学校やサークル等)に行く間に、モチベーションを自分で定めることができる。けれど通信教育は自宅の中で行う。いままでの何らかの生活時間を縮減する中でしか学びを行うことができない(だから、通信教育を経験した人の回想には「喫茶店で会社の帰りに勉強しました」というコメントが登場するのだろう)。モチベーションを上げるのも難しくなってしまう。
結論。通信教育は始めから失敗するように出来ているのだ。教材会社が悪いのではなく、通信教育という「学び」のあり方自体が持つ性格が人を挫折させるのだ。もしあなたが通信教育で挫折していたとしても、それはあなたが悪いのではない。「そういうもの」なのだ。
 通信教育というサービスが、にもかかわらず卒業生を送り出している。これはその人たちの努力の賜物であろう。
学校と違い、通信教育で学ぶ際「こんなはずじゃなかった!」という思いを共有する人がいないのはツラいことだ。グチを言える他人がいれば、「まあ、そんなものかな」と過ごしていける。通信教育は基本的には一人のみでおこなう。強き意志をもった主体でないと、「遊んで」しまう。通信制大学の卒業率の低さ(場所によっては1割もいかない)は、レポート課題の困難さよりむしろ、制度的な学びを一人で行うことの難しさを示している。巨大な学校制度に対し、同僚もなくたったひとりで立ち向かうのはなかなかに過酷なことなのだ。
おまけに、やらなくなる結果が多くなると自分を卑下し、自暴自棄になる。社会人で、「今日から通信制の大学で学びはじめたんだ」と宣言している人はうまくいかなくなると、自分が惨めになる。〈制度的な学び〉はグチれる〈他者〉がいないと、うまくいかない(ことが多い)。
世にこれだけ通信教育が流行っているということは、それだけたくさんの挫折者がいるということだ。
 冒頭にも書いたが、私もいろんな通信教育で学び、そして挫折してきた。苦さを経験してきた反面、通信教育の「良さ」もよくわかる。それは、「あんな自分になりたい」という欲望を一時的に満たすことができるということだ。
 通信教育はまさにドラえもんのポケットなのだ。「あんな自分になりたい」思いを一時的に満足させてくれるが、相当努力しないと夢は実現せず、自らが変化しない。のび太は漫画『ドラえもん』のなかではほぼ無成長モデルで描かれていることを考えてほしい。のび太は一時的にドラえもんの出す道具によって全能観を得るが、そのあとは再び「ひどい目」にあっている(要は挫折しているのだ)。通信教育の良さは、ドラえもんの道具を貸してもらったときののび太のような「全能観」(夢が叶ったような気がする思い)を味わえる点だ。悪い点は道具を出してもらったあとののび太のように「挫折」を味わうてんである。
 一人で学べる力がなければ、結局は制度的な通信教育もうまくいかないのだ。そのためには、自分が心の底から「これを学びたい!」「学ばないと、仕事で困る」という切実な思いがなければならない。私はこういった切実な思いをもつ学びのことを「渇きによる学び」と命名しているが、この「渇きによる学び」がなければ通信教育は結局成立しないのだ。

フリースクールに似た学校にサポート校というものがある。通信制高校の課題を学校のなかで行うというシステムをとっている場所のことだ。本文でも書いた「グチをいえる同僚」を存在させるために、一定の価値があるような気がする。
本文では、①通信制の大学や高校と、②仕事に直結する資格の通信教育、③趣味の通信教育を立て分けなかった。そのため荒い議論になったことは否めない。

戯曲・眼鏡(めがね)

(引き出しやタンスなどがおかれた室内。A、眼鏡をかけて、何かを探している)
(B、上手より登場)
B:お、何か探し物?
A:うん、ちょっと見つからなくて。
B:手伝うよ。
A:ありがとう。
B:何探してるの?
A:めがね。
B:(けげんそうに)めがね?
…え、めがね?
A:そう、メガネ探してるのよ。
B:え、本当に?
(独り言のようにつぶやく)そうか、もう一つ別のメガネを探してるのか。近眼用と老眼用を使い分けてる人もいるしね。
A:何か言った?
B:いや、別に。(手を動かす)見つからないなあ。
A:そうだね。あの本棚かな?
(A、下手より退場。しばらくしてC、上手より登場)
C:や、久しぶり!
B:ああ、君か。
C:何してんの?
B:うん、Aの手伝いで探し物。メガネを探してるんだ。
C:ふーん、メガネ?
(A、下手から登場)
A:あ、C、来てたの。
C:えっ!(Bに)本当にメガネ探してるんだよね?
B:そうだよ。
C:(しばし沈黙。独り言のように)あ、そうか。別のやつだよね。
A・B:何か言った?
C:いや、別に。
A:見つからないな。
B:枕元においたんじゃない?
A:そうね。ベッド見てくるね。
B:俺も行くよ。
(A・B、下手より退場。しばらくしてD、上手より登場)
D:お、Aのところにきたら君がいるとは。最近、どうなの?
C:バイトがキツくてね。君は?
D:よく聞いてくれたね。いいバイト見つけたのよ。
C:(手を動かしつつ、視線を外して)嬉しそうだね。
D:うん、この話は長くなるよ。
C:じゃ、いいや。
D:おい! …ところで何してんの?
C:Aがメガネ探してんのよ。
D:そうなの。Aはどこにいるの?
C:Bも来ているから、Bと一緒に寝室にいるよ。
D:え、あの二人、そんな関係?
C:ちがうちがう。メガネ探してるの。
D:ああ、そうなんだ。
C:がっかりするなよ。
(A・B、下手より登場)
C:あった?
A:無かったよ。
(D、驚いてAを見る)
D:おい、C、Aの奴、本当にメガネ探してるのか?
C:そうだよ。
D:(独り言で)ああ、別のやつね。そういやアイツ、赤フレームのも持ってたよな。
A・B・C:なんか言った?
D:いや、独り言だよ。俺も手伝うよ。
(ナレーター、上手より登場)
ナレーター:1時間後。
(ナレーター、上手より退場)
C:もう、疲れた!(足を投げ出す)
B:お前がへばるなよ。俺もくたくただ。
D:ああ、本当にしんどいな。
A:こんなに探してもないんだから、もうメガネは諦めるよ。
B:…そんな悲しいこと言うなよ。
C:もう少し探すと見つかるよ。
D:でも、少し休もうぜ。俺がお茶でも入れるよ。
(D、上手より退場)
B:どこで最後にメガネを置いたか、覚えてない?
A:うーん、それが全然覚えてなくて…。
(D、湯のみ4つをお盆に乗せて上手より登場)
D:お茶入れさせてもらったよ。はい、A。
A:どうも。
(飲もうとして、メガネがくもる)
あ! メガネ付けてた!
B・C・D:いまさら言うな!

fin.

2010年1月26日火曜日

イヴァン・イリイチ『生きる思想』より、「静けさはみんなのもの」を読む。

 「コンピューターに管理された社会」。イリッチの本講演はこんなテーマのフォーラムにおいて行われた。冒頭においてイリッチは「人間の真似をする機械が、人びとの生活のあらゆる側面を侵害しつつあること、そして、そうした機械が、機械のように行動することを人びとに強いること」(40頁)と述べ、それまでのフォーラムの議論をまとめている。「機械のことばをつかって『コミュニケート』することを強いられる」(同)ようになるという言い方で、人間の機械化を批判する。

 たしかに、現在の学校教育では「情報」の時間にパソコンの使いかたを扱っている。私も、小学校で「パソコンを使う際は、パソコンの動きを待つようにしましょう」と教わった記憶がある。あれは子どもという小さな主体者を、機械に従属させる存在に変えることを意図した授業であったのかもしれない。

 イリッチが人間の機械化を批判するのは、人びとが「自分自身を統治できなくな」(41頁)り、「管理されることを必要とする」(同)ためである。何故そうなるのだろうか。私は人間の主体性が機械によって浸食され、サービスや機械がないと何もできなくなる為であると思う。自分で行っていたものを外部(サービスや機械)に頼るようになると、自分で何も出来なくなるのだ。私はイリッチが各種論文(本書『生きる思想』や『脱学校の社会』)を書いたのは〈人間性の回復〉を訴えるためであると考えているが、機械の存在が人間性を奪っていくということをイリッチは伝えたいのであろう。

 論を進めるにあたり、イリッチは「コモンズ」と「資源」という二項対立を示す。下に両者を整理して書いてみる。

コモンズ[みんなが共有するもの]commons:

「人びとの生活のための活動subsistence activitiesがそのなかに根づいている」(43頁)

「いりあい(入会)」という日本語に近い。

「人びとの家の戸口を超え出たところにあり、人びとの私有財産ではありませんでした」(44頁)

皆が利用できる雑木林など。

資源resouces:

「現代人が生きていくために依存しているさまざまな商品を経済的に生産するのに使われる」(43頁)

「警察によって守られることを必要とします。そして、いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)

イングランドの牧草地など。

 「資源」のところに「依存している」という言葉が出てきたところに注目したい。イリッチは依存自体には批判的でない。それはイリッチ思想のキー概念であるコンヴィヴィアル(convivial)を、「相互依存」と示す訳者がいることからも分かる。問題なのは何に対する依存か、ということである。他者に対する依存であれば(助け合いということ)問題ないが、依存の対象がサービスや制度・機械であるならば問題になる。「資源」を批判するのは「商品」(ここにはサービスも入る)に依存してしまう結果となるからであろう。

 産業革命が起きた時(近代の初め)のイギリスでは「囲い込み運動」が行われた。入会地に柵を作り、資本家が自らのものとして扱う。それにより、入会地は「商品としての羊の群れを育てるための資源に様変わりした」(46頁)。この流れは、私有財産制度と登記制度により加速されたことだろう。日本でも近代の初め、「入会地」に所有者がついた[1]。国有地など公の所有[2]になったところもあるが、それにより自由にその場所を使用することが出来なくなった。「コモンズ」の消滅である。「コモンズ」にいた人びとは「土地を追われ、賃労働に追いやられ」、「絶対的に貧困化した」(46頁)のである。イリッチは近代の初めにおきたこの一連の出来事を批判し、もう一度中世の「コモンズ」の復興を呼びかけているのである。

 では、具体的にイリッチは復興した「コモンズ」像をどのように想像していたのだろうか。イリッチはメキシコ・シティの旧市街の話をする。「道端にすわって野菜や炭を売っている人びとがいるかと思えば、路上に椅子を並べてコーヒーやテキーラを飲ませている人びとがいました」(47頁)などと続く。「それでも歩行者は、ひとところから他のところへ移動するためにその道路を利用することができました」(同)。現在のイタリアの広場にあるバールをイメージすると良いだろう。ちなみに、バールとは喫茶店やバーのようなものである。島村菜津の『バール、コーヒー、イタリア人』(光文社新書)によると、次のようにある。

イタリアには、広場という空間がある。そして、この広場に寄生するようにしてあるのが、バールだ。多いところには何軒もある。バールのない広場は珍しいといえるほど、この二つは分けがたく、どうやって権利を手にしたものか、公共の場である広場に堂々とテーブルを並べている。(島村菜津『バール、コーヒー、イタリア人』2007年、光文社新書、8頁)

 路上や広場に、様々な人やモノが入り乱れるような状態。それがイリッチの「コモンズ」の現代的イメージなのだ。

 なお、日本の「コモンズ」は「入会地」だけではなく、「路地」でもあった。日本では子ども社会の間にも存在したようで、それが教育学的には大きな意義があるように思える。鶴見俊輔の文章から示しておく。

モースというアメリカ人の動物学者が明治の初めに日本に来て驚いたんですね。東京には「路地」というのがあって、路地で年齢の違う子供たちが一緒に遊んでいる。で、年長の子供が責任を持って、一種の共同体をつくっていると。彼はボストン近郊の出身で、そういう光景はボストンあたりにはないわけです。モースはそれにびっくりして、そのことを『日本その日その日』という本に書くのですが、これは大変重大なところを見ているんですよ。(鶴見俊輔・重松清『ぼくはこう生きている君はどうか』潮出版社、2010年、80〜81頁、鶴見の発言から)

 かつて、路上は「コモンズ」であったのだが、近代化のため「通りはもはや人びとのものでは」なくなり、「いまや自動車やバスやタクシーや市街電車やトラックのための通路」(48頁)となってしまった。効率化/スピード化の結果(スローでなくなった)なのであるが、本来の路上にあった豊かな文化性がいっぺんに失われてしまう。その結果、「場所性」も失われどこに行っても同じような町並みになってしまった。いま山手線のどの駅で降りても、駅前にはたいていマクドナルドが位置している(現在の日本では個性的な「食堂」が消え、かわりに「吉野家」や「大戸屋」に置換されているように最近私は感じている)。

 では「コモンズ」を復興するにはどうすればいいのか。イリッチは「資源」が「警察によって守られることを必要と」(54頁)する、と指摘する。「いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)と本講演を締めくくっている。早稲田大学の側にある戸山公園でサッカーをするには、たしか公園側からの許可が必要だったと思うが、そういった許可制度の廃止をすることが最初の一歩となるのだろうか。

※本項目の冒頭にイリッチが《「コンピューターに管理された社会」という都留[重人]さんが提案されておられるテーマは、一つの警鐘のように響きます》(40頁)と語っている。この都留重人とはハーバード大学で名誉学位も受けた経済学者である。思想家・鶴見俊輔の師匠でもある。

 本文でも引用した『ぼくはこう生きている君はどうか』(鶴見俊輔・重松清)にはこうある。

私にとって生涯の師というのは都留重人しかいないんですよ。(…)日本のインテリはそのときどきに合わせて、権力の動きに合わせて変わっていくわけですよ。だけど都留さんは死ぬまで権力に同調して自分の考えを変えることはなかった。終生、私にとって必要な指針となったんです。都留さんは経済学者なんだけれど、何か個別的な問題に取り組んでいるときに、その問題よりもっと応用範囲が広いことを思いつく。それが哲学なんだ―と。そういう都留さんのプラグマティズムを私は引き継いでいるんですよ》(147〜148頁)。

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「静けさはみんなのもの」

掲載:『生きる思想』pp39-54

形態:「朝日シンポジウム『科学と人間―コンピューターに管理された社会』」での講演。

講演の実施日:1982年3月21日

講演の場所:東京



[1] 「日本」の一部となった朝鮮半島でも、同様のことが行われた。所有者の分からない土地は朝鮮統監府が接収した。山川出版の『日本史B』教科書には「これによって多くの朝鮮農民が土地をうばわれて困窮し、一部の人びとは職を求めて日本に移住するようになった」(274頁)と書かれている。日本に在日と呼ばれる人びとがいる理由の一つになったのである。

[2] わが故郷・兵庫県多可町の柳山寺(りゅうさんじ)地区では、年に一度公の財産の「松茸山」の使用者を決める話し合いが行われている(と、父に聞いた)。競りを行い、勝った人がその山からとれる松茸を一年間手に入れる権利が与えられる。おそらく、公の財産になる前は各人が勝手に松茸を採取し、勝手に食していたのであろう。10年ほど前に父が500円で購入した山からは、ついに1本も松茸をとることができなかった。代わりに怪しげな紫色の椎茸(みたいなキノコ)を採ってきて、父が食べていた。

2010年1月25日月曜日

いま一度、「渇きによる学び」考。

 以前、「渇きによる学び」についてを、卒論を要約する形でまとめたことがある。

 少しそれについて考察する中で、「渇きによる学び」には2つの種類があることに気付いた。それは、①生存上必要な「学び」と、②趣味としての「学び」である。

 ①は説明しやすい。「仕事に必要だから」「進路に必要だから」などと外在的理由で行う学びである。のどが渇いて、水を飲まないと死んでしまう。そういった意味の「渇きによる学び」である。
 ②は「楽しいから」「興味があるから」行う学びである。のどが渇いたときに、おいしいものを飲みたいと考えてミックスジュースを喫茶店で頼む。いわば「おいしさ」を求めるタイプの「渇きによる学び」である。

 ①と②は正反対のようだが、つながりがある。将来医者になりたい。そのために医学の本を読むのは「趣味」としての学び(②)であるが、受験して医学部に入るための学びは「生存上必要な学び」(①)となる。

 私はいま、竹田青嗣『現代思想の冒険』を読んでいる。これは自分の専門である教育社会学を学ぶために必要だからである。『教育社会学』という入門書に出てくる「構造主義」や「ポストモダン」などという言葉を再び学びなおす必要が出てきた。こういう「渇きによる学び」は①にあたるだろう。
 さっさと①の学びを済ませ、②の学びであるフリースクールやイリッチに関する本を読む段階に移っていきたいものだ。

DVD『こんばんは』と、「渇きによる学び」考。

 前に映画『学校』を観た。西田敏行が夜間中学校の教員を好演している。生徒たちと生と死について議論しあうラスト・シーンが心に残る映画だ。『こんばんは』を観て、「映画『学校』の世界は、本当に存在するのだなあ」との思いを持った。学び手たちが生き生きと学校で過ごしている。「こんな学校、いいなあ」と素直に思った。『学校』にもあったが、夜間中学校でこそ本当の教育が行われているのかもしれないと感じた。

 このように生き生きとした学びが夜間中学校で行われているのはなぜであろうか。私は、「渇きによる学び」が起きているためであると思う。「渇きによる学び[i]」とは私の造語だ。卒論の中には次のように書いている(概要)。

フリースクールは子どもを無理やり学ばせることはしない。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間が経つかもしれないが、「渇き」が起こる。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。奥地恵子のいう「ヒロベン」(テレビやゲーム、友人との遊びなど、日常生活で〈広い意味での勉強〉)が、やがて「渇きによる学び」を誘発するのである。

 フリースクールでは、子どもが「学びたい」と思うまで待つ。けれど「学校」は無理矢理でも学ばせようとする。そのために生徒はイヤイヤ勉強をする。しまいには「学校」にいくことと「学ぶ」ことをイコールだと錯覚してしまう(イリッチの言った「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と勘違いするようになる「価値の制度化」が起こる)。
 夜間中学校は、「文字を読み書きできるようになりたい」・「日本語を何としても習得したい」という思い、つまり「渇き」を学習者が持っている。また、夜間中学校には自らの自由意思に基づいて通っている。だからこそ、生き生きとした学びが行われるようになるのだろう。もし夜間中学校が「いままで義務教育をうけたことがない人は全員行かないといけない」場所になってしまえば、映像にあったような生き生きとした学びは行われなくなってしまうだろう(夜間中学校が「学校化」されてしまうのだ)。

 映像を観ていて、もう一点感じたことがある。それは〈生活経験や悩んだ体験がないと、詩や小説を本当の意味で読むことができないのではないか〉ということだ。映像内では「雨ニモ負ケズ」をクラスで読むシーンがあった。同じ詩を、私は小学校の高学年で習った記憶がある。その際は「こんな生き方を希望した人がいたのだなあ」という印象を持った。宮沢賢治の詩が全く自分の内面に響いてこなかったのだ。
 けれど、映像では自らの体験を踏まえて学習者が語り合っている。自らの経験を踏まえたうえで、作品を読み取っているのだ。これは通常の「学校」では必ずしも行われていない。小学生のころの私もそうであるが、作品が自分にとって「遠い」のだ。クリステン・コルは『子どもの学校論』のなかで、本来ドラマティックなはずの聖書の物語が、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」させられる状況を批判している。日常生活と乖離した学問を学ぶのが、通常の「学校」になってしまっているのだ。

 詩や小説は、読まれることで初めて意味を持つ。そして読まれるためには、読み手が成熟を遂げていなければならない。よく「夏目漱石の作品は40を超えてからでないと分からない」と聞くが、これも読み手の成熟がないと本当に理解することができないということなのだ。ちょうど「バカの壁」が作品と自分との間にあるのだろう。成熟するということは、種々の経験を経ることでバカの壁に穴をあける作業を意味する。

 このように、詩を読み取れるだけの成熟を「待つ」姿勢を持っているからこそ、夜間中学校では「渇きによる学び」が起きているという側面があるのだろう。



[i] 梅田望夫は『私塾のすすめ』のなかで〈のどが渇いて水を飲むように学ぶ〉ということを書いている。その部分や宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』を参考にして、「渇きによる学び」という言葉を使っている。

2010年1月18日月曜日

クリステン・コル『コルの「子どもの学校論」』(新評論、2007年)

 デンマークの教育を、草の根から変革した人間、それがコルであった。19世紀に師匠・グルントヴィの教育思想を実践した人物だ。教育論者ではなく、教育者である。ヒラ教員の立場からでも一国の教育変革が可能であることを、コルは教えてくれる。

 本書はコルの残した数少ない書物のひとつ「子どもの学校論」の翻訳である。本書に通底するテーマ、それは「そもそも学校では何を行うべきか?」である。
 19世紀のデンマーク(あるいは現在21世紀の日本でもよい)では「死んだ」知識が重視されていた。読み書き計算(教育学者は気取って3R'sと呼ぶ)の習得が「目的」となっていた。無理やり読み書き計算を教えられることに、本当に意味があるのか? コルは考える。
≪書くことを教えるなら、子どもが「書きたい」と思うまで待つべきではないか? 筆算の仕方を教える前に、〈数とは、一体どんなものなのか〉子どもが分かるよう、身の回りから数について考えられるようにしたほうがいいのではないか? 本来ドラマティックな聖書の物語を、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」(153頁)させられるなんて、無意味ではないか?≫などと。
 それゆえ、コルは読み書き計算を無理やりに教え込もうとする現状に「No!」を叫んだ。教育現場における口頭による関わり合いを重視したのだ。コルは人間が語る「生きた言葉」による、対話の重要性を訴えた。清水満は本書の「解説」で次のように語る。
書かれた文字による教育が、すでにその文字を知り、多くの文献を知る識者が上から一方的にそれを教え込む上下の関係であるのに対して、「生きた言葉」による「対話」にはそのような専制的な関係が生じない。また、とりわけ教育の対象となる青少年たちは想像力と感性の豊かさに富んでいる時期であるから、理性的な文字よりも生きた言葉の音調、つまり耳の言葉で想像力を活性化させるにふさわしい存在となる。(200頁)
 コルが偉大であるのは、実践者であった点だ。自分でフリースコーレ(本書の清水満訳では「フリースクール」となるが、日本に存在する「フリースクール」とごっちゃになることを危惧し、ほかの訳者が使った「フリースコーレ」の語を使用した)を建設し、自分で運営をする。そこで育った子どもたちも、のちにフリースコーレを各地に作る。そしていまでは全デンマークに普及したのである。

 最後に、本書から印象深い言葉をいくつか引用しよう。

子どもたちの教育にかかわる者はみな、精神的に強い人間でなければならない。古代ギリシャにおいては、教育にかかわる人間がその国でもっとも精神的に強い人間であった。一方、古代ローマでは教育には奴隷を使ったので、ローマの教育レベルはそれに応じたものにしかならなかった。(139頁)

ただ、心から出たものだけが心に響く。良かれ悪しかれ、特別な訴求力をもつとされるものはすべて心の深いところでつくられ、そこから表出して言葉と行動へ向かわなければならない。表面的な生は、ただ浅薄なものと幻影を生み出すだけである。無知蒙昧な者にとってはそういう生があたかも実在するかのように見えるが、現実には存在しないのである。(141頁)

国家権力は私たちが思っているほど子どもたちを愛していないし、愛することはできない。私たちは子どもたちが好きだし、だからこそ子どもたちを一番よく元気づけることができる。そういう大事な事柄で、私たちは脇に立って傍観者のように見守るだけで満足するつもりはない。私たちは、子どもの教育の全責任を引き受ける。そして、援助を必要とする。私たちは、自分たちでこの援助を調達するので、国家はむしろそこから手を引かねばならない。(175頁)


 本当に最後は訳者の清水満の言葉。

グルントヴィとコルの伝統に連なるものとしては「教育の自由」がある。もともとはグルントヴィがイギリスの大学と市民社会から学んだ市民的自由が基礎になっているが、コルに率いられたフリースクール運動などによって地域の民衆が自分たちで学校をつくることができる自由として認められ、公教育ではない教育を少数者が行う自由という意義をもつようになった。いうなれば、デンマークの教育権は「教育を受ける権利」ではなく、自分たちで自分たちの考える「教育をつくる権利」なのである。(243~244頁)

映画『板尾創路の脱獄王』

 一定の期間ごとに、「芸能人が映画を撮る」話が出てくる。昨年は松本人志の『しんぼる』を観に行った記憶がある。今回観た映画も、芸人・板尾創路(いたおいつじ)が撮ったものだ。

 映画中、主人公・鈴木雅之を演じる板尾は一切しゃべらない。囚人である彼は何度も何度も脱獄を行い、そのたび刑務官からリンチを受ける。その際も何も口に出さない。孤高の生き方を感じさせる。 刑務官をじっと見据え、抵抗の思いを示す。マンデラやキング牧師を思い出すシーンだ。
 
 本作を観て、私は国家の持つ暴力性を感じた。脱獄をするたびに、「国家の威信を傷つけた」として懲役の年数が上がっていく。最終的には脱獄不可能・入ると二度と出てこれない「監獄島」に送られることになる。つまり終身刑になるのだ。
 終身刑を言い渡されてしまう鈴木は、そもそもどんな犯罪を犯したのか。映画では彼の調書をアップするシーンがある。そこに書かれていたのは「無銭飲食」。軽犯罪で逮捕されたにも関わらず、国家は鈴木を終身刑にしてしまう。それほど、「国家への冒涜」は重大犯罪なのだろう。とてつもない暴力性だ。おまけに脱獄のたびに鈴木は非人間的な監獄に入れられていく。

 そういえば昨日、早稲田の小野講堂で行われた「犬死に大国、ニッポン」というシンポジウムに参加した。ハンセン病療養所入所者協議会の事務局長・神美知宏(こう・みちひろ)氏の語ったハンセン病当事者の話が印象的だった。
 らい予防法という悪法により、ハンセン病患者を強制的に療養所に入所させる。その際、戸籍は抹消され、入れば二度と出ることはない。「入所者の義務」と称して、入所者に治療の手伝いや死者の火葬まで行わせる。
 板尾の映画に出てきた「監獄島」も、そんなところであった。収容者は戸籍を抹消された上で、社会から抹殺される。死んでも、出てくることはできない。ハンセン病療養所そのままではないか。

 『板尾創路の脱獄王』は、社会派の映画であったことに改めて気付いた。

2010年1月17日日曜日

子どもに生きる人?

日本児童教育専門学校(高田馬場)の張り紙。

子どもに生きる、とは何なのか? 子どものまま暮らすことか、子どものために人生を捧げる人のことか?

思うに、私は保育園や幼稚園の先生に「わたしの人生はあなたたち子どものためにあるのよ」と言われるとプレッシャーを感じてしまう。「そんなことして頂かなくても…」と感じる。

人生の意味は人に奉仕することにある。そういう人がけっこういる。けれど私はあくまで自分の人生を大事にした上でいうべき言葉だと思う。そうでないと捧げられる側がプレッシャーなのである。

2010年1月13日水曜日

ペスタロッチ『シュタンツだより』とフリースクール

 ペスタロッチは貧しい子どもと共同生活をする中で教育を行ったことがある。そのときに書いた文章は『シュタンツだより』として現在にまで残っている。

「最も憐れな最も見放された子供にも神の与え給う人間性の諸力をわたしは信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱の泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験がすでに久しくわたしに教えていただけではなくて、わたしはわたしの子供の場合にも、無教育ではあるが、この生き生きとした本性の力がいたるところに発露するのをみた」(『隠者の夕暮れ・シュタンツだより』長田新訳・岩波文庫)

 味わい深い言葉だ。
 興味深いのは、シュタンツにおいてペスタロッチがおこなった「教育」は、いわゆる学校教育とはちがう実践であったという点だ。子どもと生活する中で学んでいくというスタイルだ。よくペスタロッチは「近代教育の父」という呼ばれかたをするが、「近代教育」が「学校」を意味する以上、この呼ばれかたは正しくない。むしろ近代教育のアンチテーゼとして出てきた「フリースクールの父」と言ったほうが良いのではないだろうか。学校では全てを「授業」として教える。けれどイリッチは生活の中で教えた。この差は大きい。
 ペスタロッチがシュタンツにいたのは1798年から1799年の間である。52歳から53歳にかけての時期である。ペスタロッチの行った教育を、そのまま実践するのが「近代教育」であったならば、現在のような「学校」教育の弊害も起こらなかったことであろう。残念で仕方ない。

追記
 日本の教育思想家・牧口常三郎も、ペスタロッチ同様の発言を行っていた。ここに引用する。
「皆、等しく生徒である。教育の眼から見て、何の違いがあるだろうか。
 たまたま、垢や塵に汚れていたとしても、燦然たる生命の光輝が、汚れた着物から発するのを、どうして見ようとしないのか」(『牧口常三郎全集』7)
 牧口は学校の教員として、この「垢や塵に汚れて」いるような子どもとも関わり合った。風呂に入れない子どもには学校の風呂を使わせた(しかも牧口自身、児童とともに入浴し、児童の背中を洗ってもいたのである)。この「思いやり」の心が、教育の原点であろう。

フリースクール スタッフ養成講座の合宿。

 先週の土・日・月と、フリースクール全国ネットワーク(通称フリネット)が開催する合宿に参加した。ボランティアのスタッフとして。非常に勉強になった。ふだん、フリネットのボランティアはしんどいため、嫌々やっていることがあった。フリネットへの「不登校」という状態だろうか。この合宿に行き、「しんどいけれども、意味のあることだったのだ」と再認識できた。いいことである。

 講師の話にあった内容から、印象に残った点をいくつか。
 
 インドの子どもが、フリースクールに通う日本の子どもと交流した時の言葉。
「〈学校に行きたくても、貧しくて行けない〉ことと、〈学校に行きたくないのに、無理やり行かされる〉ことは、同じ問題なのだ。子どもの権利から見るなら、どちらも同じことなのだ」
 私たちは、よく「学校に行きたくても行けない子どもがいるのだから、頑張って学校に行こうよ」という。学校に行ける状態であるのに不登校でいることは、「ぜいたく」「わがまま」だと考える。けれど、本当はそうではないのだということが、この話から解った。

 いい合宿であった。

2010年1月12日火曜日

生きることはリハビリ?

ある雑誌広告に、ゴミ出し作業をしていて気付く。

「生きることがリハビリ」

何とも言えない違和感を感じる。

リハビリは、よりよく生きるために行うものだがリハビリが人生それ自体を意味するような言葉だと思うからだ。

2010年1月10日日曜日

ツイッターを始めました。

『Twitter社会学』(津田大介、洋泉社)を読了。「速さ」がネット時代において強烈な力になることを実感した。

 それに刺激されて、私もツイッターを始めた。
 
 「IshidaHajime」との名前で登録しているので、探してみていただきたい。

孤独であるためのレッスン。

 いろんな道を歩いても、自分と言う物語は一つである。ならば自分の決めた道を貫くしかない。「十年一剣を磨く」である。
 一人でいる時間を大事に出来ない人は、真に人と出会うことができない。ひとりでも過ごせる人が最も強い人だ。先日、兵庫に帰省したとき神戸の街に私は一人で佇んでいた。だからこそ神戸の夜景に感動したし、クルーズの際に船酔いする自己の弱さと向き合うことができた。他者の有り難さにも気づくことが出来た。一人で過ごすからこそ、他者や自然の美しさと出会うことができるのだ。
 一人でいることをネガティブに考えてはいけない。一人の時間を大事にせよ! 私たちに必要なのは、まさに『孤独であるためのレッスン』なのである。

2010年1月8日金曜日

モンテッソーリの教育法。

 本日、カフェスローで「幼児教育から生涯教育へ」というテーマで講演会が行われた。講師はジュディ・オライオンというモンテッソーリ協会公認の教師養成者。講師も通訳も、そして聴衆の大部分が女性。来ている男性も「夫婦」で来ている人ばかり。学生の男一人は目立った。
  
 いままで全く幼児教育には関心がなかったが、今日の講演会で認識を新たにした。それは質疑応答時に私が次のように質問したことと関連している。
「本日のテーマは〈幼児教育から生涯教育へ〉ということでしたが、全体的に幼児教育と学校教育の話ばかりで、生涯教育についてのお話があまりなかったように感じます。もしよろしければ、モンテッソーリ教育における生涯教育はどのようなものになるか、お話いただけますか」
 講師のオライオン氏はこう答えた。
「大人になった時、土台がしっかりしていたならば誰にいわれなくとも自分で自分を育てることができます。そうした〈根〉の部分が確立していると、制度的な生涯教育は不必要になるのです。人生の最初の24年間に、〈根〉を確立できなかったならば60歳くらいになる時に困ることがあるかもしれません」
 この話は非常に示唆的だった。生涯教育というと、どうしても何か「機関」や「制度」が必要だと感じてしまうが、そうではないのだ。それまでにきちんと育つことができれば、特に生涯教育というものを用意しなくても、個人が勝手に学び、勝手に成長していくのだ。
 制度的な生涯教育を否定するのが、モンテッソーリ式の生涯教育なのだ。

 
 モンテッソーリ教育の特徴は「命」に沿った教育を行う点である。モンテッソーリ式の幼稚園では2歳半から子どもたちの相互の助け合いが起こるように集団での生活を行う。子どもの「命」の発達段階に応じて、子どもが自分で学べるような教具や環境を提供する。小学校段階からグループでの探求活動を行い、研究旅行の行き先や計画すら子どもたちで行えるようにする。「子どもだから、これは無理だろう」と決めつけていないのだ。そこを見て、子どもを決してバカにしてはならないのだ、と感じた。そのため、モンテッソーリ教育は〈子どもという人間性を軽視してはならない〉ということを伝えているように思える。
 前に私は「イリッチは〈人間の復権〉を形をかえて伝えようとしたのではないか」、と書いた。《例えば消費者という言葉。ただ消費だけを行う者という意味だ。人間を消費者と生産者に分けるのではない。本来、人間は生産も消費もどちらも行ってきた存在である。それを「生産者」「消費者」に分けることは人間を軽視することだ》と。私たちは「子ども」というものも、軽視してきたのではないだろうか。

 そんな風に感じた。

2010年1月4日月曜日

コンビニ本恐るべし

JR加古川駅のコンビニで、網野先生の日本史本を購入した。

こんなところで買えるとは…。

コンビニ本、恐るべし、である。日本の文化性の向上とも言えようか。