2009年9月25日金曜日
卒論のリライト
シルバーウィーク後半は、長野でフリースクールの「学生ゼミ」合宿に行っていた。フリースクールに関心のある学生が集まっての合宿。3日間ともずっと議論・講義・討論。遊び要素がほとんどない。なんて真面目な合宿なのだと、大学のゼミの合宿を経験した後なので思った。
収穫がいくつか。今回は1点だけあげる。
卒論を、私は6万字で書いた。それを書き直す決意をしたのだ。
当初、私は「学校の持つ気持ち悪さ」をテーマにしていた。そのテーマに戻るのだ。
6万字の文章の方は、結局イリッチの『脱学校の社会』を読み解くだけで終っており、「私」の意見は全く入っていなかった。
卒論はイリッチでなく、「私」が書くものである。「私」の「やりたいこと」をまとめるためにも、再び論文を書くことにしたのだ。
2009年9月15日火曜日
2009年9月11日金曜日
教育とは権力なり。
信頼に値する公務員(注 教員のこと)は、教育するという権力を、人々を豊かにする権力と同じように重視する者でなければならない。この権力は濫用されてはならず、できるだけ公正、公平、かつ自制して行使されるべきである。(『教育のない学校』18頁)
2009年9月10日木曜日
『シャドウ・ワーク』3章より。
学生たちは、自分が学校へいくのは学ぶためであるか、それとも協同しておのれ自身の愚鈍化につとめるためか、を問うている。消費のために苦労がふえ、消費が約束する心の安らぎはますます減っている。(86頁)
イリッチの鋭い指摘。大学にいっても、自主性を持たない限りは学びは発動せず、教授のいう課題をひたすらこなすだけ。「愚鈍化につとめる」だけだ。
2009年9月7日月曜日
反面教師的リーダー論
2009年9月4日金曜日
漫才を始める。
サークルの後輩のS君に誘われ、9月半ばのM−1の予選に出ることになった。
予選150組中、2次予選に出れるのはわずか30組。その組の中に素人(プロでない人)で残るのは1組くらいになっているという。
S君の指示に従い、ひたすらボケの練習をする。
時に「こんな恥ずかしいこと、出来るか!」と思うが、練習を続ける。漫才において、コンビ仲の悪くなることが多いという。その理由が少しわかった気がする。
演劇において、演出家の地位は果てしなく高い。どんな役者も、演出家の指示に従うよう努力をする。
漫才の場合、漫才の進行を考えるのは当事者2人である。けれど、両者の考えのぶつかることがかなりあるだろう。地位が高い側がなく、一見対等であるからだ。ひたすら指示に従って動くことは、漫才において非常に重要な要素である。2人の動きのバランスにおいて、笑いの成立/不成立が決まるためだ。
現在の私はS君の指示のもと、ひたすら平田オリザのいう「考えるコマ」になるべく努力している。変に自分の考えや意見を持って行動しない主義で動いている。
漫才や演劇等で重要なのは、指示におとなしく従うことである。結果的に作品が素晴らしくなるなら、自発的に自らの意志を抑圧するという選択を取るべきなのだ。
いつも「自分で考える」ことの大事さを主張している私が、「意志を抑圧する」ことを主張する。矛盾しているようだが、意志の抑圧を「自分で考え」た結果行うべきタイミングは存在しているのである。
2009年8月31日月曜日
「学びの共同体」は制度化された「学び」か?
イリッチとフレイレ。
フレイレは‘教育はいかなる時代にも普遍的にあった。現在、それが抑圧の教育となっている歴史的・イデオロギー的性格を把握する’といいます。しかし、イリイチは‘教育そのものが近代の構造的な産物であって、その本性からして商品である’とみなすのです。
Don't feel. Think!
2009年8月30日日曜日
欲しないと水は飲めない。
宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』という本がある。その中に、次の話が出てくる。
やる気のない人を放っておこう。
やる気のない部下を許そう。
これが本書の“本質”です。
喉が渇いたら、馬は自ら水を探します。そのときは、馬が真剣に、水の匂いを嗅ぎ分け、道を探すのです。
水がいらない馬を、川に引っ張っていくことは、ムダなことであり、自己満足にすぎません。
乾きこそ、モチベーションの源泉です。
他人に与えられるのではなく、自分で感じ取るものです。
生きていれば、必ず渇くときがあります。
他人にモチベーションを上げてもらおうと考えた瞬間に、モチベーションの炎が、あなたの心から消え去ります。(6~7頁)
学校の教育は、いわば水を欲しない馬(子ども)にむりやり水を飲ませよう(学ばせようとすること)とするものである。需要がない所に、無理やり供給をもたらそうとしている。ムダである。これが学校化社会の特徴でもある。
引用文ではモチベーションを謳っているが、学校においては「学ぶモチベーション」と考えることができるだろう。学校は、無理して子どもに「学ぼうよ」「勉強しようよ」と呼びかける。あるいは恫喝的に「勉強しろ!」「宿題忘れるな!」を叫ぶ。
これだけで済めばいいのだが、子どもたちは次第に「学校化」される。自分の「学ぶ意欲/モチベーション」を他者に上げてもらおうと考えるようになる。小中 高と、他人から「学べ!」と強制され、結果的に自分から学ぼうとしなくなる。「誰かに言われるから」という自主性のない学びのみとなる。
現在の大学もそうなっている。高校の延長でやってきているため「自分の研究をしなさい」と言われても「何をすればいいんですか?」「やる気が起きません」とシラッと返す。完全に「学校化」された姿だ。自主性をもった「学び」が起きない。
私は、学問と言うものは「禁止されても、ついついやってしまう」麻薬みたいなものだと思う。「本を読むな!」と仮に言われても、こっそり陰で呼んでしまうだろう。学問に志すと言うことは、ある意味麻薬を始めることに似ている。学ばずにはいられなくなる。
本来の学びは、これくらい中毒性の強いものなのだ。真に自発的に「学ぶ」意欲が湧いたとき、人間は果てしなく学んでいくものなのだろう。それを無理やり学ばせようとするから、「学べ!」と強制されない限り自分から学ばない「学校化」された個人が誕生してしまう。
2009年8月28日金曜日
余湖三千雄『いまある自分を打ちこわせ!』泉書房、2003年
学に志した後も、始め数年は全く成績が振るわない。1年かけて「豆単」暗記に挑戦するも、覚えていたのはわずか20単語。けれど「一点突破法」で壁を破り、予備校で英語教師ができるほどの実力を付ける。生き方がカッコいい。こんな生き方をしたいものだ。波瀾万丈だからこそ、学問の意義を語る姿が粋に映る。
印象的だったのは日大卒業後、早稲田大学の英語専攻科へいったときのワンシーン。早稲田大学生に対し、言及している場面である。忘れられないほど印象に残っている。
この類の学生(無責任で、他人の迷惑を考えない学生)や、教室の後ろに固まってお喋りする連中は高田馬場駅界隈で酒を飲み、気勢を上げ、スクラム組んで「都の西北」を歌って満足する。私も酒が好きなので誘われれば同行するが、「スクラム組んで都の西北」には、どうしても参加できない。
とは言え、母校の校歌が嫌いなのではない。全国の校歌の中で最も素晴らしいと信じているし、運転中やアパートでは一人口ずさむほど好きである。だのに、彼らと一緒には歌えないのだ。彼らはやるべきこともしないで、「都の西北」さえ歌えば全て免罪されると考えていると思われてならなかった。私の好きな校歌を免罪符扱いすることには、どうしても我慢ならなかった。(178頁)
「彼らはやるべきこともしないで、「都の西北」さえ歌えば全て免罪されると考えていると思われてならなかった」。この言葉は恐ろしい。自分が「彼ら」にならないよう、自律した生き方をしていく必要性を感じる。そう生きることは、自己に身体化した「学校化」された生き方をはねのけることになるはずだ。
『シャドウ・ワーク』第3章ヴァナキュラーな価値
山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』 抜書き集。
卒論の進み具合。
諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年
『間違いだらけの教育論』において諏訪哲二は、映画『奇跡の人』に描かれたヘレン・ケラーとサリヴァン女史の関係を元に教育論を語る。「野生」的本能丸出しであった少女ヘレンに、サリヴァンはスプーンとナプキンを使うことを強制させる。ヘレンにとってそういったものは「不合理な文化(外部)」であった。
それでもサリヴァン先生は執拗にちからずくでその方式をヘレンに押し付ける。固体の外部に構築される文化(作法)は、個体にとって合理的ですらないのだ。その不合理な文化(外部)を受け入れさせられることによって、ひと(個体)はひと(個人)になるのであろうか。ここが「啓蒙」としての教育の出発点である。(諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年、10頁)
これにより「ヘレンは生まれてはじめて外部を積極的に認めざるをえなくなった」(同11頁)。ここから「奇跡」が始まり、ヘレンの人間的成長が始まっていく。
この後、諏訪は「『啓蒙』の教育は上下関係のないところで成立するはずがないのだ」(同17頁)と述べる。教師-生徒という上下関係があるからこそ、子どもが近代的理性をもった近代人に「啓蒙」されるのだ、と説明している。
日本の子ども・若者たちのある特徴的な人たちは、物理的に「見えて」「聞こえて」「しゃべれる」にもかかわらず、ヘレン・ケラーのように外部や文化やルールを受容する手立てを精神的に奪われている。外部に一度屈服していないから、全能感的な「この私」的な自己感覚の支配下にあり、外に表示し生活する「私」(近代的個人)になっていない。彼らを取り巻く環境に「啓蒙」としての教育が強力に働いていないとも言える。(諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年、25頁)
ここまでが『間違いだらけの教育論』の「序論」に書かれている。近代的理性をもった近代的個人を生み出すのが学校の役割であるとして、諏訪は論を展開していく。
「おわりに」において諏訪は言う。
識者の多くが教育論において躓くのは、子どもが自ら学ぶ主体としてそこに「いる」ことから議論を始めてしまうからです。ひとは学ぶべきもの、子どもは本来的に学ぶことを望むものと固く信じているからなのでしょう。(…)学ぶ者となるためにはまず「啓蒙」としての教育の局面が理屈ぬきに必要です。そこから子ども(ひと)は「文化」としての教育、そして、「真理」としての教育に進んでいけるのだと思います。(諏訪哲二『間違いだらけの教育論』光文社新書、2009年、229頁)
この「啓蒙」としての教育が、ヘレンがサリヴァンから受けた「外部」の存在に自覚し、「学ぶ」という意欲を持ち始めることなのである。諏訪のいう「啓蒙」としての教育も、ある意味でナショナルミニマムとしての義務教育に入るであろう。
ただ、フリースクールを専門に研究している学徒として、筆者は諏訪の語りに疑問を持っている。この「啓蒙」を行う場所としてフリースクールを想定してもよいはずだが、諏訪は学校で教師が行うことに固執している点である。
さらに気になるのは、本書の帯が観である。「小林よしのり氏推薦」として「彼らこそ、日本を貶めた5人の教育家だ!」とし、齋藤孝・陰山英男・義家弘介・寺脇研・渡邉美樹の5氏を名指ししている。本文を見ても、作者の諏訪は5人に「日本を貶めた」と言及する点はどこにもない。それに、本書は識者の教育論がいかにデタラメであるかを説いた本なので、「貶めた」はイイスギである(受験現代文の参考書では、よくこういう書き方をする)。また、本文ではこの5人に内田樹をプラスした6人を批判しているため、「貶めた」発言のためにはあと一人多く書かなければならないだろう。
2009年8月24日月曜日
NPO法人東京シューレ編『フリースクールとはなにか』教育資料出版会、2000年
このような決め方をするのは、学びとは何をどのくらい、どのように学びたいかを、自分で決めるものであって他人が押しつけるものとは考えていない、という学習感があるからだ。また、やりたい、学びたいというものに取り組むのは、学習がすすみやすいが、やりたくないもの、なぜやるかわからないものをやらされるのは意味がなく、マイナスを生むということもある。うんざりしたり、学習ぎらいになるくらいならやめた方がよい。興味、関心を大切にすることを軸にしていくことをシューレでは原則にしている。(153~155頁)
探究心が育つとか、行動的な子になるから自由は大切だというような、教育的見地で、自由にさせているということではない。目の前にある時間を、必ず目的をもって行動しなければならないのはおかしいし、息苦しい。安心してなんとなく過ごせる場、たわいなく暇つぶしのできる場でありたい。(・・・)何でもやれる自由、何もしない自由。シューレのなかで、時間の流れは人さまざまだ。(172頁)
(フリースクールなどで)人と会話をしているだけで学びがあります。人と話していくなかで自分自身も見つめられるようになり、いまの私があるのもすべては会話から生まれたもので、人にとって聞く、話すということはとても大切で、たとえそれがテレビや音楽のことでも決して無駄な時間ではないことがよくわかりました。これからもたくさんの人と話し、自分を広げていきたいと考えています。(211~212頁)
やりたいことを見つけるには時間がかかる。しかし、自分の好きなことをやっていこうと思ったときが出発点である。何歳になっても、学校に行くことも、働くことも、ボランティアも始められる。ただ、不登校である自分を肯定していないと、いつまども苦しいプレッシャーにとらわれてしまう。それには、やはり親やまわりの理解であり、ゆっくりと過ごす時間がとても必要なのだと感じる。(233頁)
子どもの冒険の自由と、教育組織としての安全確保義務の軋轢。
教育政策ネットワーク サイトに感じた違和感。
私はフリースクールでボランティアを週一の頻度で行っている者です。貴団体の教育の政策提言なのですが、すべて「学校」での教育のみに片寄っているように感じられてなりません。 日本の教育をよくするならば、学校を変えるだけでよくなることはないはずです。学校が合わないと訴える不登校の子どものための教育政策が必要だと思います。その教育政策は〈再び学校に行けるよう、学校を魅力的にする〉だけでは意味がありません。学校という存在それ自体が合わないと考える子どもは、現に存在しているからです。学校とは違う教育機関をも対象に入れた教育政策の提言が必要であると考えます。 いま、フリースクールに通う子ども達には、通学定期券以外、ほとんど行政からの支援をうけることができません。やろうと思えば、政策提言にあった奨学金制度の拡充をフリースクールに通う子どもも対象に入れることが可能だと思います。そのような「フリースクール等の学校外教育機関に通う子ども達」の利益も考えた教育政策こそが、いまの時代に必要であると考える次第です。 昨日、フリースクールに通う子ども達が中心になって「不登校の子どもの権利宣言」が発表・採択されました(「2009不登校を考える全国合宿」)。その中に、「不登校をしている私たちの生き方の権利」というものがあります。「おとなは、不登校をしている私たちの生き方を認めてほしい。私たちと向き合うことから不登校を理解してほしい。それなしに、私たちの幸せはうまれない」と書かれています。不登校の子ども達へのまなざしを忘れない教育政策が必要であると考える次第であります。
「2009不登校を考える 第20回全国大会」と「不登校の子どもの権利宣言」
前文私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを、十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考えや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会をつくっていきませんか。多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるように、今日この大会で次のことを宣言します。
個への対処と、全体の変革の矛盾。
大島七々三『社会起業家になる方法』(アスペクト、2009年)
たとえば、ある社会起業家は、後継者不足で悩む伝統陶芸の窯元に、若者を紹介する事業を立ち上げました。またある人は、増加するひきこもりやニートの人たちが社会から孤立しないよう情報を提供し、社会に復帰するきっかけを作ろうと、ニート専用のインターネットラジオ番組を始めています。(6頁)さきの引用文の後、筆者はこう続けていた。「社会貢献」を仕事にする社会起業家への温かな眼差しが感じられる(こう書いている自分が気恥ずかしくなる)。
印象的だったのは、田坂広志(シンクタンク・ソフィアバンク代表、多摩大学大学院教授)のコメントである。田坂は、「社会起業家という人材像は、本来、日本人から見ると古く懐かしい話です」(223頁)と語る。それは、元々日本人は自己の利益のためでなく、社会貢献のために働いてくるというメンタリティーを持っていたためだ。
この国では、町の豆腐屋さんでも、栄養のある美味しい豆腐を作って、地域に健康を届けたいといった志を当たり前のように語ります。世の中に貢献する、という思いは魚屋さんだろうと八百屋さんだろうと、日本人はみんな持っていた。そして、日本では、定年退職した人が、まあまだ元気なうちは世の中のお役に立ちたいと、誰もが素直に言います。この日本人の精神は、まさに、欧米の人たちが言う、社会起業家の精神そのものです。(223頁、田坂の発言より)
日本人はもともと社会起業家の精神を持っていた。それが、グローバリゼーション等の海外からの概念(村上ファンド社長の「金儲けは、悪いことですか?」に代表されるような利益重視の姿勢)のために、いつしか忘れはじめてきた。
「『働く』という言葉は、『傍』(はた)を『楽』(らく)にするという意味」(同)を、忘れないようにすること。これがいまの日本に必要なことなのだと、田坂は語っている。
なお、本書にも紹介されている山本繁(コトバノアトリエ代表)のブログはこちら。
2009年8月22日土曜日
『脱学校化の可能性』「解説」より。
「近代文明と人間に対するラディカルな問いかけ」をする人々が1960年代後半から1970年代初頭に現れてくる。
↓
「この時期にはまた『脱学校化』を唱える人々と共に,様々な学校批判と改革を主張する一群の人々があらわれた」(197頁)
「このようなラディカルズと呼ばれる人々をデイヴィッド・ハーグリーブズは脱学校論者(Deschooler)と新ロマン主義者(New Romantics)とに分類している」(197頁)
脱学校論者:「教育制度と社会を根本的に批判し、ラディカルな代案の構想を提案している人々」「彼らの主な仕事は、社会の構造の中における教育の構造についてであり、学校の廃止を主張し、教育は特定の教育制度の仕事であることをやめ、かわりに社会の様々な部門に拡散される」
「イヴァン・イリッチ、エヴァレット・ライマー、パウロ・フレイレ、等」
「長期的で幅広い展望」「学校ばかりではなく社会の変革」(分析の焦点)
新ロマン主義者:「現在の教育の実践には非常に批判的ではあるが、学校にかわるラディカルな代案よりも改革を主張する。彼らの主な関心は、カリキュラム内容の再構成や教育の性格の再規定であり、その分析は、ほとんどミクロな社会学的レベルあるいは社会心理学的レベルである」「脱学校論者の学校診断を受け容れているが、教師や学校そのものを攻撃しているのではなく、教育制度内改革を目ざしている」
「ハーバート・コール、ニール・ポーストマン、初期のジョン・ホールト、カール・ロジャース、オンタリオ教育研究所の人々や、さかのぼれば、サマーヒルのニール、フリーデンバーグ、コゾル等」(198頁)
「短期的(展望)」「焦点は教室の中」(分析の焦点)
*ポール・グッドマンは、脱学校論者、新ロマン主義者「双方のグループの父と言われている」(199頁)
国立東京近代美術館
Nの話では「日本の近代絵画の、明治時代から現在までの変遷がわかる」とのことだった。受験用の日本美術史程度の知識しかない私の目には、はっきり言ってあまり絵画の変遷がよくわからなかった。しかしながら黒田清輝など、名前だけ知ってる画家の作品を知ることができた点は大きかった(受験知にも効能があるものだと実感する)。一通り見た後、戦後絵画史上で岡本太郎だけが一種独特な雰囲気をもっているように感じた。
個人的に好きだったのは、2階の田中新太郎の展示。パネルを展示する柱のような作品「偏光」を、私は作品と思わずに跨ごうとした。すぐに背後から係員の「跨がないで下さい」との注意が飛んできた。真鍮で出来たその作品は、作品と言われないと作品には見えない。
会場に田中新太郎のトーク映像が上映されていた。ネオダダの流れを汲む田中の絵画論は、本当に面白かった。
〈私たちは言葉で考える「思考」を行っている。そうではなく、目で考えるという「視考」を行うべきだ。言葉でじっと考えるのでなく、目で視考するのだ。対象に寄り添って共有をするのだ〉
このメッセージを聞き、「臨床の知とは何か」という岩波新書を思い出した。対象の分析ではなく、対象を共有していく態度の重要性を謳った本であった。
このVTRを見るだけでも、竹橋まで来た甲斐があったように思う。
プロ論
やる気は無理に出すものではないが、やる気のないものは大体の場合、やる気のあるものに入れ替えられてしまう。
やる気を出す。これは難しい。
プロは最低のコンディションでも、お金をもらえるくらいのパフォーマンスを出来る人のことを言う。どんなときでも要求される水準以上の働きをしなければ、プロではないのだ。
やる気を出すよりも、「プロになる」ことを考え、修行せよ。やる気がなくても、要求する仕事をするのだ。この自覚を忘れてはならない。
幸せになれないのも芸のうち。
現代では高い評価を持つ「能」も、然りである。河原者(かわらもの)によって担われてきたのが能である。河原者とは、家がなくて河原に勝手に住まいを作って住んでいる人のことを言う。現代でいえば、そうホームレス。能の演者は被差別民であった。
ある意味、差別されるという属性を持つからこそ、芸術を行えるように思える。差別され、世間一般的な「幸せ」をつかむことができないからこそ、芸術に打ち込むのだろう。
幸せになれないのも芸のうち、である。幸せになる道はたくさんある。「にもかかわらず」、幸せになれない芸術の道を行く。だからこそ、いい芸術が生まれるのだろう。幸せすぎる人間は、そもそも芸術に手を出さない。出しても途中で辞めてしまう。
ゴーギャンは希有な人間だ。人生途中から絵を描きはじめ、生涯を絵に賭けた人物だからだ。ゴーギャンは株仲買人として成功するが、途中から本気で画家を目指す。生計を立てられないから妻子と別居。どんどん貧しくなる。南の島に夢を求めてタヒチに行くが、そこでも自分は異端扱い。絵を描いてパリに戻っても、そこに馴染むことができない。仕方なく、再びタヒチに。最愛の娘の死の知らせは島で聞くことになる。悲嘆するゴーギャン。彼は遺書のつもりで絵筆を握る。最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへいくのか」がこうして生まれるのである。
ゴーギャンは、絵を描けば描くほど不幸になった。けれど不幸だからこそ、恐ろしいほどの名画を残すことができた。いま竹橋の美術館で観ることが出来るのも、彼が不幸であったためである。ありがとう、ゴーギャン。
ゴーギャンの生涯を見てみると、改めて「幸せになれないのも芸のうち」との認識を強くする。
幸せになれないのも芸のうち。
組織に馴染めないのも一種の才能。
私がブログを書くのも、幸せだから書くのではない。書くことでつかの間の幸福を感じられるから書くのであって、もとが幸せだから書いているわけではないのだ。「悩み」があるからこそ、ブログを書いているのだろう。
しかし、何事にも例外がある。ルーベンスがそうである。彼は生涯、ずっと幸せな生活を過ごす。絵も生前から好評価。うらやましい限りだ。
2009年8月20日木曜日
山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』
イリッチに師事した人物だからこそのイリッチ論。他のイリッチ論とはあまりに異なっている。
〈学校化〉が明確にされるとは、つまり「産業的生活様式」が明確になることであって、彼を〈脱学校論者〉として紹介や翻訳をするのは少なくとも本筋をはずれています。イリイチに「脱学校(post-schooling)を求めるのは、「イリイチ思想」の水準では確実に誤りです。(212頁)
山本はイリッチのdeschoolingを「非学校」と呼ぶ。元々イリッチが言っているのは「非学校」であって、「脱学校」論ではない、ということである。私は強烈な誤解をしていた、ということだろうか。
『教育思想事典』で森重雄は言っている。
脱学校化とは、冠辞がpostではなくdeであるのだから、厳密には「学校解体」と訳さなければならない。ところが1970年代は、社会学・社会科学において「脱工業化社会」(post industrial society)論が華やかなりし時分であったから、教育会もこれにあやかって「脱」と訳出したものと思われる。(88頁)
要はブームだったから「脱学校」と訳してしまった。結果、イリッチの真意が伝わりにくくなってしまった、ということだ。翻訳者の責任は意外に大きい(けれど森は続けて「脱学校化という訳出は、学校化からの脱出という点で、はからずも正鵠を射た訳語である」と評価している)。
卒論を書きつつ、山本の本は真剣に読み、論文の不備を直していきたい。
飛べないテントウムシ
テントウムシはアブラムシ等の害虫を食べる「益虫」(えきちゅう)である。遺伝子操作で羽のないテントウムシを畑に蒔けば、勝手に飛んでいかないので効率よく害虫駆除が出来る。農薬で害虫を殺す必要がないため、「環境に優しい『生物農薬』に」と書かれていた。
よく考えるなら、これって恐ろしいことではないか? 確かに「遺伝子組み換えではなく、子孫は羽のある正常なテントウムシが生まれるため、生態系への影響は少ない」とは言っている。けれど、だからといってこの技術の使用を許可して構わないのだろうか?
残念ながら、感情論としてしか私は反対できない。論理面・倫理面から批判を行う頭脳を持っていない。
科学技術の発展に対し、感情論で反対をしていても何の問題解決にもならない。必要なのは論理的な批判である。
教育学徒としては、いかにすれば「論理的な批判」を科学技術に対し行える技術を教育できるか、が気にかかる。この場合の教育とは、子どもに行う教育ではなく、自己教育である。自己を教育できないものに、他人を教育することはできないはずだからだ。
参考:http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKB0139%2020072009&g=K1&d=20090722
内田樹の、「学び」論
ときたま、思わぬ発見がある(結構な確率で「これ、何のこと?」と自分の理解度の低さを嘆くが)。
卒論に使える題材が書かれていたので、コピーしておきたい。
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私たちの時代の子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの「先駆的に知る力」が破壊され尽くしたからである。内田樹の研究室より。
「学び」は、それを学ぶことの意味や実用性について何も知らない状態で、それにもかかわらず「これを学ぶことが、いずれ私が生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろう」と先駆的に確信することから始まる。
学び始める前の段階で、学び終えたときに得られる知識や技術やそれがもたらす利得についての一覧的な情報開示を要求する子どもたち(「それを勉強すると、 どんないいことがあるんですか?」と訊く「賢い消費者」的な子どもたち)は、「先駆的な知」というものがあることを知らない。
彼らは「計画に基づいて」学ぶことを求めている。
自分が実現すべき目的のために有用な知識や情報だけを獲得し、それとは関係のないものには見向きもしない。
おそらく本人はきわめて効率の良い、費用対効果の高い学び方をしていると思っているのだろう。
だが、あらかじめ下絵を描いた計画に基づいて学ぼうとするものは、「先駆的に知る」力を自分自身の手で殺していることに気づいていない。
「先駆的に知る力」とはまさしく「生きる力」のことである。それを殺すことは緩慢な自殺に他ならない。
武道は「先駆的な知」の開発に特化したメソッドである。私たちはそれを「気の感応」とか「気の錬磨」というふうに呼んでいるのである。
いろんな「学校化」。
まず山本哲士から。
学習や教育が学校に独占され、学校を通じて学習・教育が生産され価値あるものとなる「産業的生産様式」の典型。「学校」という形態とは区別されるべき、生産様式が「学校化」であり、学校の視えない働きとなっている。教育が制度化されて学校化が構成される。学校化に対抗するものが「非学校化deschooling」で、聖なる学校から教育を世俗化することを意味する。(『学校の幻想 教育の幻想』ちくま学芸文庫、17頁)
山本はイリッチの脱学校化を「非学校化」と呼んでいる点に注意したい。
次は、『新教育事典』(勉誠出版、2002)の「学校化する社会」(楠本恭之)から。
イリイチが問題とする「学校化」とは、こうした「学校」への、子どもをはじめとして、社会までもの、いわゆる「囲い込み」を意味する。彼は、『脱学校の社会』のなかで、「学校は教育に利用できる資金、人および善意を専有するだけでなく、学校以外の他の社会制度に対しては教育の仕事に手を出すことを思いとどまらせてしまう。労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活までもが教育の手段となることをやめ、それらに必要な習慣や知識を教えることを学校に任せてしまう」ことを問題とするのである。(187頁)
前半に注目。宮台真司のいう「学校化」は、〈学校的価値が社会に吹き出す〉ことであった。イリッチの定義は反対に、学校への「囲い込み」を意味している。まあ、結果的にはよく似たことを言ってるような気もするが…。
続ける。
イリイチの『脱学校の社会』という指摘は、こうした意識のもとに、社会の「脱」学校化を進め、自発的な「学びのための網の目」を、社会のいたるところに張りめぐらすことを考えたものであった。彼が意図したのは、単なる「学校廃止論」ではなく、人間と環境との間に新たに教育的関係をつくりだすことであった。したがって、われわれが「学校化する社会」において留意しなければならないのは、「ポスト『脱学校の社会』」として、あらためてイリイチを見直すことである。(189頁)
最後は『教育思想事典』(教育思想研究会編)の「学校化」(森重雄)から。
ちなみに、イリイチ自身はのちに、学校化概念は、(中略)学校や教育による人間精神の去勢の指摘にもとづく人間精神の全面的疲弊・汚染に対する警告であったと述べている。(88頁)
真の教育は学校というレイアウトではけっして行うことができず、イリイチのいう、脱学校型の「学習のためのネットワーク」のもとにはじめて可能になる、と考えられていた。この学習のためのネットワークとは、ある知識を必要とする人とその知識を提供できる人をアドホックに結合することであり、それはコンピュータ・ネットワークにもとづくデータベース構築というテクノインフラによって可能となる。ここでは固定的な教師―生徒関係は生まれないし、出来合いの知識パッケージを必要な知識であると思いこまされることもない(石田注 要はこれは「価値の制度化」ということ)。これによって真の意味での教育が可能になるとイリイチは考え、これが真の教育を可能にする脱学校化の具体的な姿であるとして提唱したのである。(89頁)
ずーっと打ち込みをしていると、手が疲れるし、眠くなる。
先輩のOさんによれば、学者とは論文の「職人」であるという。
ひょっとすると、テニス選手が素振りをするように、大工さんが鉋を磨くように、学者が空き時間に資料をキーボードで打つのも、一種の「職人ステータス」といえるのかもしれない。
キーボードを叩くことを、「学問してる!」と誤解すること。学問的価値の制度化、といえるかもね。
余談
●通信教育の大学では夏場、「スクーリング」が行われる。直訳すると、「学校化」。いままでは家で学んでいたために学校へ取り込まれなくて済んだものを「学校化」させるイベント。うーん、恐ろしい。
ジョン・ホルトを探れ!
まとめるにあたって、イリッチ以外の脱学校論者を知る必要が出てきた。
というわけで、今日はジョン・ホルトについてを書いておきたい。
タネ本は金子茂・三笠乙彦編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)の「子ども その権利と責任」(佐藤郡衛、222頁〜)より。
1970年代にはイリイッチやライマーらの強い影響を受け脱学校論に深い共感を示すようになり、脱学校論という視点から次々に論文を発表していく。(223頁)
ホルトは他の脱学校論者と異なり、学校の存続を認めており、子どもが学校へ行くにせよ、行かないにせよ、その選択を子ども自身がすることを提唱している。彼の主張の根底には、子ども中心の思想が流れている。(222頁)
お、出ました「子ども中心」との言葉。良さげな学者ではないか。
ホルトの子ども観はきわめて明確である。子どもを一人の人間として大人と変わらないように認めてやること、大人よりもあらゆる面で劣っているという見方を改めることである。(223頁)
子どもは大人からすべて与えられたり、押し付けられたりして、自ら決定できる範囲がきわめて少ない。このため、子どもが自分の行動に対して、自ら選択できる範囲を広げてやることが必要である。つまり、大人のいっさいの「管理」を拒否し、自由の回復をはかることをめざしているのである。(225頁)
子どもに対する「教育」から子ども自身による「学習」へと、言葉を変えれば「管理」から「自由」の教育へという発想の転換をはかろうとするものである。(224頁)
神戸フリースクールの設立者が面白いことを言っていた。
「ボクは普通の学校の子って、ブロイワーやと思うんやね。そやけどフリースクールの子は地鶏や」。
ブロイワーは与えられたエサだけを食べる。他に興味も何もない。というか、よそ見をしないことが求められる。
地鶏は自分の力でエサを探す。与えられるエサだけでなく、土を掘って虫やミミズも食す。どちらがたくましく育つか、言うまでもない。
