2007年9月11日火曜日

若松河田ステーション

若松河田駅にて撮影。この写真、盗撮行為になるのだろうか?

なるなら、ごめんなさい。未成年なので実名は放送されないはずなので。

言語コードを広げること

使える言語コードはなるべく多い方がいい。

標準語、方言、崩れた言い方、いろんな一人称名詞を使いこなして話したい。何故ならその分表現が豊かになるのだ。前に被抑圧者の方が言語コードが豊かになると書いた。そこから一歩飛躍し、自ら言語コードを広げる努力をしていきたい。

映画館睡眠

何故か知らぬが、映画館で寝るとすごく勿体ない気がする。

金を払っているからか。

最近、よく寝ているのだが…どうすればいいのだろうか?

2007年9月10日月曜日

研鑽、研鑽

教職を志す以上、自分にもわからないことは教えたくない。俺は社会科の免許を取る以上、いつでも政治や経済の動き、倫理や地理・歴史を生き生きと語れるようになりたい。そして尚且つわからないことはわからないと認め、生徒ともに考えていく。決して、わからないことをわかったかのように教えたくはない。

そのためには常に研鑽だ。学びに学んでやる。

表現欲

生活綴方という教育実践が、戦前・戦後に流行った。子どもの思うことを積極的に作文や詩で表せようとする取組である。

ある本に、「これは子どもに表現欲を持たせる実践である」とあった。

私はこの「表現欲」との言葉に印象を受けた。私がいまこの文を打っている原動力の、最適な説明であると感じたからだ。

かつての生活綴方は紙とペンであった。現代のそれはblogという形で実現可能かもしれない。

映画「ブラックブック」

今日、この映画を見た。WW2末期のドイツが舞台の反戦映画である。

従来の構図を覆し、「ナチの幹部にも良心があり、レジスタンスやユダヤ人の中にも悪魔がいる」ことを示している。

保身のため、終戦後すぐ連合軍に部下を売ったナチの大尉。慈悲の心を示すナチの中尉。仲間を売ったレジスタンス。人間の本性を追究する映画だ。

ナチスの幹部といえども、彼等が悪魔のように冷淡な人間であったわけでない。そのことを知った映画だった。

この映画は誰の心にも悪の命があり、同時に善の命のあることを示している。

自己の内面にあるグシャグシャした命を垣間見た気がした。

DS

自作川柳

電車内 横に一列 皆DS

本日の西武新宿線の光景なり。

2007年9月9日日曜日

寝たおす

気付けばいまのいままで寝ていた。虚しい。

寝る時間が少な過ぎても多すぎてもダメだという。

次回のミスを防ぐため、休日には何らかのアポをもって、寝るようにしたい。

無知の知

ソクラテスの無知の知。

自分も気付けば、かなり無責任によく知ってもいないことを話している。

もっと真理を求めねばならぬ。

睡眠

今日、気付けばマックで寝ていた。

なんか、凄く虚しい。

2007年9月8日土曜日

NPO教育行政監視委員会

教育行政を見張る・監視するNPO法人を作りたい。これが私の目標だ。

善が力を持つとは、悪を監視していくことである。

最近、小学校の学習時間が1割増えた。これには、文科省は何もしていないというようなクレームをそらす働きのある気がする。本当に教育行政は、子どもの幸せのために働いているのか? 感覚の問題ではなく、きちんと実地調査をした上で、見ていく必要がある。教育の専門家の知見のみではなく、専門家以外の意見も取り入れていく。無論、普通ならば気づかない小さなものでも、よい行政政策なら積極的に掘り出し、明らかにしていく。

学部学生中に作りたい。というか、俺が作る。

教育と漫画

教育の現場に立つなら、ペスタロッチらの本も大切だが、読むべきは子どもにウケている漫画である。

スラムダンク、ドラゴンボール、バキなど子どもが好きな漫画を読み、子どもと話をする。そこから開けるものもあるのではないか。
教育ボランティアでも大事なことであろう。


2007年9月7日金曜日

逆走エスカレーター

エスカレーターを下から逆に駆け登る。意外に難しく、怖いことが分かった。本気で、ヒヤッとする。

2007年9月6日木曜日

モアイ

いま丸ビルでモアイ展が行われている。今日友人と行ってきた。

立正安国論に、「誤った思想は国を滅ぼす」とある。イースター島に於いて、モアイは宗教心の発露であった。それが権力誇示の手段になり、モアイ作りが自己目的化した。もともとの宗教性が弱いため、モアイ作りに因る環境破壊が起きた。その後、内乱も、他国の侵略も起きている。

日本によりもイースター島のほうが、御書そのままの結果となったことに驚きを隠せない。

人々の信ずる思想・宗教が正しくない、あるいは哲学性の低いものであるとき、悲劇が起こる。イースター島でも、もっと環境との調和を説く思想がひろまっていれば、と思うのである。

歌と世評

不健全あるいは惰弱な歌が流行るとき、社会も悪くなるのではないか。

いろんな年に流行った歌を調べることが、その年に生きた人間の精神状態をはかることになるのではないか。

カラオケ

人はカラオケにいくと、数限りない歌の中からたった一つを選び、歌う。

このときその歌を選ぶ必然性といえるものがあるのではないか。つまり、Aという歌を選ぶ背景には、歌う人の生命状態とAという歌とのあいだに、何らかの共鳴する点があるのだと考える。

その人が何を歌うか。そこからその人の心理状態をしることが出来るのかも知れない。

たとえばいくら流行っている歌でも、自分に合わないという歌を人はうたわない。

田舎

逆説的だが、田舎にいるより都会のほうがよく運動する。

田舎の移動手段は車。都会は電車。電車は立つが車は座る。意外にも都会のほうがよく体を使う。

同様の理由で、都会人より田舎人のほうがCO2排出量が多い。田舎は自家用車、都会は公共交通機関。以上。

2007年9月4日火曜日

映画

映画から見た、アメリカ社会に思うこと。

アメリカでは窃盗が多そうなのに、当たり前のようにオープンカーに乗っている。普通の車より盗みやすそうなのに。

勉強

強いて勉めるのか勉強。だとすればそもそも勉強とは強制であり、楽しいわけがない。

だから勉強という否定的な語ではなく、もっと積極性溢れる「学び」「学習」の語を使っていくべきだ。

母校の誇り

よく早稲田の人は、自分の母校を誇る。校歌を誇る。であるならば母校である高校も誇りに思っていくべきだ。

自分もワセダを誇るのと同じ、あるいはそれ以上に出身高校を誇っていきたいと考える。

憲法

法律は国民の自由をおさえるためにあり、憲法は国の自由を抑えるためにある。だから国民は憲法を守る義務は全くない。

昨日知って、ウロコがおちた

2007年9月3日月曜日

アイスキュロスのことば

学習は苦悩から生まれる

中央線の遅れ

中野→国分寺にいくのに、快速が10分後、各停が5分前にでているとしよう。この状態では快速をまつほうが早い。

しかし、中央線が遅れ、今各停がでるなら、そちらのほうが早い。むしろ快速にのる本来のルートより早く到着する。

遅れたほうが早い事もあるのだ。中央線は難しい。

行動の中に思いを入れる

俺はまるで機械である。あらゆることを、単に作業としてとらえている。行動の中に、「何のため」という『思い』を込められていない。そして、単に「こなす」だけの生活である。自分で「何故こういうことをするのか」考えていない。「やらないよりまし」との理論を常に持ち、行動の意味を考えない。主体性なく、こなしている。

 これではいけないと、真剣に思う。「作業」を超えよ。もっと、行動の中に思いを入れていけ。

 この点ができるようになれば、自分はもっとすごい人間になれるはずだ。その姿を想像すると、興奮してくる。

 自分の一凶ともいえるこの点。何としても変えていく。
 

2007年9月2日日曜日

寝坊

久しぶりに昼まで寝ていた。寝れる幸せ・虚しさを同時におぼえる。

2007年9月1日土曜日

千と千尋の神隠しからの考察

はじめは挨拶や御礼も言えなかった千尋が、映画の中で人間的成長を遂げる。この急激さはカエル男やナメクジ女、魔女にも驚きとして映っていることだろう。

子どもの成長の急激さを思う。成長にはしかるべき環境と場に置かれたほうがよい、ということも。

フーコー思想の断面

知を権力と見なした。

かつて社会のなかにあふていた狂気は、近代になって精神病院に囲まれるようになった。

近代人は古代や中世のひとと違う見方をしているだけだ。人はその生きる時代に特有のものの見方にとらわれ、その外に出ることは出来ない。誰もが一定の思考の枠組みにとらわれている。

職人

職人には仕事道具がつきものだ。学生を学ぶ職人とみるならば(徒弟制がまだ学術界では生きている)、学生の仕事道具は何であろう。

筆記具、本、紙、パソコン、人脈ではないか。

このなかで個人の努力でグレードをあげれるものは、上げるべきである。

筆記具は、もっともレベルを上げやすい。

仕事道具たる筆記具に、学生はどれくらい気を配っているのだろう。仕事道具にこだわらないで、いい仕事つまり学問が出来るはずがないのである。

サルトル

サルトルの本名を、ずっとダンボール・サルトルだと思っていた。