2007年8月13日月曜日

映画の存在価値

自分は不意に映画やDVDを見たくなる。

1、疲れたがまだ寝るには早いとき
2、思考が停止したとき
3、寂しいとき

心の治療薬が、私にとっての映画なのだろうか?淀川さんも「皆が毎日映画を見ると、社会はもっと良くなる」といっていた。



ピアジェ

新宿伊勢丹でピアジェ展がある、ときいた。スイスの心理学者のことと思い、見に行った。教育学用語事典で調べながら。

いって驚いた。何百万もの値札の着いたピアジェのアクセサリーを展示していたからだ。

痛恨のミスであった。

大学名の研究

大学名の研究。大学名で多いパターンは、

1、地名(東大・早大など。最近流行りの「国際」も入る)
2、元号(慶大・明大など)
3、固有名詞(上智大・同大など)

この3つを組合せているようである。

一般的に、1は指す面積が狭いほど、2は元号が古いほど、よい大学となるらしい。

猪苗代湖

ぱっと見、海のように見える、猪苗代湖。ついつい湖水浴でなく、海水浴といってしまう自分がいた。


あいずライナー

今日は東北に来ている。郡山から猪苗代にいくためあいずライナーに乗っている。いやはや甲子園→東京→東北はいささか辛い。

このライナー、新幹線の席より快適。リクライニングで座席も動く。なかなかハイテクだ。

2007年8月12日日曜日

湖と自己

自分の存在に関わらず、自分のいる組織・集団には後輩や部下がいる。それらの人は自分以外の人が担当するなら、もっと成長しているかもしれない。しかし自分がいる。必死にやらないことは罪である。自分の存在に関わらず、部員さんはいる。

今日は猪苗代湖にきた。この湖で泳いだ。かなり大きい湖だ。この湖も、自分の存在に関わらず、存在している。だとすればやはり自分にもてる全ての力を出し切るべきである。微力を傾けるのだ。

2007年8月11日土曜日

ちょい重要文化財

最近、重要文化財という語をよく聞く。しかし1点疑問あり。重要とは、何を基準にした重要性か? 国民のためとはいうが、具体的にどれくらい国民の役に立つのか?

なんでも重要と言わず「ちょい重要文化財」とでもいえばいいのかも知れぬ。

これからの哲学に求められるもの

これからの哲学に求められるもの、それは「走りながら考える」姿勢ではないか。

以心伝心?

「伝わるはず」「理解されるはず」では、伝わらない。自分のみの私的言葉遣いを排し、よりわかりやすい言葉で何回も伝えていくことが必要だ。報告・連絡・相談を徹底することだ。

2007年8月10日金曜日

海外に行かずとも

海外に行かずとも、貧困の実態は公園のテントでわかる。見過ごしているだけだ。

海外にいって世界の貧困がわかったという御仁は、その実何も本質を見ていないのではないか。

足下を掘れ、そこに泉あり。先ず櫂より始めよ。先賢の教え、軽んず可からず。

2007年8月8日水曜日

ある思想家の言葉

「自分は【幸福青年】である。苦労それ自体が幸福なのだ」。こう思える境涯になっていただきたい。そのほうが賢明である。

周恩来の言葉

人は気力さえあれば、どこにいても学問を求めることができる。

デューイの言葉

人間は戦わねばならない。困難こそ、進歩するためのチャンスとなるのだ。

教育に必要なもの

具体性こそ、教育に必要。

トルストイの言葉

知識は、手段であって、目的ではない。

ペリンスキーの言葉

人間性とは、人類愛のことである。それは、自覚や教育によって育まれるものである。

モテること

モテない、ということは、一つの利点かもしれない。異性関係で悩むことが無くなるから。

2007年8月7日火曜日

義家弘介の言葉。教育の定義

「教育は利益産業ではない。そしてそれを司る場所の一つが学校であるならば、教師たちは効率を優先させて生徒たちを置き去りにしてはならない。労を惜しんではならない。生徒と関わり、本気になって生き方を迫る、それ以上に大切なものなどありえない。私はこの北星余市高校という場所でであった教師たちの背中を見て、それを学んできた。」

「教育とは『権威や制度』による導きなどではけっしてない。教育とは『真の思いと情熱』の導きに他ならない。私は決して忘れない。私自身が、泥だらけの真っ直ぐな思いだけに救われながら、今日まで歩んできた不良少年だったことを・・・。」

「教育とは可能性を持つ者に感動を与えてもらえる、すばらしい営みなのである。」

「教育とは儚いものである・・・。」

「優しさと甘さは違う。教育とは厳しいものである。しかし反面、それは何よりも暖かいものでもある。教育とは人類の未来を創造する、もっとも崇高な営みなのである。」

→いずれも『ヤンキー、母校に生きる』より。

ある思想家の言葉

 挑戦の歩みを止めない限り、たとえ、その時は頂上にまで辿りつけなくとも、足腰は鍛えられる。そして、その鍛錬が、更なる登攀(とうはん)への底力となって活かされていく。
 精神闘争の長征に、徒労や無駄は、一切ないのであります。
 ゆえに、皆さんは、決して、立ち止まってはならない。
 絶対に、あきらめてはならない。
 焦らず、聡明に、「時」を待ち、「時」を創る忍耐にこそ、最後に勝ちゆく人生勝利の要諦があることを忘れないでください。

安河内哲也の言葉

 教えることの究極の目的は、自分で勉強できる力を育てることです。つまり、自主性を育てること。隅から隅まで丁寧に教えれば、講義がつまらなくなるデメリットに加え、受講生が自分で考えようとしなくなってしまう危険性もあります。
 どのような技能を教えるにしろ、特定の人間を永遠に教えつづけることはできません。教えたあとには「自立」してもらう。生徒の自立を支援するのも講師の重要な役割のひとつだと、私は考えています。(『できる人の教え方』)


→育てない「教育」ならぬ「教教」が、増えている。モンスターペアレント、マニュアル型教育はその一例だ。教育は、教える側の自己満足のための営みではない。被教育者の利益に適わなければならぬはずだ。近年軽視されてきた「自立」のための教育が必要である。貝原益軒も『養生訓』で溺愛の危険性を説いている。いまも昔も、真に子どものためになる教育(教教、にあらず)が不足している。

よく分からない商売

最近、いつも思う。グーグルやミクシーはどうやって、収益を得ているのか、と。「さおだけ屋」でなく、この2つの会社がどうやって稼いでいるのかを、誰か教えていただけないだろうか。

ヤフーは、巨大ポータルサイト化した感がある。広告収益もすごそうだ。しかし、グーグルはそのシンプルな見た目上、広告収益がありそうな気がしない。このブログはグーグルのサービスで作っているだけに、日々実感している。

世のなか、身近な部分に分からないことが多い。「無知の知」という奴だ。

友人が「死にたい」と言ってきた

突然の電話。親友からだ。「もしもし?」出る。

友人「オレ、死にたいんだけど…。今、自殺するため北海道にいる」

この時、自分はどう反応するか?

1、「バカヤロ−、死ぬんじゃねえ」という。

2、「一体、何があったの?」と尋ねる。

3、「勝手にすれば」と突き放す。

今日、ある親しい人から「もしこんなことがあったら、君どうする?」と言って、この話を聞いた。自分なら2の返答法をしそうだ、と返した。

その人の返答は違った。「今そこに行くから、待っていろ!」が返答だった。

思わず「カッコイイ」と感動した。

人の心を打つのは、言葉より行動だ。言葉は嘘をつく。行動は嘘をつかない。本当に訴えたいことがあるなら、行動こそが必要なのだと知った。

マックのヒトコマ

A「おまえ、トレーを燃えないゴミに捨てるなよ。」

過剰報道

今朝の新聞から。スキャンダル報道を、これだけの人が過剰と判断。確かに無くても社会は変わらない。

本当に大事なことを落し、本質はずれの物を大事にすることが多いのではないか。

2007年8月6日月曜日

スタ丼行きたいとき

スタ丼行きたいとき

スタ丼行きたいとき

着任終わったとき
一人が嫌になったとき
悪臭のする冷蔵庫を開けたくないとき
おごってもらえるとき
後輩におごるとき
道に迷ったとき
バイクを盗んで無責任に走り出したいとき
友人との関係、気付けば自分のみがいじられキャラになっていたとき
チャリパクされたとき
1限のテストを寝過ごしたとき
手帳を無くしたとき
思考が麻痺したとき
こんなしょうもないblogを疲弊する中書いてるとき…
スタ丼は自分の精神が危機に陥ったとき、何とか姿勢を持ち直させてくれる、病人食である

一人暮しすると解る

ことば

言葉にすることが難しいことを言葉にする。これはすごく難しい。でもやらないといけない。人権という言葉を例にする。人権がなにを指す言葉か、考え、表していく。そうしないで真の道徳教育は出来ない。何故なら言葉にしないで行動化する概念は、存在しないからである。

短い、短い話

自分は短文の組み合わせによる文章が好きだ。複文でなく、重文でもない短文。一つの意味のみをもつ単文が好きなのである。

わかりやすいからである。

ある思想家の言葉

アインシュタイン博士

真に偉大な人間になるための道は一つしかない。
何度もひどい目にあうという
試練の道だ

忍耐、忍耐

昨今、死語化した言葉がある。それが「忍耐」。

努力して、一事を成す心。たゆまぬ心。この精神が消えている。

学問も夢も、忍耐して努力することでしか成すことが出来ない。そして忍耐することで、はじめて自分が強くなれる。自分が思いもしなかった自分になれる。

しかるに、「タイゾー化する子どもたち」との本にあるとおり、現代は努力無しでいきなりの成功を狙う者が多い時代になった。忍耐が古臭くなった。今はこれでいいかも知れぬが、忍耐しない習慣が普通になればこの国はどうなってしまうのだろうか。

2007年8月5日日曜日

ボランティア

今日は学校ボランティア。入試説明会の役員なり。

休憩入れて一日、立て看そばに立つ。ずっと誘導・挨拶。

意外に、皆挨拶を返してくれる。これが1点目。子どもはかわいいと実感。子どもを必ず持ちたいと思う。これが2点目。ボランティアはさわやか。これが3点目。

やってよかった。